ナポレオンは「哲学者はおじいさんである」という既成概念を打ち破って、
わりと若い時期にその素養を見につけられるようなシンプルな言語を作ったのだ。
「イケメン哲学者」
それもまた、ドイツのヘーゲルから学んだものだった。
「800人に分かるように書くだけで神聖ローマ帝国は滅ぼせる」
としたのはスピノザであり、散々、ナポレオンのもとにスピノザからの手紙が届いた。
「我々は誤魔化さない。しかし、体力勝負だよ」
英語という言語のコンセプトがここに完成したのだ。
「英語が出来る人は五万といる」と日本国でも語られているが、はたして「誤魔化し」
のなさまで見抜ける人がいるかどうかは明らかではない。
スピノザは「ドイツの女子高生はスカートが短い」というところまで見ていた。
「先生が何を言っているか分からないんだよ」
スピノザからの手紙にはそのように書かれていた。
カントは実績を自分だけのものにした。
しかし、ナポレオンはそれを「800人」に分けることで神聖ローマ帝国を滅ぼしたのだ。
ゲーテの詩までがナポレオンのような人物を待望していたかのように、ドイツ語は病んできていた。