世尊よ。生と死の繰り返し(輪廻)は、如来蔵によるものです。如来蔵が、[生 と死の繰り返しの]本初であり、不可知とされるからです。
世尊よ。『如来蔵』が 生と死の繰り返しであると説明するのは、適切です。
世尊よ。生と死の繰り返しとは、 感覚器官と、続いて起こるべき、まだ経験されない感覚(器官)の消滅です。
これが生と死の繰り返しと呼ばれます。

世尊よ。生と死という、これら二つの事象は、如来蔵に他なりません。
世俗的な 世界では、慣習として、『生がある』、『死がある』と言います。
『死』は諸感覚器官 が消滅することです。『生』は新たな諸感覚器官が生起することです。
如来蔵(それ自体)には、生も死もありません。如来蔵は、他によるあり方(有為相) から離れています。如来蔵は常住で不変です。
したがって、如来蔵はよりどころで あり、支えとなり、基礎をなすものです。
世尊よ。如来蔵は、はかりしれないブッ ダの法から、離れたものではなく、断絶することなく、切り離されることなく、異 なるものでもありません。
世尊よ。他による事象(有為法)はブッダの法とは断絶し、 離れていて、異なるものですが、
それらの事象のよりどころであり、支えであり、 基礎をなすもの[もまた]、如来蔵です。

(勝鬘経)