伸び盛りの時期に「女の話」が苦手で才能を潰されたアスリートも多く見た。
そのためにテキストも書いた。
「皇帝は純潔」というポリシーのあった五賢帝時代にはない側面がアウグスティヌスには
あったが、誰も損をしなかった。
とにかく賢かったのはアウグスティヌスの方だった。
ローマ法、ギリシャ哲学、キリスト教の三つの川が、後期ローマ帝国に流れ込んだ。
ローマ法は「旦那」「彼氏」を「神」とするための教えだったし、ギリシャ哲学は
詩を中心に形成されていた。
キリスト教は「セックス崇拝」を基盤にしていたのだ。