見られてる、で鈴木大拙さんの日本人の霊性、を思い出した

以下、紹介してるサイトから引用
http://philosophy.hix05.com/Japanese/daisetsu/daisetsu05.html

大拙は、日本的な霊性が芽生えたのは鎌倉時代だったと言っている。
それ以前の日本人には深い宗教意識はなかった。仏教や神道が存在したではないかとの反論があるかもしれぬが、
仏教は上層階級に限定されて一般庶民とはあまり係わりがなかったし、日本古来の神道は、宗教と言うよりは、「日本民族の原始的習俗の固定化したもので、霊性には触れていない」。
ある民族が霊性に目覚めるためには、「ある程度の文化段階」に進む必要がある。

日本人の場合、鎌倉時代に至って初めてそのような文化段階に至り、全民衆的な規模で霊性に目覚めたというのである。

鎌倉時代に目覚めた日本的霊性を大拙は、禅と浄土系思想がもっとも純粋にあらわしていると考えた。
両者とも大陸から伝えられた仏教系の思想をもとにしているが、鎌倉時代の日本人は、それを外来の思想として受け入れたのではない。
それらを日本人独特の宗教意識とマッチさせるような形で、内面化した。ということは、外来の思想が日本人の宗教意識を高めたというよりは、もともと日本人の中に潜在的にあった宗教意識が、これら外来の思想を触媒として花開いた、というべきである、と大拙は主張する。

大拙は、禅と浄土系思想の両者とも、個人の救済を目的としているところに注目する。
禅は悟りを通じて、浄土系思想は絶対者の慈悲にすがることを通じて、と言う具合に内容に多少の違いはあるが、両者とも個人の救済を目的としている点で共通している。
これらに比較すれば、平安時代の仏教は国家鎮護のほうに比重が傾いていたし、神道もまた素朴なアニミズムの域を脱していなかった。