【イエス】命の輝き 『神の家』73軒目【キリスト】
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ここは、ネット上の超教派の教会です。
イエス・キリストを信じ、教えを守り、その教えに従い愛し合う者達のスレです。
リアルで教会に縁遠い方、行きたいけど心の準備がまだな方、そのような方や、
教会に毎週行っている方でも、みなさんがイエス様の御名のもとに、
集い、語り、祈り合う場所です。
前スレ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512315510/ >>1 乙!
「すべてのキリスト教の宗派が、
いや、【一般にすべての宗教】が、
なお内面的に互いにつながりを持つのは神への愛によってであり、
そのほかのいかなるものにもよらない。
もっぱらこの愛において、プロテスタント教徒もカトリック教徒も、
ユダヤ教徒もマホメット教徒も、互いにある程度の結びつきを感じている。
彼らのこの漠然たる敬神の感覚によって、
諸宗教のなかの最も不完全なものさえ、なお尊敬に値するものとなり、
また発展する力を持つことになる。
同時に、この愛のみが、あらゆる身分の人たちを、
その身分上の差別を超えて結びつけ、最も卑しい人を最も高貴な生まれの人と、
真に肝要な点で平等にする。
この愛が、現代における権利の平等と真の人道との根拠である。」
ヒルティ『幸福論 第三部』より。
エルサレム
私たちは、もう一度宗教を、自分の心の中をみてみましょう。
ヒルティは、同じようなことを幾度となく 書いています。 ----
† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
---- 前スレで僕はキリスト者(特にカ○リック信徒)に対する信頼は厚い
と書きました。
それはこの国の人々にとっては病的に見える。事実、もう病気でしょうな。
イエズスの教えというのは人間を漁る(すなどる)漁師にしてあげるというもの
だから、イエズスの教えを真面目に考えて10年も生きれば、人の心の中が
掲示板ではなくて、リアルに相対する人々ですが、よく見えるようになりますよ。
「この人は卑怯もんだな」と思いながらも、優しく接してあげてますよ。
それがキリスト者であり。キリスト者と接すると「この人は卑怯もんだな」と
まず、思うことがありませんからね。やっぱりそういった経験の数々で、自分の
中では、やっぱりキリスト者はちがうねーというのができあがってます。ええ。 >>僕はキリスト者(特にカ○リック信徒)に対する信頼は厚い
きっと裏切られるね この人 ( 笑 >>7
ナルミとかピッピとかサロメとかも一応カトリックだぞ。
彼らには卑怯さを感じないの?
それとも、彼らはカトを自称しているだけで、本当は違うという考えなの? もっと言えば、ピシャーの嫌いなサティだってカトの幼児洗礼受けてるぞ。
さすがにサティは上から言ってくるし、相当卑怯だろ? どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言える気持ち抱きしめてたい
どんなときもどんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから〜♪ サロメなんて、自演で2つのコテ操って、スレをつぶしたりして相当卑怯なことばかり
してきたヤカラだぞ。
自分でも宗教板最大の荒らしと言ってたくらいだし。 サロメ(カトリック信徒)に財布を預ける馬鹿なんているものか ( 笑 >>10
いいえ、まことにまことにまったく感じません。
ミルナさん、雹氏、サロメさんは、僕の誇りでもありますね。
やっぱり違いますよ。ワサビ入ってま寿司ね。
>>12
サティさんは確かに上から目線ありますが「堅信」ですぐに直る
のではないでしょうか。ここ半年だけでもイーロン・マスク系のこの世の
成功者に「うっとり」しなくなっただけでも成長されたと思います。 カ○リック信徒が謙虚になるのは、兄弟のみなさんに告白します、という
回心の祈りを毎週唱えるものだから、自然と謙虚になるのだと、僕は分析しています。
だからサティさんもミサに半年も出ているうちに自然治癒するかもしれません。 マジなのか・・・
かなり強力なマインドコントロールだな >>942
>>表面的な男女の恋愛物語だけじゃなく、裏には極めて宗教的な要素も込められてる良作だね。
たしかに宗教的なモチーフのもとにストーリーが構成されていて、胸が切なくなるような良い映画でした。
しかし、少なくともユダヤ・キリスト教的ではありませんね。
それは日本の神道仏教的であり、グノーシス的であります。 >>19
だよね♪🌟クリスチャンの精神病の集まりだよね♪ ここでコテつけて自称カトだが教会にも行っていないような人たちは、はっきりと
キリスト教からの脱落者だぞ。
サティなんて、輪廻信じてて勝手な自己流解釈でもはやキリスト教でもなんでもないし。
本物のカトリック信者はもちろん世の中にいるけれど、それとここのヤカラは別物だぞ。 みなさんほんとカ○リックに来られませんか。老クリさんも結局
最後の戦い(食らいつき)にカ○リックに向かわれた。
カ○リックは人の過ちはあっても岩には瑕疵(かし)はありませんからね。
糺す(正す)力に対する信頼がハンパないのです。僕みたいな
ちゃらんぽらんがよくもまあここまで人生を真摯に考えるように
なったものだな、というのが一つにはあります。
なるほどカ○リックは凄いな。というのがありますよ。
どのくらいちゃらんぽらんであったかについては書きません。信仰上善く
ありませんから。おそらくよしおさんより僕の方が悪いかもしれません。とだけ。 >>1000
話の始まりは、誰かが仏教は、生に対してネガティブだって言ったのよ。
それは、どうかなと私は思いますが、それはそれとしても
この人は自分でそう思っているのですよ。
で、そんな仏教はナルミさんの希死念慮からして、
大喜びみたいなことを言うのです。
しかしながら、仏教でなく、
ナルミさんは実際、幼児洗礼の長年のクリスチャンであり
そこで生をネガティブとして受けたのです。
(希死念慮)
キリスト教が生にポジティブであり、
仏教がネガティブであるという話に
ナルミさんの希死念慮を用いたなら
その話になんの説得力もないばかりか、
墓穴になっていると言ったのです。 むかしむかし。
あるとこに、おじいさんとおばあさんが、
小さな家でつつましく暮らしていました。
川で洗濯しているとき、大きな桃が流れてきたり。
山で芝刈りしているとき、輝く竹を見つけたり。
・・・なんてこともなく、
平穏な毎日を過ごしていました。
同じ家に住んで、同じ米を食べて。
ドラマチックな出来事などひとつもないけれど。
それは二人にとって素敵な物語。
おやすみ。めでたし、めでたし。
むかしむかし。
あるとこに、おじいさんとおばあさんが、
小さな家でつつましく暮らしていました。
助けた亀に連れられて、竜宮城へ行ってみたり。
殿様の前で美しく枯れ木に花を咲かせたり。
・・・なんてこともなく、
ありふれた毎日を過ごしていました。〜♪ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 「生」「老」「病」「死」の全てを苦だと捉えるのは、仏教独自の捉え方だぞ。
普通は、「老」「病」「死」のみを苦しみとし、「生」には喜びも苦しみも両方あると考えるだろう?
キリスト教がどうこうの前に、そういう生を苦しみと考える発想は独特のものだし、
納得できないのはごく普通のことだぞ。 仏教は根底に一切皆苦というのがあるよね
実際には喜びは皆無というわけではないにしても
束の間のもの、永続しないものとして捉えてるんじゃないだろうか
キリスト教は本来創造は良きものというのがあって
堕落によって人に罪が入り込んだと考える
その罪人たちを買い戻し良き創造へと回帰させる者がキリストという捉え方か
良き創造、あるいは神の国へ帰還途上のクリスチャンにとっては
この世が悪に満ちていて、それゆえに苦に満ちているように感じられる時があるのかもね
なるみは早く天国行きたいという側面が強かったように思うけど
それが強ければ強いほどこの世は苦と感じられたのかもね
半分なるみ流の「腹減った」とか「おはよう」とかのあいさつの代わりだったけどw >>「生」には喜びも苦しみも両方あると考えるだろう?
仏教の四苦(生老病死)の一般的解釈では、
生(しょう)とは、「生きるための苦しみ」と考えていると思いますよ。
生きることに伴う喜怒哀楽全てを否定・悲観しているのではないですし、
まして人生そのものを否定的にとらえて悲観して生きるのが仏教ではないですよ。 >>26
>「生」「老」「病」「死」の全てを苦だと捉えるのは、仏教独自の捉え方だぞ。
それは、釈迦のうつ病の症状に過ぎない。
大乗仏教では、「常楽我浄」、「煩悩即菩提」、「生死即涅槃」、「一切衆生悉有
仏性」である。
小乗仏教は、キリスト教と同じく、精神病の開祖を盲信するカルトに過ぎない。
小乗国の政情の混乱を見よ。 釈迦を盲信する小乗仏教(上座部仏教)と、竜樹を開祖とする大乗仏教とは、本質的に異なる。
日本の仏教は、大乗仏教であって、小乗仏教ではない。
竜樹の中論第一章は「もろもろの存在」である。厳然として存在する全実在の構成原理を
解明したものである。竜樹の思想は、量子力学をはじめ、言語学に至るまで、現代のすべて
の学問を先取りしたものである。 >>31
大乗仏教は、日本人の宗教なのだが。君は、日本人ではないのか。 >>31
君は、「大乗八宗の祖」である、竜樹の中論は読んだのか。少なくとも、中村元の「竜樹」
(岩波文庫)くらいは一読してから、宗教を語れ。 そこに行けばどんな夢も
かなうというよ
誰もみな行きたがるが
遥かな世界
その国の名は ガンダーラ
何処かにある ユートピア
どうしたら行けるのだろう
教えて欲しい
In Gandhara, Gandhara
They say it was in India Gandhara,Gandhara
愛の国 Gandhara〜♪ 宗教板キリスト教スレなら、こうでしょ♪
BGM
そこに行けばどんな夢も
かなうというよ
誰もみな行きたがるが
遥かな世界
その国の名は ゴンガーラ
何処かにある ユートピア
どうしたら行けるのだろう
教えて欲しい
In Gongaーra, Gongaーra
They say it was in India Gongaーra,Gongaーra
愛の国 Gongaーra〜♪ >>23
キリスト教を否定しないけど
ちゃらんぽらんな人が人生変わる話しくらいどの環境や出逢いでよくあるじゃん。🍸
テレビ番組もたくさんあったなぁ…
大阪の神父が飲食店で怒り👊頭突きをしたとか
…
神父が強制的にワイセツ、キスを70回させたとか…
カトリックは聖母マリアが主役?🐤
カトリックはキリスト教では無くてマリア教?⭐😄 >>36
訂正。🍸
「更生の感動テレビ番組」と「カトリックは変だな区別」。🍸 医療を悪魔の象徴とカトリック欧米人達…
⭐😄
あと
シスターは頭が固いし(笑) 【富岡八幡宮殺人】姉弟の学歴が判明。姉・富岡長子=青山学院大学卒。弟・富岡茂永=国学院大学卒。 [718678614]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1512846037/ >>38
シスターこそは、僕が初めて他者に母親と同じような愛を感じた存在ですよ。
小学生の頃の日曜学校のシスターですね。
だから孤児院でシスターに育てられた人は、生みの親よりも
事実、愛を注がれていることがありえますね。正直、非キリスト者は、僕の
目からは煮っ転がしのような、言い方は悪いですが、野良犬を育てるような
方向の接し方にズレていますね。肝っ玉母さん系もいますが、内面の細やかさ
をイエズスの教え以外でどうやって鍛えるというのか・・。偶然の産物的
な人しか期待できません。介護施設然り。隠居さんが弱ってきたときに
人の目の届かないところで殴られたりしなければいいですけどね。 イエズスの教えが、ありとあらゆる場面で、人間として考えないといけないこと
を教えていますよ。キリスト者の更正は表面だけでなく内側の心からの更正ですね。
我流、日本流で反省しましたと自分の目や他者の目に敵う「美学」の追及ごときを
キリスト者は更正とは言わないのです。
例えば、キヨが覚醒剤止めた。頭丸めた。イエズスの教えで内側の心をも更正してみ、と。
どれだけ、イエズスに百裂拳で叩かれますか。だから、美魔女さんの更正と僕の更正とは
ちょっとニュアンスが違いますよ。当然美魔女さんの方が一般的に日本人間で通用する
更正だとは分かりますけどね。 >>36
>カトリックはキリスト教では無くてマリア教?⭐😄
イエズスは十字架上でヨハネにこれがあなたの母であると聖母マリア様を
託しました。弟子つまり信徒の母であると。
聖母マリア様崇敬は、男のみならず女性にも品位を与えるものなのです。
見える人には見えるし、わかる人にはわかることなのです。
たしかにな、と思う人はカ○リックですよ。僕にははっきりと見えますけどね。
三浦綾子さんにはなくて卓球の愛ちゃんや曾野綾子さんにはあるもの。
女性がしっかりしないといけないとミルナさんが言われてましたが、
そのワサビというのか少しきりっとした部分がありますよ。
美魔女さんも偏見をとりはらって、プリティさんのようにカ○リック教会と
接してみませんか?どうしてこんなに勘違いさせられていたのだろう、と思いますよ? (暇つぶしにどうぞ)
このバアルの国の悲惨のひとつに「人格かぶり」「キャラかぶり」とでも言うべき
ものが未だに残っています。自分が有名人のだれかに似ていたら、それを真似して生きる
というもの。情けないものです。僕は幼少の頃からそんな友達をじっと観察
してきましたね。また、名前の字にも利かされて、馬が名前の漢字に使われると
事実、顔が馬面で優しい馬のような目になったり、猪という漢字が名前に使われていると
事実、猪風の顔になったり猪突盲進の性格になってしまうんだ。
こういうのも汎神論のバチと言えばバチなのでしょうかね。
有名人や漢字にすら利かされるのですよ。北海道にはディアハンターがいて
彼は知的な人のでしょうが、しかし、声か容姿がイチローに似ているらしく、まんまイチロー
さんになりきって生きておられます。Youtubeで「北海道 ディアハンター」で検索して
動画を探して観てごらんなさい。手混ぜしながらウンチクを語るイチローがいますから・・。
力士は力士の、球児は球児の、武道家は武道家の、キャラや人格を被って生きる人々。
おまえのイメージリーダーはだれだれぢゃん。わかるわかる。
愛すべき人々ではあります・・。 おはようございます。
仏教の話が出てきていましたから、
中村 元さんの話を聞いてみましょう。
まず、日本では、仏教の第一人者ですから
やさしい言葉ですが、間違いがないので、
他宗教理解に少しでも役立つと思います。
隠居さんもお薦めらしいですが、釈迦をうつ病などと言われていません。
もう亡くなられた中村元さんですが、
最後に伝えられましたこれからの世界へのメッセージを特に心に留めたいものです。
<仏教の本質 「中村元」>
https://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg
こちらは少し長いので、時間がある時に聞かれると良いでしょう。
なかなか、ぎゅとつまった内容であり、基本的かつ幅広い楽しい話です。
<仏陀のことば (中村 元)>
https://www.youtube.com/watch?v=V0VaUxjlM04
・・・・・・・・・・・・
私は今カトリックの神父さんと講座を受講に補助してくださっていると
交流し始めたのですが、
上記のような仏教に関しても広く宗教家として当然のごとく
修め、他宗教に敬意がある世代の方々が開かれていっておられます。
カトリック教会も色々でしょうが、非常に知の明るさと神秘を両立させた
と感じる先輩方が、むしろ中枢部では、いち早く新世界へと、
たくましく、歩み始められているのだと感じているところです。 ×講座を受講に補助してくださっていると
○神父さんの講座の受講を補助してくださっている先輩信徒さんと 相手がどんな宗教を信仰していようがどうでもいいのですよ。
キリスト者はイエズスの教えを心に接するのみ。
わざわざ、どんなパンツ履いてるの?とスカートめくりのようなことを
しないと愛せませんかね。 一切皆苦・・・今の日本語の苦しいてのと、インド思想の哲学的な視点としての「苦」は違うよね。
まず、生物の原動力は「苦」から逃れようとする性質であるという視点。
「楽」がベースじゃないよ?ということ。
ジャイナ教でも生は「苦」だ。
ジャイナ教では不変の実体(変化しないもの、不変の霊魂的なもの)としての、私の本質があるわけだが、
仏教では、私の本質さえも「苦」であると観る。
つまり、「なんか変わらないもの、永遠的なものがある気がするんだよなー」てなことを否定する。
「果肉は苦く、種まで苦い」のが仏教の視点。
膨大な輪廻の中で、生まれ生まれ生まれ、死んで死んで死んで、そんな繰り返しを続けることの、むなしさ。
思い通りにはならないことを、苦とも考える。
家康遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。 僕には非キリスト者の親友が三人いますが、キリスト者の親友とはツーカーで
話が通じるからといって、分け隔てはありませんね。
僕はリアルでは創価学会の人々にも優しいですよ。あまりに無頓着でしたかね。
なんと聖教新聞をとってあげたことも。そのくらいカ○リック以外の
他宗教には無知です。
他宗教を学んで「知」に明るく?なったつもりで、他のキリスト者を否定する
エネルギーを蓄えているのでしょうか。自分の方が知的に明るく新しい世界に
飛び出ているんでぃ!そんなのは悪魔のエネルギーにすら感じてしまうのです。
そういう醜いもの不味いものは要りませんから。
いったい何を求めて、何を目指し、いったいどんな化け物のなりたいのですか?
あなたという人は。 スコット・ペックさんも家康遺訓的なんだな・・・
「人生は困難なものである。これは偉大な真理である」と言う。
人は、「よりによって、なんでこの私が、こんな目に合わなければいけないのか!」と嘆くわけだが、
「人生は困難なものである」と腹をくくってしまえば、困難は困難でなくなるお!と言う。 美魔女はさくらまな似の京女を装うキモ男でプロテスタントを装う無神論者
煮ても焼いても食えないやつ 中村元さんは、間違いなく、初期仏教の第一人者であり、スタンダードです。
でも彼は知の超人なので守備範囲は広く、仏教の専門家というより
古代インド思想の専門家で、仏教はその守備範囲の一つです。
幅広い情報量には誰しもが脱帽し、ああいう仕事はもはや個人には無理ですが
広いゆえに浅いのです。
なので我々仏教を学ぶ者にとって中村元さんの仕事は前提にはしますが
単なる辞書レベルにすぎません。そんなところに留まっているわけにはいかんのです。
浅すぎますから。
またバイアスがあります。
例えば釈尊は信仰を否定したなど。
彼にとっての釈尊とは宗教家ではなく思想家なのです。
偏った立場なのです。 >>50
>スコット・ペックさん
どこかで聞いたことがある名前だなと思ったら、「平気でうそをつく人たち」の
著者の牧師の方ではありませんか。僕は聖書を筆頭に読まなければいけない本10冊の中に
「平気でうそをつく人たち」を入れます。
キリスト者はただでさえ狼の群れの中の羊のようなものであり、マラナたんさんにも
是非読んで「抗体」を作っておいて欲しいものです。 私はイエズスに言われました。
「私はあなたのために十字架につきました。
私の苦しみを思えばどんな困難にも耐えられますよ」と。 >>49
私が貼った、中村元さんのお話にまず耳を傾けてください。
創価学会の話はしておりません。
他宗教を学ぶことは、ご自分の信仰にとっても
なんら邪魔になることではありませんし、
どういう思考回路なのか、さっぱりですよ。
なぜ、そのような貧相な発想しか浮かばないのでしょうか。
なぜ、そのように恐れるのですか。
宗教があなたの替りに生きているのではなく、
あなたが生きているのです。
他のキリスト者を否定するとかの話ではなく
宗教は、本来他宗教と争い、軽蔑するためのものではないはずです。
宗教の本来の形に、過去を反省しカトリックも宗教のあるべき姿へと
変わりつつあると言う、喜ばしい出来事を私は言っているのであって、
気持ち悪いいいがかりはやめてくださいね。
あなたは、あなたの問題があるのでしょうが、
被害妄想のような、混濁した意識はなんとかなりませんか。
むしろ、あなたが暗いレッテルに支配されているのですよ。 プリならはひとつに絞れていないから
いつまでたっても糸の切れた凧
いつまでたっても根無し草
カトリックの信徒と親しくなったって言うけど
入門講座を受けているのなら
中村元がなぜ出てくるのか疑問 >>52
それは、青梗菜だから、辞書だでいいのです。
しかし、仏教を批判するなら、少しは知っておいた方が
いいのではないかと言う、レベルの話ですし、
教養ある神父さんは、そんなことをいわれません。
また、宗教での争いについて、今日では危険であると言う
メッセージを伝えておられます。
そんなバカではないと思いますよ。 中村元の本は岩波全書のインド思想史を読みました。20代のころに。 >>56
ひとつに絞れないのはあなた方ではないのでしょうか。
私は一つのところからですよ。
例えば、一人の人がなぜ色々な料理をするのでしょうか。
物事がわかっていないから、そういう幼稚な疑問がでるのですよ。
で、仏教の話がでましたから、知っておいても損はしないし、
カトリックの神父さんも抑えられていますし、仏教への敬意や
深さ、日本人であることなど、総合的に捉えられていますよ。 私がよく読んだのは東大の玉城康四郎博士の近代インド思想の形成です。
スリ・オーロビンド、ビベカーナンダ、ラーマクリシュナを知りました。 >>59
>例えば、一人の人がなぜ色々な料理をするのでしょうか。
そうきましたか。宗教を料理にたとえて、いろいろ食べますでしょ?と。
でもね、宗教を結婚に例えると、相手は一人でしょ?となりますしね。 プリならは10代終わりから20代にかけての私の時期を今通っているのです。
遅すぎませんか
迷っているうちに人生が終わってしまいますよ。 中村元博士は、仏教徒の自覚みたいなもんはあったようだと言われるけど、
いわゆる宗派の人ではなかったもんね。
そのぶん俯瞰的で、宗派に偏らない見方がありがたいと思う。
まあウルトラ級の学者さんなのは確かで、
仏教以前のインド思想〜原始仏典〜大乗経典という、思想の流れで捉えてる点においてはスゴいよ。
もう、拝んでしまいたいレベル。 >>62
本当にそうですよ。
プリティさんは、僕が他の宗教に利かされるからそれを恐れて、禁書、
禁断の実のように遠ざけていると曲解しておられます。
そうではないのですよ。僕は仏教を学ぼうとした時期もありました。
ところが水と油で全然入ってこないんだ、これが。
先日の希美ちゃんの空(くう)は面白かったですけどね。頭の体操にはいいとは
思います。しかし、利かされることは死ぬまでないのですよ。
カ○リックだけ山上の垂訓だけでもオーバースペック、お腹いっぱいなのです。 >>60
そうですか、
でも特にあなたに対して、どうとか言うつもりで書いたのではありません。
仏教の話がでたのと、中村元の本を読むようにすすめている人が
釈迦はうつ病みたいな、話をしましたから、むちゃくちゃになっていると
思い、私は書いたのです。
そして、特にカトリックで学ぶ私と仏教を知る事は矛盾しないし、
神父さんも仏教に対して良い評価もしておられという
他宗教を馬鹿にするようなところにおられないという事を
合わせて、言っておいただけです。 玉城康四郎は三流。中村元さんは超一流、最高峰の一つには違いない。
ただ、ネットでは中村元を根拠にして大乗を安易に否定する輩が多い。
玉城康四郎は、宗派にはありがたい御用学者の域。 >>62
そうですかねぇ。
ミルナさんは、釈迦は地獄でしたよね。
まあ、いいですけど^^ 私は、山口益をお勧めする。
一般には知られてないかもだが、専門家なら知っている。
その道の超一流のひとり。
読むならば、超一流の初心者用解説書がよい ところで
釈尊が、うつ病だったので、出家したというのは定説レベルの
有名な話ですよ
100%引きこもりですもの 私もML主義を発症した10代後半。
ML主義でお腹いっぱいになって他を受け付けなくなったことありました。
これはカルトの洗脳状態で危険だと感じ、
私はギリシア哲学や仏教を学びなおして、脳みそをリセットしましたよ。
他を受け付けない状態はまずいですよ。 >>68
空の世界―龍樹から親鸞へ 山口 益
これは面白そうですね。隠居さんも竜樹竜樹と竜樹の伝言か
みたいに唱えていますから。これは欲しいものリストに加えました。
暇なときに読んでみようかな。 個人的にはだけど・・・お釈迦さんがトラウマ抱えた鬱病だったということでもいいけどな。
お釈迦さんは自分が生まれたことで、母ちゃん死んだわけだし、
釈迦国は素晴らしい国だったそうだが、いずれは大国に呑まれることが推測できただろうし、
そりゃ鬱にもなるわな。
重要なことは、トラウマを解決できる方法を、お釈迦さんが見つけたこと。
一切苦・無我・無常の3点セットで、トラウマを解決出来ちゃうし。
メンヘラだったからこそ、メンヘラの苦しみがわかり、メンヘラを解決する方法を編み出したのよ。
さすがだ! 医王と呼ばれただけある。 >>69
中村元さんは、釈迦を高く評価されている
ビデヲを貼ったのです。
中村さんの竜樹をおすすめしておきながら、
うつ病だと非難するのは、むちゃくちゃになっているという点において。 釈迦って大川竜法に生まれ変わったのでしょ
退化してませんか >>67
だって地獄に落ちているのを目撃してこの世に帰ってきたお坊さんがいるもの。
それが嘘だって証明してから言いなさいよ 私がインド哲学の本に親しんだのはヨーガをし始めたからです。
でも本を集めているうちにだんだんやってられなくなりました。
ヨーガもこれ以上は危険と察知してハタヨーガをマスターした段階で
インド思想とお別れしました。 原始仏典が福音書に近いといわれたので
岩波の原始仏典も買って読んでみましたが
ID:WojiwifYさんと同じでまったく頭に入りませんでした。 竜樹は八宗の祖と言われていて、日本大乗にとってすべての宗派で
祖の一人なのではあるが、仏教の伝承してきた聖伝によると
鬱どころか、躁で、エロ基地外。
透明になる術を操り、王の後宮に友達と忍んで
宮女とセクス三昧ですよ。 私は大学二回生の頃、
竜樹の中論とか、伝竜樹(つまり偽作)の大智度論を読みましたが
まったく理解できませんでしたよ
わたしは竜樹のようなスーパーエロではありませんし 私は原始仏典も聖書も将棋本も野菜本もなんでもいけますね
今、注文している本は
「信州の縄文時代が実はすごかったという本」藤森英二
「日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語」山崎晴雄
今、注文しているゲームは
「アートディンク みんなのA列車で行こうPC with 公式ガイド」 ところで福音書に一番近いのは法華経ですよ。
ヨハネ福音書と鳩摩羅什訳の「妙法華」はそっくりです >>64
お前は他宗教をバアルと言っておきながら創価の友達がいるとか、ダブスタなんだよ。
わからないだろうがな 法華経はキリスト教に接したお坊さんが創作したものです。
いわば福音書の翻案です。 法華経はキリスト教に接したお坊さんが創作したものです。
福音書に帰るべき。
クリスチャンの信仰を馬鹿にするつきみは悔い改めるべきです。 >>84
福音書と法華経の何が似てるんだ?喩えか?
アプローチが全く違う >>85
何のためのインターネットですか
愚問を発する前に検索すれば >>86
インターネットw
福音書は法華経の劣化コピー
成立年で検索ゴー! >>89
その坊主に師事しているわけではないのでねー
カトリックも色々トンデモあるけどー
まあ、ゴミ漁りはリアルだけにしときなさい。 wiki
中村元は、(法華経に含まれる)《長者窮子の譬喩》に見られる、金融を行って利息を取っていた長者の臨終の様子から、
「貨幣経済の非常に発達した時代でなければ、このような一人富豪であるに留まらず国王等を畏怖駆使せしめるような資本家はでてこないので、
法華経が成立した年代の上限は西暦40年である」と推察した[9]。
・・・・
福音書のほうが先ですねw >>82
ん?人を憎まず、バアル信仰故の悲惨とこの国の地獄を憎む。
で矛盾しないんぢゃね?
非キリスト者を信用はしないが、愛することはできますよ。
ライオンの檻の中には入らないけれども、ライオンを愛する人はいますしね。
まだまだよ、あなたも。 釈迦が西暦1世紀の人なら別ですけれど紀元前6世紀だもん >>92
あなたには知恵があります。
>>93
おまいは知ったか 福音書の成立といっても、
あれを採用しとかしないとか、聖書の形になったのは、あとです。
その福音書の成立も、
マルコが70年代頃
ルカとマタイが80年代頃
ヨハネが90年代頃
ヨハネの黙示録が90〜95年頃か
ですが。 『法華経成立史』(1934)で述べた説がある[6]。これは段階的成立説で、法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した、とするものである。
第一類(序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は紀元前1世紀ころに思想が形成され、
紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立したとし、第二類(法師品〜如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、
第三類(7品)は150年前後に成立した、とした[6]。その後の多くの研究者たちは、この説に大きな影響を受けつつ、修正を加えて改良してきた[6]。 ショージキ原始仏典は実践的心理学ぽいし、シンガーラへの教えなんてのはものすごい普通な道徳なんよね。
大乗化が進むほど宗教性が高くなるというか、神話化・物語性が進むというか。
まあ仏教は、土着的な宗教を真っ向から否定はしない。
土着的な宗教の習慣を否定せずに、仏教的な価値観で見方を上塗りするようなところはある。
チベット仏教はボン教を習合して仏教化するし、
中国仏教は老荘思想によって理解されたもの。
日本仏教は神道と習合して仏教化したあげく、戸籍役所化して、盆と葬式、祈祷の習俗になりますたw
まあでも最近は若い坊さんたちが、「これじゃいかん!人生の悩み事に応えなきゃ!」みたいに頑張ってるもんね。
カトリックなんかも、土着宗教の習慣を上塗りするもんな。
多神教神殿跡に教会を建てて、多神教神殿に通った習慣を利用してキリスト教化する。
クリスマスもそうだしね・・・多神教のお祭りの習慣を、キリスト教の習慣に変えるわけよね。
パウロもそうだな、ギリシャ人の信仰心自体を否定はせずに、キリスト教化しようとした。
そういうやり方には、悪く言えば土着的なベースが残るけど。
妖精さん、ハロウィン、呪術ぽい雰囲気、ミイラ神、ブードゥの神々、処女神etc 布施浩岳さんの『法華経成立史』はあかんやろ 古すぎ
序品は一番最後に成立ですよ
んで更に提婆達多品が付加された。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています