天理教団の目指す方向とその状態と神仏の意思は、まるで反する方向を向いている。
唯一、一致するとすれば、幸福になりたいという人間の意思を、幸福にしたいという神仏の意思だけである。
 天理教団の説くところでは「天理教団の発展が人間の幸福を招く」であり、
諸宗教、例えば、学会の発展が世界を幸福にするという論理と同等である。
 お釈迦鎖那は「信仰を捨てよ、甘露の門が開かれる」と教えた。
 信仰を捨てれば、信仰組織は無用となる。
 中山みきはお釈迦様を月さまとおして、月日言うようにせよと、教えられた。
 お釈迦さまは「自燈明」を説かれ、中山みきは「悟りばかり」と、説かれた。

 宗教団体が団体行動で、悟りを開くなど、神仏の教えに無い。
 天理教団は、神仏から何一つ期待されていない。衰退は、人間の悟りの開眼とともに、無用となる。
 法滅の時代は、宗教組織が最悪になる時代であり、天理教団は「独り立ちのぢば」以外は、成り立たなくなる。

悟りましょう。