そのためあいまいさを避けるための定冠詞を繰り返して付ける必要はなかったのである
同様に,テサロニケ第二 1:12の場合も,κατ? τ?ν χ?ριν το? θεο? ?μ?ν κα? κυρ?ου
[カタ テーン カリン トゥー テウー ヘーモーン カイ キュリウー]という表現は単一の主体に適用されると考えるのが自然であり
二人の別個の主体が意図されているのであれば,κυρ?ουの前に冠詞が必要とされるであろう
しかし,κυρ?ου[キュリウー]に?ησο? Χριστο?[イエースー クリストゥー]が付け加えられるだけで,冠詞を挿入することなしに,二人の別個の主体に適用されることになる