【教えて】聖書のディボーション【みこころ】
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『manna』いのちのことば社
リジョイス 改革派
febc キリスト教放送局
ほか 出エジプト34章より
新共同訳
主は彼の前を通り過ぎて宣言された。
「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、
幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。 ヘブライ13章より
皆さん、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。
永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、
御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。 >>297
ここで「施し」と訳された原文は「コイノーニア」(交わりの意味)です。この単語は新約聖書で19回使われているそうですが、その13回はパウロの手紙で使用されているということです。
新改訳聖書では、「持ち物を人に分けること」、フランシスコ会訳では、「物を分け合う」と訳されています。こう見てみると、意味合いが明確になるかもしれません。
https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle1/1_ord04sat.php フィリピ2章より
だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 >>299
何もしなくてもすでに救いは達成されているとは
書いてないのですよね… イザヤ6章より
ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
主の栄光は、地をすべて覆う。」
この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
わたしは言った。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。
わたしは汚れた唇の者。
汚れた唇の民の中に住む者。
しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。
「見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
「誰を遣わすべきか。
誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。
「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください。」 ふくいんのなみ リジョイスも
カトリックミサ福音朗読箇所と同じ
ルカ5:1-11
ペトロ(シモン)の召命場面です >>302
febc日曜礼拝番組の説教のなかでも
同じ場面が紹介されました 雅歌2章より
恋しい人は言います。
「恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。
ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。
いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。
岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ/姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」 >>304
イエズスがマグダラのマリアに向かって
外に出るようにと優しく語りかけているように聞こえてきます。
あなたの罪の咎は消し去られ、新しい一歩が待ち構えているよと。 ビューティフルイスラエルのカレンダー
ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。
地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。
雅歌2:11〜12 >>306
カレンダーめくりを忘れていて
さっき開きました。
2月の写真は赤いポピー(アネモネ) >>305
ラブラブって素晴らしいなと思います。
信じてくれる人がいて、自分もその人を信じているということが、どんなに愛を強固にするか。
迷い猫と親切な発見者、または迎えに来た母猫を見るときの子猫のようなものを想像します。 私は、やはりこの二人は愛し合っていたと思うんですよね。
聖書の真の著者は聖霊だといわれています。
福音書のエピソードには別人のようにして紹介されているけれど『黄金伝説』によるとマグダラのマリア本人なんです。
この女性との関わりが頻繁に書いてあることから、そして最後の福音書でヨハネがマグダラとイエズスの生々しい対話を挿入していることからも、最重要人物であることは間違いないです。(と私は確信している)
私の推察では、黙示録の描写があまりにもマグダラのマリアと一致しているために、この女性がキリストの花嫁ですよと大胆に仄めかして、墓の前の二人を具体的に書かざるを得なくなったのではないかと思うのです。
聖霊のうながしによって。 創世記1章より
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」
そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。
神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。
神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。
第四の日である。 >>310
カトリックの見解は
ここに描かれる創造物語は、科学的な描写ではなく、創造者が被造物を創造する、つまり、神が創造物に対して目的をもっておられるという神学的な描写、主張であることを理解することが大切です。
https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle1/1_ord05mon.php 詩編104より
1心を尽くして神をたたえよう。
神よ、あなたはまことに偉大なかた。
2a誉れと輝きを身に帯びて、
衣のように光をまとわれる。
24神よ、あなたが造られたものは数えきれない。
英知によって形造られたものは地に満ちている。
33わたしは生涯、神に向かって歌い、
いのちのある限り神をたたえよう。 ビューティフルイスラエルのカレンダー
2月の表紙写真
※ 赤いポピー(アネモネ)の絨毯の中に黒い樹々が立っている
ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。
地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。
雅歌2:11〜12
マグダラのマリアは、罪を赦された後もしばらくは家に閉じこもっていたんじゃないかと思う。恐くて。
イエズスはマリア(マグダラ)に優しく語りかけ「ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。」という。
なんて甘く響く言葉だろう。
「あなたの罪は赦された」とイエズスの声を聞いた人はなんて幸い、なんて恵まれていることか。
「ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。
地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。 」
そこにはマリア(マグダラ)のかつての罪を責める思いはどこにもない。
七つの悪霊に囚われた女性を解放しイエズス一行と一緒に旅をさせていたという。 創世記より
神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。これが天地創造の由来である。 1コリント10章より
兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、
皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、 皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。
これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。
彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。
彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。
また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。
彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。
これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。 febcの関野和寛牧師
先週はユダについての想像
今週はピラトについての想像
こんな自由な想像が許されるなら、私の想像は『黄金伝説』を参考にしてるからもっと根拠あるわ
今朝も映画のシーンのようにイエズスとマグダラのマリアをコマ割りしていた 詩篇105:7-17、24-26、42
リビングバイブル
神の恵みは、全地の至るところで明らかです。たとえ何千年を経たのちでも、主は約束を忘れず、アブラハムやイサクと結んだ契約を守ります。
そして、その契約をヤコブに再認識しました。「カナンの地を相続させよう」という、イスラエルへの約束です。
このころはまだ、イスラエルはほんの一握りの民族で、カナンの寄留民にすぎませんでした。
彼らは国々に散らされ、国から国へと放浪したこともありました。しかし、そんな時でも、主のお許しなしには、だれも彼らを攻撃することはできなかったのです。
彼らを攻撃しようとする多くの王が滅ぼされました。
神の警告が響き渡りました。
「わたしの選んだ者にさわるな。
わたしの預言者に害を加えるな。」
主がカナンの地にききんを呼び寄せると、食糧が底をつきました。一方、ご自分の民を飢えから救うため、ヨセフを奴隷としてエジプトに送りました。
…
それ以後、イスラエルの民は増え、支配者たちを脅かす大民族にまでなったのです。
このころ神は、エジプト人をイスラエルの敵と変え、イスラエルは奴隷にされました。
しかし、主はご自分の代理として、モーセをアロンとともに派遣しました。
…
主は、しもべアブラハムへの約束を覚えておられたのです。 >>317
『manna』の解説「みことばを味わおう」より
筆者は最初、主がアブラハムと結んだ「契約」という観点から聖書を読むことができていなかったため、旧約での残酷な物語や、救いが選びによるという教理にも違和感を覚えました。
しかし、この観点から全体を読み出すと、すべてに一貫性が見えてきました。 創世記2章より
主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」 febc恵子の郵便ポスト
(ピッピ談)
修道院のような教会を嫌って世俗に生きる教会を求めてきたかたのお便り。
カトリックでは交わりのない信仰生活をする聖人の話もよくあります。でも普通の人にはこんな生活するのは難しいと思います。
でも世俗で生きると生きにくさが出てきて心を病ませることも少なくありません。 この後の番組がもう一面の危険を伝えていると思います。
「しるしを見たからではなく満腹したからだ…」
こうなってしまっていないかと振り返るときが来ると思います。
キリストを語ると迫害も起きます。十字架は反対を受けるしるしなんですから。 日々の暮らしを全力投球されたい方は、明日の番組「どこへでも、どこまでも」のような説教を聴くと励まされるかもしれません。 >>320
タラントを生かすということをお便りの方が書いておられました。
どんなタラントかは人によります。祈りのタラントを持っている人、引きこもって神様と対話し説教に生かす方もいると思います。
弟子たちは食物配給のことで自分たちが煩わされないようにと評判の良いひとを任命してことに当たらせましたよね。
皆が外へ出て、労働し、社会の歯車の一員となって交わることが唯一求められているわけではないでしょう。
聖書続編には労働を免れた研究者のことが書いてあり彼を尊ばれています。 創世記2章より
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
「ついに、これこそ
わたしの骨の骨
わたしの肉の肉。
これをこそ、女(イシャー)と呼ぼうまさに、
男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。 詩編128より
額に汗してかてを受け、
恵みと平和に満たされる。
実り豊かなぶどうの木のように、
妻は家庭をうるおす。
オリーブの若木のように、
子どもたちは食卓を囲む。
神の祝福がシオンから臨み、いのちのある限り、
エルサレムの栄えと、数多くの子孫の群れを見る。 「私の実感」が信仰の根拠ではない
恵子の郵便ポスト
http://netradio.febcjp.com/2019/02/14/post190214/
吉崎恵子(日本FEBCメイン・パーソナリティ)
イエス様が共にいる実感が欲しい 創世記3章より
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた。 https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2019-02/general-audience-our-father-20190213.html
教皇は、「主の祈り」の中に、驚くべきことに全く見当たらない言葉、それは一人称単数の「わたし」という言葉である、と指摘。
略
こうしたことから、教皇は、「主の祈り」には「わたし」という言葉がなく、「あなた(御父)」と「わたしたち」の対話がそこにあると話された。
略
神を求めないように思われる人々に対しても、彼らのために祈るようイエスは招いている、と述べた教皇は、
「御父はすべての人を愛される。自分の気に入った人にだけ良くしようとするわたしたちとは異なり、すべての人に対して善い方である神から、わたしたちは学ばなくてはならない」と説かれた。 創世記3章より
主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」
神は女に向かって言われた。
「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」
神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 ペトロ(一) 4:12-19
愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。
むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
「正しい人がやっと救われるのなら、/不信心な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。 >>329
私がここでいつも思うのは、罪の転嫁というより、ことの説明してるだけじゃない?
なんですよね…
遅刻した言い訳はいらん、とかさ
ドラマでよくやってます。
そこで事情なんか聞いても事態(過去)が変わるわけないし、耳を傾ける暇もたぶんないのでしょう。 エレミヤ17章より
主はこう言われる。
呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし
その心が主を離れ去っている人は。
彼は荒れ地の裸の木。
恵みの雨を見ることなく
人の住めない不毛の地
炎暑の荒れ野を住まいとする。
祝福されよ、主に信頼する人は。
主がその人のよりどころとなられる。
彼は水のほとりに植えられた木。
水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく
その葉は青々としている。
干ばつの年にも憂いがなく
実を結ぶことをやめない。 ヤコブ5章より
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。
あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。
兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。
兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。
忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。 カトリックミサ朗読と改革派ふくいんのなみリジョイスの聖書箇所がまた被りました。
ルカ6章です。 http://netradio.febcjp.com/2019/02/17/mtpr190217/
祈りの言葉に聞く―マザー・テレサに導かれて(再)2/17
投稿者: Staff03
片柳弘史(カトリック・イエズス会司祭、宇部教会主任司祭)
11 闇の体験 >>335
貧しい人とともに低くされたマザーテレサ。
それは十字架の主が体験された苦しみと同じもの。神との断絶の苦しみだった。 詩編130より
130・1神よ、深い淵から、
あなたに呼び、
2嘆き祈る私の声を
聞いてください。
3あなたが悪に目を留められるなら、
だれがみ前に立てよう。
4しかし、あなたのゆるしのために、
人はあなたをおそれ尊ぶ。 詩編29より
29・3a主のみ声は水を治め、
その声には力があり、
4主のみ声には威厳がある。
10主はとこしえに王座に着き、
11主はその民に力を与え、
平和をもって祝される。 詩篇110:5-7
(リビングバイブル)
5
主はあなたのそばにいて、あなたを守ります。
主はご自身の御怒りの日に、
多くの国々の王を打ち倒します。
6
主は国々を罰し、指導者たちを壊滅させ、
その地を彼らのしかばねで満たします。
7
しかし、主は道のほとりの泉から水を飲み、
力を回復なさるのです。
(新共同訳)
5
主はあなたの右に立ち/怒りの日に諸王を撃たれる。
6
主は諸国を裁き、頭となる者を撃ち/広大な地をしかばねで覆われる。
7
彼はその道にあって、大河から水を飲み/頭を高く上げる。 >>339
本日の『manna』の箇所(一部)を
リビングバイブルと新共同訳でお送りしました
なお、この箇所は黙示録19:11-16を参照とのことです
「神のことば…王の王、主の主」 >>340
『manna』解説より
神の「右におられる主」が「神のことば…王の王、主の主」(黙示19:11-16)としてこの世の横暴な者たちを「打ち砕かれる」と描かれます。 創世記8章より
ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。
ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。
主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。
「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。
地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも
寒さも暑さも、夏も冬も
昼も夜も、やむことはない。」 >>343
人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。
神はこう言われています。
だから子どもは純粋だとかの希望的幻想はやめましょう。 詩編105
105・1神に感謝してその名をたたえよ。
諸国の民に神のわざを告げ知らせよ。
2賛美の歌を神に歌い、
そのすべての不思議なわざを語れ。
6神のしもべ、選ばれた者よ、
7神のさばきは世界に及ぶ。
8a神は契約をとこしえに守られる。
10bイスラエルのための永遠の契約。 詩編111
11・3神のわざは力と輝きに満ち、
その正義はとこしえに及ぶ。
4b神は恵み豊かであわれみ深く、
5bとこしえに契約を心に留めてくださる。
7神のわざにはまこととめぐみ、
すべての定めはゆるぎなく、
8世よ、とこしえにすえられ、
ただしさとまことに基づいている。 >>346
これは今日のミサ答唱詩編なんですけど、
奇しくも昨日の『manna』も詩編111でした。 詩編23
23・2神はわたしを緑のまきばに伏させ、
いこいの水辺に伴われる。
3神はわたしを生き返らせ、
いつくしみによって正しい道に導かれる。
4たとえ死の陰の谷を歩んでも、
わたしはわざわいを恐れない。
あなたがわたしとともにおられ、
その鞭と杖はわたしを守る。 http://netradio.febcjp.com/2019/02/22/uta190222/
幸いを告げるうた―詩篇(再)2/22
投稿者: Staff03
小林和夫(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師、東京聖書学院名誉院長)
22 低きに下る至高者なる神
詩篇113 詩編145
145・1神よ、わたしはあなたをあがめ、
世々にあなたの力をたたえる。
3すべてを越える神、
その偉大さははかりしれない。
10神よ、造られたすべてのものはあなたをたたえ、
あなたに従う人は感謝して歌う。
11彼らはあなたの国の栄光を語り、
力あるあなたのわざを告げる。 ヘブライ11章
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。 ヘブライ11章
信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。 詩編103
3神はわたしの罪をゆるし、
痛みをいやされる。
4わたしのいのちを危機から救い、
いつくしみ深く祝福される。
8神は恵み豊かに、あわれみ深く、
怒るに遅く、いつくしみ深い。
13父が子どもをいつくしむように、
神の愛は、神をおそれる人の上にある。
11天が地より高いように、
いつくしみは神を恐れる人の上にある。
12東と西が果てしなく遠いように、
神は私たちを罪から引き離される。 ミサ朗読と改革派リジョイスの聖書箇所が同じでした。
ルカ6章
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 昨日の『manna』は1列王2:1-12
ダビデからソロモンへという題でした。
解説から一部抜粋します。
サウル王の時と同様に、ダビデ王についても、その統治や業績の記述よりは、過ちが多く記述されています。
古代諸国に残されている「王たちの年代記」といった記録と比較すると、聖書の記述は冷静さと公平さに富んだものです。
その理由は、いうまでもなく、すべての人は創造者なる唯一の神の前に罪人であって、完璧な者は一人もいない、と聖書が断言しているからです。
どんなに偉大な人物についてであっても、その人物が神のごとく崇拝されるような記述は一切退けて、神のあわれみと赦しなしには生きられない、弱い罪人としてのありのままの姿を叙述しています。 http://netradio.febcjp.com/2019/02/23/comm190223/
中原道也氏(キリストの教会静岡中央キリストの教会牧師)
お相手:長倉崇宣
5 喜びに支えられて醜さを知る
ルカ18:1〜14
パリサイ人の祈り
「神よ、わたしはほかの人たちのように、強奪者や不正直な者や姦通の罪を犯す者でもなく、また、この徴税人のような者でもないことを、あなたに感謝します。
わたしは週に二度断食をし、全収入の十分の一を納めています。」 >>357
このパリサイ人は神様へ感謝の祈りを捧げているつもりなのです
飢え渇くことのない満たされた恵のなかにいます
自己卑下を馬鹿にする人がいますが、神様に正しいとされたのは徴税人のほうの祈りなのです 詩編93
1神は王。栄光に満ち、
偉大な力を身に帯びておられる。
2神は世界をゆるぎなく建て、
とこしえに王座をすえ、永遠に座しておられる。
5神よ、あなたのことばは変わることなく、
あなたの家はとこしえにとうとい。
栄唱 栄光は父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも世々に。アーメン。 詩編37
3神により頼み、よいわざに励み、
約束の地を住まいとし、真実をかてとせよ。
17b神に従う人は神に支えられる。
18b彼らのゆずりはいつまでも続く。 今日のfebcの番組で雨宮神父がサーターンという言葉について解説しています。
旧約では敵対する者という意味で、悪魔という固有の存在を表す言葉ではないそうです。 http://netradio.febcjp.com/2019/02/26/kyko190226/
旧約聖書のこころ(再)2/26
投稿者: Staff03
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
48 「サタン」〜名詞サーターン〜
ヨブ1:1〜22 詩編119
127金よりも純金よりも、
あなたのすすめをわたしは愛する。
129神よ、あなたの定めはすばらしい。
心を尽くしてわたしはそれを守る。
160あなたのことばは真理に基づく。
正しいさばきはとこしえに変わることがない。
162すばらしい宝を見つけた人のように、
わたしはあなたの仰せを喜ぶ。 詩編1
1しあわせな人、
神に逆らう者の集いに入らず、
罪びとの道を歩むことなく、
神をあざける者のはかりごとにくみしない人。
6神に従う人の集いは
神のもとにあり、
神に逆らう者の道は、
滅びへと続く。 詩篇117:1-2
リビングバイブル
1
世界の国々よ。
主をほめたたえなさい。
地に住む人はみな、賛美しなさい。
2
主は私たちを、
この上もなくいとおしく思ってくださり、
永遠に真実であられます。
主をほめたたえなさい。 >>365
本日の『manna』解説より
「恵み」とはヘブル語のヘセドの訳で「変わることのない愛」とか「契約を守る神の真実」とも訳されることばです。
また「まこと」とはエメットの訳で「アーメン」と同じ語根のことばで「確か」であること「信頼できること」を意味します。 >>366
「恵み」とはヘブル語のヘセドの訳で「変わることのない愛」とか「契約を守る神の真実」とも訳されることばです。
また「まこと」とはエメットの訳で「アーメン」と同じ語根のことばで「確か」であること「信頼できること」を意味します。
新共同役
すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ。
主の慈しみとまことはとこしえに/わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。
新改訳2017
すべての国々よ、主をほめたたえよ。
すべての国民よ、主をほめたたえよ。
主の恵みは私たちに大きい。
主のまことはとこしえまで。
ハレルヤ。 【詩篇の三分の一は著者不明】
詩篇90=モーセ
詩篇72、127=ソロモン
詩篇88=エズラ人 へマン
詩篇89=エズラ人 エタン
ダビデ時代の神殿聖歌隊の指揮者 アサフ
→12つ
音楽の専門家だったコラの子たち
→11つ
ダビデ
→73つ
※ あるものは後代の作で、ダビデにささげられた詩篇という意味かもしれない 【詩篇の分類】
詩篇は5巻にまとめられ、各巻は頌栄をもって区切りがつけられる
年代順や著者別、内容ごとにまとめられているわけではない
詩篇全体に対して、1篇が序論的役割を果たし、150篇が結論的役割を果たしている
他はどのような原則に基づいて並べられたのか細かなことは不明
紀元前400年頃までに集められ、現在のような形に編纂されたと考えられる 『manna 3月号』はレントからルカに入ります。
※ 土日はマタイ
febcの通読表でも3月はルカです。
※ 旧約の方は出エジプト26章から始まりレビ記へ入ります。
一方でカトリックの読書(ミサではない)箇所は、コリント(一)、ヘブライ、申命記、歴代上となります。
※ 灰の水曜日だけイザヤ58・1-12 私、じつは『manna』以外は読んでないです。
気を引き締めて、紙の聖書も読まなくちゃ。 詩編119
15あなたの定めを思いめぐらし、
あなたの道に目を注ぐ。
16わたしはおきてを喜びとし、
あなたのことばを忘れない。
17神よ、あなたのことばを生涯守れるように、
豊かな恵みを与えてください。
18教えの偉大さを悟れるように、
わたしの目を開いてください。 詩編103
15a人の日々は草のよう、
16bその場所を尋ねてもだれも知らない。
14主はわたしたちの姿を知り、
ちりにすぎないことを心に留められる。
17c神の正義は子孫に及び、契約を守る人、
18さとしを心に留めて行う者に及ぶ。
19神はその座を天にすえられ、
そのカはすべてのものに及ぶ。 詩編92
2神よ、すべてを越えるあなたの名をたたえ、
あなたに感謝をささげることはすばらしい、
3あしたにあなたのいつくしみを、
夕べにまことをのべ伝え、
4たて琴をかなで、楽の音に合わせて、
わたしはあなたをほめうたう。
13神に従う人はなつめやしのように栄え、
レバノンの杉のようにそびえる。
14神の家に植えられた人は、
わたしたちの神の庭で栄える。
15年の経てもなお結び、
いつもいきいきと生い茂る。 詩編32
5わたしは罪をあなたに表し、
わたしのとがを隠さずに言う。
あなたはわたしの罪をゆるし、
わたしのとがを清めてくださる。
7あなたはわたしの隠れ場、
苦しみからわたしを助け出し、
救いの喜びで
覆ってくださる。 詩編50
5「わたしの民を集めよ、
いけにえをささげて契約を結ぶ民を。」
6天は神の正義を告げる。
神はすべてをさばかれる。
7「わたしの民よ、聞け。
わたしはおまえに語る。
イスラエルよ、おまえを戒めよう。
わたしは神、おまえの神。」 詩編51
3神よ、いつくしみ深くわたしを顧み、
豊かなあわれみによってわたしのとがをゆるしてください。
4悪に染まったわたしを洗い、
罪深いわたしを清めてください。
5わたしは自分のあやまちを認め、
罪はわたしの目の前にある。
6cdあなたがわたしをさばかれるとき、
そのさばきはいつも正しい。 詩編1
1acしあわせな人、
罪びとの道を歩むことなく、
2神のおきてを喜びとし、
昼も夜も教えを心に留める人。
6神に従う人の集いは
神のもとにあり、
神に逆らう者の道は、
滅びへと続く。 詩編51
12神よ、わたしのうちに清い心を造り、
あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。
13わたしをあなたのもとから退けず、
聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。
18あなたはいけにえを望まれず、
はんさいをささげても喜ばれない。
19神よ、わたしのささげものはうち砕かれた心。
あなたは悔い改める心を見捨てられない。 詩編86
5神よ、あなたは恵み深く、心のひろいかた。
あなたに助けを求める人にいつくしみを注がれる。
6神よ、わたしの祈りを聞き、
願いの声に耳を傾けてください。
15神よ、あなたはあわれみに満ち、恵み深いかた。
怒るにおそく、いつくしみとまことにあふれておられる。
16あなたのしもべに力を授け、
あなたに仕える者を救ってください。 カトリックミサ第一朗読と日本聖書教会ホームページの今日の聖句が被りました。
イザヤ58章です。 このお話を読んで、救いとは何かということが突然わかりました。
私たちの滅びに至る定めを、主のご復活により覆してくださり、救いの希望が灯されたということです。
希望はまだ完全な実現ではありません。しかし主の復活という完全な型にならい、私たちも希望を持って生きることができるようになりました。
キリストの復活は救いの完成です。
https://www.cbcj.catholic.jp/2019/02/28/18570/ >>384
四旬節メッセージは昨年10月のものです。
私はこのメッセージを読んで被造物の救いとは私たち自身の復活の日にあるのだと確信しました。
キリストの復活はその初穂なのです。私たちはキリストの復活によって希望を与えられたのです。 詩編91
2「神はわたしののがれ場、わたしのとりで、
わたしは神により頼む。」
4ab神はその羽であなたをおおい、
翼のもとにあなたはのがれる。
11神があなたのために使いにめいじ、
あなたの進むすべての道をまもられる。
12b神の使いは手であなたをささえる。
10それゆえ不幸はあなたに臨まず、災いは住まいにちかづかない。
14神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、
わたしを知っている者をまもる。
15呼び求める者にわたしはこたえ、
悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 カトリックミサの福音朗読と改革派リジョイスの聖書箇所が同じでした。
ルカ4章の荒野の誘惑 詩編19
10神のことばは正しく、世々に及び、
そのさばきは真実、すべて正しい。
15神よ、わたしの力、わたしのあがないぬし、
わたしのことばと思いがあなたの喜びとなるように。 『manna』も荒野の誘惑でした。
febcの番組でも荒野の誘惑が語られています。 ルカ4:1-2
(新共同訳)
さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
(口語訳)
さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、
荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
(リビングバイブル)
さて、イエスは聖霊に満たされ、ヨルダン川をあとにすると、聖霊に導かれるまま、ユダヤの荒野に向かわれました。
そこで、悪魔が四十日間、イエスを誘惑したのです。その間イエスは、何も口にしなかったので、空腹を覚えられました。 詩編34
4心を合わせて主をあがめ、
ともにその名をたたえよう。
5主はわたしたちの祈りに心を留め、
すべての恐れを遠ざけてくださる。
16主のまなざしは正しい人に、
耳は彼らの叫びに。
18主は正しい人の声を聞き、
悩みの中から救ってくださる。 詩編51
12神よ、わたしのうちに清い心を造り、
あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。
13わたしをあなたのもとから退けず、
聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。
18あなたはいけにえを望まれず、
はんさいをささげても喜ばれない。
19神よ、わたしのささげものはうち砕かれた心。
あなたは悔い改める心を見捨てられない。 詩編138
1神よ、わたしは心を尽くしてあなたに感謝し、
神の使いの前であなたをたたえる。
2abあなたの神殿に向かってひれ伏し、
いつくしみとまことのゆえにあなたに感謝をささげる。
8神はわたしに約束されたことを、
すべて成しとげられる。
神よ、あなたのいつくしみは永遠。
造られたすべてのものを見捨てないでください。 詩編130
1神よ、深い淵から、
あなたに呼び、
2嘆き祈る私の声を
聞いてください。
3あなたが悪に目を留められるなら、
だれがみ前に立てよう。
4しかし、あなたのゆるしのために、
人はあなたをおそれ尊ぶ。 本日の『manna』ルカ8:4-15
種のたとえ
〔道端〕
結果:人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった(5節)
解説:みことばを聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみことばを取り去ってしまう、そのような人たち
(12節)
〔岩の上〕
結果:成長したが、水分がなかったので枯れてしまった(6節)
解説:みことばを聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、試練のときに身を引いてしまう人たち(13節)
〔茨の真ん中〕
結果:茨も一緒に生え出て塞いでしまった(7節)
解説:みことばを聞いたが、思い煩い、富、快楽で塞がれて、実が熟すまでにならない人たち
(14節)
〔良い地〕
結果:成長して百倍の実を結んだ(8節)
解説:りっぱな良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結ぶ人たち
(15節)
※ 「立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐」しないと、実を結ぶことができません。
(『manna』解説者) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています