この時期以降、当会に入信してくる人のクオリティが、恐ろしく下がったのだ。
他では相手にされない程、厄介な性格の持ち主でも、当会にとっては有難い伝道対象者。
ちょっとオカシイ人間が、この時期から当会に急増することになる。
伝道スキルも情熱もない信者は、普通のマトモな一般人への伝道は成功しなくても、この手の人間なら成功する確率は上がる。
宗教への偏見とか、世間の目とか、そう言ったものとは無縁な人々。
ある意味社会から疎外されているような人々を、どんどん連れてきては伝道数に上げる。
しかし、当の本人は、宗教の概念どころか社会の常識も知らないような人なので、ただ言われるがまま
支部に連れてこられて、はい。はい。はい。と三回返事をして三帰完了。
全員が全員、このような人種ではないが、割合が激増したのは間違いない。

幸福の科学の発足当時、当会への入会は許可制だった。論文を書いて審査を受ける。
だから、一応、社会常識、教養などもある程度担保されていた。
そして、大伝道活動が起きた時も、信者は誰でも伝道するのではなく、やはり、ある程度人物を見ていたように思う。
それが、伝道活動が冷え込み、ポンコツ職員の安易な数だけの伝道計画が始動すると伝道対象者も誰でもよくなった。
数だけの成果主義がもたらした被害は大きい。

今では、支部は彼らの憩いの場だ。支部でただでお菓子を食べ、お茶を飲み、何もせず帰っていく。
外活動には絶対行かないし、行って欲しくない。当会の信用が下がる。
私は別に、これらの連中が信仰の門を叩くことに異論がある訳ではない。
世界宗教を目指すなら通らねばならない関門である。
問題にしたいのは、こんな連中しか伝道できなくなってしまった既存の信者の体たらくだ。
マトモな人を伝道できないのだ。ごくごく普通の常識人を伝道できないのだ。

当会が大好きな言葉、波長同通の法則からすれば、こんな連中しか集まってこない当会組織自体が、
すでにちょっとオカシイ団体になっているのかも知れない。
このちょっとオカシイ人の率が高まると何が困るかって、信仰に興味があるマトモな人を支部に連れていけなくなってしまった。
いつから当会は社会不適合者の受け入れ先になってしまったのか。