イエスも釈迦も、盛んに善悪を語るが、その定義はできていない。
自分でも意味の分からない言葉に、自己陶酔していただけである。
彼らに代わって、私は、善悪を次の通り定義する。

「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を
害する行為」。

「行為」であることが重要。内心の意思は、共同体においては
意味を持たない。