キリスト教の教義に納得出来ません!!!!
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聖書も矛盾だらけだし、牧師の言ってることも教会でバラバラ。 長崎に原爆を落としておいて、キリスト教が布教出来る程、日本人が馬鹿だと思っているのかね?
もともとの教義が水が豊かで人々が協調的な日本ではしっくりこないところが多かった上に、長崎の原爆で信じていても救われない事が明らかになってしまった以上、増える訳がない。
父方の家が明治のパワーエリートで、クリスチャンの家なのだが洗礼を受けた理由は、「欧米の情報、洋書がいち早く手に入るから。」
それ以外の教義などには全く重きをおいていなかったし、欧米との格差が無くなってきた今となっては、教会へ行くメリットも少なくなっているから、教会とは疎遠になってきているな。 †
30歳くらいで急にイスラエル・ユダヤの田舎(ガリラヤ地方)に現れて、3年ほど布教して
33歳あたりで処刑されただけの、いわゆる大工の息子が、未だに世界一の有名人。
全世界総計約30億人ともいわれるキリスト教を信仰する人間の数。
聖書は現在もベストセラー継続中。人名も文化も戯曲も芸術も近代憲法まですべてが聖書を参考にされ、
とりわけイエス・キリストの影響が散見される。彼が生まれる前に書かれた旧約聖書には、
数え切れないほどのイエス・キリストに関する的確な預言・・・・たった3年だけ活動した人を
ダンテ、ゲーテ、ダヴィンチ、ドストエフスキー、ニーチェ、パスカル、ニュートン、アインシュタイン、
そしてジョン・レノンが嫉妬するだろうか?
アメリカ大統領の宣誓式で新約の入った聖書を使うだろうか?
イギリス王室がキリスト教の洗礼式を行なうだろうか?
バチカン市国などという国家が存在するだろうか?
クリスマスが存在するだろうか?
またモーセを苦しめたエジプトのファラオ、古代イスラエル王のダビデ、息子ソロモン、あるいはネブカドネザル、
キリストを裁いたピラト総督、ヘロデ王、同時代のバラバ、サロメ、アグリッパ王、パウロ、 後の時代の
アウグスティヌス、ルター、ヤン・フス、フランチェスコ、マザー・テレサ・・・・みな実際に存在した。
歴史上の事実である。
信仰者数12億人ともいわれるイスラム教においても、旧約の聖書は啓典とされ、
イーサー(イエス)は偉大な預言者であり、wikiによれば、「イーサーは殺されることも磔にされることもなく、
生き続けて天国に上がったとされる。イスラームの伝承では、イーサーは最後の審判が近づけば地上に戻り、
司法を復活させて偽のメシア(al-Masīḥ ad-Dajjāl 。偽メシア、反キリスト) を打ち負かすと考えられている。
いずれにせよ、実際に我々が使用しているイエス・キリストを分水嶺に存在する西暦ひとつをみても・・・・
もしイエス・キリストの存在が嘘で未だに世界最大の影響力を示し続けているというなら、
あるいはそのほうが天文学的な確率の奇跡と言わねばなるまい。 こんにちは。
先日は私のブログに来てくださってどうもありがとうございます。
キリスト教に疲れ、人生を狂わされている人も少なくないことを、
もっと広く知ってもらいたいですね。
私はクリスチャンの家庭に生まれ育ち、
普通の子供とは違う価値観を植え付けられてきたので、
学校生活では人付き合いにずいぶん苦労しました。
それを社会人になっても引きずったままで、
今、職場で人間関係に戸惑う毎日です。
本当に毎日逃げ出したくなるような気持ちです。
そんな時、自分の生い立ちが恨めしく感じます。
私がクリスチャンの嫌いなところは、
キリスト教に欠点があることを絶対に認めないことです。
私の体験談を話しても、
「それはあなたの信仰が足りないから」
と言われるのがオチです。
信仰でなんでも解決するなら苦労しません。
私の身近なところで、自殺したクリスチャンを知っています。
そういえば、長崎のスポーツセンターに押し入り、
銃を乱射させて多くの人を殺し、
挙句の果てに教会で自殺したクリスチャンもいましたよね。
にもかかわらず、クリスチャンはキリスト教の欠点を絶対認めない。
本当に腹立たしく思います。
キリスト教は、あくまでも世界中に多数ある宗教の中の
一つに過ぎないことを分かってもらいたいです。 ローマ法王ベネディクト16世が22日、イタリア国営テレビRAIの番組で、東日本大震災を経験した日本在住の少女の「どうして日本の子どもは怖くて悲しい思いをしなければならないの」との質問に答えた。??
質問したのは千葉市に住むエレナ・マツキさん(7)。自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで尋ねた。??
これに対し、法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えた。??
ベネチア近郊に住む祖母ジアーナ・デル・リオさん(63)によると、エレナさんは地震発生時、10階の自宅に日本人の母親と一緒にいて、強い揺れを何度も経験。同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、法王に質問をしたような疑問を抱いたという。??
法王は「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」とも述べた。(前川浩之)?? 未曾有の大地震から早くも2ヶ月が経過しようとしています。
私は、この震災に関するクリスチャンの反応を興味深く見ていましたが、
ついに、あのローマ法王が震災に関して言及したことが報道されました。
アサヒ・コムからの記事をそのまま引用して私の意見を書かせていただきます。
ローマ法王ベネディクト16世が22日、イタリア国営テレビRAIの番組で、東日本大震災を経験した日本在住の少女の「どうして日本の子どもは怖くて悲しい思いをしなければならないの」との質問に答えた。??
質問したのは千葉市に住むエレナ・マツキさん(7)。自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで尋ねた。??
これに対し、法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えた。??
ベネチア近郊に住む祖母ジアーナ・デル・リオさん(63)によると、エレナさんは地震発生時、10階の自宅に日本人の母親と一緒にいて、強い揺れを何度も経験。同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、法王に質問をしたような疑問を抱いたという。??
法王は「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」とも述べた。(前川浩之)??
「なぜ悲しい思いをしなければならないのか」
この質問に対するローマ法王の回答は、
まったく普通のクリスチャンと変わらないお決まりの内容でした。
法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。」と言ったそうですが、
「答えはないかもしれない」ではなく、
要するに「答えられない」のです。 次に、十字架に付けられたキリストの話をお約束のように持ち出していますが、
キリストが十字架に付けられたことと今回の震災が、
一体何がどう関係あるのでしょうか。
クリスチャンは何でもかんでもキリストの十字架刑に結び付けるのがお好きです。
キリストが十字架に付けられてこの世の何が物理的にどう変わりましたか?
そして、「神は常にあなたのそばにいる」
とこれまたお決まりのセリフが出てきますが、
神が私たちのそばにいるから何がどうだと言うのでしょうか。
現に震災が起こってしまったではありませんか。
神はそばにいながら一体何をしていたのでしょうか。
クリスチャンはそれについては決して答えようとはしません。
少女は、「神がいるのになぜこんな思いをしなければならないのか」、
と質問しているはずです。
それなのに、ローマ法王は一見もっともらしく回答してはいますが、
結局は答えになっていないのです。
そんじょそこらの普通のクリスチャンとまったく同じレベルの回答なのです。
こんな人が「神の代理人」とは何とも滑稽です。
「私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」
これまたクリスチャンの決まり文句です。
祈ったからと言って被災者の何がどうなるのでしょうか?
被災者にテレパシーが届くとでもおっしゃるのでしょうか?
神様が被災者に何かしてくれるのですか? クリスチャンが「〜のために祈ります」と言っているのは、
要するに自分が質問に答えられないのをごまかしているだけのことなのです。
私も牧師さんに悩みを打ち明けたことがありますが、
結局は「あなたのために祈っています」とお茶を濁されました。
良いことが起こったときだけ
「ほら、神様のおかげですよ、神様は本当にいるのですよ、
神様は祈りを聞いているのですよ、だから神様を信じましょう」
と、得意げに胸を張って神の正当性を説くのに、
悪いことが起こると
「神の御心は私たちには分からない」「〜のために祈りましょう」
などとごまかすのがクリスチャンの習性なのです。
今回のローマ法王の発言で皆さんよく分かりましたね?
日本のクリスチャンは日本でキリスト教が普及しないことを嘆いていますが、
クリスチャン人口を増やしたいなら、
誰もが納得できる答えを用意してはいかがですか?
しかし、「神の代理人」でさえこの程度のことしか言えないのですから、
これで神の愛を信じろと言われても無理です。
あきらめてください。 >>87
聖書の物語の最後はそーなるよ
俺は聖書の神を呪ってる 「聖なる、真実な主よ。いつまでも裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐を
なさらないのですか。」
額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放たれた。
口からは火と煙と硫黄とが出て、人類の三分の一は殺された。
「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に
支配される。」「万物の支配者、常にいます神である主。あなたが、その偉大な力を
働かせて、王となられたことを感謝します。諸国の民は怒りました。しかし、
あなたの御怒りの日が来ました。死者の裁かれる時、あなたの僕である預言者たち、
聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに
報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」
第一の鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々に、
ひどい悪性の腫物ができた。第二の鉢を海にぶちまけた。すると、海は死者の
血のようになった。海の中の命あるものは、みな死んだ。第三の鉢を川と水の源とに
ぶちまけた。すると、それらは血になった。
「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、
このような裁きをなさったからです。彼らは聖徒たちや預言者たちの血を
流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるに
相応しい者たちです。」
獣と偽預言者は、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
残りの者たちも、馬に乗った方[キリスト]の口から出る剣によって殺され、
すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。
(ヨハネの黙示録より) オウム真理教の麻原彰晃と
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通のモーセやヨシュア の
共通点。どちらも
(1)圧倒的影響力のある指導者が、
(2)宗教的理由付けによって殺人を正当化し、
(3)それを命令し、
(4)信奉者たちが、その命令にしたがって殺人を実践した。
(5)殺人命令を受けた信者たちは、もしその命令を 実行しなかったら、彼ら自身が
ひどい目に遭うであろう、と 脅されました。
もし、オウム真理教の信者であれば、坂本弁護士の家族は、そのままほっておけば、
悪行を重ねて地獄に堕ちてしまうので、シヴァ神の指示にしたがって、
ポアすることによって、善趣へ転生させてやるのが慈悲の行為になります。
もし、旧約聖書の神を神とする信者であれば、ヤハヴェ神の命令に従って、
幼児殺しとミデアン民族を絶滅させることが信者の取るべき正しい行動となります。 天国の描写
玉座があり上に座っている方は、碧玉や赤めのうのようである。玉座の周りには
エメラルドのような虹が輝いている。また、玉座の周りに二十四の座があって、
それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が
座っている。玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こる。また、玉座の前には、
七つのともし火が燃えている。また、玉座の前は、水晶に似たガラスの
海のようである。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいて、前にも後ろにも
一面に目がある。第一の生き物は獅子のようで、第二の生き物は若い雄牛のようで、
第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようである。
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、
一面に目がある。彼らは、昼も夜も絶え間なく
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、
今おられ、やがて来られる方。」 と言い続ける。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門がある。都の城壁には
十二の土台がある。この都は四角い形で、長さと幅と高さが同じで、天使が物差しで
都を測ると、一万二千スタディオンである。また、城壁を測ると、
百四十四ペキスである。これは天使が人間の物差しによって測ったものである。
都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金である。
都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られている。
第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、
第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶である。 また、
十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一個の真珠でできている。
都の大通りは、透き通ったガラスのような純金である。
(ヨハネの黙示録より) >>89
これはエロヒム、YHWHは呪われユダヤ人やキリスト教徒は憎まれてもしょーがないね 歴史上、「神の名のもとに」と殺した数(異教徒だけでなくキリスト教同士で)ではキリスト教がダントツだろ。
近年のイスラムのテロやISくらいでは桁が違う。 Re: "ずるい”信者です。
> 桃栗様
> 先の二つの投稿は桃栗様の背景を存じ上げないままいたしました。
> 何ゆえ桃栗様がこれまでにキリスト教を責められるのかわかりかねておりましたが、ようやく少し伺えたように思います。
こんにちは。
私は身元を特定される
ようなことはなるべく書かないようにしていますが、
本当はブログには
書けないもっともっと複雑な事情があるのです。
できることならクリスチャンにその怒りをぶつけたいですけどね。
> 私は大人になってから
カトリック信者になったものですので、"ずるい"者のうちになります。
その通りです。
> 死ぬ間際に洗礼を受けたほうが得じゃん!ということですが、子供のころから教会の教えを
知らなかった私としては、その分ずいぶん損したなあ、という感じです。
私は正反対です。
生まれた時からキリスト教の中にいたので、
人生をずいぶん損したなあという気持ちです。
> でもこれは自分から信者になったからこういう考えになっただけかもしれないので、押し付ける
つもりはありません。私としては、生きている間に神と神の教えによってもたらされる心の平和
(キリスト教徒によってもたらされる心の平和、ではなく)に与ることが幸運だと考えるわけです。
信じている本人はそう言いますよ。「私は信仰を押し付けていない」とね。
しかし、残念ながら押し付けている自覚がない人が多いのです。
だから白人のクリスチャンは
世界中の未開の地に押しかけ、
先住民たちをキリスト教に改宗したのです。
日本も危うくポルトガルの植民地になるところでした。
> 実際、十代の若者が信仰によってよい決断をしていくのをみると、ああ、私もあれだけの知恵があったら馬鹿なことしなかったのになーと思います。
別に信仰していなくても馬鹿なことをしない人はいくらでもいますよ。
逆に信仰していても
馬鹿なことをする人もいます。
今、私が十代で信仰告白をする人を見たら、
「ご愁傷様」と思うと思います。 そろそろ
『神に見えたので刺しました』
という犯行動機を話す奴が出てきそう
それだけ今の日本社会は怒りで満ち溢れている >>95
まぁ、ユダヤ系宗教のエロヒムはサタンだのイブリースだのあらゆる悪魔とされてる存在より最も悪魔的だよな
もぅ悪魔がいるならユダヤ系宗教のエロヒムだろ 「イエスという方が贖罪の為に身代わりとして十字架上で死んだ」
「三日後に復活された」「父なる神のもとである天国に帰った」
「永遠の命が与えられる」
いずれの主張も事実としての根拠が全くありません。根拠が全くない怪しげな主張を
「何の不安もなく信じることが出来る」、と言える人は、
自分を誤魔化すことのできる人だけだろうと思います。 それが信仰だからです。
親、きょうだい、友、子供、離れたところにいる人、過去の私を見る現在の私が、
その良心を信じたいと願うように、人の信仰は信じたいものを願うのです >>51
神の愛とは全然関係ないね。
なんで電車に飛び込むんだよ。
みんなに迷惑じゃないか。 >>52
一連の出来事は神とは全然関係ないね。
そんなことで、キリスト教にケチつけてるのが笑える。 >>70
その教会の神父が問題なのでは?
神父にしろ牧師にしろ、とんでもないヤツがいますからね。 >>82
他の宗教でも自分たちの欠点を認めたりはしないと思うけど。
「キリスト教は・・・」
じゃなくて
「宗教は・・・」
だよ。 >>100
それも
「キリスト教は・・・」
じゃなくて
「宗教は・・・」
だと思うけど。
キリスト教の教義に納得できないというより
宗教そのものに納得できないわけだよね。
「念仏したら極楽往生できる」っていうのも相当とおもうけど。 >>62
D教会を聖書より上位に置く
って当然だよね。
聖書を聖書と認定したのは教会だからね。
特に新約聖書は、教会が選んで作ったもの。 福音書によると、
イエス・キリストは、弟子たちに病気を治す力や悪霊を追い出す力を与えて、
地方に送り出している。
弟子に任せたのだ。
あるいは、イエスの仲間でない人間が、
イエスの名前を使って悪霊を追い出してるということもあったらしい。
このことは、現在でも続いているはず。 イエスは、その統合失調症の症状としての誇大妄想により、12歳ころから
神を「父親呼ばわり」し、「己が神の独り子」という巨大妄想を抱き、
己が創造主の地位を簒奪するという狂った野望を抱いた、完全な気違い。
イエスが気違いで悪霊憑きであったことは、聖書でも、イエスを身近に知る
その家族、郷里の人々、仲間のユダヤ教徒が証言している。
キリスト教とは、イエスのこの狂気の集団的一大感染という、精神医学的
現象以外の何物でもない。精神病が感染することは、現代医学の定説。 分裂をもたらすという段を考えてみるとよい。信仰段階で。
あとのりで統合失調症というべきでなく、静かに瞑想や祈祷の時間を持ちなさい。 >>109
「己が神の独り子」っていうのは、後の解釈であり、
イエスの考えじゃないよ。
福音書に書いてあることは歴史的事実と後からの解釈とが混ざってるので、
全部真実を思い込むのはどうだろうね。 病詩の書体を乱用しないことだ。人生のスケールを狭めてしまうよ。
病気がカラ認めない認められないことは嫉妬を苦虫で握りつぶしてしまう。
キリストは病人を癒したのであって病人ではない。
せっかくアメリカでもキリスト教が理想的に根付いてきてるのに。
病院組織も使用していないが、病院に功徳もある、限界も知る、有用なイメージで
捉えるべきです。イエスキリストを。アーメン。 キリスト教が今の勢力を持ち得るキッカケは、ローマ帝国の指導者が
キリスト教を帝国主義の支配イデオロギーに役に立つと考え、キリスト教の指導者が
ローマ帝国の金と力が布教に役に立つと考え、両者が手を握ったことに始まります。
キリスト教の活動のための中央府が、イエスの活動したガリラヤでもなく、
イエスが処刑されたエルサレムでもなく、ローマにあるのです。
ローマ帝国のあとは、ポルトガルやスペイン、ポルトガルやスペインの後は、
イギリスやフランス、その後はアメリカ。何がキリスト教に今の勢力を持ち得させる
ようにしたか、それは帝国主義です。帝国主義はキリスト教を
支配のイデオロギーに利用し、キリスト教は帝国主義の金と権力を
布教のために利用したのでしょう。
宣教師の背後に見え隠れする、帝国主義の富と権力、があります。 神は御子を万物の目的と原因とされた。
御子に言葉を与えられ、御子は神の言葉として、万物を創造された。
人は、善人であれ悪人であれ、キリストの栄光をあらわすために作られる。
人ははじめ動物としてつくられ、後に動物の性質と相反する善悪の知識すなわち倫理性が与えられた。
故に、人は倫理性と動物の身体の相反により、死すべきものとなった。
モーセの法では、すなわち旧約においては、ただ人の死のみが、聖なる方の厳粛の前に確定した。
故に、御子自身がキリストとなり、人に罪の赦しと新しい命を与えられる。
ここに人は、動物の身体と、これにまつわる命、血縁、民族、領土、国家を捨て、キリストへの愛を得る。
人は死を前にして、選択をする。動物の身体にあって、聖なるものか、動物の欲かを選ぶ。
地震や洪水もまた、神による。
神が命を与え、また奪われる。
人がその王たる権威に何を言えようか。
限りある命において、人は、今の世のものか、後の世のものかを選択する。
いずれにせよ、神の言葉の、神の相続者としての御子が、キリストとして、
神の権威により、終わりの時にすべての人を裁かれ、罪を悔いる罪びとのために、神にとりなしをされる。 マタイ10:14
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に
耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、
足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、
この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
マルコ16:16
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
ヨハネ3:36
御子を信じる者は永遠のを持つが、御子に聞き従わない者は、
いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ8:24
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、
わたしは言ったのである。「わたしはある」ということを信じないならば、
あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
第2テサロニケ1:7
それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。
その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に
聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から
退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。 まぁキリスト教宣教師やイスラム教徒が「この国の国民は善良でありキリスト教(もしくはイスラム教)が布教されれば必ずや良質なキリスト教徒(もしくはイスラム教徒)になるだろう」なんてコメントが残されている半面、
日本人側からは遠藤周作の沈黙みたいに「この国は(すべてのものを腐らせていく)沼だ」という見識が日本側にあるのも事実ではある。
が、実態とは関係のない話だな。
そもそも仏教や儒教、ヒンドゥーのようにスピリチュアルな要素に頼らない体系だった宗教が既にあった地域ではキリスト教はあまり普及しなかったし日本に限った話では。
あと戦国時代の日本人の布教実態だがキリスト教が広まっていたかどうかは眉つばだからね。
当時のイエズス会は信者の水増しが行われていてザビエルがインドの現状に幻滅するほどの有様になってる。
キリシタンが現世利益的な信仰形態になっていっていたことからも
正確な布教がされていたかどうかは…
あとインドでも偶像燃やしてたんで加筆した。 モーセの十戒において際立っているのは、「殺してはならぬ」という戒めが、
十戒においては六番目という極めて低いところに位置づけられていることです。
モーセの十戒においてもっと重要な戒めはむしろ、神への忠誠なのです。
第一の戒めも、第二、第三、第四の戒めも、すべて神への忠誠に関するものです。
これは、神が絶対君主だからです。
したがって、例えば神がモーセやヨシュアに殺人を命令する時、
神が命令した殺人は正義になります。神の意志が正義を決定するのであって、
わたしたち人間が正義だと思っていることなど神にとっては関係ないのです。
「ここに書いてある神を神とする宗教」の信者であれば、
神の命令に従って、殺人を忠実に行うことが信者の取るべき正しい行動となります。
聖典である聖書の神自身が殺人や戦争を命令するのですから、
歴史における頻繁な宗教殺人や宗教戦争は、
聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。 「今日の食事がいただけることを天のお父様に感謝します」みたいな
お祈りがあります。キリスト教ではよくある食事前のお祈りです。しかし、
この食事を作った人がいます。その材料は農家や漁師の人たちの努力によって得られ、
様々な流通関係者の手によって届けられます。また、その食事をするためのお金は
働き手が得たものです。つまり、私たちの日々の生活は様々な人の活動によって
支えられているわけです。神に感謝するよりも、人に感謝すべきではないでしょうか。
三浦綾子氏は「旧約聖書入門(光文社文庫)」の中で、空には無数の星があり、
それらが一つの法則にしたがって運行している(これも造物主のなせる技)、
それに比べたら月に行ったと言っても大きな顔は出来ない、と言うようなことを
書いています。しかし、人類を月に送ったのはもちろんのこと、
三浦氏が言及している宇宙の星々の運行(さらに銀河の構造)を解き明かしたのは
人間(科学者たち)です。神も聖書も何も教えてくれず、何の手助けもしてくれません。
このことを三浦氏はどう考えているのでしょうか。
何もしてくれない神や聖書を持ち出して、何かをなし得た人間を不当に低く評価する、
私には非常に傲慢なことのように思えます。 実際聖書は精神異常者のカルテだな
こんな汚いものを聖書と呼ばせるのが逆に自己愛丸出しで精神病臭出してる キリスト教徒で不思議なのは、災害が起きたら略奪が当たり前だし人殺しも平気なところ。
こちらでいうお天道様が見ている、すなわち(キリスト教の)神が見ていると言う発想がまるで無い。
少なくとも災害だらけの国にこれはミスマッチだろう。 >>127
どんな立派こと言ってもそれが外人の本性だよ
基本的に日本人と外人は違うと認識したほうがいい 自分の身近な部分で言うなら、宗教板で暴れてるキリスト信徒たちに納得がいかないわな
陰に隠れて自分の教会の指導者や他教派をクソミソに言ったり、何考えてるんだろ?
仰々しくこんなスレを立てて、インチキ問答や逆ギレを繰り返したり。。。
【教会探し】行ってはいけない教会40【
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1536491922/ >>127
日本は暴風、大雨、洪水、地震でも出勤しないといけない。
欧米だったら休みになるのに、日本人は働きに出る。
最近も東京、大阪で帰りの電車、バスが運休して大パニック。
人間の力ではどうすることもできないのに、遅れて来たら真っ赤な顔で係員につっかかる攻撃性と理不尽さ
すぐに大きな声を張り上げる。日本人が冷静で大人しいなんてのはうそ。
今日は帰れないからワインでも飲んでホテルに泊まろうかとはならない。
日本の社会も日本人も本当に余裕がないと思う。 言うまでもなくキリスト教は一神教ですから、
他の宗教は一切認めないことになっています。
しかし、前回の記事に書いた通り、クリスマスは他宗教のお祭りに由来しています。
それが、長い月日の間に無意識のうちにキリスト教に取り入れられたのです。
そして、実は日本のキリスト教も、
無意識に日本の宗教の影響を受けていることに
クリスチャンは気付いているでしょうか?
1月1日と言えば、日本人はこぞって神社に初詣に行きますよね。
普段、宗教とは全く無縁の生活を送る日本人も、
元日だけは初詣に行くという人が非常に多いです。
そしてもちろん、キリスト教信者は基本的に初詣には行きません。
個人的に観光目的で行く人はいるでしょうが、
キリスト教では、行事として他宗教の神社にお参りする習慣はもちろん全くありません。
しかし、日本のキリスト教も、実は元日にある行事をする習慣があります。
そう、それは「元日礼拝」です。
聖書には、別に元日には神を賛美せよなどという記述はありません。
もちろんイエスもそんなことは全く言っていません。
では、なぜ日本の教会は元日礼拝を行うのでしょうか?
答えは簡単。
日本人として、元日に何もしないのは物足りないからです。
だから、元日礼拝と称して日本の初詣のまねごとをするのです。
こうして、無意識のうちに日本のキリスト教は日本の宗教の影響を受けているのです。 もう一つ、日本のキリスト教のお葬式も日本の宗教の影響を受けています。
私の知る限り、日本のキリスト教の葬儀にも通夜があります。
もちろん、聖書には葬儀の前夜に通夜をせよなどという記述はありません。
これも、無意識に日本の風習がキリスト教に取り入れられたのです。
また、私が今までに何度か立ち会ったキリスト教の葬儀では、
火葬場での「お骨拾い」がありました。
炉から出てきたお骨を菜箸のようなもので拾い上げるあの儀式です。
葬儀は教会で行われるのに、お骨拾いが日本の風習に従って行われることに、
滑稽さを感じてしまいます。
しかも、私が体験した葬儀ではお骨拾いの場で讃美歌を歌ったのですから、
私は恥ずかしくて仕方ありませんでした。
別に、他宗教の風習が取り入れられることが悪いというわけではありません。
宗教、文化、風習というものは、
長い年月の間に様々なものがお互いに影響し合って成り立っているのですよ。
やれうちは正統派キリスト教だの伝統的キリスト教だの言っても、
結局は無意識に他の宗教的習慣や儀式を取りれてるものですよ。
クリスマスにチキンを食べるのもイースターに茹で卵を食べるのも、
どこかの風習が知らず知らずのうちに取り入れられているのです。 聖書は甚だ人間的な作業の一つの結実です。
聖書を読むと、「自分たちを愛し救ってくれる神という存在があってほしい」という
古代の人々の思いと願いが込められています。
聖書は、人間の(存在するかどうかわからない)神に対する
片思いのラブレターの山なと思われます。 聖書はヤハウェからの言葉を書き記したもの。
真理。 >>133
面白い考えかたですね
主は相思相愛であることを十字架により示されました キリスト教の聖典である聖書の神自身が殺人や戦争や略奪を命令するのですから、キリスト教史において、いかに殺人や戦争や侵略が宗教的に容易に正当化されてきたかを知っても、驚くには値しません。
キリスト教の聖典である聖書の神自身が殺人や戦争を命令するのですから、キリスト教史における頻繁な宗教殺人や宗教戦争は、聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えらます。
信仰者にとって、善悪の基準が先にあって、その規準に従って善なる神があるのではなく、むしろ、神が先にあって、その神の命令が善悪の基準となります。したがって、信仰者にとって、神の殺人命令が善となるのは論理的必然です。
どんなに自分では殺人は良くないことだと個人的には思っていても、信仰者は、信仰者であるがために、ありとあらゆる方法を考えて、かならず「神の言葉」(と彼らが信じている超越的な権威)の方を正当化しようとするものです。
聖書の神の殺人命令を否定することなど出来るわけがないのです。信仰の原理とは、人間的な判断よりも上位にあると考えられている神の意思を先行させる考え方、その信仰の原理が神の殺人命令を正当化するのです。
こうして、神が命令するとき殺人が正義となることは、昔も今も、キリスト教のような伝統的宗教においても、疑う余地のない明白な事実といわねばなりません。 キリスト教は、ヤハヴェ神による幼児(ミデアン人のすべての男の子)殺人命令を
正当化します。これは、オウム真理教が、「ポア」という不思議な教理を持ち出して、
シヴァ神による殺人命令を正当化したのと、まったく同じ論理です。つまり、
それぞれに都合のよい教理(「神の摂理」)があって、それがいとも簡単に
罪のない幼児殺しを正当化するのです。
この論理にしたがえば、もし、キリスト教の信者(旧約聖書の神の信者)であれば、
ヤハヴェ神の命令に従って、幼児殺しとミデアン民族を絶滅させることが
信者の取るべき正しい行動となり、もし、オウム真理教の信者であれば、
シヴァ神の指示にしたがって、これ以上悪を犯して
(つまり、オウム真理教に反対して)地獄に堕ちないように、幼児もろとも
殺してしまうことが、信者の取るべき正しい行動となります。 このような論理が成立するためには、その背後に、神の命令を人間の知識や良心に
先行させるという思想があるに違いありません。そうでなければ、罪なき
幼児殺しのような命令は果たして神の命令か、という疑問がおそらく
生じているはずだからです。そのような疑問と向き合うことなく、いとも簡単に、
幼児殺しが正当化できるのは、神の命令を、人間の良識や良心よりも、
先行させることができるからに違いありません。
神の命令と自己の良心とが対立するときは、神の命令に背いてまでも
自己の良心に従うのが正しい行為だと思うか、人間の良心は不完全なものであるから
絶対的な神の命令に従うのが正しい行為だと思うか、神の殺人命令が
わたしたちに突きつける問題は、わたしたちは、神の命令に従うべきか、
それとも自分が正しいと思うこと(良心)に従うべきか、ということです。 モーセとその軍隊という過去の例をあげるまでもなく、わたしたちは、つい最近、
天皇と日本軍隊の行動を見たのであり、また麻原彰光とその弟子たちの行動を見たのです。
神の命令を自己の思い込み(良心)より上位に置く思想が存在する限り、
どの時代に生きていようと、この問題は存続するのです。
モーセの軍隊も、もともと女や子供は殺さないで帰ってきたのです。良心に従えば、
昔も今も、人は皆通常そうするでしょう。ところが、モーセは、
「女たちを皆、生かしておいたのか」、といって激怒するのです。そして、
「直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ」
と再命令を下します。
もし神の命令が、モーセとその軍隊がなしたような、幼児殺害・他民族絶滅・
他宗教迫害・財産と女性の略奪のような、わたしたちの良心を苦しめるような
内容であるとき、間違っているのはもしかしたら「神の命令」
(あるいはそれを正当化する教理)の方ではないか、という発想は、
信者の心にはまったく起こらないのでしょうか。
どんなに自分では殺人は良くないことだと思っていても、信仰者は、
それが神の言葉である聖書に書かれているというだけで、ありとあらゆる方法を考えて
なんとかそれを正当化しようとするものです。 なぜ、信仰者は、自分の良心に逆らってまでも殺人を正当化せねばならないのでしょうか。
それは、信仰者にとって、善悪の基準が先にあって、その規準に従って善なる神があるのではなく
むしろ、神が先にあって、その神の命令が善悪の基準となるからです。したがって、
信仰者にとって、神の殺人命令が善となるのは論理的必然なのです。
もちろん、神の殺人命令は直接来るのではなく、モーセや麻原のような人間を通して
やってきます。もっと正確に言えば、モーセや麻原は、彼らの殺人計画を、
「これは神の命令である!」、と権威づけて、彼らの追従者に半ば強制したのです。
実は、ここに、信仰者のための、おそらく唯一の、救いの可能性があります。つまり、
神への信仰を棄てずして、自分の良心にしたがって、殺人命令を否定する方法です。 それは、神の意志と、神の代理者であるとみなされている人間の意志とは、必ずしも
同じとは限らない、という事実を認めることです。神の意志と教会の方針とが
必ずしも同じだとは限らないという事実を認めること(例・ルターの宗教改革)です。
聖書も創世記から黙示録に至るまですべて人間が書いたものです。聖書は神の言葉だ、と
書いたり言っている者たちもみんな人間です。現代の教会を運営している方々が、
たとえ立派な人々ではあったとしても、この人々の意志が完全に神の意志と
一致しているわけではないように、初期のキリスト教会やシナゴクやイスラエル国家を
運営した人々(聖書を書いた人々)の意志も、必ずしも完全に神の意志と
一致しているわけでもないと考えるのは当然と言えるでしょう。これは、実は、
神以外のものを神としない、という聖書の根本的な教えにもなるのです。
こうして、信仰者は、神への信仰を棄てることなく、もし、自分の良心に逆らう命令
(神の意志とは思えない命令)であれば、神の代理者として、自分の前に立ちはだかる人々の
命令を堂々と拒否することができるのです。そして、なによりも、神の前で、
頭をあげて自分の取った行動を釈明することができます。 Re: 嘘八百
> 世界大戦の殆どはキリスト教が原因
そう言うと、クリスチャンは決まってこういう反論をします。
「戦争を起こすのは人であって、キリスト教ではない」
逆に、クリスチャンによって何か都合の良い出来事が起こると
「キリスト教のおかげ」だと誇らしげに言います。
都合が良い時はキリスト教のおかげ、
都合が悪くなるとキリスト教は関係ないとのたまうのがクリスチャンです。
> アダムとエバは不良品
>
> 不良品を造った神は無能
>
> になりませんか…
全くその通り。
旧約聖書の神の性格をそっくりそのまま人間に当てはめると、
実に怒りっぽくてわがままな人にしか見えません。
クリスチャンは息を吐くのと同じように「神の愛」とよく言いますが、
聖書に書かれていることと同じことが目の前で起こった場合、
本当にその神の御業に感動するのかどうかは疑問です。
旧約聖書の初期の時代では、人間は常に神に監視されていて、
罪を犯す者を容赦なく罰していました。
クリスチャンは本当にそんな世界に生きたいと思うのでしょうか。 だからYHWHは無能だって
この世にこいつほど愚かで無駄な事しかしない奴は他にいない
存在しないほうがこの世にとって絶対に良い存在でぶっちぎりの馬鹿クズだよ
信者は詐欺師のクズに騙される頭の弱い老人みたいなもん 今、虐げられている自分たちを救ってくれる本当に強い王がいる、やがてその王が
支配者となって、わたしたちの敵を滅ぼしてくれる、という強い願いです。
王=救い主=油を注がれた者=メシア=キリスト、なのです。
なぜ「最強の王者」としての軍神なのか。なぜそのことが特に強調されるのか。
それは、長い間、強大なエジプト王国とメソポタミア(アッシリア王国・バビロニア王国)
そして後のローマ帝国など強国に囲まれて、翻弄され続けてきた
弱小民族の立場がそうさせたのだと思われます。 まさにその虐げている犯人が宗教で讃えるそいつなのにな
駆除すべき害悪に騙され操られ存在するだけで迷惑なサイコパスのクズYHWHを楽しませてやってるなんて 「引退牧師の娘日記」というブログがあります
私が育った教会は、牧師である父の前任牧師が自死したとされる教会です。牧師を「自死」に至らしめた教会の問題が放置されたまま、「牧師の自死」という「あってはならないこと」
を時間によって有耶無耶にするため教会が存続することになりました。
そのため、牧師家庭への人権侵害は凄まじいものがありました。
精神的にだけでなく、経済的にも追い詰められました。酷いときは、父の、牧師としての年収がわずか四十万円程でした。
人権侵害の一部を以下に紹介します。
??献金をやめてみて、牧師家庭が苦しむのを見て教会員が楽しむ。(人として最低です)
??生活保護を受けながら牧師を続けるよう要求される。(拒否)
??牧師の娘である私には、社会的弱者との結婚が求められる。
(私の結婚は教会員が決めることではないので拒否)
??クリスマスイブに、私が死んだときの生命保険金を教会員が
受けとりたいと言い出す
(保険金殺人じゃあるまいし拒否、牧師の子の命はこういう扱いを受けます!)
??牧師を脅すときは、牧師の娘(私)を脅すことで目的を果たそうとする
(小学生のとき首を絞める真似をされたり、暴力団を連れてきて脅されたり)
??カエルの子はカエルだ。高卒の親(父)の子(私)は高卒でなければならないため、ミッションスクールから
閉め出されます。
(私はキリスト教界への反発もあり、最終学歴は国立大学大学院修士課程修了です。)
もしかしたら、それはカルト団体の話だと思われる方がいるかもしれませんが、カルトではない
(カルトと疑いをかけられることもない)プロテスタント教会の話です。
こんな状況でも、私はグレることはありませんでしたが、大学進学を
機にキリスト教界から離れることになります。教界の外を生きていた方が安全で幸せだったからです。
しかし、私の思いは
ガンジーのそれと同じ「イエス??キリストは好きだがクリスチャンは嫌い」です。今は求道者として、自分を受け入れてくれる教会を探しています。 しかし、私の思いはガンジーのそれと同じ「イエス??キリストは好きだがクリスチャンは嫌い」です。今は求道者として、自分を受け入れてくれる教会を探しています。
え、これ、本当のことなの? って思ってしまいます。
特に「献金をやめてみて、牧師家庭が苦しむのを見て教会員が楽しむ。」なんて、会員の大多数が牧師に悪意をもっていた、ということになると思いますが、本当にそうなんでしょうか。
「生活保護を受けながら牧師を続けるよう要求される。」
とありますが、牧師が生活保護を受けるなんていうことは、所属教団に対してとても恥ずかしいことだと思うのですがどうなのでしょうか。
少なくとも、僕の所属していた教会では考えられないことです。
牧師招聘ということは、頭をたれて弊教会へ来ていただく、ということですから、そもそもそんな扱いをするはずがないわけです。プロテスタントの教団といっても様々ある、ということなのでしょうか。
このブロガーの方は、「今は求道者として、自分を受け入れてくれる教会を探しています。」と仰っていますが、「自分が受け入れることができる」教会を探されるべきでしょうね。
というより、キリスト教はご自分にとって必要なのかどうか、からお考えになってはいかがでしょうか。
??
別の記事「牧師を軽蔑するようになったきっかけ」という記事から、一部引用します。
私が小学校5年生の時に、A教会で牧師会が開かれ、会議の後、牧師たちの食事会が開かれました。
会議が終わって、牧師たちは、まるで子供がはしゃぐみたいに出てくることを期待している豪華な料理を、手伝うことなく、ただ待っていました。
ところが、出てきたのは、質素な精進料理です。ご飯と味噌汁と漬物と母がお情けで作ってあげた煮物。 食事会が終わって、片付けをしているとき、頭にきました。牧師たちが食べ残した料理をほとんど捨てなければなりませんでした。
父は、「ひとりだけ、全部食べていった牧師がいる。この席に座っていたのは、J先生だ。」と嬉しそうにしていましたが、全然凄いこと
なんかじゃない、そんなの当たり前じゃないかと思いました。きっと、父(牧師)のことだから、懇親会の最中に、耳の痛いお説教を沢山して、牧師たちが喉に
何も通らない状況を作ったんじゃないかと思いますが、それでも、出された料理は食べて帰るのがマナーだと思います。
お父上を侮辱するつもりではありませんが、この教団、牧師も酷いですね。
よその家で出された食事を残すなんて、とてもではありませんが、考えられないことです。中国では、出された料理を平らげてしまうことはマナー違反ですが、これは日本での話です。
ご飯と味噌汁と漬物と煮物が並べば立派なごちそうです。出された食事を残さずいただくなんていうことは、牧師だのキリスト教徒
だのの前に人間として当たり前にできるべきことであるはずですよね。
牧師たちの間で、A教会は、「禁酒、禁煙のとんでもない教会」として非難されていました。
僕の知る限り、教会は全室禁煙でしたし、牧師でタバコを吸う人は
一人もいません。また、教会で酒盛りをすることなんて無いわけですから、教会が禁酒でも別に不自由は無いはずです。
教派によっては随分自由みたいですね。自由っていうか、爛れてますよね。
教派というよりは、キリスト教にモラルを求めるほうが間違いなんでしょうけど(笑)。 「今日の食事がいただけることを天のお父様に感謝します」みたいなお祈りがあります。
キリスト教ではよくある食事前のお祈りです。しかし、この食事を作った人がいます。
その材料は農家や漁師の人たちの努力によって得られ、様々な流通関係者の手によって
届けられます。また、その食事をするためのお金は働き手が得たものです。つまり、
私たちの日々の生活は様々な人の活動によって支えられているわけです。
神に感謝するよりも、人に感謝すべきではないでしょうか。
三浦綾子氏は「旧約聖書入門(光文社文庫)」のなかで、空には無数の星があり、
それらが一つの法則にしたがって運行している(これも造物主のなせる技)、
それに比べたら月に行ったと言っても大きな顔は出来ない、と言うようなことを
書いています。しかし、人類を月に送ったのはもちろんのこと、三浦氏が言及している
宇宙の星々の運行(さらに銀河の構造)を解き明かしたのは人間(科学者たち)です。
神も聖書も何も教えてくれず、何の手助けもしてくれません。
このことを三浦氏はどう考えているのでしょうか。何もしてくれない神や聖書を持ち出して、
何かをなし得た人間を不当に低く評価する、私には非常に傲慢なことのように思えます。 Re: ちょっと考えてみた
> >これは自分自身の願望や意見を、神の名を使って正当化しているだけではないですか。
>
> そんな韓国人的思考性の人ももちろんいるけど、ほとんどの
信者は無意識に自分自身の正義を他人に強要していると思う。神の名を使ってやり込めると言うより、キリスト教のシステムに取り込まれたが故の思考がそう言わせてるんじゃないかな?
> 逆に信仰心があっても
桃栗さんのように罪の意識に囚われる人たち、受け身の人たちの場合は神の名を使って他人に正義を強要しない傾向なのかもしれない。キリスト教でいう羊たち。悪い言い方だけど、羊は羊であって人でない。人でないから神にはならないのかも。
人が神に似て創られたとあるけど、形は人でも心が羊だと神の名を使わない気がする。
>
> 神の名を使って正当化する人は、伝播する側、リーダー気質な人が多い気がする。こっちは羊飼いだし、人だから神と同化しやすい。
自分が話したことを神が自分に言わせてると思う人達。多分、羊から羊飼いに脱皮した人が多いんだろうけど。
>
> 神の名を使って正当化した最初の人は、キリスト教に限ればイエスが最初なのかな?
ま、イエスは神の子で特別だとしたら、やっぱりパウロが最初の人になるのかな。
間違いなくパウロでしょう。
イエスは、律法学者やパリサイ人のように信仰を押し付ける人を批判しましたから。
パウロなしでは現在の
キリスト教は成立しません。
どういわけか、キリスト教の教義の多くがパウロの書簡から
採られていますから。
キリスト教ではなくパウロ教と呼ぶべきでしょう。 ま あのYHWH(笑)よか平均的な猿のが幾分マシだよね 無能で愚かなエロヒムなら猿のほうが有能だな
父エロヒム、YHWHは地獄に堕ちやがれ 聖書の父エロヒム、YHWHと白人黒人のゴッドと俺が定めた悪魔とは地底の王、神の奴隷が反逆し逃げ出してきたものであり奴隷神といっていい
その奴隷神の霊的行為、計画は犯罪であり犯罪神といっていいだろう
つまり、聖書の父エロヒム、YHWHと白人黒人のゴッドと俺が定めた悪魔は奴隷神であり犯罪神である
カエサルのものはカエサルに返せ
地底のものは地底に返せ >>150
神の許しがなければ、すべては成されておりません。
人の命も死も、すべて神の業です。 キリストのご命令は「神を愛せ。敵を愛せ。」である。
キリストは罪の赦しを示すため、敵を愛して十字架で殺され、三日後に神によりよみがえられた。
今や、キリストが生きておられることにより、罪びとはすべてキリストの前に死人であり、
生きるならばキリストにあって生きなければならない。
神は聖である。
故に、動物の身体と、性質と、命は滅ぼされ、新しい命が与えられる。
動物の身体とその命ともに、血縁も、民族も、領土も、国家も捨てられる。
ここに律法が完成される。
動物の身体の性質と、善悪の知識による倫理性の衝突こそが、罪であり、
人の死のはじまりだったからだ。
キリストに立ち返るものは、命と死を与える神の権威の相続者たるキリストが罪を赦される。
神の望みは、人がキリストの愛を得ることである。
キリストが捨てたもののために、キリスト者がどうして人殺しをできようか。 >>157
イスラムも我々がやったことはアッラーがやったのであると言ってるしな
まぁ、悪魔や人がやったこともそれ以外もすべては聖書のエロヒムのせいであり責任であり同罪であるとゆーこだ
エロヒムは責任をとって地獄で償うべきだ YHWHほど至高とか源泉とかそういう類のイメージを包む概念(神)を汚した存在はいまい
ブスの引きこもりなのに皆には美人だと言い伝えられた結果 誰も知らないブスを指す言葉が美人になってしまったようなもの
もちろん美人という意味も持ったまま そういう言葉が神なのだ 現実なんて今日車に轢かれて死んだ人の潰れた内臓でもズームインしてればいいんだよ
滑稽で不条理で汚いもの そんな神なんて言葉が持つほどの尊大で綺麗なものなんてこの世にはないんだ 愛なんて聞こえのいい概念も分解すれば欲の塊でしかないんだから
信者なんて吊るされた餌に飛びつく動物なんだよ 初めまして。
難しい事は全然分かりませんが、私は12年前にカトリック教会で洗礼を受けた者です。
実は、何と12年かかって、キリスト教が大嫌いになりました。
教会での差別的仕打ち、イジメ、そしてクソ真面目に聖書の教えを守ろうと必死にがんばって、
ハッキリ言って人生酷い目に会いました。
神父からも「ストレス発散の対象」ばりに冷たくされ、シスターからは「離婚経験者」ということで、ゴミクズのように言われました。
何か「福祉的」な活動にやたら駆り出された挙げ句、「あんたはこれやっててね、私はミサに出てくるから」と、教会の建物の外でミサの間中雑用。
そんな事がしょっちゅうでした。
さらに、散々お世話した「代母さん」が、老人施設に入ってしまったので、お見舞に行こうと思って施設に念のため電話したら、
「教会関係の人だからって、別に来ていいわけじゃありませんけど?」
・・・他の信者さんは行ってるのに。
しかも、散々お世話したはずの自分が、「余計者」扱い。
馬鹿馬鹿しくて、ついにキレました。
キリスト教関係のもの(ロザリオ、絵、ミニチュアイコンなど)全て段ボールにしまって、今後一切キリスト教には関わりたくありません。
何か愚痴になってしまいました、ごめんなさい。
とにかく腹立つ。教えも、今となっては
「きれいごと言ってんじゃね〜よ、偽善者の集まり!!」
としか思えない。 それはあなた自身の問題です。
キリスト教が悪いわけではないんですよ。
そこまであなたが成長しなければならないんです。 自伝によると、M.ガンディーは少年時代はキリスト教が嫌いだったそうだ。一部抜粋する。
「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。
キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教とは服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」
もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるように
なったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。
?? 一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。
小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが
説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。外国人たちが掲げていたキリストの
磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。
??「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。
こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。
この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。
「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。 父エロヒム、YHWH、イエスは地底のゴミ焼却炉である地獄に封印され火あぶりとなる マタイ10:14
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
マルコ16:16
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
ヨハネ3:36
御子を信じる者は永遠のを持つが、御子に聞き従わない者は、
いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ8:24
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、
わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを
信じないならば、 あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
第2テサロニケ1:7
それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて
天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、
わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、
そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、
永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。 キリスト教が最も反人間中心主義(アンチ・ヒューマニズム)である。
キリスト教は人間が原罪を持つとする。
よって人間が生み出したヒューマニズムに基づく文化や制度とは根本的に衝突する。
それがこの信仰の本質。
その闇が覆った中世から復興させたルネッサンスは、
ただ文芸の復興というものではなく人間性の復興だった。
しかし忘れてはいけない。
キリスト教は人間は生まれながらに罪の中に居ると教える。
そうである限り人間性を否定するのがキリスト教の根源であり、
それを多くの欺瞞的言辞と活動で覆い隠しているだけだ。
神に従わない者は抹殺して信徒だけの神の世界になるのを待望する本質は
何も変わっていない。
現代では[イスラム国]がやっていることと同じことを
キリスト教が再開してもおかしくはない。本質はそうなのだから。 人間だもの って言ったら神(笑)は不機嫌になる(大草原)
神(笑)は認知機能が人間に劣る(笑) 自分の失敗(創世)を外側(人間)に移すクズ(笑) 神の責任転嫁の被害を受ける人間はたまったもんじゃないですね Re: タイトルなし
> ご利益宗教です。??
> お試し期間を設けて、自分でやってみればいいんです。??
>??
> 得したら続ければいいんです。??
> 損したらやめればいいんです。??
> それだけのことですよ。??
ところが、キリスト教では人が神から離れることは大きな罪だと教えます。??
そして罪を犯す者は神の罰を受けると洗脳されます。
そうして、人を教会から離れられなくさせてしまいます。??
私が長い間信仰を捨てられなかったのは、??
まさにこの教えが頭の中にあったからでした。??
私はその「呪縛」から解放されるまでずいぶんと年月を無駄にしました。?? Re: タイトルなし
> ここの主催者は知識からするとまだ中学生くらいかな?
精神年齢はそうかもしれません。
自分はアダルトチルドレンかもしれないと思っています。
> 素直な感想を言えば、頑張ってるのはわかるのだが、ここに書かれている主張の多くは、キリスト教側からでなくとも、何の信仰も無い学者から見ても、ほとんど理論的に覆される内容が多いかなと・・・
では、どうぞ覆して見せてください。
> 1番いいのは、一方的にこうして感情をブログに表すだけでなく、実際に、牧師とかと論じ合うといいかも。
信仰を捨てた後も。
私が通っていた教会の牧師さんにも何度か質問していますよ。
ただ、返ってくる答えは「正しく聖書を読めば分かる」とか
そういうのばかりです。
> 自分の意見に自信があればそれが出来るだろうし、自信がなければ、ブログ上の愚痴で終わってしまう。
掲示板上ではほかの複数の牧師さんにも質問したことがありますが、
納得のいく答えはありませんでした。
いつか自分の考えを本にして出版してみて、
世間の反応を見てみたいと思うことがあります。
ただし時間が無くてじっくり文章を練ることができないので
多分実現は無理だと思いますが。 Re: はじめまして。
> はじめまして、城戸崎と申します。??
> 僕はキリスト教系の大学に通っているのですが、大学の必修科目だったキリスト教の授業がきっかけで、キリスト教に疑問を抱くようになってしまいました。
コメントありがとうございます。??
キリスト教の大学のクリスチャン率がどのぐらいかは知らないのですが、??
まさか、全員がクリスチャンではないですよね。??
むしろ、「普通の人」の割合の方が圧倒的に多いですよね???
そんな普通の人がキリスト教の授業を受けたときに、
本当に素直にキリスト教を受け入れられるのか興味がありました。??
> その教授はどこかの牧師をやっているとかいないとか仰っていたのですが、アブラハムがイサクを捧げる場面の解説で??
> 「アブラハムはここで神の声を聞いたわけですが、ここで素直に神の声を聞いた、と読んではいけませんよ。本当に聞こえたら、それは頭のおかしい人ですからね」??
> と仰ったんですね。??
> 「それを言っちゃったら信仰も何も無いのでは…」と思いました。??
出ましたね。クリスチャン特有の「言い逃れ」です。
聖書の中の都合の良い箇所は、??
「聖書にこう書いてあるから」と文字通り解釈するのに、??
都合の悪い箇所は「文字通り解釈してはならない」と言い訳するのです。??
とにかく、その場その場の都合で聖書の記述を解釈するため、??
聖書の解釈に一貫性がないのです。??
これがクリスチャンの習性です。??
> それ以降、キリスト教について自分なりに調べまくっている中、このブログにたどり着きました。??
> 幼い頃からキリスト教に関わってきたわけではありませんが、記事がどれも的確なご指摘であるため、最初から読ませていただくことにしました。??
的確と言いますか、理論的に考えればそういう疑問が出るはずなのに、??
クリスチャンはなぜ気付かないのか不思議に思います。??
> これからも、どうぞお疲れの出ませんように。??
お心遣いどうもありがとうございます。??
くれぐれも城戸崎さんもキリスト教に洗脳されませんように。??
知識や教養としてキリスト教の世界を知るのはいいですが、??
あえて信仰する必要はありません。 Re: レイプは神の祝福?
> こんなニュースが報道されていました。??
>??http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1479596??
> レイプによる妊娠は「神の祝福」とでも言いたいのでしょうか。ロシアのポグロムでも、ロシア正教徒たちはユダヤ人少女たちを犯しまくったそう(国家権力と教会権力は黙認)ですが、・・・。??
> 既に生まれた子供を洗脳して社会不適応者にするだけでなく、不幸な生い立ちの子供を作らせようとする非人道的な思想ですね。??
情報提供ありがとうございます。??
まったく、キリスト教の「都合の良さ」が分かる典型的な発言ですね。??
レイプそのものも「神のご意志」ということでしょうか。??
本人は、もしも自分が女性で、男性からレイプされたら、??
「これこそ神のご意志です、ハレルヤ!」などと喜べるのでしょうか。??
いいえ、絶対違います。??
クリスチャンという生き物は、??
自分たちに都合の良いことは何でもかんでも「神のご意志」にしてしまいますから、??
本当に始末に負えませんね。??
キリスト教が世界中に広まったのは、その教えが素晴らしいからではなく、??
自分たちを正当化するのに都合が良かったからとしか思えません。 Re: え!?
また私が日ごろから言っていることを裏付けるコメントが来ました。
> 私、教会の神父にも神学者にも「死んだことないから天国がどんなところかわかんない」と共通の答えをもらいましたが、今のプロテスタントは違うのですか!?
> それに天の国の理解は「神との完全な一致」でカトリックは共通してるはずですが。えー!?
キリスト教は大小様々な宗派、教派、教団、教会に分裂し、
それぞれが聖書や教義の解釈が異なり、
さらに、それぞれが自分たちの解釈ことが正しいと信じているのが特徴です。
今までに何度もこのことはブログで取り上げてきました。
この方のコメントも私の発言を裏付けるものとなりました。
> ていうか、ヨハネの黙示録って暗号文ですよね。もう解読コードもなくなっちゃってるから、
こちらも私の日ごろからの主張を裏付けるものです。
キリスト教は、聖書の都合の良い箇所はそのまま文字通り信じるのに、
都合の悪い箇所は例えだの比喩だの言い訳をして、文字通り信じようとしません。
そもそも、黙示録は暗号文だと誰が言ったのでしょうか?
エホバの神ですか? イエスですか? 聖霊ですか? パウロですか?
> エホバとかに都合よく使われて恫喝の道具にされていますけど。
プロテスタントの方こそ、この聖句を都合よく使って恫喝の道具にしていますが。
罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
ローマの信徒への手紙/ 06章 23節
プロテスタントはこの言葉を使って信者に罪の意識を刷り込み、
ひたすら懺悔と献金をさせるように仕向けるのです。
カトリックは違うのでしょうか。
そう言えばカトリックは何を根拠にマリアを崇拝しているのでしょうね。
聖書のどこに「聖母」という言葉があるのでしょう。
カトリックの聖書には書いてあるのでしょうか。 Re: はじめまして。
> はじめまして、城戸崎と申します。
> 僕はキリスト教系の大学に通っているのですが、大学の必修科目だったキリスト教の授業がきっかけで、キリスト教に疑問を抱くようになってしまいました。
コメントありがとうございます。
キリスト教の大学のクリスチャン率がどのぐらいかは知らないのですが、
まさか、全員がクリスチャンではないですよね。
むしろ、「普通の人」の割合の方が圧倒的に多いですよね?
そんな普通の人がキリスト教の授業を受けたときに、
本当に素直にキリスト教を受け入れられるのか興味がありました。
> その教授はどこかの牧師をやっているとかいないとか仰っていたのですが、アブラハムがイサクを捧げる場面の解説で
> 「アブラハムはここで神の声を聞いたわけですが、ここで素直に神の声を聞いた、と読んではいけませんよ。本当に聞こえたら、それは頭のおかしい人ですからね」
> と仰ったんですね。
> 「それを言っちゃったら信仰も何も無いのでは…」と思いました。
出ましたね。クリスチャン特有の「言い逃れ」です。
聖書の中の都合の良い箇所は、
「聖書にこう書いてあるから」と文字通り解釈するのに、
都合の悪い箇所は「文字通り解釈してはならない」と言い訳するのです。
とにかく、その場その場の都合で聖書の記述を解釈するため、
聖書の解釈に一貫性がないのです。
これがクリスチャンの習性です。
> それ以降、キリスト教について自分なりに調べまくっている中、このブログにたどり着きました。
> 幼い頃からキリスト教に関わってきたわけではありませんが、記事がどれも的確なご指摘であるため、最初から読ませていただくことにしました。
的確と言いますか、理論的に考えればそういう疑問が出るはずなのに、
クリスチャンはなぜ気付かないのか不思議に思います。
> これからも、どうぞお疲れの出ませんように。
お心遣いどうもありがとうございます。
くれぐれも城戸崎さんもキリスト教に洗脳されませんように。
知識や教養としてキリスト教の世界を知るのはいいですが、
あえて信仰する必要はありません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています