「存在そのもの」は存在しているし
「存在しているもの」も存在しているし、「存在そのもの」であるが、
そう考えない人たちがいた。

個々の青梗菜は「存在しているもの」であるが「存在そのもの」ではないと
考えるわけだ。だって私が今鍋にいれて食べている青梗菜は消化されて分解
されて青梗菜という存在は無くなるからだ。
では青梗菜の「存在そのもの」とは何か。
認識論的に言うと、我々が共通にイメージしている青梗菜イメージこそが
普遍的な青梗菜であり、青梗菜のイデアであり、存在そのものだと考えるのだ。
これを緻密精緻にやったのがDie deutsche Ideologie