本来の悟りの境地には、智者の相もなく、愚人の相もない。
それなのに、妄りに智者・愚人の相を見る、これを愚人と言うのだ。
それ故、智者・愚人の相を見ないのを、真実の智者というのだ。
世間一般の愚かな人と違って、才智弁説があるのを智者と言うのは、世俗の沙汰である。
この故に、本来具えているはずの大智を会得した人は、「おれは智者だ」と慢心を起こさない。
そのわけは、本来の大智に行き当たってしまえば、智とか愚とかの差別の相を見ないからだ。
おれは智者だと思っていても、智者のふりをしないというのではない。
(夢中問答集)