ヒンズー、エジプト、仏教、カバラ、密教などは 視点が違うだけで同一の事象について述べています。
これは客観性を現すと思います。

ただのちに理解できない人々が 主観性を混ぜてしまっただけだと主張します。

・宗教上の救いとは、いやし、解脱、神性の回復などと表現しますが、
 神の概念のない第三者が見ても明らかにかつ具体的にわかる変化が無ければ それと見なしません。

 低レベルの思い込みが蔓延している昨今ですが。
 修業する場合は、私見ですが、確かに実感として変化があるものしか 価値を見出しません。
 上記の各神の概念とは これらの延長にあるのではないでしょうか ?

だから AIもヨガや座禅やいけにえをさせろという事です。