主は無実の罪で殺されただけです。
しかし、神であられたために、死なずに、すぐに生き返ってしまいました。
何のために殺したのでしょうね。
生き返ってしまったのですから、苦労して拷問して、殺したのに、徒労に終わってしまいました。

生贄を何よりも嫌ういと高き神が無実のキリストを生贄にする理由がありません。
キリストは殺すことを心から願っているユダヤ人たちの望みをかなえてあげただけです。
不死身であることを知れば、回心する人たちも出てくるでしょう。
不死身であることを示すことによって、かたくななユダヤ人たちが回心することをお望みになったのです。それほどに敵さえ愛していたということです。
「復活によって神の子であることが定められた」とパウロが書いているのはそのような理由からです。

キリストは人類の罪を背負いません。罪はその人自身が償うのでありキリストがかわりに償うことはありません。
あなたが犯した罪は、あなたが罪をキリストに告白し、赦しを受け、生き方を変える以外に、償うことはできません。
それをするのはあなたであり、キリストではありません。

キリストが人類の罪の身代わりになったという刑罰代償説の誤り

1 生贄を何よりも嫌ういと高き神が無実のキリストを生贄にする理由がありません

2 生贄がすぐに生き返ってしまったら、生贄の役を果たしていません。

3 神は怒りません。怒りは罪です。したがって、神の怒りをなだめるために生贄をささげるという行為そのものが意味を成していません。