>>163
主体となる因について具体的には説かれていませんが、縁については「煩悩から生じるもの」「執著」などが明記はされてますね。

業相続とか心相続となったのは部派仏教以降でしょうか?
ただし業にしても心(エネルギー)にしてもアートマンとは違って永久不変ではありません。
心はテーラワーダでは勝義体ではありますが、テーラワーダの勝義は有部の5位と同じようなもので悟りの世界そのものというわけではありません
(勝義の中に心や心所と並んで涅槃があります)
業も心も縁起により刻々と変化を続けるのでそこのところで縁起を受けないアートマンとの違いはあります。
ブッダは死ぬときに残っているのは業だけであるとも説いています、これもアートマンとは違い善悪で分別され色がついているものです。
また業や心が万物(一切法)の基盤であるというわけではなく、それでしたら中期大乗以降の空の方がよほど基盤基体になっているといえるでしょう。