>>631さんへ
貴女の述べられる証しは、「私」は私の「存在者」と「主」(絶対者)と「絶対善」により繋がり(主との和解)、そして「聖霊」(命)を受けて「存在」として「今」を生き続けている事。

因みに「私」の証しは、「人の理」(横線)と「自身の成長」(縦線)を交差させた「十字架」である。
(横線と縦線の交差点が「存在者」)
(横線を「体」と「精神」(今)とし、縦線を「時間(命)」(固有時)の軌跡としても可能)

私が「神」という言葉をを用いたのは、他の人は、貴女と違って「父」の前提が異なっている為。
そして、その「神」が「人」及び「社会」に対する影響を自ら考える為。