>>176
根本的に間違っているのは、「我」という概念の捉え方です。

輪廻転生論者の常套句とも言うべきものが、貴方がそこで言っている
「業はアートマンと違い不変ではなありません。だから、『我』ではないのです。」
ということです。

では、ここに田中さんという人がいたとします。
田中さんは、様々な行為を行い「田中さんの」業を形成します。そして、
死後、その業が残り、その田中さんの後継者(死後の相続者)である「田中2」に引き継がれたとしましょう。

さてその業は時間の経過と共に色々、変化します。不変ではありません。
だから、「我」ではないんだと・・・・・・

それでは、聞きますが、その業は途中で「鈴木さん」の業に変化したりすることは
ありますか?
その「田中さんの業」が、森本さんの業になったりすることはありますか?

・・・・・ありませんよね?
それは、どんなに変化しても、やっぱり「田中さんの」業なんです。
その「個識別性」だけは変化しないのです。
そこは不変なんですよ。

もし、そこが変化して、鈴木さんの業になってしまったら、輪廻転生もくそも
ありません。

つまり「田中2」に引き継がれた業は、田中さんの業であると言える属性が必須なんです。
その属性が、 田中⇒田中2 のラインを担保しているわけです。

その「個識別性」・・・・即ち、これこそが「我」ですが、
それを必須とする輪廻転生は、決して無我とは両立しません。