【イエス】 これはわたしの愛する子 Part51 【キリスト】
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愛のシリーズ 第51弾
✝
そのとき、
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
と言う声が、天から聞こえた
(マタイによる福音書 3:17)
ここは霊的な利益を受けようとする心の柔軟な人々の為に
開かれているシャロンのスレッドです。世の利益や楽しみ、或いは
病気治しを求め、煽り、荒らし、反対する為だけの意見を書き込む人は
書き込みをお控え下
前スレ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1539102662/l50 ずっと外出していたのでレスが遅れました、すみません
>>144
キリスト教の歴史観だけが、自分が無神論でいる理由ではありませんが
現実としての神の沈黙、あるいは不在を直視するところからしか
総体としてのキリスト教が外部に対して説得力を持つことは今後ないだろうと思っています
英米プロテスタント圏における教理実証主義、というのは歴史の一側面をよく捉えていると思います
特にアメリカは歴史が浅いということもあり、プラグマティックな進歩史観がキリスト教の歴史観に
混入し、独特なエスノセントリズムに酔いしれているところがあるのでしょう
>>147
一切の尊厳を奪われ惨たらしく死してゆく当人にとっては
人類の霊的進歩も必要悪もへったくれもありませんからね
それでもキリスト教は、信じる者には絶望の中の唯一の希望として、
まさに唯一の救いとして機能していることも、しっかりと認めなければ
短絡的なアンチキリスト教に陥るだけで、何の生産性も持たなくなってしまうでしょう
>>372
いえ、苦しむ者と共にいる、という価値観に共鳴しているということであって
イエスをキリストとして、神として、信じているわけではありません
福音書に描かれたイエスの言動を範として、歴史上数知れぬ無名の人たちが
同じように苦しむ者と共にありました
永遠の命やサタンに対する勝利などといったことではなく
この無名の人たちの献身こそが絶望の中での希望であり、救いであるという意味で
共にいるキリストは生きている、と言ったわけです ヨハンネスさん、代弁ありがとう
おおよそ、そういったことです >>407
ご返信ありがとうございます。
天災はともかく 良知と理性で自制し得る戦災は
世界市民が協同して防止して行ければ 幸甚ですね。
翻って、リアリズムのエイシストさんは 恩寵信仰に対して 懐疑的で
福音書における 弱者によりそう姿勢こそ切要、
とのご認識ですが
例えば福音書は 鮮烈な神癒譚でもあると思います。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」
(マルコ 5:25)
カルヴァンか誰かも
「奇跡は信じる奴にしか降り落ちない!奇跡なめんじゃないよ!」
と説破してましたし、
文学的にも麗々しい信仰態度だと思ったりします。
勿論 盲が即時快癒するなど一万年後の医術でも不可能ですが。
卑見 悪しからず。おやすみなさいませ。 >>407
そう言うお考えでしたか
わかりました。
ありがとうございます。 >>386
キリスト教は、そういうことで破綻はしてません。💇
災害も惨たらしい残虐も
人間の罪に起因しています😃 長年、解決できなかった我が家の難題がいとも簡単に解決してしまいました。
NHKのお昼のもめ事相談、生活百科四角いみかくがま〜るくおさめます、
何気に見ていたら、、、回答は簡単。弁護士に或はどんな法律相談でもダメだった
ものが、あっという間もなく、解決しました。神様の御手が働く時はこういう事
ですね。感謝^^)/ >>406
最近、船戸結愛ちゃん虐待死事件がありました。
この子が亡くなりました ⇒ https://dot.asahi.com/dot/2018062700046.html
クリスチャンのシャロンさんとグノーシス派の俺とでは見解が分かれるのです。
シャロンさんは、天の慈しみ深い神(そしてキリスト)が一切を御存じなのだから、
心ある人々の祈りを聞き届けて下さり、結愛ちゃんの霊魂を天国へと導いてくださると考えます。
(昔の俺もやや近い発想で、「むご過ぎるからこそ必ず神が救ってくださる」と考えただろう。)
しかし、グノーシス派の立場からは決してあってはならない、もう何をしても取り返しのつかない事態となった。
幼子にはあらゆる可能性を持っていて、この子は奇跡的な結果として(神の子として)此の世に誕生して来た。
人は誰でも心魂裡に光の欠片(神の霊)を宿しており、光は此の世の試練を克服して神へと帰るべきもの。
結愛ちゃんの理不尽な死によって奇跡としての可能性が絶たれてしまった・・・と考えます。
心底怒りに震える事件であり、殺害した両親(特に義理の父親:船戸雄大)に腹が立つし、児童相談所の不手際にも腹が立つ。
残念ながら現実は無慈悲で無機質で無表情なままなのです。
地震・津波や記録的豪雨でも名も知れぬ人達が何の落ち度もないまま突然に命を絶たれてしまう。
世の中をつぶさに観察するほどに、こういう悲劇が常に繰り広げられている。
一方で、善意ある人々が居て、懸命に救助に当たり、事件事故発生の防止に心を砕き戦っている。
此の世の支配者は悪に他ならないが、善もまた夜空の星々のように輝いている。
神は人間の心の中に居て、人間こそが善なる神となり得るのだが、悪となる人間も無数にいる。
悪人は此の世の闇なのである。
正直者が、努力する者が報われるとは限らない理不尽な世界に生きていて、それでも誠実であるべきを旨とすべきは、
真実な存在の世界から(つまり神から)神の霊を与えられて人間として生きているからなのです。
グノーシス派はクリスチャンのように楽観的ではないのです。 >>411
神が創った人間に、罪がある訳がない。神は、罪の創造者ではない。
罪人は、創造主を信じないイエスとあなた方キリスト教徒だけ。
あなた方クリスチャンは、イエスを信じると同時に自動的に罪人になる
のです。
イエスやクリスチャンは、神が創ったこの地上から即刻去ってください。 >>411
そう思うの?
俺は破綻してると思ってるよ。だからクリスチャンではなくグノーシス派。
グノーシス派は「反宇宙的二元論」だからね。
そもそもスタートラインからして神義論(弁神論)を蹴っている。
創造神(造物主:デーミウルゴスは邪神なのだよ)
イエスの父ではないよ。
イエスは祈りを教えた・・・
「天にまします【われら】の父よ…」
イエスだけが神の子なのではないのだよ。
すべての人間が神の子となるべき可能性を与えられている。
(しかし此の世の欲に捕らわれたまま多くが脱落してしまう。『主よ主よ、我が主キリストよ、』と祈っても駄目な人は駄目なのです) >>409
もちろん、なんらかの尋常ならざる治癒はあったかもしれません
しかし個人的には数々の神癒譚は、基本的にイエスに従った者たちの希望の表現だと考えています
少なくとも、今となっては奇跡があったかどうかを実証することはほぼ不可能でしょう
かといって、奇跡を信じる人たちの信仰を否定しているわけではなく
それは信仰故に尊重されるし、公共の福祉に反しない限り尊重されなければならない
結局このような奇跡信仰をどう受け止めるかは、個人の世界観や価値観の問題になってきますね
おやすみなさい
>>410
ご理解いただき、ありがとうございます 話が過度に抽象化しないために、ひとつ具体的な素材を提供してみたいと思います
またマンガか、と思われそうですが、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』というマンガです
もし可能であれば、このマンガの『夕凪の街』を読んでみてください
できればなんの予備的情報もなしで読んでみてください
数十ページのマンガなので、ものの十分、二十分もあれば読めるマンガです
さらにさらにもし可能であれば、同作者の『ぴっぴら帳』や『さんさん録』を読んでから
『夕凪の街』を読んでみてください
日常の細やかな心情や風情、ささやかな喜びを描くことに秀でた作者が描いた、
静かに深く心を突き刺すマンガです >>411
イエスを信じる者たちが、史上そして現在も、最も多くの人間を最も残酷な
方法で殺したという事実をどう思うのか。彼らは、イエスを信じるが故に
殺したのであり、信じさえしなければ、殺すとこはなかったのだ。
そしてイエスの思想は、エスラム教、マルクス主義、ナチスという、現代
世界の最大の犯罪さえ生み出した。
Atheist氏は、「苦しむ人」をいうが、「殺される以上の苦」はないのだよ。
殺された人々は常に弱者であり、死は人間から、この大宇宙さえ奪うのだ。
弱者保護というが、弱者に対する憐れみは、その生きる力を奪い、彼らを
益々弱者にして苦しめるだけ。弱者を救うためには、憐れむのではなく、
弱者を強者にしなければならないのだ。それが真の愛である。ニーチェが
的確に指摘するところだ。 >>419
おい、ジーさん 夜中にあんまり興奮すると脳溢血で死ぬぞ (笑) >>419
弱者保護とか弱者に対する憐れみとかじゃないよ
そういうことじゃない
受苦であり、受苦に対する共感であり、共にあること、だよ
キリスト教スレだからイエスが、キリスト教が主題となるだけで
無数の名もなき人々の実践の中で脈々と途絶えることなく流れる共感の歴史だよ 何と無く書き記したくなりましたもので、
"紅(くれない)の 舞い散る手のひら 頬(ほお)掠め 去りゆく日々の 想い切なく"
"冬空の 雲より降りたる 雪(しろ)綿毛 哀しきこの地に 降りたる白羽根(天使の羽根)"
"雪がとけ 桜の蕾 見かけたら 哀しきこの地は 希望の地へと"
切なさに 胸焦がしゆく 秋の夜(よ)に 失礼ながら 此処書き記す
ただの落書き >>421
キリスト教が大規模な殺し合いやったということは、共感が無かったと
いうこと。
科学がこれほど驚異的な発達を遂げた現代において、「何を考えても、
言ってもよい」ということにはならない。何のために現代の義務教育の
制度はあるのか。 イエスが悪いというか失敗なんだよ。特に分かりづらいのは、この世を軽んじた事なんだろうなぁ。
殺人に関して言えば元の神が定めた戒律である、汝殺すなかれ、人を殺してはいけない、という教えの方が分かりやすいんだけど、その目立つ部分をあの世のことへと計らずも上書きしてしまった。
誰かを恨むと地獄の業火で焼かれる、というのは当然あの世での話であり、強烈なインパクトがあるのだけれど、逆に言えば死後の世界を信じていない人には通用しないので、その影響により戦争が絶えないのだと思う。
まぁ、それに関してはイエスが悪いというわけではない。 >>416
>なぜ、そう思うか✨
それは、例えばエイシストさんの唯物論世界観や科学主義進化論の世界観マルクス主義世界観など、または人々の確信している日常を
災害や残虐や破壊によって
揺るがすことになって
初めて人々は、永遠について考えられます😃
キリスト教の底力はこれからも破綻はしてません😃
世界1位のキリスト教をなめてはいけません😃
衰退は有るけどね✨👯 >>425
>>初めて人々は、永遠について考えられます😃
此の宇宙の永遠は地獄に他ならない。
人間存在にとっての永遠は地獄だよ。
「可能性」があるから人間は尊いのだよ。
過ぎ去り行く者が人間なのだから、そのプロセス(人生)が貴重なのだ。
やがては誰でも死ぬだろうが、人生の可能性を開花(正しく認識)させた者は死によって安息(消滅)を得るだろう。 科学はもとより、人間生活のあらゆる分野において著しい改善がなされている
現代において、キリスト教だけは2000年前と少しも変わらない。こんな
人間の営みが、他にあるか?キリスト教も、あくまで、当時の知識水準と
社会常識の人々のためのものであったことを、忘れてはならない。2000年間変わらないこと自体が、根本的な誤りなのである。
キリスト教以外の他の古代宗教も同じだが、他の宗教は、宗教を「生の目的」
とするという倒錯がないので、信者であっても、自由な生活が可能である。
しかしキリスト教やその系列のイスラム教は、生存努力による変更・改善を否定するので、進歩・改善の余地がない。
し、生存そのものを規制するので、 >>407
>苦しむ者と共にいる、という価値観に共鳴している
「苦しむ者と共にいる」は、むしろ科学だろう。科学の進歩の一つ一つが、人間生存の
苦を軽減又は抹消するためのものである。人間の苦のほとんどすべてが、肉体的・
物質的な要素から生じる。その典型が病気と貧困。しかし、宗教ではそれらのいずれも
解決することは出来ない。もっぱら科学の分野である。人間は、神など一切信じなくても
自由に生きることができるが、食物、衣服、住居、土地、空気が無ければ生存できない
のである。 >>429
ご隠居は、
「人間生存の苦」と「病気と貧困」について書かれていますが、
死についてはどうなんですか?
>>407
>惨たらしく死してゆく当人にとっては
科学の進歩で死は解決・抹消できるんですか?どうお考えですか? >>423
ご隠居はなんで白か黒かのような単純な理解しかできないのか
>>429
そんなことはなにひとつ問題にしていない
ご隠居だって、苦しむ人が目の前にいれば放っておかないでしょ?
科学がなんちゃら医学がなんちゃらの前に気持ちが動くでしょ?
科学でも医学でもどうにもならない状況が目の前にあるときには
どうにもならないからって無関心で放置することはないでしょ?
死を待つのみの人のそばに、ただただ居てあげる人を無益とは思わないでしょ?
>>430
> 科学の進歩で死は解決・抹消できるんですか?どうお考えですか?
私に対する質問でしょうか?だとしたらまったく見当違いな質問なので
もう一度レスの主旨をご確認ください
ご隠居へのレスでしたら、ごめんなさい >>431
ご隠居に向けて、引用している部分を見てもらうためでした。
わかにくくていません。 >>432
そうでしたか、それは申し訳ありませんでした
謝罪致します、すみません キリストは病人の救い主。苦しむ人救い主。死ぬ人にとっても救い主。
主はすべての人にとってのすべてです。 聖書がいってるではないか
神の力は弱さのうちに現れると
ならば 最弱ならば 神の力はそこに顕著に現れてしかるべきなのだ。 >>436
イエスは、天上の祝宴の幻覚も見ている。「俺は神の独り子」という巨大妄想と幻覚。
もはや完全な統合失調症だ。その祝宴は、豪華な食事や飲み物に溢れた、天上の
神たちの祝宴。弱き者など存在しない。
イエスはまた、悪魔の墜落の幻覚も見てるね。 >>431
無益である。助けるために医学的な処置を講じなければ、死んでしまう。
私は、そんな無益な態度は取れない。そのためにこそ、医学を研究している。
若し薬剤や器具の不足で手に余れば、専門医を呼ぶ。 オカルトトンでも妄想しか語らないナルミが「真実だけ語れ」て、
どんだけブーメランだよw >>436
その弱き者が問題。
弱き者、とは一体誰なんですか? >>427
キリスト教は可能性よりも上で、最大の権威から答えを与えてるわけであって
「主を信頼する者は万事を益として下さる」ローマ人の手紙
「圧倒的な勝利者となるのです」ローマ人への手紙 >>414
止まらない止まらない。
さらに追究していくんだよ。 >>413
昨夜、考えました。
この世のあらゆる悲劇の元はクリスチャンに責任あると思いました。
クリスチャンは使命を忘れてこの世を神の国(愛が支配する)の為に
祈りません。
主の祈りの中に「御心の天になる如く地にも成らせたまえ」、とある
ではありませんか、クリスチャンが真剣に主の祈りを祈っているなら
事情は変わっていたと思います。
神は今も生きておられ私たちの祈りをお聞き入れ下さる。 >>449
なんかその考え方受け付けるわ。なぜかわからんけど。 カステリオ Sebastian Castellio (1515–1563
学識あるサヴォワ出身のフランス人で、ストラスブールでカルヴァンに乞われ、しばらくジュネーヴの大学総長として働いていた。
が、カステリオが市民集会に於いて、指導者と意見の合わない者を虐げることに反対したとき、カルヴァンは彼を大学総長の座から追い払い、同時にそれを自発的な辞退と称して市民に退任の理由を尋ねることを許さなかった。
セルヴェトの処刑の当時、彼は自由都市バーゼルの教授になっていたが、宗教上の良心の自由を重ねて表明する決意をし、カルヴァンの処置に反対を唱えた。
彼は『異端者について』という書に著し別名を名乗ってバーゼルから秘密裏に出版した。そこでは異端者がどう扱われるべきかを説き、また、異端とされた様々な教理を紹介している。 ”七を七十倍するまでも許すことを教えたキリストの生涯と教訓を考え、それに倣わないなら、どのようにして我々はキリスト教徒の名を保てるのか?”
”各人は自分の目から梁を除く前には、兄弟の目から埃を除く資格は無い”
”わたしが言うのは異端と呼ばれる人々の血の事であり、「異端」という名称は今日では敵と決め付けるのにそう呼ぶのが最も手っ取り早い方法となっている程に忌まわしく嫌悪すべき、そして恐るべき呼び名となっている。
単なる言葉がこのような恐怖を惹き起こすさまは、その言葉が発せられるときに、人々が犠牲者の弁明に耳を閉ざし、しかもその人だけを猛烈に迫害するのみならず、彼の代わりに敢えて発言しようとする人々をも迫害する程である。
このような狂暴によって、彼らの訴訟が実際に理解される前に、多くの人々は滅ぼされてしまうようになっている。ここに二つの大きな危険を見る。
第一は異端者と見做されている人が、異端者ではないということである。このことは昔もあった。キリストと弟子たちは異端者として処刑された。
我々の世紀に於いてもこのことの再発する恐れは充分にあるし、それは改善どころかむしろ悪くなっている。”
”第二の危険は、真に異端者である者の処刑のやり方が苛酷すぎたり、あるいは、キリスト教の規律に於いて要求される以上のやり方で行われることである。 祈りってきっと、最終的には献身の心と祈る喜びに終点するんだろうね。
たとえ叶わなくても、自分の心に瞑想以上の良い効力をもたらせる。 中世キリスト教史の汚点として「魔女狩り」や「異端審問所」があるが、これらに対してルターは烈火のごとく怒ったのである。
「手ぬるい!」と…。
旧教(カトリック)に対し新教(プロテスタント)を起こしたルターは、積極的に魔女狩りを行い、数多くの無実の人々を殺した男でもあるのだ。
魔女だけではない。若い頃のルターは、ユダヤ人に対して、比較的寛容であったが、やがてユダヤ人たちが頑としてキリスト教に改宗しようとしないことに業を煮やし
「ユダヤ人強制収容所」「ユダヤ人の旅行と金融業の禁止」「ラビによる教育の禁止」「タルムードの没収」「ユダヤ人の追放」「ユダヤ人の強制労働」などを実行した。
ルターいわく
「ユダヤ人は、元々流浪の民なのだから、本来一文無しのはずだ。彼らが所有するものはすべてもとはわれわれの財産だったのだ」(定方晟著 洋泉社刊『憎悪の宗教』より引用)
このルターによるユダヤ人迫害を見習ったのが、ナチス・ドイツである。キリスト教徒によるユダヤ人への迫害が、もっともひどく、大掛かりに行われたのが、ナチス・ドイツの「ホロコースト」や「アウシュビッツ事件」であった。
ルターによって起こされた宗教改革はカトリックとプロテスタントという宗教戦争になり、ナチス・ドイツの手本となり、また、魔女狩りの伝統はアメリカ合衆国に渡っても行われた。
黒人を虐殺することで有名なKKK団は、最初熱心なプロテスタント教徒が、黒人、ユダヤ人だけではなくカトリック教徒も処刑を実行している。これも異教徒を殺す魔女狩りの一種なのだ。
巨椋修(おぐらおさむ)(山口敏太郎事務所) 叶えてくださらないのではないか...という疑問から、この世の悲惨さに向き合い、神の意志として服従しながらもなお人を思いやり、微かな希望があると信じて祈る。
その祈りの中で、人は全ての者に対する献身と受容、隣人愛からの強い希望を極めることになると思われる。 なおかつ瞑想の色もあるのだから素晴らしいですよ...。 わたしはこの牧師さんのメッセージが好きです
本日も生ライブでメッセージが無料で見られます
よろしければ三角形のプレイ・ボタンを押してご覧ください
主に栄光がとこしえにありますように
https://www.newlifechristchurch.net/ プロテスタント信仰箇条
「このプロテスタント信仰箇条がわれわれキリスト者を地上のすべての人々から区別し分けるだろう。
キリスト教会の外にあるものは、異教徒であ ろうとトルコ人(イスラム教徒)であろうとユダヤ教徒であろうと、あるいは偽のキリスト教徒、たとえ彼らが心の一なる神を信じ崇めようとも、
彼らはこの神 が彼らに対してどういう心であるか知らず、この神へのなんらの愛もよきことも期待しえず、したがって彼らは永遠の怒りと呪詛のうちにとどまる。」
マルテイン・ルター
(神々の和解 - 二一世紀の宗教間対話 - 田丸徳善) >>430
>>ご隠居は、
>「人間生存の苦」と「病気と貧困」について書かれていますが、
>死についてはどうなんですか?
>>407
>>惨たらしく死してゆく当人にとっては科学の進歩で死は解決・抹消できるんですか?
まず、医学の進歩により、平均寿命がどれほど延長したかをご確認ください。つい数十年前までは、
日本人の平均寿命は40歳程度だったのです。現在は、百歳を目指しています。
死は、すべての人間に極めて公平に訪れる自然の摂理です。それをいくら嘆いて見ても
無意味。
病気になったら、現代最新の技術で治療を受け、それでも駄目なら、医学の進歩に感謝して、
諦めるしかありません。医学は日々に進歩しており、医師も、特に開業医はすべての進歩を
フォローすることは時間的に不可能ですから、患者側とその家族も、最新医学十分に研究する
必要があります。さもなければ、informed consentのconsent能力もありませんし、また医療側の
ミスを防ぎ、又は発見する能力もありません。従って、患者側の専門知識の程度が、治療に
おいて大きな比重、少なくとも50%を占めます。死の予告を受けても、それはあくまで統計上の
数字ですから、全面的に信じることもありません。とにかく最後まで、全力で生きる意欲を
棄てないことです。また、死の宣告を受けても、後に残る者たちに必要な処理を考えていれば、
死の恐怖など忘れます。死に苦痛を伴うのは、人間がいかに生命に執着しているかを示す
ものです。最新の医療を尽くしても死んだ場合は、現代医学の進歩と医療者及び家族に
対する感謝あるのみです。個の死が、新たな生命を生み出す生命の新陳代謝だからです。
イエスなど信じなければ、罪も裁きもなく、永遠の休息です。そしてあなたが死んでも、
住み慣れたあなたの家屋や見慣れた街角は残る。そしてあなたの想い出は、愛する者の
心の中に残ります。素晴らしい死後の世界ではありませんか。
生に限度があるからこそ、懸命に、かつ立派に生きる意欲が生じるのです。この意味で、
イエスの「永遠の生命」などは、地獄の別名に過ぎません。生命が永遠なら、十全に生きる
意欲など生じるでしょうか。だからこそ創造主は、生命に限度を設けたのです。イエスは
根本から誤っています。 広島長崎の悲劇を無神論者への神罰とは、ふざけた考え方をしているんですね。
日本のキリスト教徒は、長崎の原爆投下によって大勢のキリスト教徒が被爆し無惨に殺された事実をもっと彼らに伝えるべきです。 >>460
だけども
私らは現在 死んでるのであって
肉体は私らにとって墓なのです
プラトン「コルギアス」 人間はすべてを知ることを欲する。
アリストテレス。💇 >>449
事情は同じです✨
キリスト教国でも災害も事故も大量の死者も有ります。
キリスト者の居る長崎にも原爆は落ちましたし >>465
おはよう☀😃✋
日曜のお昼は
エミューの砂肝のアヒージョ食べたい✨🎵 >>466
今の季節はカボチャが安くて美味しいよ
一個百円のカボチャをゴロゴロと買い込んで来てあるから、当分はカボチャを食べるよ 商材は買ったことないです。ただの商材を集めまくった時期があったけれど、何の役にも立たなかったから。 結局、役に立ったのは、テクニカル分析だけ。これに何年かけたか知れない。
テクニカル分析+経済指標で8割勝ちです。 8割勝てれば億万長者だわw
財産溶かして自殺未遂してるくせによく言うわw 重病の時、治療しないで祈ったりしたら、必ず死ぬ。祈る時間があったら、治療に専念すべし。 ヤンヤヤ ヤヤヤヤ♪〜
わたしの お店は
ヤンヤヤ ヤヤヤヤ♪〜
もうすぐ、潰れそう♪〜
ヤンヤヤ ヤヤヤヤ♪〜
ヤンヤヤヤヤヤヤ♪ この地球上で、約四億年前に生命を持たない物質に何らかの進化のプロセスが働いて
生命が誕生したとエイシストさんも科学者も
受け入れている仮説なわけでしゅが
それを支持する直接の証拠は存在しないし
これからも見つかる見込みは無さそうです🎵
ただ、間接的な証拠は存在します😃 お店。
年末だけ、ボディコン着るか、ハグありに、するか。 >>129
死は苦しみの終わり🔚死は苦しみから解放される。だからといって死に急ぐのは間違い。💇
しかし神様は
人間には、苦しみを喜びに変わる力が与えられています😃
それを信じて人は、今日、明日を生きていく🎵
なので私は神様が、天変地異から
愛する人間の命を守って下さることは
無いと思っています😃
しかし神様は苦しみの苦難を喜びに与える力を人間に与えて下さると思っています😃
絶望が希望に変わることの救いの奇跡経験をした者が
神様は何でも出来ると、おもわず発してしまうのでしょう🎵
奇跡は人の心の中に起きますよ✨きっと 小さな幸せ=40代オジサンが、コンビニで、口ずさむ歌♪ ワタスの「誰も、おらんのケ?」も、
標準語に、なりそうな勢いw 平野啓一郎さん、ここ見てるかな。
平野氏いわく、アフリカあたりに、多くの武器が、流れてるのを、何とかしないと。
(朝のラジオで、聴いた。) >>488
こんばんは
今日は○○神社のお祭りに行ってきました。
お稚児さんの行列が可愛かったよ^^ あたしは鳥居をくぐることはできないわ
龍神の敷居をくぐることになるからね >>490
あら?
未だ起きてたの
お祭りと言ってもメイン道路の山車を見たり出店を覗いたりしただけよ。。
鳥居なんてくぐっってないので安心汁^-^)) >>483
人間は、生きていることによって既に救われている。どんなに苦しくても、
常にささやかな喜びを求めるし、苦と闘って生きようとする努力の中に、実は
大きな生の喜びを得ているのだよ。 >>491
わたし、鳥居をくぐると竜の魔法にかかるって、イエス様に忠告されて以来、
神社に近づかないようにしてます。
鳥居は龍の口で本殿はお腹だって。
こんな説明初めてだわ。 >>492
人間は、生きていることによって既に呪われている。どんなに苦しくても、
常にささやかな喜びを求めるし、苦と闘って生きようとする努力の中に、実は
大きな生の苦痛を得ているのだよ。 >>489
神道は、世界で最も優れた自然宗教です。死、罪、呪い、十字架など、忌まわしいものは
何もない。罪も、一回のみそぎで洗い流されるのです。
共同体としての人間(祭りなど)と、人間の生命を維持する自然・万物に神を認める、
教義もなければ教主も居ない、人間の生存努力そのままの宗教です。 小聖堂付の家を建てたいな
広い庭に小聖堂を配置するの。 >>493
「生ける屍」が、イエスでありクリスチャンだ。聖霊としての生命(肉体)を、
すっかり忘れ去っている。罪と死と呪いはあるが、「生命(聖霊)」はない。 イングランド国教会が財政難に陥っている。このままでいけば、歴史ある大聖堂(カセドラル)を売りに出さなければならない状況に直面する可能性もあるという
https://www.japanjournals.com/uk-today/11524-180713-1.html 英国国教会は、年に約20カ所の教会を閉鎖している。
デンマークでは、およそ200の教会が存続不可能ないし十分に利用されていないとみられている。
ドイツのローマカトリック教会は過去10年間で約515カ所の教会を閉鎖した。
この傾向が最も進んでいるように見えるのはオランダだ。
同国のローマカトリック教会の指導者たちは、1600あるカトリック教会の3分の2が10年以内にその活動を停止するとみている。
このほか、同国のプロテスタント教会700カ所が4年以内に閉鎖されるとみられている。
教会保存活動団体「宗教的財産のための未来」のメンバーで前出のGrootswagersさんは
「その数はあまりにも多いため、社会全体で対応しなければならない問題だ」と述べ、「誰もが地元の大きな空っぽの建物への対応に手を焼くことになるだろう」と話した。
米国は今のところ、教会閉鎖の波を回避できている。
米国のキリスト教徒は依然として欧州の人々より宗教的な戒律を順守しているからだ。
しかし、宗教研究家たちは、米国で教会に通う人が減っていることは、米国も将来同じ問題に直面する可能性があることの表れだと指摘する。
https://jp.wsj.com/articles/SB10441675140911724742004580380423474325784?mod=trending_now_4 今は小さな村の教会は廃墟と化し、地方自治体は修理費用も出ないうえ、ミサをあげる神父もいない。
数年前ブルゴーニュの小さな教会での隣人の葬儀に招かれたことがあるが、そのとき葬儀を執り行った神父さんは、終るとすぐに隣村の教会に飛んで行った。彼はかけもちで数教会を管理しているという。
敬虔なキリスト教徒でもその70%は、教会として使えないのなら民間活動、美術館やコンサート会場、学校として民間に売却したほうがいいと思っている。でもファーストフードはお断りという意見だ。
フランスよりも教会や宗教施設の多いイタリアでは、すでに数年前からこの問題の解決に当たっており、ルネサンス教会が壮麗なレストランに変身したりしている。
天上の高さと広大な床を使えば、ディシスコやがっしりしたスポースセンターにもなりそうだ。
ル・パリジャン紙(16-3-12)に掲載されていた、シャトーや教会の不動産売買を専門としている業者によれば、教会だけで年に2、3件の売買が成立しているそう。
シャトーも350城が売りに出ているとか。価格は10〜40万ユーロくらい。
まだ司教区に属している教会が4、5千あり、これから数年のあいだにそのうちの25〜50%は売りに出され、最低1000の教会が民間施設になるだろうと予想する。
神父は教会を世俗化するために非神聖化する儀式を踏まなければならない。教会の〈喪〉に伏すため神父は紫色の僧服を身に着け、聖遺物やオブジェなどを取り除いていくそう。
このように教会存続の危機のなかで、昨年話題になったのが、
パリ・グランドモスクのブバクール導師が、廃墟の教会が増えているのなら、それらをモスクに改造したらどうかという提案だった。
https://ovninavi.com/ozawa20160407/ 日本におけるプロテスタントの最大会派として、2千あまりの教会を擁する日本基督教団に、間近に迫る危機があります。
現状のままで教勢が推移するなら、2030年には、教会員の2/3が、75歳以上となるということです
2030年問題の影響は、都市部の大教会ほど深刻です。
日本基督教団では、定期的に礼拝出席と献金がある実質的な教会員を、「現住賠餐会員」と呼んでいますが、この「現住賠餐会員」が、100人が30人になれば、会堂や教会活動の維持すら困難になります。
会堂を売って移転縮小するような事例も増えるでしょうが、現在、最後の一灯を灯すかのように会堂建築に精力を傾ける教会はどうなるのでしょうか?
多額の借金を抱え、売るにも売れず、行き詰まり、破産する教会も多く出てくるのではないかと懸念します。
都市部の教会が経済的に多くを負担して地方の小教会を支えてきた、互助制度も崩壊するでしょう。独自の年金制度等も然りです。これは日本基督教団自体の崩壊の危機です。
回帰不能点はとうに超えてしまったのではないでしょうか…。日本基督教団という大船は着実に沈みつつあり、今となっては、これを止めるのは極めて困難だと思えてなりません。
現実的な選択は、余力のあるうちに縮小や合併を行い、十数年後に備えることです。船が沈没し始めているのなら、もはや、救命ボートを用意するしか手立てはありません。
しかし、対応できる教会がどれだけあるでしょうか…。多くの教会は、無策のまま時に至りそうな気配を感じます。
代表的な例として日本基督教団を取り上げましたが、伝統的な多くの教団・教派も、同様の状況に陥っています。特に地方で、その傾向は顕著です。教職者が複数の教会を兼務するのは当たり前ですし、閉鎖される教会も続々と現れています。
https://shikaoichurch.com/2017/10/12/churchs_crisis/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています