水と霊と火のバプテスマ

マタイ3章を読むと、聖霊と火のバプテスマが 一つではなく、 二つのバプテスマをさしていること
火のバプテスマはキリストを拒否する人たちに向けられたものであることがわかります。
バプテスマは、つける、浸す行為です。
水の洗礼が悔い改めた信者を水につける行為なら、
火のバプテスマは悔い改めない悪人たちを火で燃やす行為です。

キリストが水の洗礼を受けた時に聖霊が鳩のように下ってきました
主は水と聖霊のふたつのバプテスマを同時に受けたということです。
弟子たちはペンテコステに受けました。
「水と霊によって生まれなければ神の国を見ることはできません」
なぜ、「火と霊」といわなかったのでしょうか 。
火は水を打ち消してしまうし、 そもそも、悔い改めない人への裁きを象徴します。
水と御霊の洗礼によって神の国を見るに至った信徒に火の洗礼は不要ってことです。

ペテロT 3:20 「箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、8名だけだった
この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。 」
ペテロは水の洗礼をノアの洪水にたとえています。
また、再臨の時に世界を覆うのは、水ではなく火であると言ってます。
「手紙U 3 前の天地は水で滅んだ。 今の天と地とは、同じ御言によって保存れ、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで保たれている」
「主の日は盗人のように来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、
天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされる」

これが火の洗礼です。暇人に騙されないでください。この人は悔い改めていません。羊の皮をかぶる悪党です