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【詐欺師大川】★★「幸福の科学」性の儀式統合スレッドpart3★★【証人喚問拒否】
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0001ハッピー・サイエンス
垢版 |
2018/06/16(土) 15:13:24.78ID:VhIaTiAM
疑問を持ったきっかけの一つは、大川隆法氏がヤショーダラ妃を長女の過去世であると言い出した事です。

私は耳を疑いました。

もしそちらが真実なら、一体、大川隆法氏がYさんに言ったことは何だったのか、という疑問が起きました。

ヤショーダラ妃が長女であるとなると、大川隆法氏のしたことは詐欺です。

教祖が霊の声を偽ってセックスを職員の女性に強要したという犯罪になります。

http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2088 

被害者がその後も増大し続けており、

この犯罪を抑止することが

是非とも必要だと思ったからです。

あの記事が出てから、私の元には、

他にも被害者が何人もいるという情報が

いくつも入ってきています。

私は純粋な若い女性たちの信仰心を利用して、

自分の欲望を満たそうとする大川隆法氏と、

彼の犯罪を隠蔽し続ける幸福の科学に対しては、

はっきりと公憤を感じております。

http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_29.html

前スレ
★★『幸福の科学』統合スレッドpart「性の儀式」★★
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1483227478/
0102神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 11:45:58.93ID:UI6mVPUj
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0103神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 11:48:39.76ID:UI6mVPUj
  「信じる力」の持つ本当の意味とは

 まだ「信じる力」の本当の意味を分かっている人はそう多くないかもしれませんが、「信じる力」とは、心の中の気休めだけではありません。
 「信じる力」というのは、本当に物理的な力を持っており、この世において生きる上で各人の道を妨げているものを打ち破り、貫いていくだけの力があるのです。

 現代では、知識人と言われる人の中には、不可知論を唱えて、「この世の中について、本当のことなど分からない。神様など分からない。この世の始まりもわからない。霊など分からない。霊界など分からない」
というような人が大勢います。そうした不可知論の人々、信じられない人々の山の中を、トンネルのごとく、くりぬいてゆく力が、「信じる力」なのです。
 この、「信じる力」をレーザー光線のように結集していけば、どのような山でもくりぬくことができます。
 今こそ、そういう時が来ていると思うのです。
 全国の幸福の科学の信者の皆さん、それから、幸福の科学のシンパの皆さん、幸福の科学に関心を持っている皆さん、あるいは、未来の予備軍の皆さん、
もし、私が三十数年間続けてきたことの中に、「真実がある」と信じてくださるのであれば、どうか、みなさんの「思いの力」を、未来や神の力をふさいでいる山にトンネルを打ち抜く「強い光」へと変えていってください。
そういう大きな流れを作っていきたいと考えています。
 みなさんの力が一つにまとまる日を待っています。


 明日を変える言葉 @

信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。

心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。

信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。

本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。
0104神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 11:52:20.42ID:UI6mVPUj
 明日を変える言葉 @

信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。

心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。

信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。

本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。

この「信じる」という力は、
通常の学校教育において教わることは決してないでしょう。
これは、宗教あるいは宗教教育においてのみ教わることです。

あなたがたの真なる父が、
天において、無限界であり、無敵であるように、
あなたがたも、
この地において、無限界であり、無敵でありなさい。
それは、「信仰において勝利せよ」ということなのです。

信ずるものの場合、病が治っていきます。
あなたがたが、どのような人生観を持ち、
どのような自己イメージを持つかによって、
あなた方自身の肉体の設計は変わります。

あなたがたの血液のなかにある赤血球や白血球、リンパ球、
こうしたものもまた、
強い霊的な生命力を帯びて、日々、活動しています。
そういうものが、「あなたがたが、どのような思いを発信するか」
ということによって変わっていくのです。

体のなかにあるウイルスその他、
悪しき物質と戦って、それを駆逐し始めます。
体のなかにできているガン細胞や、その他の不適切な組織は、
この「思い」によって、どんどんとつくりかえらえ、
廃棄処分にされていきます。淘汰されていくのです。


   信仰の法
0105神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 11:55:11.54ID:UI6mVPUj
 大川隆法著 信仰の法

    第2章 愛から始まる  
「人生の問題集」を解き、「人生学のプロ」になる

1 「愛されたい」という気持ちは人間の本能

  「愛を与えられたい」−−人はそう思うもの

 本章のテーマは、「愛から始まる」です。幸福の科学にとっては非常に懐かしいテーマでもあり、当会に初期のころから集っている人にとっては、ずいぶん昔に返った感じがするかもしれません。

 こういう内容は、私がもっと若いときによく説いていました。
今も気持ちだけは若いのですが、実際には数十年か年を取りましたので、今、似たようなテーマにチャレンジしたら、どのように変わるのか。あるいは変わらないのかということも、気になるところでしょう。
 さて、愛というものを考えるとき、若い人などは、たいてい、「人間の幸・不幸を分けるものとして、人から愛されると幸福、愛されないと不幸」というように考えるのではないかと思います。
これが、単純な、最初の感じ方でしょう。

 こういうことは、人に教わらなくても本能的に感じるものです。十代の後半、あるいは前半ぐらいから、すでにそうなる人もいるかもしれません。
 ですから、若い人は特に、「人から愛を与えられたい」という気持ちが強いでしょう。さらに、もっと行けば、「愛を独占したい」という思いでしょうか。
これは、つまり、「自分だけを愛してほしい」というような気持ちです。テレビドラマなどを観ても、そういうものをテーマにしていることが多いように思います。

 そうした、「人からの愛がほしい」という気持ちが、よいかたちで表れると、ある意味での自己実現というかたちとなって表れてきます。
自分自身をもっと成長させ、もっと立派な人間になり、人から尊敬されて、自分が憧れるような人からも「素敵だな」と言われるようになりたいという気持ちのなっていきます。そして、その人の気持ちを自分にグーッと集めたいというような思いになるのでしょう。
 これは、間違いではないでしょうし、中・壮年期になっても、そういう気持ちを持っている人は多いのではないでしょうか。


  物事に励む原動力にもなりうる「愛を求める気持ち」

 ところが、人口が多くなり、この屋での「愛をめぐる競争」も非常に激しくなってきました。
0106神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:38:18.87ID:UI6mVPUj
.
0107神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:38:37.55ID:UI6mVPUj
  「信じる力」の持つ本当の意味とは

 まだ「信じる力」の本当の意味を分かっている人はそう多くないかもしれませんが、「信じる力」とは、心の中の気休めだけではありません。
 「信じる力」というのは、本当に物理的な力を持っており、この世において生きる上で各人の道を妨げているものを打ち破り、貫いていくだけの力があるのです。

 現代では、知識人と言われる人の中には、不可知論を唱えて、「この世の中について、本当のことなど分からない。神様など分からない。この世の始まりもわからない。霊など分からない。霊界など分からない」
というような人が大勢います。そうした不可知論の人々、信じられない人々の山の中を、トンネルのごとく、くりぬいてゆく力が、「信じる力」なのです。
 この、「信じる力」をレーザー光線のように結集していけば、どのような山でもくりぬくことができます。
 今こそ、そういう時が来ていると思うのです。
 全国の幸福の科学の信者の皆さん、それから、幸福の科学のシンパの皆さん、幸福の科学に関心を持っている皆さん、あるいは、未来の予備軍の皆さん、
もし、私が三十数年間続けてきたことの中に、「真実がある」と信じてくださるのであれば、どうか、みなさんの「思いの力」を、未来や神の力をふさいでいる山にトンネルを打ち抜く「強い光」へと変えていってください。
そういう大きな流れを作っていきたいと考えています。
 みなさんの力が一つにまとまる日を待っています。


 明日を変える言葉 @

信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。

心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。

信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。

本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。
0108神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:38:57.38ID:UI6mVPUj
 明日を変える言葉 @

信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。

心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。

信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。

本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。

この「信じる」という力は、
通常の学校教育において教わることは決してないでしょう。
これは、宗教あるいは宗教教育においてのみ教わることです。

あなたがたの真なる父が、
天において、無限界であり、無敵であるように、
あなたがたも、
この地において、無限界であり、無敵でありなさい。
それは、「信仰において勝利せよ」ということなのです。

信ずるものの場合、病が治っていきます。
あなたがたが、どのような人生観を持ち、
どのような自己イメージを持つかによって、
あなた方自身の肉体の設計は変わります。

あなたがたの血液のなかにある赤血球や白血球、リンパ球、
こうしたものもまた、
強い霊的な生命力を帯びて、日々、活動しています。
そういうものが、「あなたがたが、どのような思いを発信するか」
ということによって変わっていくのです。

体のなかにあるウイルスその他、
悪しき物質と戦って、それを駆逐し始めます。
体のなかにできているガン細胞や、その他の不適切な組織は、
この「思い」によって、どんどんとつくりかえらえ、
廃棄処分にされていきます。淘汰されていくのです。


   信仰の法
0109神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:39:14.00ID:UI6mVPUj
 大川隆法著 信仰の法

    第2章 愛から始まる  
「人生の問題集」を解き、「人生学のプロ」になる

1 「愛されたい」という気持ちは人間の本能

  「愛を与えられたい」−−人はそう思うもの

 本章のテーマは、「愛から始まる」です。幸福の科学にとっては非常に懐かしいテーマでもあり、当会に初期のころから集っている人にとっては、ずいぶん昔に返った感じがするかもしれません。

 こういう内容は、私がもっと若いときによく説いていました。
今も気持ちだけは若いのですが、実際には数十年か年を取りましたので、今、似たようなテーマにチャレンジしたら、どのように変わるのか。あるいは変わらないのかということも、気になるところでしょう。
 さて、愛というものを考えるとき、若い人などは、たいてい、「人間の幸・不幸を分けるものとして、人から愛されると幸福、愛されないと不幸」というように考えるのではないかと思います。
これが、単純な、最初の感じ方でしょう。

 こういうことは、人に教わらなくても本能的に感じるものです。十代の後半、あるいは前半ぐらいから、すでにそうなる人もいるかもしれません。
 ですから、若い人は特に、「人から愛を与えられたい」という気持ちが強いでしょう。さらに、もっと行けば、「愛を独占したい」という思いでしょうか。
これは、つまり、「自分だけを愛してほしい」というような気持ちです。テレビドラマなどを観ても、そういうものをテーマにしていることが多いように思います。

 そうした、「人からの愛がほしい」という気持ちが、よいかたちで表れると、ある意味での自己実現というかたちとなって表れてきます。
自分自身をもっと成長させ、もっと立派な人間になり、人から尊敬されて、自分が憧れるような人からも「素敵だな」と言われるようになりたいという気持ちのなっていきます。そして、その人の気持ちを自分にグーッと集めたいというような思いになるのでしょう。
 これは、間違いではないでしょうし、中・壮年期になっても、そういう気持ちを持っている人は多いのではないでしょうか。


  物事に励む原動力にもなりうる「愛を求める気持ち」

 ところが、人口が多くなり、この屋での「愛をめぐる競争」も非常に激しくなってきました。
0110神も仏も名無しさん
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2018/07/18(水) 12:39:33.60ID:UI6mVPUj
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0111神も仏も名無しさん
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2018/07/18(水) 12:40:38.83ID:UI6mVPUj
  「信じる力」の持つ本当の意味とは

 まだ「信じる力」の本当の意味を分かっている人はそう多くないかもしれませんが、「信じる力」とは、心の中の気休めだけではありません。
 「信じる力」というのは、本当に物理的な力を持っており、この世において生きる上で各人の道を妨げているものを打ち破り、貫いていくだけの力があるのです。

 現代では、知識人と言われる人の中には、不可知論を唱えて、「この世の中について、本当のことなど分からない。神様など分からない。この世の始まりもわからない。霊など分からない。霊界など分からない」
というような人が大勢います。そうした不可知論の人々、信じられない人々の山の中を、トンネルのごとく、くりぬいてゆく力が、「信じる力」なのです。
 この、「信じる力」をレーザー光線のように結集していけば、どのような山でもくりぬくことができます。
 今こそ、そういう時が来ていると思うのです。
 全国の幸福の科学の信者の皆さん、それから、幸福の科学のシンパの皆さん、幸福の科学に関心を持っている皆さん、あるいは、未来の予備軍の皆さん、
もし、私が三十数年間続けてきたことの中に、「真実がある」と信じてくださるのであれば、どうか、みなさんの「思いの力」を、未来や神の力をふさいでいる山にトンネルを打ち抜く「強い光」へと変えていってください。
そういう大きな流れを作っていきたいと考えています。
 みなさんの力が一つにまとまる日を待っています。


 明日を変える言葉 @

信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。

心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。

信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。

本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。
0112神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:41:46.67ID:UI6mVPUj
 明日を変える言葉 @

信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。

心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。

信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。

本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。

この「信じる」という力は、
通常の学校教育において教わることは決してないでしょう。
これは、宗教あるいは宗教教育においてのみ教わることです。

あなたがたの真なる父が、
天において、無限界であり、無敵であるように、
あなたがたも、
この地において、無限界であり、無敵でありなさい。
それは、「信仰において勝利せよ」ということなのです。

信ずるものの場合、病が治っていきます。
あなたがたが、どのような人生観を持ち、
どのような自己イメージを持つかによって、
あなた方自身の肉体の設計は変わります。

あなたがたの血液のなかにある赤血球や白血球、リンパ球、
こうしたものもまた、
強い霊的な生命力を帯びて、日々、活動しています。
そういうものが、「あなたがたが、どのような思いを発信するか」
ということによって変わっていくのです。

体のなかにあるウイルスその他、
悪しき物質と戦って、それを駆逐し始めます。
体のなかにできているガン細胞や、その他の不適切な組織は、
この「思い」によって、どんどんとつくりかえらえ、
廃棄処分にされていきます。淘汰されていくのです。


   信仰の法
0113神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:42:51.53ID:UI6mVPUj
 大川隆法著 信仰の法

    第2章 愛から始まる  
「人生の問題集」を解き、「人生学のプロ」になる

1 「愛されたい」という気持ちは人間の本能

  「愛を与えられたい」−−人はそう思うもの

 本章のテーマは、「愛から始まる」です。幸福の科学にとっては非常に懐かしいテーマでもあり、当会に初期のころから集っている人にとっては、ずいぶん昔に返った感じがするかもしれません。

 こういう内容は、私がもっと若いときによく説いていました。
今も気持ちだけは若いのですが、実際には数十年か年を取りましたので、今、似たようなテーマにチャレンジしたら、どのように変わるのか。あるいは変わらないのかということも、気になるところでしょう。
 さて、愛というものを考えるとき、若い人などは、たいてい、「人間の幸・不幸を分けるものとして、人から愛されると幸福、愛されないと不幸」というように考えるのではないかと思います。
これが、単純な、最初の感じ方でしょう。

 こういうことは、人に教わらなくても本能的に感じるものです。十代の後半、あるいは前半ぐらいから、すでにそうなる人もいるかもしれません。
 ですから、若い人は特に、「人から愛を与えられたい」という気持ちが強いでしょう。さらに、もっと行けば、「愛を独占したい」という思いでしょうか。
これは、つまり、「自分だけを愛してほしい」というような気持ちです。テレビドラマなどを観ても、そういうものをテーマにしていることが多いように思います。

 そうした、「人からの愛がほしい」という気持ちが、よいかたちで表れると、ある意味での自己実現というかたちとなって表れてきます。
自分自身をもっと成長させ、もっと立派な人間になり、人から尊敬されて、自分が憧れるような人からも「素敵だな」と言われるようになりたいという気持ちのなっていきます。そして、その人の気持ちを自分にグーッと集めたいというような思いになるのでしょう。
 これは、間違いではないでしょうし、中・壮年期になっても、そういう気持ちを持っている人は多いのではないでしょうか。


  物事に励む原動力にもなりうる「愛を求める気持ち」

 ところが、人口が多くなり、この屋での「愛をめぐる競争」も非常に激しくなってきました。
0114神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/19(木) 08:54:48.88ID:4fADBKw6
リムパックから排除された中国 演習を監視し、豪国艦船を追跡していた

世界最大の海軍演習が米ハワイで行われ、日本も地対艦ミサイルの演習に参加
演習には、中国を警戒する東南アジア諸国の参加が増え、派遣規模も拡大
招待を取り消された中国は、情報収集艦を派遣して"対抗"

米ハワイで実施されている世界最大規模の海軍演習「環太平洋合同演習(リムパック)」(米海軍主催)で、
同演習では史上初となる地対艦ミサイル部隊による標的演習が行われ、日本からは陸上自衛隊が参加した。14日付朝日新聞に報じられている。
6月下旬から8月初めまで行われるリムパックには、約2万5000人の兵力と52隻の艦船、約200機の航空機など、26カ国が参加。
日米韓などの常連国に加え、ブラジル、イスラエル、スリランカ、ベトナムが初参加し、反中派のマハティール首相が誕生したマレーシアは初めて軍艦を派遣した。
参加国の陣容を見ると、中国の南シナ海の軍事拠点化などに対抗して、アジア諸国の参加が増え、その派遣規模も拡大している。
上記の地対艦ミサイルの演習も、中国の海洋進出を念頭に置いたものだが、リムパック自体が「中国への警戒心」を強めていることが分かる。

やはりやってきた……。中国が演習を監視
対する中国は、トランプ米大統領から招待を受けていたものの、演習直前の5月下旬、招待が取り消された。理由は、先述の「南シナ海の内海化」にある。
しかし、中国は手をこまねいているわけではない。案の定、2014年のリムパックに続いて、今回も中国海軍の情報収集艦を付近の海域に派遣し、演習を監視していた。
狙いは、26カ国から発される信号や電波などを傍受するためだ。このような参加国の不信を買う行為に出るのは、もちろん、中国だけ。
これには、チリ海軍の司令官が「演習に参加していない船の存在が、演習を混乱させるのは非常に残念だ」と苦言を呈した。
さらにオーストラリアメディアによると、中国の情報収集艦が、リムパックに向かうオーストラリアの艦船を追跡していた。
アメリカの同盟国が中心となって参加するリムパックは、仮想敵国の中国を排除したことで、あるべき姿に戻った。
だがその中国は、海軍のマナーを破って、執拗に情報を得ようとしている。中国の狙いは定かではないが、中国の好きなようにさせてはならない。
0115神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:11:10.58ID:Xhuil15e
反対してる親にしてみたらずっと無間地獄にいる気持ちだろうな。
いっそ死んでしまいたい位だろうな。

愛情を注いで育てた子供が、その親よりも赤の他人を信じるって言ってるんだから。
親の心を傷つけてまでも、赤の他人の方が大事だって言ってるんだから。

人の道を踏み外さずにすんで良かった。
宇宙一の恩知らずにならずにすんで良かった。

深く感謝いたします。
0116神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/20(金) 01:58:27.64ID:/6KkJvdV
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0117神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/20(金) 02:34:01.80ID:tx86T1Gj
リムパックから排除された中国 演習を監視し、豪国艦船を追跡していた

世界最大の海軍演習が米ハワイで行われ、日本も地対艦ミサイルの演習に参加
演習には、中国を警戒する東南アジア諸国の参加が増え、派遣規模も拡大
招待を取り消された中国は、情報収集艦を派遣して"対抗"

米ハワイで実施されている世界最大規模の海軍演習「環太平洋合同演習(リムパック)」(米海軍主催)で、
同演習では史上初となる地対艦ミサイル部隊による標的演習が行われ、日本からは陸上自衛隊が参加した。14日付朝日新聞に報じられている。
6月下旬から8月初めまで行われるリムパックには、約2万5000人の兵力と52隻の艦船、約200機の航空機など、26カ国が参加。
日米韓などの常連国に加え、ブラジル、イスラエル、スリランカ、ベトナムが初参加し、反中派のマハティール首相が誕生したマレーシアは初めて軍艦を派遣した。
参加国の陣容を見ると、中国の南シナ海の軍事拠点化などに対抗して、アジア諸国の参加が増え、その派遣規模も拡大している。
上記の地対艦ミサイルの演習も、中国の海洋進出を念頭に置いたものだが、リムパック自体が「中国への警戒心」を強めていることが分かる。

やはりやってきた……。中国が演習を監視
対する中国は、トランプ米大統領から招待を受けていたものの、演習直前の5月下旬、招待が取り消された。理由は、先述の「南シナ海の内海化」にある。
しかし、中国は手をこまねいているわけではない。案の定、2014年のリムパックに続いて、今回も中国海軍の情報収集艦を付近の海域に派遣し、演習を監視していた。
狙いは、26カ国から発される信号や電波などを傍受するためだ。このような参加国の不信を買う行為に出るのは、もちろん、中国だけ。
これには、チリ海軍の司令官が「演習に参加していない船の存在が、演習を混乱させるのは非常に残念だ」と苦言を呈した。
さらにオーストラリアメディアによると、中国の情報収集艦が、リムパックに向かうオーストラリアの艦船を追跡していた。
アメリカの同盟国が中心となって参加するリムパックは、仮想敵国の中国を排除したことで、あるべき姿に戻った。
だがその中国は、海軍のマナーを破って、執拗に情報を得ようとしている。中国の狙いは定かではないが、中国の好きなようにさせてはならない。
0118神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/20(金) 02:34:45.63ID:tx86T1Gj
南アフリカのマンデラ生誕100周年 人種差別撤廃と民主化に生涯を捧げた闘いの人生

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃に尽力し、同国初の全人種が参加した選挙で大統領に選ばれた故ネルソン・マンデラ氏の生誕から18日で100年を迎えました。

民族の和解と融合、そして自由をもたらしたマンデラ氏の功績を振り返り、未来につなげるために、各地で「生誕100年」イベントが企画されました。

マンデラ氏は、若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、カリスマリーダーとして民主化運動を指揮。1990年、46歳の時に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、27年間を獄中で過ごし、解放されたときは72歳でした。

1994年、全人種が参加した初の選挙でアフリカ民族会議(ANC)を率いて圧勝。ノーベル平和賞を受賞し、大統領に就任。2013年に95歳の生涯を閉じました。


黒人と白人の対立を溶かした「寛容の精神」
マンデラ氏は、今も世界中から尊敬を集めています。その大きな理由として、その「愛と寛容の精神」が挙げられます。

1990年にマンデラ氏が釈放された時、彼を支持していた黒人は歓喜しましたが、多くの白人は復讐を恐れました。

しかしマンデラ氏は、釈放翌日の記者会見で、「白人も同じ南アフリカ人だ。彼らが身の危険を感じるような事態は望んでいない。この国に対する彼らの貢献に、私たちは感謝していることを知ってほしい」と述べました。

自分を投獄した白人たちに復讐するのではなく、彼らの罪を許す――。こうした愛と寛容の精神が、それまで根深い人種差別の考え方や、白人と黒人の憎しみ合いを溶かしていきました。


「魂そのものには色がありません」
2013年12月6日、マンデラ氏が亡くなってから6時間後、氏の霊が大川隆法・幸福の科学総裁のもとを訪れ、公開霊言が収録されました。マンデラ氏の霊は、「人種差別には意味がない」理由について、こんなメッセージを残しています。

「神が魂を創り、多くの魂が地上に送り込まれました。ある人は白人として生まれ、ある人は黄色人種として生まれ、ある人は黒人として生まれていますが、彼らは根本において平等なのです。(中略) 魂そのものには色がありません。魂は透明です。色はありません。
魂とは考えるエネルギーであり、活動するエネルギーにほかなりません。
0119神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/20(金) 02:35:03.12ID:tx86T1Gj
魂とは考えるエネルギーであり、活動するエネルギーにほかなりません。これが宗教の本当のポイントです。これが平等と自由の、本当のポイントなのです」

マンデラ氏の霊はまた、日本人について、「あなたがたは、いい人たちです。神によって啓蒙され、神の推薦を受けた、非常に特別な存在です。非常に特別な、神の民です」と述べた上で、次のように語りました。

「あなたがたの国には差別はありません。白人に対して敬意を払っていますが、黒人や黄色人種やその他の国の人たちを見下すようなことはしません。また、あなたがたは、一生懸命に働けば大きな成功を収めることができるということを証明しました。
それは、肌の色によって決まることではなく、個人の熱意や勤勉な働きなどによって決まるのです。日本は、世界の真なる希望だと思います」
生前のマンデラ氏も、あるインタビューで「日本をモデルにして南アフリカに虹の国(*)をつくりたい。日本の奇跡とも言うべき成功は、私たちに大きな励みと力を与えてくれた」と、日本への思いについて語っていました。
(*)あらゆる人種が調和して平和的に生きる国家のこと。

アフリカの問題解決には「教育」が必要
マンデラ氏の霊は、アフリカの貧困などの問題を解決するために何が必要かという質問に対して、「教育です」と即答。その後、次のように続けた。

「日本の歴史を見習わなければいけません。日本の近代化は私たちにとって、よきお手本です。アフリカの人々は、すべからく、明治維新以降の日本の足跡に倣うべきです。日本人は多くのことを成し遂げたので、私たちも日本のことを大いに誇りに思っています」

幸福の科学グループは2013年、こうしたマンデラ氏の思いを受け継ぎ、人種差別や貧困、政治弾圧などに苦しむ世界の人々に、教育や医療などの支援を行う「HS・ネルソン・マンデラ基金」を立ち上げました。

大地震に見舞われたネパールへの復興支援や、アフリカ・ベナンの孤児院の生徒の学費支援など、さまざまなチャリティ活動を展開しています。世界中の若者に教育の機会を与え、貧困から人々を救う人材、世界で活躍するリーダーに育てることを目指しています。

【関連書籍】
大川隆法著『ネルソン・マンデラ ラスト・メッセージ』幸福の科学出版
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1075
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劉暁波とポーランド革命をつなぐもの

《本記事のポイント》
ポーランドの民主化革命の中心人物ヨハネ・パウロ2世が語る自由とは?
教皇の1979年のポーランド訪問がもたらした2つのもの
人々の心に教会を建てた教皇

ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏の1周忌を前にして、中国政府は、妻・劉霞氏を解放しました。中国の共産党機関紙、人民日報系の環球時報は、欧米諸国は劉霞氏が「人権闘志」となるよう迫ってはならないと釘を刺しています。

劉暁波氏が昨年7月13日に肝臓がんで亡くなった後、その遺体は「家族の希望」により、人々が死を悼む間もなく火葬され、遺灰も海にまかれたことになっています。このため、人々は劉氏に哀悼の意をささげる際、海に向かって祈るようになりました。

なぜ巨大な軍や警察組織を持つ中国政府が、何の権力もない、それも既に亡くなっている劉氏の痕跡を消すことに躍起になっているのでしょうか。それは、「思想による革命」が、時に武力をも超える力を持つことを歴史が示しているからです。

冷戦を終わらせ、ソ連を崩壊させた要因は様々にありますが、最も大きなものの一つは、東欧における相次ぐ民主化革命です。その発火点となったのが1989年に起きたポーランド革命です。
そして、その仕掛け人とも言える人物が、第264代ローマ教皇であるヨハネ・パウロ2世でした。


革命の中心人物となったヨハネ・パウロ2世の思想とは
ポーランド革命の灯は、1979年の教皇のポーランド巡錫によって点火されたのです。

ヨハネ・パウロ2世は、1920年にポーランドに生を受けます。本名はカロル・ヴォイティワ。青年期を過ごした母国ポーランドはナチスに占領されます。

ナチス占領下のポーランドでは、約半数の神父が強制収容所に送られ、5人に1人が殺害されるほどの宗教弾圧が行われています。有名なアウシュビッツもポーランドにあり、ドイツ国内より多くのユダヤ人が虐殺されました。

このナチスの支配下を生き延びた経験から、ヴォイティワ氏は「ポーランドの解放はキリストの門(信仰)のみにある」と確信し、1942年に聖職を召命として受け入れ、神学校に入学します。
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2018/07/20(金) 02:37:55.99ID:tx86T1Gj
その後ポーランドは、第二次大戦中のヤルタ会談によってソ連に割譲され、共産圏に入ります。親ソ政権下でも宗教弾圧は続き、現代の中国と同様に、教会から十字架が撤去され、教会・修道院も爆破されるなど、信仰心を根絶やしにする試みが行われました。

2つの全体主義の経験を通して、ヴォイティワ氏の良心の自由・信教の自由についての考えは形づくられていきます。

そしてヴォイティワ氏は1978年、教皇に選出されます。イタリア以外から教皇が選ばれるのは、実に455年ぶりで、「鉄のカーテン」の向こう側からの選出は大いに話題になりました。

教皇に就任する前の1976年、ヴォイティワ氏は、こう述べています。

「人間の飢えとは、本物の自由への飢えに他なりません」
「それは人間の本質的な特徴であり、人間の尊厳の源にあるものです」

それゆえ、「すべての人間が神の賜物であり、機械のようにあつかわれてはならない」という信念を持っていました。

また、信仰は人間にとって最も高貴な表現だと信じていました。「自分たちが誰であるか」を教えてくれるのが信仰であり、信教の自由がなければ、人は、自分が誰であるかをついぞ知ることができないからです。


1979年6月のポーランド訪問がもたらしたもの
(1) ポーランド国民が「神は我の側にある」と気づいた
ヴォイティワ、改めヨハネ・パウロ2世は1979年6月、母国ポーランドを訪問。数百万の人々が公開ミサの演説を聞くために集まりました。全9日間で、人口の約3分の1にあたる1200万の人々が教皇を直接目にしたといいます。

この凱旋訪問を警戒し、6万7千人の警察と2万人の秘密警察が巡錫を監視しました。コード・ネームは、サマー1979年。

しかし、彼らの監視は無力でした。

Let your Spirit descend.
Let your Spirit descend
and renew the face of the earth,
the face of this land.
Amen.
「聖霊のもたらせんことを。
 聖霊がもたらされんことを。
 この地を新たにしてください」

教皇がこう説教すると、人々は「私たちは神を欲しています(We want God)」という3語のシンプルな祈りを唱え始め、その声が広場を埋め尽くしました。

イギリスの歴史家のティモシー・ガートン・アッシュ氏は、
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2018/07/20(金) 02:42:10.06ID:tx86T1Gj
イギリスの歴史家のティモシー・ガートン・アッシュ氏は、この時の様子をこう伝えています。

「テレビ報道の検閲を行う監査官を除いて、9日間にわたり、ポーランドは実質上、存在をやめていた。誰もが、ポーランドは共産主義の国ではなく、共産党が支配する国家にすぎないと知ったのである」

要するに、ポーランド国民は、共産党に支配されているだけで、自分たちは共産主義者であったことは一度もなかったと"我に返った"のです。

ポーランド革命の中心となった労働組合「連帯」のリーダーも、当時を回想し、こう述べています。

「この日、私たちは強くなり、神に守られ安全であると感じました」

「神は自分たちの側にいる」という感覚が、ポーランドの人々に与えられた巡錫となりました。


(2) 信仰心が知識人と労働者を一つにした
ポーランドにおける1970年代の反乱は、労働者階級と知識人階級とが分裂して鎮圧されています。しかしヨハネ・パウロ2世の巡錫はこの分断を統合しました。

1980年8月ポーランドのグダニスク造船所における労働者のストライキをきっかけに、カトリック教会を基盤とした労働組合「連帯」(ソリダルノスチ)が結成されました。

ヨハネ・パウロ2世の研究に詳しい政治評論家のジョージ・ウァイジェル氏は、「人間は、自由のために創られたのだ」という確信が2つの階級を統合し、国家から完全に独立した自主管理組合の設立につながったと述べています。

現代史家は、「連帯」は単に労働者の運動だとみなしがちです。しかし、レーニン造船所のストの参加者は、教皇の肖像をかかげ、毎日礼拝に参加していました。讃美歌と抵抗歌とを一緒に歌っていたのです。
連帯が合法的であった16カ月間に1000万人がストやデモに参加しています。

そして彼らは、「私たちは、(教育や政治など)生活のあらゆる面で神を欲している!」と叫ぶようになっていきました。

実は、ヨハネ・パウロ2世は、教皇に就任する前に、ノバフタの町に、10年かけて教会を建てるというプロジェクトを主導しています。教皇就任後、ポーランドを始めとして、東欧の人々の心に教会を建てることに成功しました。

これが東欧革命、ひいてはソ連の崩壊につながったのです。
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2018/07/20(金) 02:43:37.10ID:tx86T1Gj
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2018/07/20(金) 02:45:43.48ID:tx86T1Gj
実は、ヨハネ・パウロ2世は、教皇に就任する前に、ノバフタの町に、10年かけて教会を建てるというプロジェクトを主導しています。教皇就任後、ポーランドを始めとして、東欧の人々の心に教会を建てることに成功しました。

これが東欧革命、ひいてはソ連の崩壊につながったのです。

歴史家のティモシー・ガートン・アッシュ氏は、「ポーランド出身の教皇がいなかったら1980年代のポーランド独立自主管理労働組合連帯の革命はなかっただろう。
彼らがいなければ、ゴルバチョフの東ヨーロッパ政策に劇的な変化は見られなかっただろうし、そのような変化がなければ、1989年のビロード革命(チェコスロバキアで共産主義を倒した民主化革命)もなかっただろう」と述べています。

こうした革命の波と前後して、1977年チェコで、民主活動家によって、「77憲章」が起草されました。劉暁波氏が、信教、言論、結社、集会の自由、私有財産の保護などを謳った「08憲章」は、まさにそれが基になっています。

武力を持たぬ思想家が革命につながる──。その可能性が今、中国にも存在するのです。
(長華子)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『赤い皇帝 スターリンの霊言』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1494

【関連記事】
2016年7月号 香港ルポ 天安門事件から27年 中国の民主化に挑む人々
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2018年6月号 平和ムードの裏の人権弾圧 神を信じると「罪」になる国 Part1
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2018/07/20(金) 04:27:48.84ID:4+m52c45
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2018/07/20(金) 04:28:10.56ID:4+m52c45
1 一生懸命に道を求めてきた私の人生

   私も宗教家として立つとき、周囲の無理解に悩んだ
 本章は、建国記念の日に大分県で行った法話がもとになっていますが、幸福の科学に降ろされるさまざまな霊示では、大分や熊本、宮崎のあたりが、「日本という国の発祥」のころに大きな縁のあった場所と言われています。
そのことを心の片隅に置きながら、この国が二千六百年、二千七百年と続いてきたことに感謝しつつ、真理の一端なりとも語ることができれば幸いです。

「信じる力」と題しましたが、あまり難しくなりすぎないように述べていきたいと考えています。
ただし、「難しくない」ということは、「内容が悪い」とか「程度が低い」などということではなく、「多くの人に通じる、分かりやすい話」を目指したいということです。

 さて、幸福の科学が1986年に活動を開始してから、すでに30年以上が過ぎました。実際には、私は1981年から天上界の霊示を受けているので、30数年にわたり、この真理の世界で活動をし続けていることになります。

 そのように、一定の年数というものは、どうしても必要なところがあると思います。
実際に、長く続けているなかで、この活動がだんだん普通のこととなり、分かってくださる人も多くなってきました

 しかしながら、立宗初期には、この活動は、自分一人の問題だったり、家族だけの問題だったり、自分の周りにいる身近な人たちとの関係の問題ぐらいにすぎませんでした。
その間、私も、人並みにいろいろと悩むこともありました。
「人に説明できない内容を、どうすれば分かってもらえるか」ということで、ずいぶん苦労したのを覚えています。

 一般に、会社を辞めるとき、ほかの会社に移るとか、別の仕事を始めるとかいうことだけであれば、理解してもらえる場合が多いかもしれません。
しかし、私の場合は、「天上界からの啓示を受けるようになって、すでに5,6年がたっている。このたび、新しい宗教をつくるつもりなので、会社を辞めて独立したい」
ということであったため、その相談をした相手からは、十人が十人とも反対されました。
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2018/07/20(金) 04:30:12.04ID:4+m52c45
 さらに、「それはいったい、どういうことをするものなのか、分かるようなものを何かもってきてください」と言われたので、当時、すでに出版していた数冊の霊言集を見せたところ、相手は、余計にのけぞってしまったのです。
誰もが言葉を失い、まともにコメントできた人は一人もいませんでした。
「嘘だろう?嘘だと言ってくれ」「ここだけの話でもいいから、嘘だと言ってほしい」という感じの反応が相次ぎ、「いや、本当です」と答えるような状態だったのです。

 彼らの率直な気持ちとしては、そのように「嘘だろう?」「勘弁してほしい」という感じだったようです。
今まで一緒に仕事をしていた仲間のなかに、天照大神や日蓮、あるいはイエス・キリストの声が聞こえる人物がいたなどというのは、信じがたいことだったろうと思います。

 もちろん、「歴史上、そのようなことをできる人がいた」というぐらいであれば、どこかで聞く機会もあったかもしれません。
そういうものはあくまでも過去の話であって、歴史的にはあっても構わないとしても、「今自分の周りでそのようなことが起きている」とは思いもよらなかったでしょう。
「自分と一緒に話をしたり、仕事をしたり、食事をしたり、あるいは相談を受けたりしていた仲間、関係者の中に、そういう人がいた」という衝撃は大きかったようです。

 また、初めてからしばらくは、私の家族の間でも、「うーん、困った」というような意見が多かったように思います。
「家族に一人ぐらいは、この世の中でしっかりと成功してくれる大黒柱のような人がいてほしかったのに、そちらの世界に行ってしまうのか。父親が、あの世の話が好きだったために、こんなふうになってしまったのか」
というような意見もあり、家族も大変だったでしょう。親戚も同じような状況でした。

 したがって、それから数年後、数十年後に入った信者の皆さんの身に起きているような問題は、私が最初のうちにほとんど経験したことでもあります。

 さらに、会社を退社後も、どこから聞きつけたのかはわかりませんが、ヘッドハンティングのような電話があちこちから入ってきたのです。
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2018/07/20(金) 04:30:56.35ID:4+m52c45
  奪うばかりでお返しができていない」という20代前半での気づき

 あの当時の不安感のもとは、結局、「自分自身が、天上界からくる声というものを、どこまで信じられるか」というものだったと思います。
 
「霊的な声が聞こえる」というだけのことであれば、そういう人は、確かに、全国各地にいるでしょう。
沖縄にも、青森にも、それ以外のところにも大勢います。そうした人たちのなかには、街の小さな霊能者として活動している人もいれば、宗教を開いた人もいます。

 ただ、当時の私のように何の実績もないものにとっては、「その霊的な声をどこまで信じたらよいのか」ということになると、やはり、自信がないのも無理からぬことではあったでしょう。

 私は30歳にして宗教家として立つことになったものの、正直に述べれば、それまで生きてきた30年間を振り返っても、自分がこの世的に大きく道をそれなければいけないような理由や、さまざまな惑わしのなかに生きなければならないような理由は見当たりませんでした。

 もちろん、「試行錯誤がなかった」と言えば嘘になりますが、どの年齢の時にも、どの時期にも、一生懸命に道を求めていたことは事実です。
何らかのかたちで真理を求め、自分を高めようとする努力は怠らなかったし、自分が誤っていると思うことに関しては、何とか努力してのり越え、自分自身の性格を変え、生活態度を変え、勉強の仕方や仕事の仕方を変えて、
「人々が納得してくれるような自分になろう」と努力をしたことも、困っている人を見たら、「何とかして助けてあげたい」と思ったことも事実です。

 今と比べれば、若いころの自分は、もっともっと角が立つところがあったと思いますし、厳しくきつい言葉をよく使っていたようにも思います。
それでも、その根本においては、「何とかして、自分自身を、もっと世の中の役に立つ人間に変え多くの人々のためになる仕事をしたい」という気持ちでいっぱいだったと感じるのです。

 また、大人になるまで育ててくれた両親への感謝も忘れたことはありませんし、「お世話になった人々へのお返しをしなければ」という気もちも多々ありました。
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2018/07/20(金) 04:31:20.84ID:4+m52c45
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 さらに、私自身、霊的な道に入るまでの二十年余りの間には、他人さまからしてもらったことがたくさんあったにもかかわらず、自分が他人に対してあげたお返しは、実に少ないことに気づきました。
「自分は二十余年間、他人から奪って奪って、「奪う愛」のなかを生きてきた。さまざまなものを奪って大きくなった。その間、自分の体もプライドも大きくなったかもしれないけれども、お返しという意味では、ほとんどできていない」
というようなことを実感したのです。

 そのように気付いたのが、二次十代前半のころのことでした。

 この世的には、何ら、犯罪的な行為をしたこともなく、積極的に人を害した覚えもありません。
ただ、それまでの人生そのものを振り返ったときに、「今、死ぬとしたら、自分は他人からもらってばかりで、何一つお返しができていない。もう、もらうばかりの人生だったな。もし、人生の『愛の貸借対照表』を記入してみたら、赤字ばかりで、全然だめだな」
と思ったのです。

 若い人にとっては、そういうことを考えること自体が不思議に感じるかもしれませんが、その当時の私は、自分の人生を振り返り、「人からもらうばかりで、全然お返しができていないな」と思ったことを覚えています。

 座談会の会場は、小さな会場ながらも全国から来た参加者で満員になってしまったため、私は会場内を通ることができず、会場脇のベランダ伝いに演壇まで行くという、゛危険な綱渡り”をしながら入場したことを覚えています。
そこで、二時間四十分ほどあった行事のほとんどを話し続けました。

 聴衆は、いったい何が起きているのかはあまり分からなかったものの、「とにかく、これから何か大変なことが起きそうだ」という予感だけを持って帰ったのだと思います。

 その最初に集まった九十人弱の人々が核となり、さらに、第一回の講演会や研修会を行っていったのです。

 初めての研修会は琵琶湖畔で開催し、百八人ほどが集まりました。
この最初の研修会に集まった百人余りの人のほとんどが、その後、当会の職員になったというところからも、最初期の熱意がどれほどすごかったかがよくわかると思います。
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2018/07/20(金) 04:38:02.47ID:4+m52c45
 また、大人になるまで育ててくれた両親への感謝も忘れたことはありませんし、「お世話になった人々へのお返しをしなければ」という気もちも多々ありました。

 さらに、私自身、霊的な道に入るまでの二十年余りの間には、他人さまからしてもらったことがたくさんあったにもかかわらず、自分が他人に対してあげたお返しは、実に少ないことに気づきました。
「自分は二十余年間、他人から奪って奪って、「奪う愛」のなかを生きてきた。さまざまなものを奪って大きくなった。その間、自分の体もプライドも大きくなったかもしれないけれども、お返しという意味では、ほとんどできていない」
というようなことを実感したのです。

 そのように気付いたのが、二次十代前半のころのことでした。

 この世的には、何ら、犯罪的な行為をしたこともなく、積極的に人を害した覚えもありません。
ただ、それまでの人生そのものを振り返ったときに、「今、死ぬとしたら、自分は他人からもらってばかりで、何一つお返しができていない。もう、もらうばかりの人生だったな。もし、人生の『愛の貸借対照表』を記入してみたら、赤字ばかりで、全然だめだな」
と思ったのです。

 若い人にとっては、そういうことを考えること自体が不思議に感じるかもしれませんが、その当時の私は、自分の人生を振り返り、「人からもらうばかりで、全然お返しができていないな」と思ったことを覚えています。


2 幸福の科学は、なぜ、大きな力を持てたのか

  何もない状態から始め、組織の運営で悩み続けた立宗当初

 その後、私は、社会経験を積みながら、何年かの霊的な格闘を経て、よくあるセオリーどおりではありますが、三十歳になったときに独立することになりました。

 しかしながら、特に何か頼りになるものがあったというわけではありません。
すでに宗教団体があったわけでもなく、財産、あるいは土地や建物があったわけでもなく、実際上は、「何もない」状態でした。
あるものといえば、私が出した何冊かの書物を信じ、全国からバラバラと集まってきた人たちの協力ぐらいだったのです。
ただ、そうした彼らの心のなかにあるものも、まだ、「信仰」というものではなかったのではないかと思います。
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2018/07/20(金) 04:40:39.90ID:4+m52c45
あるものといえば、私が出した何冊かの書物を信じ、全国からバラバラと集まってきた人たちの協力ぐらいだったのです。
ただ、そうした彼らの心のなかにあるものも、まだ、「信仰」というものではなかったのではないかと思います。
まずは、「霊的な、神秘的な現象が起きているらしい。その神秘的な現象を起こしている中心人物を見てみたい」余いう気持ちで集まってきていたのでしょう。

 私が初めて法輪を転じた日、一九八六年十一月二十三日を、「初転法輪記念日」と呼んでいます。

 その日、東京の日暮里酒販会館というところで座談会が行われ、九十名弱の人々が集まりました。
当時はまだ少人数ではありましたが、来ていた人のなかには、いまだに当会の信者として頑張っている人たちもいて、本当に、とてもうれしく思っています。
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2018/07/20(金) 04:43:39.85ID:4+m52c45
 座談会の会場は、小さな会場ながらも全国から来た参加者で満員になってしまったため、私は会場内を通ることができず、会場脇のベランダ伝いに演壇まで行くという、゛危険な綱渡り”をしながら入場したことを覚えています。
そこで、二時間四十分ほどあった行事のほとんどを話し続けました。

 聴衆は、いったい何が起きているのかはあまり分からなかったものの、「とにかく、これから何か大変なことが起きそうだ」という予感だけを持って帰ったのだと思います。

 その最初に集まった九十人弱の人々が核となり、さらに、第一回の講演会や研修会を行っていったのです。

 初めての研修会は琵琶湖畔で開催し、百八人ほどが集まりました。
この最初の研修会に集まった百人余りの人のほとんどが、その後、当会の職員になったというところからも、最初期の熱意がどれほどすごかったかがよくわかると思います。
様々な経歴を持った人々が職員になり、さらに、研修中、食事等の際のために分けた班の班長を務めた人のほとんどが、のちの役員になりました。そのような状態で始めたわけです。

 ただ、当時はまだまだ鍛え抜かれた゛正規軍“ではなかったこともあり、
最初のころは、新しい人が入ってきては人材の入れ替えが起きたり、組織の運営の仕方等、いろいろなことでつまづきながら、ようやく、大きく回転するようになっていったと思います。
三年もすれば、かなり大きな会場でも講演会ができるようになっていました。


 このように、私に降りてくる力は非常に大きく強いものではあったものの、この世での力というのは、まだ、練習を積み、実績を積みながら、少しずつ少しずつ進んでいかなければ信用を得られないような状況ではあったということです。

 また、『聖書』に書かれた「先のものが後になり、後のものが先になる」という言葉どおりのことが数多く起きました。
必ずしも、最初のころに当会に来た人がリーダーになるわけではなく、三年後に来た人、五年後に来た人、十年後に来た人など、後から来た人のなかに、力のある人がだんだんと増えていったのです。
教団が大きくなればなるほど、力のある人が後からやってくるので、前からいる人と、あとから来た人との力関係の上下の問題なども出てきて、組織の運営に関しても、たいへん勉強をさせられました。
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2018/07/20(金) 04:45:33.30ID:4+m52c45
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2018/07/20(金) 04:47:41.66ID:4+m52c45
  なぜ多種多様な教えを説いているのか

 幸福の科学グループでは、政治分野、教育分野、芸術分野、その他、次々と新しい分野に進出しているので、そのつど、イノベーションが起きます。

 その一方で、当会が新しい分野に進むことで変化が起きると、教団の性質が変わったようにも見えるため、それまで、「これを勉強して、このようにするのだ」と思っていた人のなかには、急にクラっときて分からなくなってしまうような人もいるわけです。

 例えば、私の著書としてさまざまな本を発刊していますが、本によってまったく異なる内容が含まれていることに気づかれるでしょう。
ただ、それは、当会を支援してくださっている人を混乱させようとしているわけではないのです。
この世のなかには、いろいろな職業に就き、さまざまな分野に関心を持っている人がいます。
そうした興味・関心や立場の違う人々に向けて、「どこからでもよいので、自分にとって関心のある入り口から入ってきてください」という願いを込めて、幅広い内容の本を出しているのです。

 そういう意味では、その一冊一冊が大事なものではあるのですが、それについて知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。

 先ほど、草創期のところでも少し触れましたが、「天照大神の霊言」を発刊したときに、こんなことがありました。

 当会が最初の事務所を開いたときにお世話をしてくれた人が、そのタイトルを見て、「『てんてるだいじん』って何ですか」と訊いてきたのです。
それには私もガクッときたのを覚えています。

 確かに、戦後はそういう神話や信仰といったものに対する教育の部分が抜けていることも事実ではありますが、さすがに、「てんてるだいじん」と言われるとは思わなかったので、しばし絶句してしまいました。
 
 日本の教育では、神話教育、信仰教育を限りなく排除していきましたし、宗教系の学校として認められているものの半分以上はキリスト教系ということもあってか、伝統的な信仰について、よく分からない人も増えているのでしょう。
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2018/07/20(金) 06:34:31.48ID:W79DS7Ds
 「霊的なこと」を受け付けない、現代の学問や科学

 ただ、そういう信仰深い所に生まれたからといって、すべての問題が解決したわけではないことも事実であり、私の人生の大半は、「田舎的な部分と都会的な部分との葛藤を経ながら、成長してくる」という過程でした。
 世界の情勢や日本全体を見渡す意味において、四国は、そう有利な地だとは思いません。
 しかしながら、郷土の「純粋な信仰心」と、「日本全体は、今、どこを向いているのか。
世界は、どのような方向に向いているのか」ということを比べてみて、そのギャップを知ることは、「今、何をなさねばならないのか」ということを考える意味で、たいへん役に立ちました。「勉強になった」といってもよいかもしれません。
 四国の徳島に育ち、やがて東京に出ると、「常識」というものがかなり変わっている印象を私は受けました。
 簡単に言えば、「信仰心やあの世など、『霊的なこと』について表立って話をしても、あまり受けつけない」という感じでしょうか。コーティングされていて水を弾くような感じで、ツルンとしていて、まったく受け付けないような感じでした。
 学問においても、科学においても、あるいは都市文明においても、だいたい、そういうところがあったように思います。
 また、日本以外の国においても、先進国では、そういう点が非常に強いのではないかという印象を受けました。
 もっと話を大きくすれば、次のようなことが言えます。
 現代において、例えば、「霊界」「あの世」とか、「神様」「仏様」、あるいは、「高級霊」「菩薩」「如来」という言葉は、学問的には完全に死滅しかかっており、そういうものは「ないもの」とされています。
 そして、「目に見えるこの世だけを、どうにかよくして快適にし、幸福に暮らすのが、人間の目標、人類の目標だ」と考えるのが主流になっています。
 いろいろな学問があり、いろいろな専門がありますけれども、どれもこれも、「地球の表面上で起きていることがすべて」のように見えていて、
宇宙を見ても、「天体望遠鏡で見える世界がすべて」という感じで見ていて、これが「開かれた世界」だと思っている人が多数なのです。
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2018/07/20(金) 06:34:50.81ID:W79DS7Ds
   戦後の日本人の信仰心は「縁起を担ぐ」というレベル

 二〇一六年四月に出した、福田赳夫・元総理の霊言の「まえがき」にも書いておいたのですが、アメリカでアンケートを取り、「あなたは神を信じていますか」という質問をストレートにしたら、
九十八パーセントぐらいの人が「信じています」と答えることが多かったようです。
 調査によって少し違うこともありますが、だいたい九十八パーセントぐらいの人が「神を信じています」と答え、「信じていない」と答える人は二パーセントしかいないのです。
一方、日本では、「あなたは神を信じていますか」とズバッと訊いた場合、「信じています」と答える人は十数パーセントです。そういう答えは、十五パーセント前後、十五パーセントか十六パーセントぐらいしか返ってきません。
まともに「神を信じていますか」と訊いたら、一、二割の人しか、「信じています」と言えないのです。
 ところが、「あなたは正月に初詣に行きますか」「お盆にはお墓参りをしますか」「お守りなどを信じますか」「お祓いを受けたりしたくなることがありますか」などというかたちで訊いたら、
半数以上の人は、「そういうことはあります」と答えます。
 「神様を信じていない。仏様を信じていない」と言っても、「合格祈願」や「交通安全祈願」などのお守りを持っていたりするのです。
 神も仏もなかったら、そういうものを持っていても意味がないと思うのですが、「『縁起を担ぐ』というレベルぐらいの薄い信仰心がったら、この世の今の進化についていくことができ、共存できるぐらいの範囲でいられる」という感じでしょうか。
それが今の日本の常識なのではないかと思います。

 しかし、これは、世界の常識からみれば、かなり外れているわけです。 ただ、決して、昔からこうだったわけではないのです。
第二次世界大戦後、この風潮が極めて強くなりました。
新しい憲法ができ、政治と宗教の分離を決められ、「学校教育から宗教を追放する」ということが行われてからは、宗教は一種の迷信扱いをされてきたのですが、それ以前もみな、そうだったわけではありません。
 つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様
0140神も仏も名無しさん
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2018/07/20(金) 06:35:06.04ID:W79DS7Ds
 つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様ぐらい、いて当たり前でしょう」と答えたと思います。
 戦争で敗れた国の価値観が、全部間違っていたかというと、そんなことはありません。
「そこまで自虐的になってはいけないのだ」ということを申し上げておきたいのです。
 一部、物質文明のなかで勝ち負けが生じることはありますが、「それによって、今まで持っていた伝統が全部否定されたり、信じていたものが全部崩れたりする」というのは行きすぎであって、やはり、きちんとした揺り戻しがあって、元に戻らないといけないわけです。


  霊言集を何百冊も出し、霊人たちの「個性の違い」を示している

 「そういう気持ちになっていただきたい」と思って、三十年間。幸福の科学の活動をしてきました。
 私自身、説法を数多く行い、また、理論的な本をたくさん出してきたのですが、それ以外にも、霊言集というものを、相当の数で出してきました。
 「霊言集を出さなくても、総裁の考えとして教えを説けば十分ではないか」と言う方もいますし、私もそう思って、十数年間、新たな霊言集を出さずにいた時期もあります。
 しかし、だんだん、若い人が生まれて大人になってくると、「霊言」というものを知らない人が増えてき始めました。
 「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
 「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
0141神も仏も名無しさん
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2018/07/20(金) 06:35:36.89ID:W79DS7Ds
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0142神も仏も名無しさん
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2018/07/20(金) 06:37:10.07ID:W79DS7Ds
 「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
 「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
 そのなかには、私の考えとは多少ずれている意見のものもあります。その人特有の考えがあるので、私の考えとは、ずれているものもあるのです。
 そういう意味では、「教義の統一」は難しくなるのですが、「この世で個性が違うように、死んで、あの世に還っても、個性の違いはそのままあるのだ」ということをお教えするために、たくさんの霊言集を出してきました。
 それはどういうことかというと、みなさんは、今世に生まれて、何十年かの人生を生き、やがて、あの世に還ります。「みなさんは、死んで、肉体を火葬場で焼かれ、お墓に入れられたら、それで終わりではないのですよ」ということを意味しているのです。
 これは、すごく大きなことなのです。


 信仰の「無限界の力」、病が分らなくなる奇跡。


  信仰心には「この世を善良にしていく力」がある

 死んで、火葬場で焼かれ、お墓へ入れられ、それで終わりだったら、「残された時間で、とにかく自分が満足できるように、快適に、エゴイステイックに生きればよいのだ」と思うかもしれませんが、
「もし、『死んで終わり』ではなかったとしたら、どうするか」という観点から考えると、人生はコロッと変わってくるわけです。
 さらに一歩進めて言えば、昔の人が言っていたような、「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが見ているのですよ」というあたりから始まって、「神様、仏様があなたの人生を見ているのですよ」という言い方もあります。
 これは、「今では、笑う人が大半だろう」と思うようなことでしょうが、もし、これを「本当だ」として、
「神様、仏様が見ている」「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが、私の一生をずっと見守っている」と思って生きたら、悪いことの一つも、なかなか
0143神も仏も名無しさん
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2018/07/20(金) 06:38:51.56ID:W79DS7Ds
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0144神も仏も名無しさん
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2018/07/20(金) 06:39:54.64ID:W79DS7Ds
 これは、「今では、笑う人が大半だろう」と思うようなことでしょうが、もし、これを「本当だ」として、
「神様、仏様が見ている」「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが、私の一生をずっと見守っている」と思って生きたら、悪いことの一つも、なかなか、そう簡単にはできません。
 子供でも同じです。中学生や高校生で、「コンビニには、夜間、店員は一人しかいなくて、とろいから、二つか三つ商品を゛持っていって”も、分からないだろうな」という気持ちがあったとしても、
ふと、「やはり、お祖父さんが見ているかもしれないなあ」と思ったり、「仏様は見逃さないだろうなあ」と思ったりして、それを止めようとする力が働いてくることがあります。
 こういうものが実は信仰心の力なのです。信仰心には、実は、「この世を善良にし、道徳的に推し進めていく力」があるのです。

 「自分ならざるものが自分を見守っている。ほかの人が見ていなくても、別の世界から自分を見守っている存在、自分の一生をジーっと見守っている存在がいる」と思うことによって、自分の人生を正すことができるようになるわけです。
 ただ、「丸見えで、監視カメラで見られている」というようなことが感じられると、人生は不自由なので、それが分からないようにはなっています。
「自分がやっていることを見られていない」と思って生きていられるようにはなっているのです。
 しかし、時折、そういうものを霊感的に感じたり、自分の両親や親戚などから、そういう宗教的な話を聞いたりすることがあり、それで、ふっと気がつくことがあります。
2 善悪を分ける「二つの方向」

  毎日、W幽霊”の相手をしている私でも、ホラー映画は怖い?

 今、日本で広がっている「霊的なもの」や「宗教的なもの」のなかには、残念ながら、誰もが怖がるような内容を持っているものが非常に多くあります。
0145神も仏も名無しさん
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2018/07/20(金) 06:41:26.41ID:W79DS7Ds
2 善悪を分ける「二つの方向」

  毎日、W幽霊”の相手をしている私でも、ホラー映画は怖い?

 今、日本で広がっている「霊的なもの」や「宗教的なもの」のなかには、残念ながら、誰もが怖がるような内容を持っているものが非常に多くあります。
 私は毎日のように、霊言を録ったり、あの世の方と実際に話をしたりしています。そして、それを本にしたり、映像として公開したりしています。
「そのような人間は、あの世の人など別に怖くも何ともないだろう」と思うでしょう。公式的には、そうです。全然、怖くも何ともありません。
 ただ、そんな私でも、「リング」だとか、「らせん」だとか、「着信アリ」だとか、「エクソシスト」だとか、そういうホラーものの映画を観ていると、やはり怖いのです。
「うわっ、怖い、怖い。ぞくぞくしてくる」と思ってしまいます。
 しかし、ふと気がついて、「あれ?私は毎日、W幽霊”の相手をしているのだから、怖がってはいけない」と思うことがあります。
「そういうものをつくっている人は、『怖がらせよう』と思っていて、霊などについては、話には聞いているかもしれないが、よく知らずに作っているのだ。
毎日、あの世の人と話をしている私が、そういう人が作ったものを見て怖がってはいけないな」と考え、思い直すことがあるのです。

 ただ、時々、仕事をしていて、「この世は、なかなか手強い。難しいなあ。もう、どうしようもないな」と思うようなときに、つくりものではあっても、ホラー物を観ると、身震いというか、武者震いをして、
「これは戦わねばならん」という気になることもあるので、そういうものの効能がゼロというわけではありません。


  悪魔を退散させるには、悟りに伴う「法力」が要る

 特に、エクソシスト(悪魔祓い師)ものの映画では、バチカン公認のエクソシストたちが悪魔と戦ったら、たいていコロコロと負ける話になっています。
 登場人物たちは、窓から落ちたり、階段を転げ落ちて死んだりするのですが、あまりにも情けないので腹が立ってきます。
 私も悪魔を数多く相手にしたことがありますが、私はあんなに弱くはありません。映像でご覧になった方もいると思いますが、たいてい、数秒ぐらいで退散させているので、簡単なのです。
0146神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:15:51.23ID:J0qU0r1r
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0147神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:17:12.82ID:J0qU0r1r
 「霊的なこと」を受け付けない、現代の学問や科学

 ただ、そういう信仰深い所に生まれたからといって、すべての問題が解決したわけではないことも事実であり、私の人生の大半は、「田舎的な部分と都会的な部分との葛藤を経ながら、成長してくる」という過程でした。
 世界の情勢や日本全体を見渡す意味において、四国は、そう有利な地だとは思いません。
 しかしながら、郷土の「純粋な信仰心」と、「日本全体は、今、どこを向いているのか。
世界は、どのような方向に向いているのか」ということを比べてみて、そのギャップを知ることは、「今、何をなさねばならないのか」ということを考える意味で、たいへん役に立ちました。「勉強になった」といってもよいかもしれません。
 四国の徳島に育ち、やがて東京に出ると、「常識」というものがかなり変わっている印象を私は受けました。
 簡単に言えば、「信仰心やあの世など、『霊的なこと』について表立って話をしても、あまり受けつけない」という感じでしょうか。コーティングされていて水を弾くような感じで、ツルンとしていて、まったく受け付けないような感じでした。
 学問においても、科学においても、あるいは都市文明においても、だいたい、そういうところがあったように思います。
 また、日本以外の国においても、先進国では、そういう点が非常に強いのではないかという印象を受けました。
 もっと話を大きくすれば、次のようなことが言えます。
 現代において、例えば、「霊界」「あの世」とか、「神様」「仏様」、あるいは、「高級霊」「菩薩」「如来」という言葉は、学問的には完全に死滅しかかっており、そういうものは「ないもの」とされています。
 そして、「目に見えるこの世だけを、どうにかよくして快適にし、幸福に暮らすのが、人間の目標、人類の目標だ」と考えるのが主流になっています。
 いろいろな学問があり、いろいろな専門がありますけれども、どれもこれも、「地球の表面上で起きていることがすべて」のように見えていて、
宇宙を見ても、「天体望遠鏡で見える世界がすべて」という感じで見ていて、これが「開かれた世界」だと思っている人が多数なのです。
0148神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:18:20.77ID:J0qU0r1r
   戦後の日本人の信仰心は「縁起を担ぐ」というレベル

 二〇一六年四月に出した、福田赳夫・元総理の霊言の「まえがき」にも書いておいたのですが、アメリカでアンケートを取り、「あなたは神を信じていますか」という質問をストレートにしたら、
九十八パーセントぐらいの人が「信じています」と答えることが多かったようです。
 調査によって少し違うこともありますが、だいたい九十八パーセントぐらいの人が「神を信じています」と答え、「信じていない」と答える人は二パーセントしかいないのです。
一方、日本では、「あなたは神を信じていますか」とズバッと訊いた場合、「信じています」と答える人は十数パーセントです。そういう答えは、十五パーセント前後、十五パーセントか十六パーセントぐらいしか返ってきません。
まともに「神を信じていますか」と訊いたら、一、二割の人しか、「信じています」と言えないのです。
 ところが、「あなたは正月に初詣に行きますか」「お盆にはお墓参りをしますか」「お守りなどを信じますか」「お祓いを受けたりしたくなることがありますか」などというかたちで訊いたら、
半数以上の人は、「そういうことはあります」と答えます。
 「神様を信じていない。仏様を信じていない」と言っても、「合格祈願」や「交通安全祈願」などのお守りを持っていたりするのです。
 神も仏もなかったら、そういうものを持っていても意味がないと思うのですが、「『縁起を担ぐ』というレベルぐらいの薄い信仰心がったら、この世の今の進化についていくことができ、共存できるぐらいの範囲でいられる」という感じでしょうか。
それが今の日本の常識なのではないかと思います。

 しかし、これは、世界の常識からみれば、かなり外れているわけです。 ただ、決して、昔からこうだったわけではないのです。
第二次世界大戦後、この風潮が極めて強くなりました。
新しい憲法ができ、政治と宗教の分離を決められ、「学校教育から宗教を追放する」ということが行われてからは、宗教は一種の迷信扱いをされてきたのですが、それ以前もみな、そうだったわけではありません。
 つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様
0149神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:19:55.00ID:J0qU0r1r
 つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様ぐらい、いて当たり前でしょう」と答えたと思います。
 戦争で敗れた国の価値観が、全部間違っていたかというと、そんなことはありません。
「そこまで自虐的になってはいけないのだ」ということを申し上げておきたいのです。
 一部、物質文明のなかで勝ち負けが生じることはありますが、「それによって、今まで持っていた伝統が全部否定されたり、信じていたものが全部崩れたりする」というのは行きすぎであって、やはり、きちんとした揺り戻しがあって、元に戻らないといけないわけです。


  霊言集を何百冊も出し、霊人たちの「個性の違い」を示している

 「そういう気持ちになっていただきたい」と思って、三十年間。幸福の科学の活動をしてきました。
 私自身、説法を数多く行い、また、理論的な本をたくさん出してきたのですが、それ以外にも、霊言集というものを、相当の数で出してきました。
 「霊言集を出さなくても、総裁の考えとして教えを説けば十分ではないか」と言う方もいますし、私もそう思って、十数年間、新たな霊言集を出さずにいた時期もあります。
 しかし、だんだん、若い人が生まれて大人になってくると、「霊言」というものを知らない人が増えてき始めました。
 「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
 「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
0150神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:20:45.40ID:J0qU0r1r
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0151神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:24:45.35ID:J0qU0r1r
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0152神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:26:00.50ID:J0qU0r1r
 「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
 「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
 そのなかには、私の考えとは多少ずれている意見のものもあります。その人特有の考えがあるので、私の考えとは、ずれているものもあるのです。
 そういう意味では、「教義の統一」は難しくなるのですが、「この世で個性が違うように、死んで、あの世に還っても、個性の違いはそのままあるのだ」ということをお教えするために、たくさんの霊言集を出してきました。
 それはどういうことかというと、みなさんは、今世に生まれて、何十年かの人生を生き、やがて、あの世に還ります。「みなさんは、死んで、肉体を火葬場で焼かれ、お墓に入れられたら、それで終わりではないのですよ」ということを意味しているのです。
 これは、すごく大きなことなのです。


  信仰心には「この世を善良にしていく力」がある

 死んで、火葬場で焼かれ、お墓へ入れられ、それで終わりだったら、「残された時間で、とにかく自分が満足できるように、快適に、エゴイステイックに生きればよいのだ」と思うかもしれませんが、
「もし、『死んで終わり』ではなかったとしたら、どうするか」という観点から考えると、人生はコロッと変わってくるわけです。
 さらに一歩進めて言えば、昔の人が言っていたような、「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが見ているのですよ」というあたりから始まって、「神様、仏様があなたの人生を見ているのですよ」という言い方もあります。
 これは、「今では、笑う人が大半だろう」と思うようなことでしょうが、もし、これを「本当だ」として、
「神様、仏様が見ている」「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが、私の一生をずっと見守っている」と思って生きたら、悪いことの一つも、なかなか

143神も仏も名無しさん2018/07/20(金) 06:38:51.56
0153神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:28:00.44ID:J0qU0r1r
2 善悪を分ける「二つの方向」

  毎日、W幽霊”の相手をしている私でも、ホラー映画は怖い?

 今、日本で広がっている「霊的なもの」や「宗教的なもの」のなかには、残念ながら、誰もが怖がるような内容を持っているものが非常に多くあります。
 私は毎日のように、霊言を録ったり、あの世の方と実際に話をしたりしています。そして、それを本にしたり、映像として公開したりしています。
「そのような人間は、あの世の人など別に怖くも何ともないだろう」と思うでしょう。公式的には、そうです。全然、怖くも何ともありません。
 ただ、そんな私でも、「リング」だとか、「らせん」だとか、「着信アリ」だとか、「エクソシスト」だとか、そういうホラーものの映画を観ていると、やはり怖いのです。
「うわっ、怖い、怖い。ぞくぞくしてくる」と思ってしまいます。
 しかし、ふと気がついて、「あれ?私は毎日、W幽霊”の相手をしているのだから、怖がってはいけない」と思うことがあります。
「そういうものをつくっている人は、『怖がらせよう』と思っていて、霊などについては、話には聞いているかもしれないが、よく知らずに作っているのだ。
毎日、あの世の人と話をしている私が、そういう人が作ったものを見て怖がってはいけないな」と考え、思い直すことがあるのです。

 ただ、時々、仕事をしていて、「この世は、なかなか手強い。難しいなあ。もう、どうしようもないな」と思うようなときに、つくりものではあっても、ホラー物を観ると、身震いというか、武者震いをして、
「これは戦わねばならん」という気になることもあるので、そういうものの効能がゼロというわけではありません。


  悪魔を退散させるには、悟りに伴う「法力」が要る

 特に、エクソシスト(悪魔祓い師)ものの映画では、バチカン公認のエクソシストたちが悪魔と戦ったら、たいていコロコロと負ける話になっています。
 登場人物たちは、窓から落ちたり、階段を転げ落ちて死んだりするのですが、あまりにも情けないので腹が立ってきます。
 私も悪魔を数多く相手にしたことがありますが、私はあんなに弱くはありません。映像でご覧になった方もいると思いますが、たいてい、数秒ぐらいで退散させているので、簡単なのです。
0154神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:44:56.05ID:J0qU0r1r
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0155神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:47:19.50ID:J0qU0r1r
北朝鮮の非核化が進まない中、アメリカが狙っているのは経済開放【寄稿】
2018.07.20

《本記事のポイント》
北朝鮮の「開国」に向けて、準備が進んでいる
世界的な投資家も、北への投資価値を指摘
北への民間投資は日本にとってもチャンス

6月の米朝会談について、多くのマスコミは「失敗だった」と指摘しているが、果たしてそうなのか。幸福実現党外務局長の及川幸久氏による寄稿を掲載する。

◆ ◆ ◆

6月12日の米朝会談の後、非核化は進んでいません。

トランプ大統領と金正恩委員長が署名した合意文書に書かれていた「非核化の具体的な交渉」は、1カ月以上たっても具体的にはなっていません。

それどころか、北朝鮮側はアメリカ側が「ヤクザまがい」の一方的な要求をしていると非難しました。それに対してトランプ大統領は厳しい反応を見せることなく、むしろ、「非核化は時間がかかる。具体的な期限は設けない」とトーンダウン。

「トランプは金正恩にだまされた」というのが大方の見方です。

しかし、水面下で、世界は北朝鮮の開国に向けて準備を始めています。


非核化の見返りは経済繁栄だった
シンガポール会談の中で、トランプ大統領が金正恩委員長にiPadで、ある映像を見せました。それは「北朝鮮の繁栄する未来」。

新幹線のような高速鉄道、病院には最新のCTスキャン、東京のようなタワーマンション群、海岸沿いには高級リゾートホテル。この「未来」をアメリカと一緒に実現しませんか、というのが、トランプ政権からの提案でした。

金正恩委員長は、その映像を気に入ったようで、その場で受け取ったそうです。

この提案は、6月12日のシンガポールで初めて示されたわけではありません。その1カ月前、トランプ政権のポンペオ国務長官は、アメリカのニュース番組に出演してこう言っています。

「北朝鮮を経済繁栄させる」
「北朝鮮に不足している電力を提供し、飢えている国民のために農業を発展させ、交通インフラをつくる」
「ただし、米国民の税金による経済援助ではなく、米国企業の民間投資で」

つまり、北朝鮮が非核化によって得る見返りは、民間投資による経済繁栄ということです。
0156神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:52:17.18ID:J0qU0r1r
「北朝鮮を経済繁栄させる」
「北朝鮮に不足している電力を提供し、飢えている国民のために農業を発展させ、交通インフラをつくる」
「ただし、米国民の税金による経済援助ではなく、米国企業の民間投資で」

つまり、北朝鮮が非核化によって得る見返りは、民間投資による経済繁栄ということです。

米国企業が投資するとは、そこにリターンが見込まれることを意味します。北朝鮮の一人当たりのGDPは、韓国の20分の1。しかし、韓国も北朝鮮も住んでいるのは同じ民族。
両国の差が生まれたのは、社会主義体制によって、北朝鮮では政治的にも経済的にも自由が制限されていたからです。もし、北朝鮮の人々がこれらを手にすることができれば、韓国並みに成長する可能性があります。


北朝鮮投資を狙う国際投資家たち
ポンペオ国務長官の話は決して荒唐無稽ではありません。同じことを数年前から考えていたのが、国際投資家たちです。

例えば、ヘッジファンドの「ファントムファンド」で大成功した投資家のジム・ロジャーズ氏は、北朝鮮には絶好の投資機会があると主張していました。

「北朝鮮は外部環境が許せばできるだけ早く(市場を)開放すると思う。真っ先に開放される分野は観光業。80年も閉鎖されていた北朝鮮を、皆、見たがる。北朝鮮では何をしても成功する。ピザチェーン店を開いても成功する」

ロジャーズ氏がこう考える理由は、金正恩委員長のスイス留学経験です。妹の金与正氏と共に繁栄するヨーロッパ経済を見ているので、彼らは必ず経済開放を目指すと見ていました。


実は隠れた資源大国・北朝鮮
昨年、イギリスのBBCがこんな報道をしました。

「あなたも実は北朝鮮製の服を持っている?」

Tシャツに「メイドイン・チャイナ」と書かれていても、北朝鮮製である場合があるというのです。

北朝鮮は繊維工業が盛んで、その縫製技術は非常に高いのです。そして、縫製工場の人件費は1時間で10円ほどといわれています。そこで、中国の繊維企業は北朝鮮で衣服を仕上げています。
北朝鮮経済が開放されれば、安い労働力を求める日本の衣料メーカーは真っ先に進出したがるでしょう。

さらに、実は、北朝鮮は隠れた資源大国です。
0157神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 04:56:18.00ID:J0qU0r1r
さらに、実は、北朝鮮は隠れた資源大国です。

韓国の統計によると、北朝鮮の鉱物資源は総額で6兆4000億ドル。そのうち、金の埋蔵量は2000トン。この数字が本当なら世界10位になります。
石油埋蔵量は600億バレルで、これも世界8位。ウランは推定400万トンもあり、世界1位のオーストラリアを上回る可能性があります。

これだけの天然資源を中国もアメリカも見逃すはずがありません。

トランプ政権が北に要求しているのは、非核化だけでなく「開国」です。黒船来航、明治維新が、北朝鮮で起きようとしているのです。


日本にとってもチャンスなのか
そして、かつては日本も北朝鮮の可能性に気づいていました。
日本が朝鮮半島を併合した時代、朝鮮総督府は、地質調査を行い、核燃料物質であるトリウムやウランを含有する希少鉱物「モナザイト」を発見していました。日本の化学会社であるチッソは、そのモナザイトを採掘していました。

私は、今起きようとしている北朝鮮の経済開放と似た光景を、以前見たことがあります。1989年のベルリンの壁崩壊によって始まった東ヨーロッパの民主化です。東ドイツ、ルーマニア、チェコ、ポーランドと、次々と共産主義体制が倒れ、そこに世界の投資が集まりました。

その頃、私はイギリスの投資会社にいて、開放された東欧経済に投資する金融商品を扱っていました。投資家たちと一緒に東欧各地を回り、ハンガリーの優れたビールの味に驚かされたのを覚えています。

同じことが北朝鮮で起こるとしたら、日本にとっても千載一遇の投資チャンスかもしれません。ポンペオ国務長官の言う通り、日本の税金をつぎ込むだけでなく、積極的にリターンを狙うべきではないでしょうか。


筆者
及川 幸久
(おいかわ・ゆきひさ) 1960年生まれ。上智大学文学部、国際基督教大学行政大学院修了。米メルリンチ社、英投資顧問会社勤務を経て幸福の科学に出家。2012年より幸福実現党外務局長を務める。
YouTubeに「及川幸久のトランプ・チャンネル」、Twitterでは「トランプ和訳解説@及川幸久」を開設し、トランプ情報を伝えている。
著書に『あなたも使いこなせる トランプ流 勝利の方程式 ―考え方には力がある―』がある。
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2018/07/21(土) 05:27:48.32ID:J0qU0r1r
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0159神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 05:28:03.20ID:J0qU0r1r
北朝鮮の非核化が進まない中、アメリカが狙っているのは経済開放【寄稿】
2018.07.20

《本記事のポイント》
北朝鮮の「開国」に向けて、準備が進んでいる
世界的な投資家も、北への投資価値を指摘
北への民間投資は日本にとってもチャンス

6月の米朝会談について、多くのマスコミは「失敗だった」と指摘しているが、果たしてそうなのか。幸福実現党外務局長の及川幸久氏による寄稿を掲載する。

◆ ◆ ◆

6月12日の米朝会談の後、非核化は進んでいません。

トランプ大統領と金正恩委員長が署名した合意文書に書かれていた「非核化の具体的な交渉」は、1カ月以上たっても具体的にはなっていません。

それどころか、北朝鮮側はアメリカ側が「ヤクザまがい」の一方的な要求をしていると非難しました。それに対してトランプ大統領は厳しい反応を見せることなく、むしろ、「非核化は時間がかかる。具体的な期限は設けない」とトーンダウン。

「トランプは金正恩にだまされた」というのが大方の見方です。

しかし、水面下で、世界は北朝鮮の開国に向けて準備を始めています。


非核化の見返りは経済繁栄だった
シンガポール会談の中で、トランプ大統領が金正恩委員長にiPadで、ある映像を見せました。それは「北朝鮮の繁栄する未来」。

新幹線のような高速鉄道、病院には最新のCTスキャン、東京のようなタワーマンション群、海岸沿いには高級リゾートホテル。この「未来」をアメリカと一緒に実現しませんか、というのが、トランプ政権からの提案でした。

金正恩委員長は、その映像を気に入ったようで、その場で受け取ったそうです。

この提案は、6月12日のシンガポールで初めて示されたわけではありません。その1カ月前、トランプ政権のポンペオ国務長官は、アメリカのニュース番組に出演してこう言っています。

「北朝鮮を経済繁栄させる」
「北朝鮮に不足している電力を提供し、飢えている国民のために農業を発展させ、交通インフラをつくる」
「ただし、米国民の税金による経済援助ではなく、米国企業の民間投資で」

つまり、北朝鮮が非核化によって得る見返りは、民間投資による経済繁栄ということです。
0160神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 05:28:19.02ID:J0qU0r1r
「北朝鮮を経済繁栄させる」
「北朝鮮に不足している電力を提供し、飢えている国民のために農業を発展させ、交通インフラをつくる」
「ただし、米国民の税金による経済援助ではなく、米国企業の民間投資で」

つまり、北朝鮮が非核化によって得る見返りは、民間投資による経済繁栄ということです。

米国企業が投資するとは、そこにリターンが見込まれることを意味します。北朝鮮の一人当たりのGDPは、韓国の20分の1。しかし、韓国も北朝鮮も住んでいるのは同じ民族。
両国の差が生まれたのは、社会主義体制によって、北朝鮮では政治的にも経済的にも自由が制限されていたからです。もし、北朝鮮の人々がこれらを手にすることができれば、韓国並みに成長する可能性があります。


北朝鮮投資を狙う国際投資家たち
ポンペオ国務長官の話は決して荒唐無稽ではありません。同じことを数年前から考えていたのが、国際投資家たちです。

例えば、ヘッジファンドの「ファントムファンド」で大成功した投資家のジム・ロジャーズ氏は、北朝鮮には絶好の投資機会があると主張していました。

「北朝鮮は外部環境が許せばできるだけ早く(市場を)開放すると思う。真っ先に開放される分野は観光業。80年も閉鎖されていた北朝鮮を、皆、見たがる。北朝鮮では何をしても成功する。ピザチェーン店を開いても成功する」

ロジャーズ氏がこう考える理由は、金正恩委員長のスイス留学経験です。妹の金与正氏と共に繁栄するヨーロッパ経済を見ているので、彼らは必ず経済開放を目指すと見ていました。


実は隠れた資源大国・北朝鮮
昨年、イギリスのBBCがこんな報道をしました。

「あなたも実は北朝鮮製の服を持っている?」

Tシャツに「メイドイン・チャイナ」と書かれていても、北朝鮮製である場合があるというのです。

北朝鮮は繊維工業が盛んで、その縫製技術は非常に高いのです。そして、縫製工場の人件費は1時間で10円ほどといわれています。そこで、中国の繊維企業は北朝鮮で衣服を仕上げています。
北朝鮮経済が開放されれば、安い労働力を求める日本の衣料メーカーは真っ先に進出したがるでしょう。

さらに、実は、北朝鮮は隠れた資源大国です。
0161神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 05:28:38.49ID:J0qU0r1r
さらに、実は、北朝鮮は隠れた資源大国です。

韓国の統計によると、北朝鮮の鉱物資源は総額で6兆4000億ドル。そのうち、金の埋蔵量は2000トン。この数字が本当なら世界10位になります。
石油埋蔵量は600億バレルで、これも世界8位。ウランは推定400万トンもあり、世界1位のオーストラリアを上回る可能性があります。

これだけの天然資源を中国もアメリカも見逃すはずがありません。

トランプ政権が北に要求しているのは、非核化だけでなく「開国」です。黒船来航、明治維新が、北朝鮮で起きようとしているのです。


日本にとってもチャンスなのか
そして、かつては日本も北朝鮮の可能性に気づいていました。
日本が朝鮮半島を併合した時代、朝鮮総督府は、地質調査を行い、核燃料物質であるトリウムやウランを含有する希少鉱物「モナザイト」を発見していました。日本の化学会社であるチッソは、そのモナザイトを採掘していました。

私は、今起きようとしている北朝鮮の経済開放と似た光景を、以前見たことがあります。1989年のベルリンの壁崩壊によって始まった東ヨーロッパの民主化です。東ドイツ、ルーマニア、チェコ、ポーランドと、次々と共産主義体制が倒れ、そこに世界の投資が集まりました。

その頃、私はイギリスの投資会社にいて、開放された東欧経済に投資する金融商品を扱っていました。投資家たちと一緒に東欧各地を回り、ハンガリーの優れたビールの味に驚かされたのを覚えています。

同じことが北朝鮮で起こるとしたら、日本にとっても千載一遇の投資チャンスかもしれません。ポンペオ国務長官の言う通り、日本の税金をつぎ込むだけでなく、積極的にリターンを狙うべきではないでしょうか。


筆者
及川 幸久
(おいかわ・ゆきひさ) 1960年生まれ。上智大学文学部、国際基督教大学行政大学院修了。米メルリンチ社、英投資顧問会社勤務を経て幸福の科学に出家。2012年より幸福実現党外務局長を務める。
YouTubeに「及川幸久のトランプ・チャンネル」、Twitterでは「トランプ和訳解説@及川幸久」を開設し、トランプ情報を伝えている。
著書に『あなたも使いこなせる トランプ流 勝利の方程式 ―考え方には力がある―』がある。
0162神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 05:28:54.91ID:J0qU0r1r
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0163神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 05:29:59.81ID:J0qU0r1r
北朝鮮の非核化が進まない中、アメリカが狙っているのは経済開放【寄稿】
2018.07.20

《本記事のポイント》
北朝鮮の「開国」に向けて、準備が進んでいる
世界的な投資家も、北への投資価値を指摘
北への民間投資は日本にとってもチャンス

6月の米朝会談について、多くのマスコミは「失敗だった」と指摘しているが、果たしてそうなのか。幸福実現党外務局長の及川幸久氏による寄稿を掲載する。

◆ ◆ ◆

6月12日の米朝会談の後、非核化は進んでいません。

トランプ大統領と金正恩委員長が署名した合意文書に書かれていた「非核化の具体的な交渉」は、1カ月以上たっても具体的にはなっていません。

それどころか、北朝鮮側はアメリカ側が「ヤクザまがい」の一方的な要求をしていると非難しました。それに対してトランプ大統領は厳しい反応を見せることなく、むしろ、「非核化は時間がかかる。具体的な期限は設けない」とトーンダウン。

「トランプは金正恩にだまされた」というのが大方の見方です。

しかし、水面下で、世界は北朝鮮の開国に向けて準備を始めています。


非核化の見返りは経済繁栄だった
シンガポール会談の中で、トランプ大統領が金正恩委員長にiPadで、ある映像を見せました。それは「北朝鮮の繁栄する未来」。

新幹線のような高速鉄道、病院には最新のCTスキャン、東京のようなタワーマンション群、海岸沿いには高級リゾートホテル。この「未来」をアメリカと一緒に実現しませんか、というのが、トランプ政権からの提案でした。

金正恩委員長は、その映像を気に入ったようで、その場で受け取ったそうです。

この提案は、6月12日のシンガポールで初めて示されたわけではありません。その1カ月前、トランプ政権のポンペオ国務長官は、アメリカのニュース番組に出演してこう言っています。

「北朝鮮を経済繁栄させる」
「北朝鮮に不足している電力を提供し、飢えている国民のために農業を発展させ、交通インフラをつくる」
「ただし、米国民の税金による経済援助ではなく、米国企業の民間投資で」

つまり、北朝鮮が非核化によって得る見返りは、民間投資による経済繁栄ということです。
0164神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 05:31:03.05ID:J0qU0r1r
「北朝鮮を経済繁栄させる」
「北朝鮮に不足している電力を提供し、飢えている国民のために農業を発展させ、交通インフラをつくる」
「ただし、米国民の税金による経済援助ではなく、米国企業の民間投資で」

つまり、北朝鮮が非核化によって得る見返りは、民間投資による経済繁栄ということです。

米国企業が投資するとは、そこにリターンが見込まれることを意味します。北朝鮮の一人当たりのGDPは、韓国の20分の1。しかし、韓国も北朝鮮も住んでいるのは同じ民族。
両国の差が生まれたのは、社会主義体制によって、北朝鮮では政治的にも経済的にも自由が制限されていたからです。もし、北朝鮮の人々がこれらを手にすることができれば、韓国並みに成長する可能性があります。


北朝鮮投資を狙う国際投資家たち
ポンペオ国務長官の話は決して荒唐無稽ではありません。同じことを数年前から考えていたのが、国際投資家たちです。

例えば、ヘッジファンドの「ファントムファンド」で大成功した投資家のジム・ロジャーズ氏は、北朝鮮には絶好の投資機会があると主張していました。

「北朝鮮は外部環境が許せばできるだけ早く(市場を)開放すると思う。真っ先に開放される分野は観光業。80年も閉鎖されていた北朝鮮を、皆、見たがる。北朝鮮では何をしても成功する。ピザチェーン店を開いても成功する」

ロジャーズ氏がこう考える理由は、金正恩委員長のスイス留学経験です。妹の金与正氏と共に繁栄するヨーロッパ経済を見ているので、彼らは必ず経済開放を目指すと見ていました。


実は隠れた資源大国・北朝鮮
昨年、イギリスのBBCがこんな報道をしました。

「あなたも実は北朝鮮製の服を持っている?」

Tシャツに「メイドイン・チャイナ」と書かれていても、北朝鮮製である場合があるというのです。

北朝鮮は繊維工業が盛んで、その縫製技術は非常に高いのです。そして、縫製工場の人件費は1時間で10円ほどといわれています。そこで、中国の繊維企業は北朝鮮で衣服を仕上げています。
北朝鮮経済が開放されれば、安い労働力を求める日本の衣料メーカーは真っ先に進出したがるでしょう。

さらに、実は、北朝鮮は隠れた資源大国です。
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2018/07/21(土) 05:32:09.13ID:J0qU0r1r
さらに、実は、北朝鮮は隠れた資源大国です。

韓国の統計によると、北朝鮮の鉱物資源は総額で6兆4000億ドル。そのうち、金の埋蔵量は2000トン。この数字が本当なら世界10位になります。
石油埋蔵量は600億バレルで、これも世界8位。ウランは推定400万トンもあり、世界1位のオーストラリアを上回る可能性があります。

これだけの天然資源を中国もアメリカも見逃すはずがありません。

トランプ政権が北に要求しているのは、非核化だけでなく「開国」です。黒船来航、明治維新が、北朝鮮で起きようとしているのです。


日本にとってもチャンスなのか
そして、かつては日本も北朝鮮の可能性に気づいていました。
日本が朝鮮半島を併合した時代、朝鮮総督府は、地質調査を行い、核燃料物質であるトリウムやウランを含有する希少鉱物「モナザイト」を発見していました。日本の化学会社であるチッソは、そのモナザイトを採掘していました。

私は、今起きようとしている北朝鮮の経済開放と似た光景を、以前見たことがあります。1989年のベルリンの壁崩壊によって始まった東ヨーロッパの民主化です。東ドイツ、ルーマニア、チェコ、ポーランドと、次々と共産主義体制が倒れ、そこに世界の投資が集まりました。

その頃、私はイギリスの投資会社にいて、開放された東欧経済に投資する金融商品を扱っていました。投資家たちと一緒に東欧各地を回り、ハンガリーの優れたビールの味に驚かされたのを覚えています。

同じことが北朝鮮で起こるとしたら、日本にとっても千載一遇の投資チャンスかもしれません。ポンペオ国務長官の言う通り、日本の税金をつぎ込むだけでなく、積極的にリターンを狙うべきではないでしょうか。


筆者
及川 幸久
(おいかわ・ゆきひさ) 1960年生まれ。上智大学文学部、国際基督教大学行政大学院修了。米メルリンチ社、英投資顧問会社勤務を経て幸福の科学に出家。2012年より幸福実現党外務局長を務める。
YouTubeに「及川幸久のトランプ・チャンネル」、Twitterでは「トランプ和訳解説@及川幸久」を開設し、トランプ情報を伝えている。
著書に『あなたも使いこなせる トランプ流 勝利の方程式 ―考え方には力がある―』がある。
0166神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 10:21:41.04ID:nowFxt2r
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0167神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 10:22:02.77ID:nowFxt2r
2 善悪を分ける「二つの方向」

  毎日、W幽霊”の相手をしている私でも、ホラー映画は怖い?

 今、日本で広がっている「霊的なもの」や「宗教的なもの」のなかには、残念ながら、誰もが怖がるような内容を持っているものが非常に多くあります。
 私は毎日のように、霊言を録ったり、あの世の方と実際に話をしたりしています。そして、それを本にしたり、映像として公開したりしています。
「そのような人間は、あの世の人など別に怖くも何ともないだろう」と思うでしょう。公式的には、そうです。全然、怖くも何ともありません。
 ただ、そんな私でも、「リング」だとか、「らせん」だとか、「着信アリ」だとか、「エクソシスト」だとか、そういうホラーものの映画を観ていると、やはり怖いのです。
「うわっ、怖い、怖い。ぞくぞくしてくる」と思ってしまいます。
 しかし、ふと気がついて、「あれ?私は毎日、W幽霊”の相手をしているのだから、怖がってはいけない」と思うことがあります。
「そういうものをつくっている人は、『怖がらせよう』と思っていて、霊などについては、話には聞いているかもしれないが、よく知らずに作っているのだ。
毎日、あの世の人と話をしている私が、そういう人が作ったものを見て怖がってはいけないな」と考え、思い直すことがあるのです。

 ただ、時々、仕事をしていて、「この世は、なかなか手強い。難しいなあ。もう、どうしようもないな」と思うようなときに、つくりものではあっても、ホラー物を観ると、身震いというか、武者震いをして、
「これは戦わねばならん」という気になることもあるので、そういうものの効能がゼロというわけではありません。


  悪魔を退散させるには、悟りに伴う「法力」が要る

 特に、エクソシスト(悪魔祓い師)ものの映画では、バチカン公認のエクソシストたちが悪魔と戦ったら、たいていコロコロと負ける話になっています。
 登場人物たちは、窓から落ちたり、階段を転げ落ちて死んだりするのですが、あまりにも情けないので腹が立ってきます。
 私も悪魔を数多く相手にしたことがありますが、私はあんなに弱くはありません。映像でご覧になった方もいると思いますが、たいてい、数秒ぐらいで退散させているので、簡単なのです。
0168神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 10:24:03.52ID:nowFxt2r
「出ていけ!」と言ったら、バーンと出てしまいます。(注。『エクソシスト入門』等参照)
 それほど力の差があるので、映画のようにはならないのです。
 映画では、バチカン公認のエクソシストたちが、ラテン語の『聖書』を読み、十字架を掲げ、「聖水」という水を振りかけても、向こう(悪魔)は笑っていて、全然、出ていかないわけです。
 しかし、本当に「悟り」を持っていて。その悟りに伴って、「法力」というものがあったら、悪霊(あくれい)、あるいは悪霊(あくりょう)、悪魔というようなものであっても、退散させることができます。
 悟って、日々、それを実践している人には、一種の力がついてきます。禅定をすれば、「禅定力」というものがついてくるように、いろいろな修行をすれば、力がついてくるのです。
 四国では弘法大師の密教が流行っていますが、弘法大師の一生も、おそらくWエクソシストの一生”であっただろうと思います。いろいろな悪魔祓いをたくさんやっていただろうと思うのですが、私にはそれがとてもよくわかるのです。


  「人の幸福と不幸のどちらを願うか」が人間の方向を決める

 死んで浮かばれていない人、例えば、交通事故で亡くなったり、急な病気で亡くなったりして迷っている人の霊が出てくるのは、よくあることであり、おかしくも何ともないのです。
ただ、その奥にあって、そういう霊たちを地獄に引きずり込もうとしたり、あるいは、そういう霊たちを、ある家庭に解き放ち、その家庭をもっと不幸にし、目茶苦茶にしようとしたりする霊人がいます。
 そういう事を本当に計画的に考え、後ろから操っている霊人がいるのです。
 こういう者と対決することもありますが、やはり、許しがたいものはあります。
 自分一人が不幸であることについては、多少、受け止めなくてはいけない面はあるかもしれませんが、自分が幸福になれないときに、せめて、他人を不幸にし、それを嘲笑って快感を味わおうとする人が、世の中にはいるのです。
0169神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/21(土) 10:25:19.47ID:nowFxt2r
あるいは、「いじめに参加することで、自分がいじめられなくなる」と思い、いじめっ子グループのなかに入ることで身を護ろうとする、卑怯な心をもって生きている人もいます。
 どちらも同じであり、やはり、他人の不幸を願う方向に引っ張られていきます。
 善悪と言っても、基本的には、そういうことです。
 ほかの人の幸福のほうを選ぼうとするか、ほかの人を幸福にするように、自分の人生をつくりあげていきたいか、そういう人生を生きたいか。そういう仕事をしていきたいか。それとも、反対に、他人さまの不幸を願う方向で生きたいか。その二つに大きくは分かれます
 細かくは、それぞれのケース分けがいろいろあるとは思いますが、基本的には、そういうことなのです。

  「ほかの人の幸福を願う人間」を地上に増やしていく

 幸福の科学が目指している「人類の幸福化」とは、どういうものでしょうか。
 私どもは、基本的に、「ほかの人の幸福を増やしていくようなことを願っている人間」を、この地上に増やそうとしています。

 「世の中を悪くしよう」とか、「他人を不幸にしよう」とか、そのような気持ちになり、「それが当たり前なのだから」と思い、そちらだけで行ってしまっては駄目です。
 人間の持っている動物性というか、動物的本能としては、当然、自分の身を護り、ほかの人を蹴落としたり、そういうことを思ったりします。
 動物は、みな、「食べられる恐怖」でいっぱいです。「食べられる恐怖」と「飢え死にする恐怖」が、動物たちの持っている基本的な恐怖です。この二つから逃れることは、ほぼできません。一生、「植える恐怖」と「食べられる恐怖」「殺される恐怖」でいっぱいなのです。
 それが人間世界でも広がりつつあるわけです。
 
 しかし、私たちは、もう一度高度な存在として、やはり、善悪の観念をはっきりと持たなければいけないのです。
 善悪は、個別具体的には難しいものがあり、何とも言えないところはありますが、大きく言えば、前述したように、「他の人々をその方向で引っ張っていくことが、他の人々を幸福にするのか、不幸にするのか、それをよく考えて生きなさい」ということです。
 原点は、ここにあるのです。
0170神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 10:26:23.97ID:nowFxt2r
  徳島県には「エル・カンターレ空港」があってよい

 四国の皆さんは、「熊本や大分のあたりで断層が動き、地震がたくさん起きている。
『中央構造線』は、愛媛県の松山辺りや徳島県の吉野川付近までつながっているので、その辺り全部で地震が起き、四国が半分ぐらいに割れるのではないか」というようなことを妄想し、怖がっているかもしれません。
 どっこい、四国は私の生誕の地です。そんなことは許しません。
 これから、幸福の科学の基本的な思想や考え方、人類を幸福化するためのエネルギーを、世界に流していきたいと思っています。
 その中心地、発信地であり、私のゆりかごというか、揺籃というか、生まれの地、足場において「弱い」ということには、やはり、何んとも言えないものがあります。
 例えば、高知には「高知龍馬空港」があり、徳島にも「徳島阿波おどり空港」がありますが、「阿波おどり」でなくてもよいのではないでしょうか、
「徳島エル・カンターレ空港」という名称であっても全然悪くないのではないかと思いますし、世界の人には、その方が分かりやすいのではないかとも思うのです。

 「そう思うところぐらいまではやらないと、徳島の信者、あるいは四国の信者としては、力が少し足りないのではないか」という気がします。私が、そのような強い後押しを地元から受ければ、とてもうれしく感じます。
 私は四国出身ですし、徳島県出身なので、徳島に不利になるようなことを考えたりしないつもりでいるのですが、まだ、それだけのご信頼を十分に得ていないので、残念な気持ちでいっぱいです。
 私の講演会のうち、例えば、七月の「御生誕祭」や十二月の「エル・カンターレ祭」は、地方のテレビ局では、今、六、七局ぐらいで放送されているのですが、まだ私の地元辺りでは放送されておらず、テレビ和歌山を観なくてはいけないのではないかと思います。
 「まだ、地元の盛り上がりが、やや欠けているのではないか」という気がしているので、もう一段、「本拠地の強さ」というものを見せていただきたいと思います。
 天理教は、奈良県に天理市ができてしまうぐらいの強さを持っているわけですから、「本拠の強さのようなものがあってもよいのではないか」という気持ちは持っています。

4 伝道で「救いのチャンス」「悟りのよすが」を与える
0171神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/21(土) 10:27:34.09ID:nowFxt2r
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0172神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 10:29:59.30ID:nowFxt2r
4 伝道で「救いのチャンス」「悟りのよすが」を与える

  この世とあの世の間の垣根を跳び、真理をつかめ

 私が述べたいことを整理します。
 最初に、「真実は何か」ということを確定しなければいけません。
 この世に生きている人は、学校での教育だけでは、「人間は、魂がある存在なのか、肉体だけの存在なのか、ということが分かりませんし、学校教育には、どちらかといえば、「目に見えるもの、肉体だけが自分なのだ」と教えるような傾向が出てきています。
 「肉体が自分だ」という考えのなかで道徳を説いても、それは交通ルールを教えている程度にしかすぎないことが多く、精神性が足りません。
 精神性を高めるためには、「真実の世界」について教えなければいけないのです。
 したがって、教育者や社会的地位のある方々が、きちんとした信仰心を持っていることが非常に大事です。そういう偉い方々には、「真実の世界」について勉強し、きちんと知っていてほしいのです。それから、知識階級の方にも勉強していてほしいのです。
 近代の原理のなかでは、とにかく、科学的にも、「疑い」というものを中心に据えたりもしていますし、ジャーナリスティックにも、疑って疑って、真理をつかむ」というような考え方が、けっこう強く出てきています。
 しかし、疑うことだけが真理を得る方法ではありません。真理というものには、一気に飛び込まないと得られないところもあるのです。
 この世とあの世の間には、どうしても垣根があるので、その垣根を跳ばなくてはいけません。あるいは、溝というか、谷を跳ばなくてはいけないのです。思い切って跳ばないかぎり、つかめないところが真理にはあるのです。
 「信仰を持つ」とは、そういうことなのです。どこかで跳ばなくてはいけないのです。
 ところが、どう見ても、谷の幅がかなりあるように見え、跳ぶと落ちそうに思えるために跳べません。
これが普通の人間なのですが、この世に毒されていくうちに、だんだん、それがすごく難しいことのように感じられ、「向こうに行ったら、怖いことが起きるのではないか」と思うようなところがあるのです。
 しかし、「真理は何であるか」ということを確信したら、その真理をガシッとつかまなくてはいけないのです。


  私と釈尊に共通する「過去・現在・未来を見通す目」
0173神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:00:36.59ID:nowFxt2r
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0174神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:02:39.63ID:nowFxt2r
4 伝道で「救いのチャンス」「悟りのよすが」を与える

  この世とあの世の間の垣根を跳び、真理をつかめ

 私が述べたいことを整理します。
 最初に、「真実は何か」ということを確定しなければいけません。
 この世に生きている人は、学校での教育だけでは、「人間は、魂がある存在なのか、肉体だけの存在なのか、ということが分かりませんし、学校教育には、どちらかといえば、「目に見えるもの、肉体だけが自分なのだ」と教えるような傾向が出てきています。
 「肉体が自分だ」という考えのなかで道徳を説いても、それは交通ルールを教えている程度にしかすぎないことが多く、精神性が足りません。
 精神性を高めるためには、「真実の世界」について教えなければいけないのです。
 したがって、教育者や社会的地位のある方々が、きちんとした信仰心を持っていることが非常に大事です。そういう偉い方々には、「真実の世界」について勉強し、きちんと知っていてほしいのです。それから、知識階級の方にも勉強していてほしいのです。
 近代の原理のなかでは、とにかく、科学的にも、「疑い」というものを中心に据えたりもしていますし、ジャーナリスティックにも、疑って疑って、真理をつかむ」というような考え方が、けっこう強く出てきています。
 しかし、疑うことだけが真理を得る方法ではありません。真理というものには、一気に飛び込まないと得られないところもあるのです。
 この世とあの世の間には、どうしても垣根があるので、その垣根を跳ばなくてはいけません。あるいは、溝というか、谷を跳ばなくてはいけないのです。思い切って跳ばないかぎり、つかめないところが真理にはあるのです。
 「信仰を持つ」とは、そういうことなのです。どこかで跳ばなくてはいけないのです。
 ところが、どう見ても、谷の幅がかなりあるように見え、跳ぶと落ちそうに思えるために跳べません。
これが普通の人間なのですが、この世に毒されていくうちに、だんだん、それがすごく難しいことのように感じられ、「向こうに行ったら、怖いことが起きるのではないか」と思うようなところがあるのです。
 しかし、「真理は何であるか」ということを確信したら、その真理をガシッとつかまなくてはいけないのです。


  私と釈尊に共通する「過去・現在・未来を見通す目」
0175神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:03:05.04ID:nowFxt2r
 ところが、どう見ても、谷の幅がかなりあるように見え、跳ぶと落ちそうに思えるために跳べません。
これが普通の人間なのですが、この世に毒されていくうちに、だんだん、それがすごく難しいことのように感じられ、「向こうに行ったら、怖いことが起きるのではないか」と思うようなところがあるのです。
 しかし、「真理は何であるか」ということを確信したら、その真理をガシッとつかまなくてはいけないのです。

  私と釈尊に共通する「過去・現在・未来を見通す目」

 もう学問も駄目になってきているのですが、ものを扱う唯物論的な学問だけが駄目になったのではなく、宗教学や仏教学なども駄目なのです。
これももう哲学のようになってしまっています。
 二千五百年以上前のお釈迦様の教えも、人間の頭のなかで考える哲学になってしまい、哲学をひねくり回しているようになっているのです。
 仏教系の大学があっても、そこで教えていることも、そういうものです。
「とにかく座禅の作法を守れ」とか、「念仏を称えろ」とか、「『南無妙法蓮華経』と唱えろ」とか、とりあえず、かたちをつくることまでは教えるのですが、中身がありません。
中身については信じていないのです。
 例えば、「お釈迦様は、ヨガの行者のように座禅をしていただけなのだ」と思い、「質素に生活して座禅をしていれば、それで済むのだ」というように考えている人が、けっこう多いのです。
 しかし、それは違っています。
 確かに、座禅をしたり精神統一をしたりしてはいましたが、釈尊の人生を見てみると、「菩提樹下で悟りを開いたときに、三明を得た。三つの明かりを得た」と、はっきり書いてあります。

 三明とは何かと言うと、「過去を見通す目」「現在を見通す目」「未来を見通す目」の三つのことです。
「悟ったときに過去・現在・未来が分かるようになった」と仏典にはっきり書いてあるのです。「三明を得る」とは、そういうことです。
 「過去が分かる」とは、どういうことでしょうか。
 幸福の科学の会員、信者の皆さんはご覧になったでしょうが、当会の支部や精舎では、私が行った「過去世リーディング」の映像を観ることができます。
0176神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:05:51.17ID:nowFxt2r
  私と釈尊に共通する「過去・現在・未来を見通す目」

 もう学問も駄目になってきているのですが、ものを扱う唯物論的な学問だけが駄目になったのではなく、宗教学や仏教学なども駄目なのです。
これももう哲学のようになってしまっています。
 二千五百年以上前のお釈迦様の教えも、人間の頭のなかで考える哲学になってしまい、哲学をひねくり回しているようになっているのです。
 仏教系の大学があっても、そこで教えていることも、そういうものです。
「とにかく座禅の作法を守れ」とか、「念仏を称えろ」とか、「『南無妙法蓮華経』と唱えろ」とか、とりあえず、かたちをつくることまでは教えるのですが、中身がありません。
中身については信じていないのです。
 例えば、「お釈迦様は、ヨガの行者のように座禅をしていただけなのだ」と思い、「質素に生活して座禅をしていれば、それで済むのだ」というように考えている人が、けっこう多いのです。
 しかし、それは違っています。
 確かに、座禅をしたり精神統一をしたりしてはいましたが、釈尊の人生を見てみると、「菩提樹下で悟りを開いたときに、三明を得た。三つの明かりを得た」と、はっきり書いてあります。
 三明とは何かと言うと、「過去を見通す目」「現在を見通す目」「未来を見通す目」の三つのことです。「悟ったときに過去・現在・未来が分かるようになった」と仏典にはっきり書いてあるのです。
「三明を得る」とは、そういうことです。

 「過去が分かる」とは、どういうことでしょうか。
 幸福の科学の会員、信者の皆さんはご覧になったでしょうが、当会の支部や精舎では、私が行った「過去世リーディング」の映像を観ることができます。
 そのなかで、私は対象者について、「前世はどうであるか。その前はどうであるか。どういうカルマを持っているか」ということなどをリーディング(霊査)しています。
 そのなかでは、「今回は女性だが、前世では男性だった」「今回は男性だが、前世は女性だった」「前世でこんなことをしていた」ということがたくさん出てきています。これは「過去を視ている」のです。
0177神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:06:10.62ID:nowFxt2r
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0178神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:07:17.04ID:nowFxt2r
 そして、「それが、今、どのように影響しているか」ということなどを考えたりします。
例えば、家庭または親族で問題が起きているとき、「これには、今、こういうものが霊的に働いている」とか、「こういう原因がある」とか、こういうものを見抜きます。これは「現在を視る目」です。
 あるいは、「世界の情勢が、今後、どうなるか」というようなということを視ることもできます。
例えば、「中国の習近平氏の心のなかは、どうなのか」などと言うことを見通します。これも「三明」のなかの「現在を視る目」です。
 「習近平氏は、今、心のなかで、こんなことを考えている」とか、「ドナルド・トランプ氏は、今、こんなことを考えている」とか、こういうことを見抜くのが宗教者の力なのです。
他の人の心のなかが読めるわけです。

 さらには、「未来を見通す目」で、「未来は、どうなるか」ということを読むことができます。
 そして、未来が読めたら、「人間の生き方や人類の未来は、それでよいのかどうか」ということを考え、「よろしくない」と思うなら、それを転換すべき思想を発信しなくてはいけません。
考え方を出して、「こちらの方に行きなさい。こういう考え方に変えなさい」と言わなくてはいけないのです。
 こういうものが「三明」ですが、「釈尊は、悟りを開いたときに三明を得た」と言われているのです。

  「六大神通力」を得て、遠隔透視等ができた釈尊

 また、釈尊は、これ以外に、「六大神通力を得た」とも言われています。六大神通力には、いろいろな能力がありますが、どれも霊能力に関係することです。
 霊能力に関係する神通力を得た人が、「あの世はない。神も高級霊も存在しない。死んだら何もかも終わりだ」という教えを説いたはずがないのです。
 そういう、根本的で当たり前のことを、大学者や、偉い階級にいる僧侶が分からなくなっています。
 釈尊の時代には今のような交通機関がなかったため、精舎と精舎の間を歩きながら伝道していましたが、それは、今、「回峰行」という、山のなかを歩いたりする修行になったりしています。しかし、それは外見のところだけを見ているのです。
 それから、座禅をしている人も、外見のところを見ており、中身のほうが見えていません。

 釈尊は、いったい、どういう体験をしたのでしょうか。
0179神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:08:19.43ID:nowFxt2r
 釈尊は、いったい、どういう体験をしたのでしょうか。
 実は、「瞑想によって実在世界と同通する」という修法を行じていたのです。だからこそ、新しい智慧をいろいろと得ることもできましたし、禅定しながら、はるかに離れた所、何百キロも離れた所にいる人たちの姿を視ることもできました。

 釈尊は菩提樹下で悟りを開いたころに遠隔透視をしています。そういう話が仏典に載っているのです。
 仏典につきものの鹿の園、鹿野苑という所に、以前、釈尊と一緒に修行していた五人の修行者たちがいたのですが、何百キロも離れているにもかかわらず、釈尊は、そのことを遠隔透視し、最初の法を説いて法輪を転じようと、そこに向かって歩いていっています。
 釈尊には、「かつて自分と一緒に修行をしていた人たちが、今、どこで何をしているか」が視えたのです。
 今、私があらわしている能力、すなわち、いろいろな著書や映像等でお見せしている能力と、釈尊が持っていた能力とは、ある程度、似通った能力です。
 ただ、若干違う面もあります。私は、例えば、「宇宙人リーディング」を行うこともありますが、これは、話が何億年も前までいくので、話が大きすぎて、「信じられない」という方も当然いるかとは思います。

 一方、仏教には、『ジャータカ物語』というものがあって、過去世の話、ずっとずっと昔からの転生輪廻の話がいくつも出てきます。大部分は説話風になっていて、そのとおりには信じられないものが多いのですが、「過去世がたくさんあった」という話を釈尊はしています。
 釈尊は、リーディングをしながら、「こういう転生輪廻の結果、今、あなたには、こういう魂の傾向が出てきている」と言い、「だから、今、病気が出てきている」とか、「だから、今、こういう家族問題が出てきている」とか、
「今、仲の悪い二人になっているけれども、前世では敵同士であったのだ。そういうことを思い出して今世では仲良くしなさい」とか、そのようなことを言っていたのです。
 そういうことが分かったあとで、仏教の教えを読み直してみると、全然違った面が見えてきます。
 しかし、鎌倉期の仏教者たちであっても、そういうことがほとんど分からない人が多いのです。
 一方で、私が見るに、空海はかなり霊体験が豊富なので、「ある程度まで分かっていたのではないか」と思うところはあります。
0180神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:09:24.45ID:nowFxt2r
 そういうことが分かったあとで、仏教の教えを読み直してみると、全然違った面が見えてきます。
 しかし、鎌倉期の仏教者たちであっても、そういうことがほとんど分からない人が多いのです。
 一方で、私が見るに、空海はかなり霊体験が豊富なので、「ある程度まで分かっていたのではないか」と思うところはあります。

  
自分自身の心を磨くとともに、周りに法を伝えていく

 私がみなさんに説きたいのは次のようなことです。
 「個人としての悟り」を求める修業は、あくまでも、最初から付きまとっています。「自分自身が悟りを持ち、その悟りの力でもって自分自身の心を浄化し、自分自身の真なる幸福感を高める」という修行は、一生、ついて回るものです。
 そして、「自分自身の心を、どのようにつくり上げたか」ということが、死んであの世にもって還れるもの、そのものなのです。

 この世でつくったものは、全部、あの世には持って還れません。あの世に持って還れるのは、みなさんの心しかないのです。
 心しか持って還れないので、「心をよく磨き、正しい方向に向けて日々に精進し、あの世に還る」ということが、みなさん個人にかかわる「第一の悟り」です。

 そして、「第二の悟り」とは次のようなものです。
 人間は、一人で生きていくものではありません。人間は、たった一人で生きるものではなく、やはり、集団で、大勢で生きているものなのです。
 そういうことを考えたら、「今の時代に、似たような環境のなかに生まれ、同じ地域、あるいは同じ職場で生きている人たちがいる。
たまたま縁があって、今、同時代に生きているのだから、彼らにも『救いのチャンス』を与えたい。彼らにも『悟りのよすが』を与えたい」と思わなくてはなりません。

 「法を伝える」「教えを伝える」という行為は「伝道」とか「布教」とか言われていますが、これは非常に大事なことです。
0181神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:16:12.93ID:nowFxt2r
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0182神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:18:22.53ID:nowFxt2r
 「法を伝える」「教えを伝える」という行為は「伝道」とか「布教」とか言われていますが、これは非常に大事なことです。
 宗教的なことは学校では教えてくれません。また、昔は、家庭にも学校としての機能があったわけですが、今はもう、家庭が学校としての機能を失い、宗教教育や魂教育の場としての意味を失っている時代です。
 「学校で駄目、家庭でも駄目」ということであれば、誰かが宗教的に導いてくれないと、縁に触れないままで終わってしまうことがあるのです。そういうことを知っていただきたいと思います。

 自分だけがよくなるのではなく、自分の周りにいる人たちにも真理の世界に目覚めていただき、さらに、真理に目覚めた者同士が手を携えて、
「ユートピア社会をつくっていこう。この世をよくしていこう。この世を仏国土にしていこう」と考え、そのための現実の活動に取り組んでいくことこそ、大事なのです。それを言っておきたいのです。
 したがって、心のなかで思っているだけでは駄目です。せっかく、この世で修行場を頂いたのだから、この中でユートピア化をしていかなくてはなりません。
「この中で、どう生きたら、どう共に考えて生きたら、世の中はよくなるか」ということを考えていかなくてはならないわけです。

5 「生涯現役」の人生に向けて

  税金を投入しなければ、公認の老人ホームは成り立たない

 NHKはW老後破産”を扱った番組を放送し(2016年4月)、「年を取ったら、お金が無くなって、野垂れ死にするぞ」というような脅しをかけていました。
 それは、「親子で住んでいても同じことだぞ。親子で住んでいても、子供が親の介護をしなくてはいけないから、子供が働けなくなり、親子が共倒れになるぞ」というような内容でした。「NHKスペシャル」で、そんなものを流していましたが、これは考えものです。
 結論は何なのでしょうか。要するに、「老後はお先真っ暗だから、とにかく、どこからでもよいので税金を持ってきて、ぶち込め」と言っているようにしか聞こえないのです。

 また、NHKでは、老人ホームのことを取り上げても、だいたい、「無届け老人ホームは、けしからん」という感じで報道していました。
 しかし、よく考えてみてください。
0183神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:20:28.29ID:nowFxt2r
 また、NHKでは、老人ホームのことを取り上げても、だいたい、「無届け老人ホームは、けしからん」という感じで報道していました。
 しかし、よく考えてみてください。
 「公認されている、有料の老人ホームに入ったら、月額で約二十五万円も要る」などと言われています。一人で月額二十五万円も要るとなると、これはけっこう大変です。それだけのお金はなかなか出せません。
 一方、月額約十万円の料金でやっている老人ホームは、「無届け老人ホーム」と言って責められているわけです。
 老人ホームは、今の制度では、どう考えても経営的に成り立ちません。

 私ども幸福の科学は宗教なので、「老人ホームもつくってみたい」と思い、少し実験を開始しているのですが(シニア黄金館)、今の規則だと、老人を百人受け入れる、きちんとした施設をつくるには、七十人ぐらいの職員がいるのです。
 「百人の老人の面倒を見るのに七十人の職員が要る」というのでは、経営的に成り立つはずがありません。これは経営者なら絶対に分かることです。商店をやっている人であっても分かるはずです。

 百人を受け入れるのに七十人の職員が要るのでは、絶対、経営的に成り立つわけがないので、それを成り立たせるために、あとで補助金をたくさん入れるのでしょう。したがって、税金をたくさんもらわなかったら、できるわけがありません
 要するに、税金を投入しなければ成り立たないような規則をつくり、それで、「老人ホームが足りない」とか、「保育所が足りない」とか、いろいろなことを言っているのです。
税金を必ず入れない限り採算が取れないような基準をつくり、なかなか作らせないようにして、運を満たしたところには税金を投入させるようにしようとしているわけです。

 この税金は、どこかから集めなくてはいけません。要するに、役人は自分たちの権力が増えるようなことばかり考えているわけです。
 これは実にけしからんことです。これをよく考えた方がよいのです。


  許認可行政のW善意”は「机上の空論」

 私たち幸福の科学でさえ、百人の老人を受け入れるのに七十人の職員が要るとなったら、とてもではありませんが、老人ホームをやれません。
 「一万人をお世話するのに七千人の人が要る」と言われたら、たまったものではないのです。
0184神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:51:11.62ID:nowFxt2r
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0185神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:51:51.35ID:nowFxt2r
  許認可行政のW善意”は「机上の空論」

 私たち幸福の科学でさえ、百人の老人を受け入れるのに七十人の職員が要るとなったら、とてもではありませんが、老人ホームをやれません。
 「一万人をお世話するのに七千人の人が要る」と言われたら、たまったものではないのです。
 百万人をお世話する老人ホームを建てるとなったら、そこでは七十万人ぐらいの人が働かなくてはいけません。これだと、若者がほとんど老人ホームで働かなくてはいけなくなります。
そうしたら、ほかの仕事は、いったい誰がするのでしょうか。それをする人はいないのです。

 この先に見えるものは何かと言うと、W姥捨て山”です。捨てられる可能性があります。「年を取ることは罪なのだ」と言われて、罰金をかけられることになるかもしれません。
「八十歳を過ぎたら一歳ごとに罰金をかけられ、早く死にたくなる」というような政策が実施される可能性もないわけではありません。
 役所はW善意”でやっているのだとは思います。
もともとW善意”でやっていて、「手厚い看護をしろ」とか、「老人に個室を必ず与えろ」とか、そういうことを非常にW善意”で考えているのでしょうが、実は「机上の空論」であり、これは中央計画経済の間違いなのです。

 実際に経営をしたり、商売をしたりしたことのない人が考えるから、こんなことを起こすのです。「便利になれ」と思ってやっていても、実際には、不自由になっていくわけです。
こういうことが、あちこちで、たくさん起きています。学校でも起きていますし、ほかのところでも数多く起きているのです。
 したがって、今、必要なことは、こうした許認可行政の無駄なところを取り払い、民間で実際にやれるレベルで、まずは動かしていくことです。
ニーズがあるなら、そのニーズを受け止め、それを消しこんでいく努力をしなくてはなりません。それを認めることが大事なのではないかと思うのです。

  できるだけ長く現役で働き、゛ピンピンコロリ”を目指す

 幸福の科学の信者に関しては、強いご加護を頂けるように努力しているので、できるだけ長く現役で働いていただきたいと思います。
 チューブを差し込まれて、十年も二十年も、老人ホーム代わりに病院に入ったりしなくて済むように
0186神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:52:22.56ID:nowFxt2r
  できるだけ長く現役で働き、゛ピンピンコロリ”を目指す

 幸福の科学の信者に関しては、強いご加護を頂けるように努力しているので、できるだけ長く現役で働いていただきたいと思います。
 チューブを差し込まれて、十年も二十年も、老人ホーム代わりに病院に入ったりしなくて済むように、そして、゛ピンピンコロリ”という感じで逝けるように、「ピンピンコロリ正心法語経」でもつくろうかと思ったりしています(笑)。
 他の宗教は「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」で済ませています。
そんなに簡単なものでよいのであれば、私が、「ピンピンコロリ正心法語、ピンピンコロリ正心法語・・・・」と言って吹き込んだ、三十分ぐらいのCDを出せば、けっこうWいく”かもしれません。

 今のままでは、やはり、国の財政が破綻して、絶対に老人の面倒を見られなくなります。もう分かっています。
したがって、もう、国や地方公共団体にはあまり頼らないほうがよいのです。

 できるだけ、自分の体が駄目になる十年ぐらい前から、少しずつ訓練をして体を鍛え、また、十年後に必要となる知識の習得に励んでいかなくてはなりません。
新しい職業に就いて仕事ができるよう、十年ぐらい前から勉強を始め、準備をしていくことが大事です。頭を鍛え、体を鍛えなくてはならないのです。
 それから、人間関係についてですが、年を取ると、若い人に対して、苦情や不平不満、怒りが出やすくなるので、ここを丸める必要があります。
 年を取った人から見たら、若い人は未熟なので、そこを責めたくなるのですが、それはお年寄り全体の傾向なので、「ああ、これはいかん」と思わなくてはなりません。
 そして、「自分は人生で何十年か先を行っているので、彼らの欠点が見えるだけであり、彼らが悪いわけではないのだ。
自分たちも、何十年か前に戻ってみれば、そんなものだったのに、今、それが分からなくなっているだけなのだ」と考えるべきです。
 年を取ったのなら、その人生経験を生かして、若い人の良いところを見つけてやり、長所を伸ばしてあげる。よいところがあったら、ほめてやり、悪いところがあったら、遠回しに注意したり、自分たちで気がつくようにしてあげる。
 そのような、「ちょっとした心掛け」を積むことによって、「年を取ると、若い人に嫌われ、若い人が離れていく」
0187神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:52:55.42ID:nowFxt2r
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0188神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:53:33.40ID:nowFxt2r
 そのような、「ちょっとした心掛け」を積むことによって、「年を取ると、若い人に嫌われ、若い人が離れていく」ということがなくなってくるのです。
 口の利き方や態度の取り方のほんの少しの違いで、「若い人とお年寄りの交流が可能になるか不可能になるか」が決まるので、年を取ったら、言葉遣いや話の内容に気をつけ、よい人間関係を構築しておくことが大事です。
 「正しい思い」や「正しい言葉」は非常に大事なのです。

  十年おきぐらいに発心し、「学習」や「体力づくり」に励む

 そういうことは、仏法真理の書籍のなかにたくさん書いてあります。
 本の宣伝になったら申し訳ないとは思うのですが、私の著書一冊は、ほかの本を百冊読む以上の値打ちがあります。
今後、六十歳から百歳ぐらいまでの人口が増えてきますが、私の著書を読む方がだんだん増えていけば、それらの方々が、現役で、かくしゃくとして活躍する未来をつくれると思うのです。
 後世の人たち、若い人たちに迷惑をかけないようにするためには、そのようにしていったほうがよいと思います。
 みなさん、「生涯現役」で、ぴんぴんしていて働けるようになろうではありませんか。

 ただ、この言い方は外国では必ずしも、゛ウケ”ないのです。
 こういう「生涯現役」の話を、ロシアの支部長がロシアで話すと、「六十歳にもなったら、もう仕事を辞めてもよいではないか。『まだ働け』というのか。なんという教えだ」と言って、現地の人が怒るそうです。
 向こうは寿命が短いのかもしれません。寒いので、六十五歳や六十六歳で死ぬのかもしれないのです。
 しかし、平均寿命が八十歳や九十歳近くまで来ている国では、六十歳ぐらいで仕事を辞めるわけにはいきません。
 「四十歳のとき」「五十歳のとき」「六十歳のとき」というように、十年おきぐらいに、それぞれ発心して、「知的な学習」や「体力づくり」に励めば、次の十年間が約束されます。
 これを心掛けて、努力してください。
 そういうことを私は説いているので、勉強してください。
 とにかく、今は、「日本人、目覚めよ!心を入れ替えて、総決起せよ!」という時期が来たのです。それを申し上げておきます。
 明るい未来をつくるために、自分自身の心を正すと同時に、「他の人と力を合わせ、新しい社会を建設していく。
0189神も仏も名無しさん
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2018/07/21(土) 11:54:41.97ID:nowFxt2r
 とにかく、今は、「日本人、目覚めよ!心を入れ替えて、総決起せよ!」という時期が来たのです。それを申し上げておきます。
 明るい未来をつくるために、自分自身の心を正すと同時に、「他の人と力を合わせ、新しい社会を建設していく。その一翼を担う」ということを実践していかなくてはなりません。これが大事です。
 これから、毎日、具体的な行為で努力・精進していこうではありませんか。


🌟 あなたに贈る言葉B

蜘蛛の糸ほどの信仰さえあれば・・・

困難の中にある時、
人は苦悩し、
憔悴し、
疲れ果てる。
口からは、
否定的な言葉しか出ず、
明日を信じる勇気もなくなる。
しかし、
私は断言する。
あなたに、
蜘蛛の糸ほどの信仰さえあれば、
仏は、あなたを、
軽々と助け上げられると。

まず、信じなさい。
つぎに、リラックスしなさい。
仏は、必ず、
問題を解決してくださると思いなさい。
仏の救いを信じて、
明るい前向きの心を持ちなさい。
今、与えられていることに、感謝しなさい。
これからは、
無理をせず、
あなたにできることを、
ゆっくりとやっていきなさい。

ゆるぎない信仰の前に、
困難などないと、信じなさい。

ーー『師弟の道 心の指針第二集』より
🌟 大川隆法著 「伝道の法」より
0190神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:03:28.45ID:nmR9sFO5
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0191神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:03:47.64ID:nmR9sFO5
大川隆法著  伝道の法

  第6章  信じられる世界へ

  あなたにも、世界を幸福に変える「光」がある

  「教えの発祥の地」としての責任と義務

 最近を振り返って、いちばん難しかったのは、二〇一五年春のハッピー・サイエンス・ユニバーシテイ(HSU)の開学でした。
文科省の判断を押し切って開学したわけですから、「国家 対 宗教」の戦いでしょう。
 おそらく、いまだかって、文科省が認可しないのに大学を開いたところはないと思います。
しかし、幸福の科学そのものが、ある種の共同体になっていますし、全世界百か国以上で活動している団体ですので、「エル・カンターレの認可があるものを、さらに認可するところはない」と考えました。
 内容的には、私たちが信じているとおりにやったほうが、よいものができると思います。決して、他の人々の意見を聞かないというわけではありませんが、W認識の低い人たち”の意見を聞いて内容を劣化させることは、学生の未来を危うくするでしょう。
そう考えて。内容には手を加えずに、もっとよくする方向へと進みました。
 これは一つのチャレンジではありますが、幸福の科学は、W弾圧”ぐらいで、それほど簡単につぶれるような宗教ではありません。
 むしろ、政府としては、W国家が潰れる”ことを心配なされたほうがよいのではないかと思います。
 しかし、日本国政府が潰れても、幸福の科学は潰れません。たとえ、日本が海の底に沈もうとも、世界百か国以上で活躍している同志たちが、この光を、未来永劫、掲げることを誓ってくれています。したがって、何ら心配することはないと、私は思っているのです。

 ただ、この日本の国は、幸福の科学の教えの発祥の地として、大いなる責任と義務を背負っていると考えています。この日本が、エル・カンターレ信仰の中心地として、可能なところまで突き進むことが大事であると感じているのです。
 なお、ささやかではありますが、二〇一五年は私の著作として、ちょうど二千書目となる『正義の法』を全世界で発刊することができました。また、ほんのわずかではありますけれども、二千四百回以上の講演・法話等を積み上げてくることができたのです。
0192神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:04:04.90ID:nmR9sFO5
 ただ、この日本の国は、幸福の科学の教えの発祥の地として、大いなる責任と義務を背負っていると考えています。この日本が、エル・カンターレ信仰の中心地として、可能なところまで突き進むことが大事であると感じているのです。
 なお、ささやかではありますが、二〇一五年は私の著作として、ちょうど二千書目となる『正義の法』を全世界で発刊することができました。また、ほんのわずかではありますけれども、二千四百回以上の講演・法話等を積み上げてくることができたのです。
 恥ずかしながら、思いは、まだまだ届かないレベルではありましょう。しかし、志は、三十五年前の大悟、三十年前の立宗、二十五年前の宗教法人格の取得のときから、いささかも衰えてはいません。私たちは、このレベルで納得し、満足するわけにはいかないのです。
 私が、最初の頃より説いている教えを見ればわかるでしょう。それは、天地創造からの教えです。天地創造からの教えを説ける宗教が、日本に何万もある宗教の一つとして認められるだけで良いのでしょうか。そんなはずはありません。それで許されるわけがないのです。
 確かに、幸福の科学は、国内を見渡せば、戦後に生まれた宗教の一つとして、ある程度の大きさにまでなりました。おそらく、一定の市民権を得つつある段階だと見られていることでしょう。
 二〇一六年は、幸福の科学にとって大悟三十五周年、立宗三十周年に当たるだけではなく、暦の上では、「革命が起きる年」に当たります。そうであるならば、その革命は、我々が起こさずして、いったい誰が起こすというのでしょうか。
 われわれは、三十年間、組織として蓄えた力を発揮し、法輪を転じ、転じ、転じて、国内と全世界に、いよいよ、その存在を明らかにしなければならないときだったのではないかと思うのです。
 

  はるかなる天上界より与えられた「世界を変えるだけの権威」

 幸福の科学の教えを、活字として読んでいるだけの人たちは、その内容を自分個人のものとして消化しているかもしれません。
しかし、書かれていることをそのとおりに受け取ったならば、ユダヤ教も、キリスト教も、仏教も、イスラム教も、日本神道も、すべて幸福の科学の流れの中に吸収されていくでしょう。そうした大きな大きな教えになっているのです。
 そして、それが嘘か本当かを、いよいよ実証すべき時が迫ってきてい
0193神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:04:28.32ID:nmR9sFO5
  はるかなる天上界より与えられた「世界を変えるだけの権威」

 幸福の科学の教えを、活字として読んでいるだけの人たちは、その内容を自分個人のものとして消化しているかもしれません。
しかし、書かれていることをそのとおりに受け取ったならば、ユダヤ教も、キリスト教も、仏教も、イスラム教も、日本神道も、すべて幸福の科学の流れの中に吸収されていくでしょう。そうした大きな大きな教えになっているのです。
 そして、それが嘘か本当かを、いよいよ実証すべき時が迫ってきているのだと思います。
 われわれは、この運動を、決して、自分たちの権力や名誉のためにやっているのではありません。あるいは、多くの人たちから尊敬されたいがためにやっているわけでもありません。
 私たちの目指す革命は、かつてよくあったような、いわゆる「暴力革命」ではなく、「幸福の革命」です。つまり、多くの人々を幸福にしえてこそ、本当の世直しができ、「世界を変ええた」と言えるのです。
 今、幸福の科学では、いろいろなジャンルへの挑戦が続いていますが、まだ、どの世界においても、最終地点までは、はるかに届いていないかもしれません。
 しかし、やがて多くの人たちは知るでしょう。「今日という日が、どういう日であるか」ということを。
 もし、この日本の幕張メッセで行われている講演(本章)が、誰によって話され、誰に向かって話されているかを、世界の人々が信じたならば、あるいは、知ることができたならば、ローマ教皇でさえ、もはやその冠を脱がざるをえないでしょう。
そういうところまで来ているということを。私は明言しておきたいと思います。
 われわれには、まだ世界を変え切るだけの力はないかもしれません。しかしながら、われわれには、世界を変えるだけの権威が与えられています。この権威は、この地上を離れた、はるかなる世界から与えられたものです。
 『旧約聖書』の「創世記」を読めば、「神が天と地を分けられた」と書いてあるでしょう。その神の名を、「エル」と言いますが、それは、「エル・カンターレ」の「エル」なのです。日本人の多くは、その内容をまだ十分には理解していません。
しかし、その大きさは、あとになるほど、はっきりと分かってくるようになるはずです。


2 「信じることができる世界」を生きるには
0194神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:04:47.84ID:nmR9sFO5
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0195神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:05:52.32ID:nmR9sFO5
2 「信じることができる世界」を生きるには

  天地の初めより人類を導きし者の法

 私は、二〇一六年の法シリーズとして『正義の法』を発刊しましたが、この本は、二〇一六年以降の日本の大きな羅針盤となり、この国を導く力となるでしょう。
 しかし、ほかに「正義の法」を説ける人が、今、世界にいるでしょうか。日本の首相に説けますか。最高裁長官に説けますか。国連事務総長ならどうですか。ローマ教皇なら説けるでしょうか。あるいは、ダライ・ラマならどうですか。誰なら説けるというのでしょうか。
 説けるのはただ一人です。私は今、世界に必要なものを説いています。世界に必要なものとは、「『何が正しいか』を人々に教えること」なのです。
 しかし、これは、この世的な学問の集積や仕事の積み上げで教えられるものではありません。
はるかなる天上界より、幾千年、幾万年、あるいはそれ以上の長い年月にわたって、人類を導いたる者でなければ説けない法です。決して、威張りたいのではなく、事実だから、そう述べているのです。
 今、世界では、いろいろな宗教が混乱を起こし、一部では宗教戦争の様相も呈しています。また、別なところでは、「宗教 対 無神論・唯物論」の戦いも起きているでしょう。
「何が真実であるか」ということが、今ほど大切なときはないのです。

 もちろん、私は、紛争や戦争を頭から肯定するものではありません。しかしながら、そうした紛争が、「何が正しいか」が分からないために起きているのであれば、それを教えるのが私の仕事だと確信しています。
 もし、天地の初めより人類を導きし者が、「あなたがた人類は、この問題について、このように考えなさい。未来の方向は、こちらにあることを知りなさい」と指し示し、人々がそれに納得することができたならば、どうでしょうか。
そのとき、地上的で浅はかなる争いは姿を消していくであろうと、私は思うのです。
 今こそ、私たちは、「悟りの力」の霊的な意味を示さねばなりません。
それは、この世的な学問や研究の正しさ、あるいは、近代・現代の原理としての、「疑って疑って疑って、疑いきれないものこそが真理である」という科学やジャーナリズムの方法論を乗り越えていくものです。
そのように、もう一段、高次元の正しさがあるということを、多くの人々に知ってもらうことが大事なの
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/22(日) 01:06:55.70ID:nmR9sFO5
そのように、もう一段、高次元の正しさがあるということを、多くの人々に知ってもらうことが大事なのです。
 その意味で、本法話の内容は、当日、本会場や衛星中継会場に来られた方々だけに理解してもらえばいいわけではありません。
時差はありながらも、海外で数百か所、あるいは、それ以上の会場に中継されましたが、本来、この「信じられる世界へ」という法話は、英語で話されるべき内容でしょう。
 しかし、日本語で話された以上、日本人の信者には、とてもとても大事な仕事があるのです。


  すべての物事を、この世だけで完結して見てはならない

 やはり、「正義の法」を立てるに当たっては、「何のために『正義の法』を立てるのか、それを説くのか」という理由が必要でしょう。
 今、「正義の法」を説くのは、「信じられる世界」を建設するためなのです。
 私たちには、もっともっと、「信ずることができる世界」を生きる権利があります。信じることができるものが、「目に見えるもの」「触れるもの」「自分の肉体に関係するもの」だけであるというのは、あまりにも寂しいのではないでしょうか。
 また、宗教としてのかたちを取っていながら、内容において、宗教本来の使命を忘れたものも数多くあるわけです。例えば、イスラム系の紛争を取り上げてみても、おそらく、極めて難しい問題があるでしょう。
 もちろん、世界の多数の支持するところは、先進国の空爆によって、戦争が終結することなのかもしれません。しかし、彼らはキリスト教国であるにもかかわらず、キリストの教えには従っていません。この世の人間が作ったルールに則って攻撃しているのみです。
 一方、攻撃されているほうは、イスラム教を信じている人々です。アッラーの神に向かって祈りを捧げている人たちの上に、爆弾やミサイルが落ちているのです。
 こういう状況のなかで、「神はどう見ているのか」と考えるのは、人間として当然のことでしょう。
 ただし、その前提として、一つ言っておかねばならないのは、「すべての物事を、この世だけで完結して見てはならない」ということです。これは、今、世界各地の宗教において、忘れられつつある価値観だと思います。
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/22(日) 01:08:08.57ID:nmR9sFO5
 ただし、その前提として、一つ言っておかねばならないのは、「すべての物事を、この世だけで完結して見てはならない」ということです。これは、今、世界各地の宗教において、忘れられつつある価値観だと思います。
 要するに、この世が便利になりすぎたのでしょう。この世が豊かになってきたため、キリスト教であっても、唯物的な発明や科学、実用性のある学問や仕事論などに重きを置き、信仰は教会の中に置かれているわけです。


  世界の宗教には「時代性」と「地域性」の限界がある

 一方、イスラム教にあっては、祖師であるムハンマド以下、多くの者が血を流しながら立宗した歴史をなぞって、現在も原始的な戦い方を繰り返しているように思います。
 やはり、「いったい何を目的としているのか」ということを、もう一度、考え直さねばならないのではないでしょうか。
 確かに、モーセが出エジプトをなし、カナンの地に入ったときも、数多くの戦いが起きました。イエスが今のイスラエルの地を中心に活動したころにも、たくさんの血が流れています。ローマでもまた、数多くの戦いが行われたでしょう。
 また、その六百年後にイスラム教が誕生したわけですが、そのときにも、同じ部族同士で激しい戦いが起きました。さらに、新しい立宗がなされると、古い神々が取り壊されていったのです。
 そのように、いろいろなことが起きたので、地上的な現象だけを見たならば、「宗教など信じないほうが、よほど幸福だ」と思う人が出てくるのは、ある程度、しかたがないかもしれません。
 ただ、私は、あえて申し上げましょう。
 それらは、三千年前や、二千五百年前、二千年前、千四百年前に説かれた教えなのです。神の声を聴けた人がいたのは確かでしょうが、その人はあくまでも自分の立場で神の声を聴いていたということを、忘れてはなりません。
 やはり、ある国の、あるいはある部族の預言者として、また、メシアとして、神の教えを聴き、自分の立場で、要するに、自分が率いる民たちの利益のために、その教えを広げたのです。そのように、「時代性」と「地域性」の限界がありました。
 ところが、のちに世界が大きくなり、交通が頻繁になって、通信が地球の裏側まで届くようになったときに、誤解が生じたのです。人々は、まさか神が、「自分の部族や国民、民族だけのために教えを説いた」とは思わない
0198神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:40:15.86ID:nmR9sFO5
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0199神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:40:34.04ID:nmR9sFO5
 ところが、のちに世界が大きくなり、交通が頻繁になって、通信が地球の裏側まで届くようになったときに、誤解が生じたのです。人々は、まさか神が、「自分の部族や国民、民族だけのために教えを説いた」とは思わないでしょう。
しかし、「われのみを神とせよ」「わが部族の神だけを信仰せよ」と言った言葉を、「わが部族、わが民族を導く神だけが本物だ。あとの神は偽物で、全部否定せよ」というように解釈している人が大勢いるのです。

 それから二千年以上の歳月が過ぎ、日本にも、その教えの一部は伝わっています。しかし、「最初のころの釈迦の教えがどうであったか」ということは、残念ながら、抜け殻のようで、はっきりしたことは分からないでしょう。
 一方で、原始の釈迦の教えを忠実に反映しているかに見える、小乗仏教、あるいは上座部仏教、テーラバーダといわれる教えが、スリランカやタイなどには今も残っています。タイは独立を守っているため、その宗教様式も、かたくなに守っているのです。
 ところが、私は過去二回、講演のためにタイへ行こうとしましたが、残念ながら、二回とも行くことができませんでした。また、タイでも、私の本が翻訳されていますけれども、タイの人たちは、「『仏陀再誕』だけは困る」と言っています。
 要するに、仏教では、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三つ(三法印)を旗印としていますが、
小乗仏教では、最後の「涅槃寂静」について、「仏陀が悟りを開いたならば、地上的な束縛を取り除いて、涅槃の世界、ニッバーナに還る。そして、もうこの世には帰ってこない」と説いているからです。
そのため、「仏陀再誕は困るのだ」と言っていたのです。
 しかし、私は、タイと同じく小乗仏教の国であるスリランカで法話をした際、スリランカの人たちに、「仏陀がこの世に還ってこなくて喜ぶのは、いったい誰ですか」と問いました。
 
 「仏陀が悟りを開いたならば、二度と地上には帰ってこない。つまり、地上の人たちを指導しない。それを喜ぶのは誰ですか。悪魔でしょう。仏陀の教えをそのように解釈したのは、いったい誰ですか。よく考えてみなさい」と述べたわけです。
 すると、講演会に来ていた一万三千人のうち、九千人以上が。幸福の科学の信者になりました。(「大川隆法 スリランカ 巡錫の軌跡」)
0200神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:40:52.57ID:nmR9sFO5
小乗仏教では、最後の「涅槃寂静」について、「仏陀が悟りを開いたならば、地上的な束縛を取り除いて、涅槃の世界、ニッバーナに還る。そして、もうこの世には帰ってこない」と説いているからです。
そのため、「仏陀再誕は困るのだ」と言っていたのです。
 しかし、私は、タイと同じく小乗仏教の国であるスリランカで法話をした際、スリランカの人たちに、「仏陀がこの世に還ってこなくて喜ぶのは、いったい誰ですか」と問いました。
 「仏陀が悟りを開いたならば、二度と地上には帰ってこない。つまり、地上の人たちを指導しない。それを喜ぶのは誰ですか。悪魔でしょう。仏陀の教えをそのように解釈したのは、いったい誰ですか。よく考えてみなさい」と述べたわけです。

 「仏陀が悟りを開いたならば、二度と地上には帰ってこない。つまり、地上の人たちを指導しない。それを喜ぶのは誰ですか。悪魔でしょう。仏陀の教えをそのように解釈したのは、いったい誰ですか。よく考えてみなさい」と述べたわけです。
 すると、講演会に来ていた一万三千人のうち、九千人以上が。幸福の科学の信者になりました。(「大川隆法 スリランカ 巡錫の軌跡」)
 これは、「『仏陀が地上に還ってきてほしくない』というのは、悪魔の考えです」と私が述べたからです。
 もちろん、「悟りを開き、束縛を解いて、自由自在になる」というのは、仏陀の説いた教えのとおりでありましょう。霊的世界に還れば、肉体的束縛から離れて自由自在になるわけです。
そして、思いがすべてになって、意志の決定するところに自分の行動があるようになります。そういう意味で、「自由自在になる」ということを、悟りの境地として仏陀は説いたわけです。

 それについて、「涅槃(ニッバーナ)に入ることによって、仏陀がどこか暗い山の洞穴の中にでも閉じこもり、蓋をされてじっとしている」とでも思っているのでしょうか。
まったく恥ずかしい限りの誤解ですが、そのようなことがあるはずがありません。それでは、地獄の深い穴の中に入っているのと同じことです。
 やはり、地上の人たちが救済を求めても、涅槃から出てこずに、彼らを救うことができないならば、「悟り」とは言えないでしょう。それは、絶対におかしいわけで、唯物論であり、間違った宗教論だと思います。
 ここを突破しなければ、タイの国に未来は開けないはずです。
0201神も仏も名無しさん
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2018/07/22(日) 01:41:08.38ID:nmR9sFO5
3 信仰とは、全身全霊で受け止めて感じ取るもの

  学問における唯物論・無神論者たちとの戦い

 また、『正義の法』の第一章では、次のような映画の内容を取り上げました。
 「キリスト教国であるアメリカの大学において、WGod is dead"(神は死んだ)と書いてサインをしなければ、その科目を履修できないということがあった。つまり、そうしなければ、単位を取って、成績を上げ、出世を目指すこともできない。
そのとき、一人のクリスチャンの学生が教授のやり方に抵抗した。
その学生は、『私はクリスチャンであるので、どうしてもWGod is dead"とは書けません』ということで、教授とディベートすることになった」(二〇一四年公開「神は死んだのか」〔原題WGOD IS NOT DEAD"]」。
 これは、映画の話ではありますが、おそらく、アメリカにおける学問の現状でもあるのでしょう。
 特に、科学の分野では、キリスト教の教えを根本から覆すようなことが数多く起きているわけです。
 例えば、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士は、神を否定しており、「神が宇宙をクリエイトしたというのは信じられない」というようなことを言いました。

 また、リチャード・ドーキンスという人は、「遺伝子が魂の正体だ。DNAが、親から子、子から孫へと移っていく。このDNAの転移こそ、魂の転生輪廻そのものだ」というようなことを言っています。

 あまりに愚かすぎて話にならないのですが、大学では、これを信じて、このとおりに答案を書かなければ、成績優秀では卒業できないし、よいところには就職できないのでしょう。
 たとえクリスチャンであっても、主流はそのようになってきており、そのために、あちこちで戦いが起きているのです。

 要するに、「君が教会や家庭で信じるのは結構です。ただ、ここは大学なので、そういう信仰など、証明できないものは持ち込まないでください」ということなのでしょう。不可知論、あるいは無神論を教えるために、最初にサインをさせられたりしているわけです。
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