>>812の続き
大貫は、イエスの神の国の本質として以下の項目を挙げるが、聖書的には、すべて誤り
である。(    )内は、私の批判を示す。
1.「神は細部に表れる」(細部なら、多神教でなければならない。細部は、無数の異なった
事象であるから、一神教の神では到底処理できない。イエスは、己自身以外の神は絶対に
認めない。彼の聖霊の捏造と冒涜が、その証拠の一つである)。
2.「命のかけがえのなさ」(イエスは、生命の尊厳など、一言も語ってはいない。すべて、
「生命の否定」である)。
3.「神は、エゴイズムは裁く」(エゴイズムも、神が生存のために不可欠として人間に
与えた資質である。そもそも、エゴイズムがなければ、生存は不可能。それに、イエスと
パウロこそ、生存に無関係な過度のエゴイズムの典型ではないか)。
4.「イエスは常に『私』を主語とし、『神』を持ち出さず、『自分で』責任を取った」(イエスは、
己が神になりたかったのだから、当然のこと。そして「父なる神」という己がでっち上げた
「偽神」を、常に己の発言の背景としている)。