<星野さんのご自分の聖母マリア>

もう どうしようもない苛々(いらいら)の捌(は)け口、
それをぶっつけるところがなければ、どうしよ うもなかったんですね。

それをぶっつけるところというのは、 母しかいなかったんです。
母というのはズーッと小さい頃、も の心ついた頃から、畑へ出たり、
田圃へ出たり、土を弄(いじ)くった りね、
汗と泥塗(まみ)れになって働いている母、
それで夜になると、 一枚いくらかの内職を遅くまでしている。
「金、金」って、泣 き言を言っていた母なんですね。
そういうイメージがズーッと あったんですけど、

怪我をして、感じ方が変わったところがあ るんですね。
それはどういうところかというと、
泥塗れになっ ている百姓の母というんじゃなくて、
「私の母なんだなあ」という感じを強く持 ったんですね。
ズーッとベッドの横の狭いところで、
寝起きして、夜中にほとん ど眠れなかったと思うんですね。

しょっちゅう熱が出ていたり、
それから喉―気 管切開をしていて、
その吸引を二時間おきぐらいに、それがあったんですけど、
機械なんか本当にいじったことがなかった母が、

その吸引機を器用に操作して、
看護婦さんより上手くなってしまったんですね。

私が、時には腹を立てて怒った り、口をきかなくなったりするときも、
ズーッと変わらないで看病し続けてくれ るんですね。

そういう姿を見ていて、これは「俺の母ちゃん」「たった一人の母 ちゃんだ」と。
そういう気持を持ちました。