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ローマカトリック教会20180521
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/21(月) 22:16:33.40ID:Ub2ahvYg
聖書 講談社
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000142178
カトリック教会のカテキズム
https://www.cbcj.catholic.jp/publish/cate/

カトリック書店
http://mercy.cart.fc2.com/
http://tensikan.net/
http://yonohikarisha.blogspot.jp/

バチカン放送局
http://ja.radiovaticana.va/
日本の教区
https://www.cbcj.catholic.jp/japan/diocese/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:51946f6eee861e2451231e2b1d17194f)
0913神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 07:25:54.47ID:WFovtY90
>>98
>>公(おおやけ)から普遍って説明に代わった ・ ・ ・

「代わった」 あるいは 「変わった」 時点があるかとのご質問のようですが、「イグナティウスの手紙」(110年頃)などで使われている 「カトリック」 という言葉は、単に 「普遍的」 というほどの意味でした。
ところが二・三世紀の異端的諸集団排撃の論争において、それらに対して 「正統的、非分派的」 な教会の意味に使われるようになったのです。
そような時代に成立した諸信条では、それ故、「カトリック」 という用語は 「正統的、非分派的」 という意味で使われていて、「普遍的」 という意味ではありません。
ただし、このような説明は神学上の用語説明であって、教会が今も 「一・聖・公(普遍)・使徒継承」 であることと対立しているわけではありません。
カトリック教会のカテキズム 811,830-835 参照。
0914神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 07:38:18.05ID:WFovtY90
>>913 イグナティウスの手紙(105年)

講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
1 エペソのキリスト者へ p157−168
2 マグネシアのキリスト者へ p169−176
3 トラレスのキリスト者へ p177−183
4 ローマのキリスト者へ p184−191
5 フィラデルフィアのキリスト者へ p192−198
6 スミルナのキリスト者へ p199−206
7 ポリュカルポスへ p207−212
(スミルナ教会の監督 聖ポリュカルプ 生きたまま焼かれる刑で殉教)

この文庫のイグナティオスの手紙は、7つの書簡があります。
0915神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 07:45:36.44ID:WFovtY90
315神も仏も名無しさん2018/02/20(火) 02:26:09.28ID:SRK3YFyE>>317>>318
モーセの十戒がカトリックとプロテスタントで全然違うんですが
どちらが正しいのですか?

316神も仏も名無しさん2018/02/21(水) 01:38:53.65ID:W0JKf5ah
カトリックは改変が好き
偶像を作ってはならない → 隣人の妻を欲してはならない
安息日(土曜日)を覚えて、これを聖とせよ → 主の日(日曜日)を心にとどめ、これを聖とせよ

25神も仏も名無しさん2018/07/18(水) 19:08:49.02ID:F6BSFAkj
今日まで続くキリスト教会が
土曜日(安息日)より
日曜日(主日)を重視する根拠の話。


講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
2 マグネシアのキリスト者へ p169−176
9章1節
それでも旧い生き方で暮らしていた人々が
希望の新しさのもとに至り、
もはや(ユダヤ教の)安息日(土曜日)を守らず、
むしろ主の日(日曜日。キリストは日曜日に復活した)
を守って生きるなら−主の日に私達の生が、彼を通し
また彼の死を通して、立ちあらわれたのです。
これを否定する人達もいますが。
しかし私達はこの秘儀を通じて信仰を得たのであり、
そしてだからこそ私達の唯一の師イエス・キリストの
弟子とされるために、忍耐しているのです。
0916神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 07:48:11.21ID:WFovtY90
24神も仏も名無しさん2018/07/18(水) 18:34:46.21ID:F6BSFAkj
〔カトリックの〕ミサで信徒が
ホスチア(500円玉ぐらいのエビ煎餅のようなパン)に
預かる根拠となる話。

司教(監督)・司祭つまり神父の集まり(長老団)に従って
信徒が一つのパンを裂いて食べ合う教会の儀式が
使徒教父時代からあった。

使徒教父の教父とは「教会の父」の意味。


講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
1 エペソのキリスト者へ p157−168
20章2節
特にもしあなた方各人が、皆いっしょに、
恵みにより御名のゆえに、イエス・キリストにあって、
ひとつ信仰において集まっていると、
主が私に啓示して下さるなら(この箇所テクストは
破損しているらしい)。−
イエス・キリストは肉によればダビデの裔(ローマ1・3)、
人の子にして神の子なのです。(あなた方が集まるのは)
あなた方が心を乱さず監督と長老団に従うためで、(そこで)
あなた方はひとつパンを裂く(Tコリント10・16
以下)のですが、これは不死の薬、
死ぬことなくイエス・キリストにあって常に生きるための
(死に対する)解毒剤なのです。
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