この認識以前にある空白の質に深く感じるほどに浸透していないから、その質が、理解されておらず、世界と自分が引き裂かれたままなのである
すると自分では無心であると思いつつ、ついつい相手があるとかないとか、サトラッぷせなならんとかときたくなるw
ここで空白の質に気付かせるものは世界であり、とくに、そのなかでも命なのだ
生命の、その質と、空白の質がリンクしたときに、この世界は、空白の大爆発だと知るのである
その大爆発を起こしている、力の根源は、これこそ仏の座なのだ
まあこのへんも、妄想だがww
すると、この認識外の質を生きつつ、また自己の方向性を決めていくと
そして、このものと、できるだけ同じになるようにしていくことに喜びが生まれ、はじめて、やることが見つかるのである??
と、想像