同様の構文のギリシャ語の文章を翻訳する際ほかの言語のほとんどすべての翻訳者により,“a”という英語の冠詞に相当する語が一貫して挿入されている聖句はほかにもたくさんある
例えばジェームズ王欽定訳のマルコ 6章49節には弟子たちはイエスが水の上を歩くのを見た時「彼らはそれを霊[a spirit]だと思った」とある
コイネー・ギリシャ語では「霊[spirit]」に相当する語の前に英語の“a”という冠詞に相当する語はない
しかしほかの言語のほとんどすべての翻訳は訳し方を文脈に合ったものにするため英語の“a”という冠詞に相当する語を挿入している
同様にヨハネ 1章1節では,「言葉」が神[God]と共にいたことを示しているのでその「言葉」は神[God]ではあり得なかった
つまり,「神[a god]」,または「神性を備えた」方であられた