【教えて】ピッピの神様【みこころ】
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>>637
サテイさんは確か輪廻思想の信奉者でしたね。
イエスを信じる者は一切の悪しきカルマを
イエスの血潮で断ち切って頂く事が出来るのですよ。 >>639
シャロンさん、普通のキリスト教ではカルマと原罪は何の関係もありまへん
また、原罪と自罪は違うのでシャロンさんの自罪をキリストの贖罪で購うこともできまへんw >>640
気の毒なほどの無知振り^^
クリスチャンには占い(悪霊)みたいなものも当らない。
十字架の死と復活は一切の悪魔の業から人を解放しました^^)v つまり一切の悪の業から自由であると云う事。
これが何故カルト? 贖罪は原罪の贖いのために行われたが一般的にキリスト教の共通認識です
原罪は抗えない罪の重力を生じさせますが、それを贖いました
ただし、依然、罪への重力は働いているので、それと不断の努力で戦わないといけない、が一般的な理解かと まぁ、シャロンさんはまちこさんのお弟子さんだからクリスチャンになったら無謬!アイムリトルジーザス\(^^)/の人だから無謬だし審判とかないんだよねw 名無しの人の言う事なんかまともに信じるお馬鹿さんは
どこにも居ませんよね(笑) 名無しの言うことじゃなくて正確にはシャロンさんの言ってること、なんだけどねw >>646
正確にはお馬鹿なあなたが理解できないだけなんです(笑)
✝
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが
救にあずかるわたしたちには、神の力である
(コリント第一1:18 ) 最後の審判はカルト発言してましたよね
その理由はクリスチャンになれば自動的に救われるから私は最後の審判で裁かれることはない、
とシャロンさんは言ってましたよね?
これはまちこさんのクリスチャン無謬節説だし、それがシャロンさんの最後の審判がない、の根拠になってますよね >>748
どっちみちへーゲンの終末論なんて知りませんわ(笑) >>648
シャロンさんアンカー間違えまくるのなんとかしなよw
最後の審判は正統教義です
ヘーゲン関係ありません
また、>>638じゃなかったの?
>この話題はスレ主さんに関係ない事、ここで話すのは控えます。
>>>628ピッピさんスレを汚してすみませんでした。 >>650
失礼
>>649はサテイさんの↓への返レス
これはまちこさんのクリスチャン無謬節説だし、それがシャロンさんの最後の審判がない、
の根拠になってますよね
私はあくまでへー元の夢占いによる携挙の件で話しています。
最期の審判は携挙とセットになっているでしょ。
とに角、サテイさんはしつこいし悪意が有り、終わった事への蒸し返し、面白半分
相手になりたくないですね。 アビラの聖テレサに限らず、多くの聖人が雅歌からヒントを得ている。
男女のエロスからアガペを想起する人は多い。
失恋からアガペを想起する人がいたとしても、自分の愛する人を愛している、つまり自分自身のことを愛している。 >>651
で、最後の審判はクリスチャンにとってはめちゃくちゃ一般的で当たり前のことであることは理解しましたか? 人の神への愛はエロースですよ
これも信仰においては大事です
アガペーは神から人間への愛です
ちなみに隣人愛も神から人間への愛を隣人に流すのでアガペーです 男女間のエロスからアガペを想起する人は多い。
金持ちと貧乏人の関係でもある。
与える者と受ける者の関係だ。 >>656
裁きや携挙がいつ来るかもわからない不確かな未来にあると
主張する人達が多すぎますのでTT >>657
今夜にでも来ますよ。
金持ちは用事なさい。 なるほど、そういう面を信じて、かみそり・ぴっぴになったのか笑。 お金持ちは用心なさい。
そこに世の甘い誉れや力が集まるからです。
あなたが使うために流れてきたと思ってはいけません。そのお金はあなたの手によって貧しい人たちのために使われるようにと、神様が準備なさったからです。
あなたが神様の代行者として善を行うチャンスをくださったのです。
日産ゴーン社長やZOZOタウンの社長みたいになってはいけません。 昔、ソ連のバレーボールチームにソロコレートという選手がいました。
その選手のスパイクの切れ味があまりにも鋭いので、日本では「カミソリ ソロコレート」と呼ばれました。 >>663
試合中に実況解説を聞いてないとわからないかもしれませんね。 あえて踏もう。666
「かみそりソロコレート」の名付け親は松平康隆氏です。
私もまんまとはめられました。
以下、wikiより引用
◾また、松平は男子バレーボールの人気獲得のために10-20代の女性をターゲットとした。
背が高くスタイルの良いバレー選手は女性の関心を集めるだろうと考え、少女雑誌を中心に男子バレーを紹介した。
やがて試合会場は女性達の声援で満たされるようになった。バレーのファンを増やすために、積極的にバレーの練習を一般公開した。
◾ 話題づくりのために、選手に対して以下のようなユニークなキャッチフレーズもつけた。
中村祐造 - 「ガッツ祐造,チームを世界一に引っ張っていく機関車,率先垂範のキャプテン」
猫田勝敏 - 「世界一のセッター,日本オーケストラの指揮者」
森田淳悟 - 「フジヤマ・ブロック」
大古誠司 - 「世界の大砲」(「世界一の大砲」) >>658
少なくとも今夜には来ませんよ。
未だ艱難時代が来てませんもの(笑)
でも、今夜救急車を呼ぶご家庭は或いはあるかも知れません。
それに私はお金持ちじゃないですよ。 笑ってる場合ですか。
貧乏人は和光なんか行きません。 >>667
>少なくとも今夜には来ませんよ。
携挙が来ませんの意味です。 ピッピさんの心がけは正統すね
だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。
(マタイ 13:35)
それに比べてカルトばぁばときたら…
それにしてもシャロンさんは空中携挙と最後の審判を混同していて裁きはない!と主張してるけど、それって最後の審判で空中携挙は裁きの前にクリスチャンだから救われるという説だから、逆に理解してるみたいやな
ようするに、最後の審判を空中携挙と言ってるってこと
むしろクリスチャンになれば自動的に救われる!なまちこ節は空中携挙のほうが近い しかも>>671は昨日シャロンさんが最後の審判の証拠を出せ!聖書の該当箇所を出せ!と言ってる中の一つなんだよね
やっぱり全部読んでなかったみたいだ
ほんと、怠惰の塊みたいな人だな
聖書ガーーーーとかいいながら何十年もキリスト教やってて聖書を通しで全部読んだことないとか一体どういうことなのだろう、と思うわ
・審判にいつも備えて覚めていなさい
マタイ24:36,42-44、マルコ13:35-37、ルカ12:35,36、黙示22:20
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| ||¶ | ガチャ
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| ||ヽ__ ̄l| ̄ ̄ ̄l|
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| |||´・∀・`( ) || < 輪廻のサティちゃんです
| || つ ̄と( )⊃ ||
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| ||______| パタン
| |l´ ̄ ̄ ̄`l 彡
| ||¶ lヽ,,lヽ
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└┴――' しーJ
>>672
人は信じたいものを信じる、からです。
「私は裁かれない」「聖書より私が正しい」 プロテスタントの正規の神学校では比較宗教学履修は必須です。
キリスト教しか知らない聖職の存在は考えられません。 仏教、そうか、とーいつ、イスラム、エホバを学んだところで
信者になるのとはわけが違います。 教会全体で主の再臨を待ち望むこの季節に
どこのお客さんが
「再臨は来た、もう終わった」
と言い張るだろうか。 主の御降誕の日を「再臨の日」と言う人は誰も居ませんね。 シャロンさんはカルト遍歴で得たシャロンにとっての常識をみんなにフハハハでゴリ押しするだけのカルト老婆になってしまいますた
カルト教会(シャロン)の常識はキリスト教会の非常識…!! 待降節の時期に主の再臨を待ち望むことについては、ピッピのディボーション スレをご覧ください。
(参考レス番)
194 カトリック
196 カトリック
199 リジョイス(ふくいんのなみ) 12月2日 >>680
再臨はないとか終わりはもう来たとか
言ってたよねー?
A.D70年のエルサレム崩壊で預言は終わったというのが、自称最後の良心さんの意見でしたよね? >>683
ごめんなさい
私の書き込みがあなたに益をもたらせず反対にあなたを悩ませる
ものなら以後書き込みを控えます。
少しでも私の記事が読む人の益になるように意図して書き込んだ
つもりでしたから。 使徒信条をディスる書き込みがどうしたらクリスチャンへの益になるんだよ
悪霊退散キエエェエエはシャロン道場の中だけでやっててください >>685
甘やかせてきた責任を感じます。
今や怪物化して手もつけられないのでしょう。
私も心新たに教会の信じてきたことを学び直そうと決意してます。 草取りは小さいうちより大きくなってからの方がやりやすいです。
枝木の剪定もあるていど育っている方がいい。
ヘアカットもmm単位よりcm単位の方が楽ではないですか。
信仰も曲がっている方が矯正しやすいことと思います。 水で地上を洗われたノアの洪水と比較されるくらいの火の洗礼が、
どうしてエルサレムの崩壊ぽっちで済むだろうかと考えてみてほしい。 >>687
前から怪物でしたよ。
最近はおとなしいぐらいです。 キャリアが長いからといって精通しているとは限らない例はたくさんあります。
前にも、天使の守護についてキリスト教自体にその考え方の概念がないなどと穏やかにきっぱり言い切って恥を晒しました。
「自分はクリスチャンだから無謬」ということはないけれど、「しかし他のクリスチャンは無謬ではない」となるともう高ぶり以外にはないですよね。
福音書もろくに読んでないようですから。 >>687
ピッピさんはあんまり関係ないんじゃないですかね
まちこさんの責任は大きいと思います
シャロンさんはカルト遍歴してるので元々ヘンテコなのは前提ですがまちこさん教会でさらに強化されたみたいですからね >>692
私はあの人が雪ちゃんの時代からかばってきました。サマリヤの女さんがいた頃ですよ。
ご本人も誰も知らないでしょうけど。
名無しでしたから。 >>694
わからないんですか。
どんな影響を与えていくか。 一人でも支持者がいれば教祖になれます。
一人でも優しくしてくれたら「お、お、おれは間違っていない」と誤解することができます。
一人でも反対する者がいたら、どんな情勢の変化も可能です。 >>695
考えすぎですよ
ピッピさんよりなるみさん、暇人さん、でおーとかのほうがよっぽど酷いです >>697
忘れてますよ
その中に酷い酷い >>> サティ <<< を入れるのを >>698
気をつけろ。
サティさんの目はあらゆるところにあって、良い者と悪い者を見張っておられるからな。 >>692
シャロンさんは、私のところに来た時は、前の教会関係で精神を病んでいました。
そして、彼女は、ヘーゲンさん関係で私のところに来たのです。
そう、一時は、シャロンさんはヘーゲンさんの本を読んでいたのですが、
時間が経ち、彼女も良くなって来たのと、彼女のヘーゲンさん嫌いがますます酷くなったので、私は彼女から離れることを考えていました。 続き
シャロンさんは、もともと強い人です。
だから、私のところにいたから強くなったということはありません。
元気になって、性格がきつくなったから、私も離れたという言葉が正解です。 >>700
>彼女のヘーゲンさん嫌いがますます酷くなったので
好きか嫌いでしか物事を判断しないのですね。
そいうのは我がまま、を意味します。
何時も神様の道を行こうと願っていました。
我がままの道を行くと必ずお後が良くありません。
必ず苦しむ事になります。
私は真理によって物事を聖別します。
神さまは或る時彼の正体をはっきり見せて下さいました。
あなたを離れる事を長い間躊躇していました。
意識して後ろ髪をひかれる思いを断ち切りました。
>>701
>性格がきつくなったから
信仰が強められたと云う事でしょうね。
感謝です。 >>702
もう一度聞きたいです。
ケネス・ヘーゲンさんのどこが違うのでしょうか? >>702
性格が強くなったという意味は、肉に戻った、ということです。 >>704
違います。
真理に確り立っているからです。
右にも左にも流されません。
確りと信仰に立たせて頂いています。
信仰に立つと「肉に戻った」、と言うのですか?
彼の影響ですね、そういうの。 >>706
はい解りました
あなたのお返事を確り受け止めました。
これから神さまの導きを祈ります。 >>707
誰の影響でもありません。
私には、そう見えます。 >>708
私もきつく言い過ぎました、すいません。
御霊に導かれる者は、誰もが神の子である。と書いてあります。
私も御霊に導かれて、これからも生きて行きます。 シャロンさんの真理w
・聖書は読む必要なし←【new】
・使徒信条を告白する度に違和感を感じるから正統教会に転籍できない←【new】
・空中携挙を最後の審判を間違う←【new】
・UFOの大船団がシャロンを救ってくれる
・公審判はない。既に終わっている。根拠は乾いた…のシーン
・聖霊のパプテズマは悪霊の仕業
・シャロンを呪うものは神に呪われる
・キリストに倣って、はカルトそのもの
・りんごたんのコピペ荒らしは軌道修正のための聖なる行為
・攻撃を受ければ反撃する、がクリスチャンウェイ
・守護天使はカルト
・ラミレス氏は神。ネットを通して多くの問題抱えた人たちの為に祈りされます。
・ネトウヨトミーは恩人、だから私もレッツネトウヨ!
・十字架は栄光は目から鱗
・基本信条ってなに?人間が作ったものでしょ?(笑) これは重要でない私語ですけど・・・
肉の思いならあなたに惹かれています。
しかし霊が引き留めます。
あなたに惹かれる肉の思いに鞭を当てひっぱたく位に。
昔、職場に行く時、気が進まない、行きたくない、休みたい
疲れた、嫌だなあ…等の思いが来た時その思いに鞭を当てた(笑)
一緒 んなの誰でも知ってますよ
シャロンさんは帰りたいけど帰れないだけですよね
老婆の痴話喧嘩なんて誰得なんだろうw >>712
その時は私の信仰も未熟だったと思います。
助けてくださるのはイエス様です。
そこにいて正解です。
その教えにいる人が勝利するのですね。
主の名を呼ぶ者は救われる。これが最高です! サティの話しも 幼少きから すべて精神異常やからね😃
親も医者も知ってる ✝
わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためである
(ローマ人への手紙 6:6 ) >>700
>そして、彼女は、ヘーゲンさん関係で私のところに来たのです。
シャロンさんがまちこ教会に来たのは2chがきっかけじゃなくてヘーゲンを追って来たってこと? ✝
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって、生きているのである。
(ガラテヤ人への手紙 2:20 ) >>714
>その時は私の信仰も未熟だったと思います。
その様にご自分を責めないで下さい。
そして今夜はここまでに致しましょう。
口は災いの元(笑)。
おやすみなさい 神にとってモーセの荒野時代はハネムーンみたいだったという。
モーセが山にこもって一ヶ月後に金の子牛を造り神を怒らせ罰を宣告された民が。
するとマグダラのマリアの洞窟時代もキリストにとってハネムーンだったのだろうな。 詩編八十四篇より
「われは悪の幕屋にをらんよりは 寧ろわが神のいへの門守(かどもり)とならんことを欲ふなり。」
つまり詩編作者は 悪の栄華と虚飾に満ちた世界での生活より、貧しくても「神の家」の「門守かどもり」ガードマンでも良いから 居たいものだと信仰告白しているのです。 アビラの聖女テレサ 『霊魂の城』より
聖母文庫 p413
主なしのその後の人生は、恐ろしい苦痛の年月だったでしょう。ですから、彼女も絶えず主の御足もとに座って観想の喜びに浸っていたのではなかったことが分かるでしょう。
ピッピ談:アビラの聖女はマグダラの後半生が天と地の往来であったことを知らないのでしょうか。
まあ狂おしいほどの憧れに満たされていたのであれば苦痛の30年と言えなくもないですね。 マグダラのマリアは後半生三十年間、1日に少なくとも七度、天使とともに天に上がりました。
1日に七回、毎日主とお会いしたのではないですか?会えない日もあったのかもしれませんけど。 こういうちょっとした不整合によって頭が混乱する。
聖母の亡くなった年齢とか啓示にしては違うし。 【febcの通読表に従って12月からヨハネの黙示録を読む】
男の子を産んだ女が安全な場所で養われている間、竜はほかの子らを残虐に扱った。
マグダラのマリアが洞窟で守られていた頃、弟子たち信徒たちは迫害と殺戮に苦しんでいた。
このことがひな形だとすると、ファウスティナ亡き後の恐ろしい世界大戦も不思議なことではない。
神の敵である竜にも同じ年月の間、活動する機会が与えられるのである。
むしろ余韻がひどいのではないか?
私が去年苦しめられたのはおそらく三ヶ月ほどだ。しかしその前後、凄まじい破壊力がこの体験を取り巻いている。今でも私はトラウマに苦しんでいる。 教会カレンダーには書いてないですけど、カトリック中央協議会の聖書朗読表によれば、12月12日からルツが読まれています。
私は『manna』の学びから理解を深めていることがあります。
それはマントと足元と履物を脱ぐことの意味。それから買い戻しの権利のことです。
ルツがしたこと、ボアズがしたことを、
マグダラのマリアとキリストが再演しているのです。
ぜひルツを読んでほしいです。
バプテスマのヨハネが言ったこと「履物をお脱がせする価値もない」という意味も、そこから深めていけるのではないかと思います。 >>687
ピッピさん、こんにちは
年の瀬になりました、何かと気忙しいですね
お元気ですか?
以前に、私が神道に興味を持つ事をとても懸念して疑いの目を
持たれていましたね、私は神道と聖書の記述が余りにも似ている事に
普通に興味を持ち、調べ始めました。
あなたがそれを偶像崇拝だと懸念されたお気持ちは凄くわかります。
でもね、私は寺院では仏像に、神社では神社の神に決して頭を下げて
礼拝はしません。その点についてはご安心くださいね。 >>730
自分を信じすぎるのも偶像崇拝です。
マルコより
◼するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。
◼ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。 >>732
レスありがとうございます。
しかし私には偶像とする対象(肉なる私)がもうないのですよ。
キリストと共に十字架で死んでしまったから^^
✝
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって、生きているのである。
(ガラテヤ人への手紙 2:20 ) >>732
✝
わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためである
(ローマ人への手紙 6:6 ) あっそうだわ、
ピッピさんは神様を信じない肉なる人(自分も含めて)を偶像と言ってるのですね^^ 何言ってるんですか。
信じていても信じていなくても
私▪た▪ち▪は▪造▪ら▪れ▪た▪者
=偶像です。 被造物の自覚がない人は注意してください。
浮かれ気分で人生ロックンロールしている場合ではありません。
なにせ、主の再臨も知らないのですから。 天使の守護も知らない
主の再臨も知らない
被造物である自分を偶像だと思っていない
まるで茶番です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています