知恵袋から


景教の側も中国に来て日本人と接触した頃には、純粋なキリスト教というよりも、ゾロアスター教やミトラ教と習合し、更に仏教化していました。
救世主としてのイエス・キリストが、ペルシアで、救世主として信仰されていたミトラと同一視され、インドでミトラ→マイトLーヤー=弥勒菩薩・阿弥陀如来となり、仏教として日本に伝わったのです。
「大秦(太秦)」の名を冠する秦氏は景教徒あるいは原始キリスト教徒だったと言われますが、秦氏の祀った広隆寺(古名:大秦寺)に弥勒菩薩像が祀られていることや、
同寺に伝わる牛祭りの摩多羅(マタラ)神がミトラ神のことと思われる点が、このことを暗示しています。