「文章」「文字」が読めると「女の子と楽しく話が出来る」というのは文章の基本であり、
それは、政治(女心の定義)、経済(男が女を愛する気持ち)、宗教(男らしさを語り合う)、
社会契約論(卒業・夏休みの終わり、別れ)、私有財産(性的営み)に区別される。
「民主主義は多数決である」と安易に思わないほうがいい。
「人間の半数は女である」ということを意味するため、これらの、政治、経済、宗教、社会契約論、私有財産
に関する議論のあり方が大きく変ったのだ。
「私たちの政府」がお金を持っている人によって成り立っている以上、
サラリーマンには到底稼げないようなお金が「職業政治家」によって生み出され、
お金や家、医療、雇用に「文章」が用いられるようになったのだ。
被差別部落は医学部には入学できないというのは、日米を通じた「判例」であるが、
ランピー族やチカホミニー族への「文章へのアクセス」を認めることを公約にしたのがオバマ
であり、キムリッカ族に認めることを公約にしたのがトランプだった。
アメリカにおける「王位継承」である大統領選があるたびに、被差別部落は生まれており、
「文章へのアクセス」が困難になる連中がいた。
つまり、「貧しくなる」し「モテなくなる」のだ。
しかし、キング牧師は「黒人に選挙権を」と言って、黒人への「文書へのアクセス」を認めさせ、
黒人そのものはなんら医学部から排除されるべき存在ではなくなったのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=LQsX2oHt9Yo&;t=85s