プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの?その7
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現代にそういう意味がないんじゃなくてひた隠しにしてるだけだろw エホバは、プロテスタントをバカにするが、
どちらの方が、献金回数と献金額が多いと思ってるんだ?あー 使徒1:10 〜
イエスが離れ去って行かれるとき、彼ら(弟子たち)は天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って
※この二人の人はヨハネ20:12 マリアに現れた二人の天使イコールだと理解できるね 使徒1:11 〜
言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは 天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有り様で またおいでになる。」
※ガリラヤの人たち、と弟子たちが呼ばれていても場所はガリラヤではないことに注目 よく勘違いするんだよね 答えは次に 使徒1:12〜
使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻ってきた
つまり主イエスが昇天された場所はエルサレム近郊の「オリブ山」これ大事だから
なぜなら、二人の天使は イエスは地上再臨の際に 「同じ有り様」でここ「オリブ山」から降臨すると証したからだ。
次いこう >>255
ゼカリヤ14:3 4
その時(地上再臨の時)ヤハウェ出てきたりて…
其の日にはエルサレムの前に當りて東にあるところの柑欖山(かんらん山)の上に彼(ヤハウェ)の足立たんしかして柑欖山その真ん中より西東に裂けて甚だ大いなる谷をなし…
※ いわゆるヤハウェの日 主はオリブ山上空に現れ 降臨 スペクタクル映画のように海てはなく山が真っ二つになると預言 >>247
少し整理しよう
昇天されたイエスは再臨の際に 再び同じ有り様でオリブ山に降り立つと二人の天使が約束したのが使徒1:9-12
ゼカリヤ14:3 4 では主の日 ヤハウェ神はオリブ山に降り立ち降臨 山は真っ二つになると預言
両者は明らかに同一と認識する。 ゼカリヤのヤハウェ神は オリブ山に戻られる復活の主イエス と言えませんか? イザヤが見た天の栄光の主がイエスのことだと書いてあるのと同じだよね 以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
夜8時以降にもう一度書き込みに戻る 約束は出来ないが 例のエヘイェアシェルエヘイェ エゴーエイミの長い話になる。しかしこれは決定的な内容 エゴーエイミの話で イエスは神と悟った方々が大勢いるからだ 聖句から反論?
偽善者よ、イザヤはあなた方について適切に預言して言いました、
『この民は唇でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである』。
マタイ15:7〜9
これに尽きるw 「春の再来を祝う非常に多くの異教の習慣が一緒にされて復活祭が生まれた」
カトリック百科事典 優秀な書き込み
異教の邪教を、平気な顔して「献金!奉仕!」と連呼する乞食連中。
まず、神の国と神の義を求めることをせず、加えて与えられることのない乞食。
教会の一部で、家族で生活する乞食。
献金と言う名目で集めたお金で生活する乞食。
せいぜいが、神学校の時間給程度の小遣い銭。
会計では、週報作成費として数万円と計上する詐欺師。 宗教ごっこに過ぎないよ、所詮ビジネス。
何がイエス様の勝利と誕生日を祝うクリスマスだよ、ボケが。結局太陽神じゃねーか、バーーカw 優秀な書き込み
プロテスタントを代表して>>4に答えます。
クリスマスやイースターやペンテコステ等々・・・
三位一体の事も、献金の一部もしくは大半を生活費にしている
乞食(コジキ)が、言っていたから信じていました。
神学校を出て、テストに合格した牧師先生が言うのだから間違いないでしょう。
年末が近づくと、十一献金とは別に、ボーナス献金・クリスマス献金・感謝献金を
「主の為に・・・」と乞食とその家族が連呼します。 異教三昧のウリスチャンが何をほざいて貰えて説得力は皆無 >>265
訂正
異教三昧のウリスチャンが何をほざいても説得力は皆無 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
こうやって逃げるプロカスタントw
誹謗中傷ではなく事実でございますw ネットが無い時代ならともかくこれだけスマホが普及した今日三位一体を信じてる奴は思考停止してるアホと洗脳された馬鹿ばかり(笑
馬鹿は伝統とか権威に弱いし聖書も読まないから簡単に信じるんだろうな〜 さてと 「救われない」連中が駐屯してほざいているようだが、ROMしている善意の方々へのメッセージとして 不定期ながら書き込みましょう。
今日記した内容は既に大量動員書き込みで葬り去られたようなので お復習とする。
新約聖書ヨハネ12:41 イザヤが見たイエスの栄光の場面とは イザヤ6章にある 天の御座の神の栄光 イコール
ストレートな反論は皆無ですから、次 >>272
お前が質問に回答できないんだろw
好きなように書け。 軽くかき消したるわ 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
こうやって逃げるプロカスタントw
誹謗中傷ではなく事実でございますw 新約聖書 使徒1:9-12 二人の天使が証したように イエスは再び地上(オリブ山)に 昇天した同じ栄光の復活体として「再臨」すること
ゼカリヤ14章にある ヤハウェ神ご自身が幕屋(肉体)をつけて終末の主の日に やはりオリブ山上空から降臨 山を真っ二つにする。
このゼカリヤのヤハウェ神が オリブ山に再臨すると約されたイエスとイコールだと理解できるね。 では次 ロム専の奴もプロテスタントがアホだとわかっていますw
こんなキチガイの文章、誰が読むんだよ。 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
こうやって逃げるプロカスタントw
誹謗中傷ではなく事実でございますwクリスマスの日付はどこからとりましたか?
クリスマスツリーの由来は?
クリスマスツリーの飾り物の由来は?
プレゼントを交換する理由は?
サンタクロースの由来は?
イースターの名前の由来は?
卵とうさぎの由来は?
三位一体の由来は?
十字架の由来は?
イエスが実際に言葉で人間に命じたことは何ですか?
父と同等に自分を崇めろですか?
復活を祝えですか?
争いあえですか?
処刑台の形で贖いを思い出せですか?
自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
こうやって逃げるプロカスタントw
誹謗中傷ではなく事実でございますw
クリスマスの日付はどこからとりましたか?
クリスマスツリーの由来は?
クリスマスツリーの飾り物の由来は?
プレゼントを交換する理由は?
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イースターの名前の由来は?
卵とうさぎの由来は?
三位一体の由来は?
十字架の由来は?
イエスが実際に言葉で人間に命じたことは何ですか?
父と同等に自分を崇めろですか?
復活を祝えですか?
争いあえですか?
処刑台の形で贖いを思い出せですか?
自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? 統一協会とエホバの証人 さらにモルモン教は イエスキリストの神であることを否定する 偽キリスト教 反キリストです。
賎しくも再臨主を韓国人文鮮明だとか、唯一の真理の経路はものみの塔統治体などと 戯けた組織や個人にある訳がない。
イエスを個人的に「救い主」とするか 「組織」や「韓国人教祖」を信じるか この選択で永遠を何処で過ごすのやら 我は有りて在るもの
エヘイェアシェルエヘイェ
エゴーエイミ
この話はかなり長時間かかりますので 前回簡略化して説明しましたので、また次回機会ありましたら書き込みましょう。今夜は趣向を変えて 悪霊追い出し等 をしようかと思います。
「主よ 立ち上がってください。わたしの神よ お救いください。 詩編3:8 この日も終わりぬ 世の造り主よ こよいも守りて 安らかにふさせよ
サタンを退け 恐れを除きて 清らかに憩わせ み守りをたまえ
み父とみ霊(たま)と とわに一つなる み子イエスによりて 祈りたてまつる
アーメン 我は天地の造り主 全能の父神を信じその独り子 主イエス・キリストを信じ。主は聖霊により おとめマリアから生まれ ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け 十字架につけられ 死んで葬られ よみに降り 三日目に死人のうちからよみがえり 天に昇り。
続き 全能の父である神の右に座しておられ かしこより主は生きている人と死んだ人とを裁くために来られ また聖霊を信じる。聖なる公会 聖徒の交わり 罪の赦し 体のよみがえり 永遠の命を信じる。 アーメン 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
こうやって逃げるプロカスタントw
誹謗中傷ではなく事実でございますw
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クリスマスツリーの由来は?
クリスマスツリーの飾り物の由来は?
プレゼントを交換する理由は?
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卵とうさぎの由来は?
三位一体の由来は?
十字架の由来は?
イエスが実際に言葉で人間に命じたことは何ですか?
父と同等に自分を崇めろですか?
復活を祝えですか?
争いあえですか?
処刑台の形で贖いを思い出せですか?
自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? 主イエス・キリストの恵み 神の愛 聖霊の交わりが私たちと共にあらんことを アーメン
イエスは言われる 「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」
律法学者は この男は神を冒涜していると言う。なぜなら 神だけが罪を赦す権威があること人にはそれはあり得ないことを学んだから マタイ9:6 ルカ5:21 言い返せないから
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自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? 「人よ 汝の罪赦されたり 」
ただ神のほかに いったい誰が罪を赦すことができるだろうか?
イエス曰く 「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう 」
イエスは単なる人ですか 神ですか? 彼は 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。…イエスは立ち止まって。…「何をしてほしいのか」盲人は 「主よ、目が見えるようになりたいのです」そこでイエスは言われた。 「見えるようになれ」…盲人はたちまち見えるようになり
ルカ18:38-43 当時 病気や不幸はすべて罪の結果 天罰だと考えていた。天罰を招いた罪を赦す権威は人にはありません。だから律法学者は神を冒涜していると考えた。 エクスーシア権威とは 「あることをする自由」です。
神であるからこそ その罪を赦す権威を主イエスは行使出来たのです イエス曰く
「我を見し者は父を見しなり (ヨハネ14:9)
「我は道なり、真理なり、生命なり (ヨハネ14:6)
「我はアルパなり オメガなり いやさきなり いやはてなり 始めなり 終わりなり
(黙示録22:13) パウロ曰く
「今われ肉体に在りて生くるは、我を愛して 我がために己が身を捨て給いし神の子(イエス)を信ずるに由りて生くるなり。
(ガラテヤ2:20)
「汝らは恩恵(めぐみ)により 信仰によりて救われたり、是おのれ(の努力)に由るにあらず、神の賜物なり (エペソ2:8) 汝ら皆この酒杯より飲め。これは契約のわが血なり、多くの人のために、罪の赦しを得させんとて流す所のものなり。
(マタイ26:2728)
それは単なる口約や捺印や血判ぐらいの契約に非ず。神の子が十字架上にその全宝血を流し全生命を与えての罪人への完全なる救いの契約である 言い返せないから
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自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? 言い返せないから
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イエスが実際に言葉で人間に命じたことは何ですか?
父と同等に自分を崇めろですか?
復活を祝えですか?
争いあえですか?
処刑台の形で贖いを思い出せですか?
自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? すべて主の御名を呼び求むる者は救わるべし (ロマ10:13)
すべて主の御名を呼び頼む者は救われん。(使徒2:21)
神の聖名こそすべてのすべて この主とはヤハであり なんとイエスの名だと証されている 使徒4:12 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
こうやって逃げるプロカスタントw
誹謗中傷ではなく事実でございますw
クリスマスの日付はどこからとりましたか?
クリスマスツリーの由来は?
クリスマスツリーの飾り物の由来は?
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イースターの名前の由来は?
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三位一体の由来は?
十字架の由来は?
イエスが実際に言葉で人間に命じたことは何ですか?
父と同等に自分を崇めろですか?
復活を祝えですか?
争いあえですか?
処刑台の形で贖いを思い出せですか?
自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
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誹謗中傷ではなく事実でございますw
クリスマスの日付はどこからとりましたか?
クリスマスツリーの由来は?
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イースターの名前の由来は?
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三位一体の由来は?
十字架の由来は?
イエスが実際に言葉で人間に命じたことは何ですか?
父と同等に自分を崇めろですか?
復活を祝えですか?
争いあえですか?
処刑台の形で贖いを思い出せですか?
自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? 旅の空で 暗い 臭い 汚い馬小屋で生まれたことから始まり、早速ヘロデに殺されかかりしばしエジプトに隠れ住み(黄金没薬、乳香は生活資金と消えた)
帰った故郷はナザレの寒村 家柄はよいが 一労働者として早逝の父の後をうけて母を弟妹を養い ただらぬ労苦を重ねて いよいよ天与の大使命に立つや、四十日の断食にかてて加え猛烈なる悪魔の大試誘にあい これに人間として完全なる勝利を得ても、当時の職業宗教家 学者などからわけもなく憎まれ 妬まれ 攻撃され 責められ しかもその間、人間の最低下にある病人 罪人 弱者の友となり 山に祈り浜に説き 時に寝食を忘れ働き 疲れては井戸端にやすみ 舟に乗ってしとねを枕とし、ラザロね死にあいては涙を流し 滅びゆくエルサレムを眺めて号泣し ゲッセマネにおいて血の汗を流し苦悩の祈りをし さらに愛弟子に背かれ捕らえられ あらゆる心なき者どもの鞭 つば 鉄拳 嘲笑の限りをうけ、やがてこの無罪の身が万民の罪をせおうて死の極刑十字架につけられ ついに父なる神から棄てられ、「わが神わが神何ぞ我を見棄て給いし」と叫んで最期を遂げねばならなかった… イエス。 その惨めさ その不幸 これこそが人類最下の姿、この受難のイエス以下の人間をば他に見られぬと思われるほどの 人間苦を真になめつくした真の人間そのものであられた。
尊い天地を創造された神でもある方がまた真の人間であった。暖かい 真に涙を流し 血をしたたらし 苦しみを悩みの人生のどん底を真に経験してくださった イエス この方を信じる者がキリスト者なのです! 8時から二時間の予定なので本日は此処まで
これだけ証しても信じることが出来ないのは当に ヨハネ12:38-40 イザヤ 6:1-10 神は彼らの目を見えなくし その心を頑なにされた こうして彼らは目で見ることなく 心で悟らず 立ち帰らない。わたしは彼らを癒さない。そのものなのでしょう。
証はした 後は流血の罪はあなた方に行くだろう。
書き込みを大量投稿で葬り去りたいならすればよい。主が裁かれますように 言い返せないから
以上ここまで聖書からの反論なら応答しよう それ以外のたんなる誹謗中傷なら無視 相手にするだけ野暮
こうやって逃げるプロカスタントw
誹謗中傷ではなく事実でございますw
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父と同等に自分を崇めろですか?
復活を祝えですか?
争いあえですか?
処刑台の形で贖いを思い出せですか?
自分の誕生日を他の宗教の祝い日に祝えですか? プロテスタントを代表して>>4に答えます。
クリスマスやイースターやペンテコステ等々・・・
三位一体の事も、献金の一部もしくは大半を生活費にしている
乞食(コジキ)が、言っていたから信じていました。
神学校を出て、テストに合格した牧師先生が言うのだから間違いないでしょう。
年末が近づくと、十一献金とは別に、ボーナス献金・クリスマス献金・感謝献金を
「主の為に・・・」と乞食とその家族が連呼します。 自分が神であると宣言した最初の人間はニムロドでした。
彼の母、セミラミスは、「マザー・オブ・ゴッド」であると宣言しました。
彼ら二人、そして、彼らの息子のタンムズ(Tammuz)とで、神を崇拝する代わりに、「三位一体」という神秘の神を崇拝するようになったのです。
だとさwwww 新世界事典
「古代の諸民族の時代にまでさかのぼる古い三位一体説の単なる改作にすぎないプラトンの三位一体論は,合理主義の哲学に基づく属性の三位一体論であったらしく,
キリスト教会が教える三つの基質もしくは神聖な位格はこれから生まれたものである。
このギリシャの哲学者[西暦前4世紀のプラトン]の聖三位一体の概念は、古代のあらゆる[異教の]宗教のうちに見いだすことができる」
―(パリ,1865‐1870年),M・ラカトレ編,第2巻,1467ページ,フランス語。 散々異教パクってて三位一体だけはガチです
なんて誰が信じるんだ、女神崇拝野郎が じゃ、そろそろ結論ね
異教からの勝利の日をキリストの誕生日として祝っているだけだ。
これが彼らの言い分です。(笑)
7 偽善者よ、イザヤはあなた方について適切に預言して言いました、
8『この民は唇でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
9 彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである』。
マタイ15:7〜9
しっかり預言されとります。
以上。
論破。 そして、彼はいつもイエスのことばかりで、聖霊や父なる神をスルーします。
三位一体ってのは、イエスを神に仕立て上げればそれで成立するもんなのか?
バカバカしくて反吐がでるわw 宗教ごっこに過ぎないよ、所詮ビジネス。
何がイエス様の勝利と誕生日を祝うクリスマスだよ、ボケが。結局太陽神じゃねーか、バーーカw ヨハネ 1章1節には,テオス(神)というギリシャ語の名詞が2回出てくる
最初に出てくる語は全能の神を指しており,「言葉」はその方と共におり(つまり,「言葉[ロゴス]は神[テオスの変化形]と共におり」)ましたとなる
この最初のテオスの前には,トン[英語では“the”で,「その」の意]というギリシャ語の定冠詞の変化形が付いており,この定冠詞は別個の実体,この場合には全能の神を指す
(つまり,「言葉は[その]神と共におり」ました) 一方,ヨハネ 1章1節の二番目のテオスの前には冠詞がない
それで直訳すれば,「言葉は,神[god]であった」となる
ところがこの二番目のテオス(叙述名詞)を「神性を備えた」,「神のような」,あるいは「神[a god]」というふうに訳出している多くの翻訳がある
コイネー・ギリシャ語には定冠詞(英語の“the”[「その」の意])があるが不定冠詞(英語の“a”[「一つの」の意])はない
つまり叙述名詞の前に定冠詞が付いていない場合,その名詞の意味はあいまいで,文脈によって左右される 「聖書文献ジャーナル」は,「無冠詞の述語が動詞に先行している[表現]は主として限定詞的意味を持つ」と述べている
これは同「ジャーナル」が述べる通りロゴスを一種の神になぞらえ得ることを示している
同「ジャーナル」はまた,ヨハネ 1章1節に関し,「述語の持つ限定詞的働きは極めて顕著であるゆえに,その名詞[テオス]を特定されたものとみなすことはできない」と述べている
それで,ヨハネ 1章1節は「言葉」の性質,つまりこの方は全能の神ではなく,「神性を備えた」方,「神のような」方,「神[a god]」であられたことを強調している
このことは,神の代弁者としての役割の点で,ここで「言葉」と呼ばれているイエスが,ご自分の上位者であられる全能の神により地に遣わされた従順な従属者であることを示している聖書の他の箇所と調和している 同様の構文のギリシャ語の文章を翻訳する際ほかの言語のほとんどすべての翻訳者により,“a”という英語の冠詞に相当する語が一貫して挿入されている聖句はほかにもたくさんある
例えばジェームズ王欽定訳のマルコ 6章49節には弟子たちはイエスが水の上を歩くのを見た時「彼らはそれを霊[a spirit]だと思った」とある
コイネー・ギリシャ語では「霊[spirit]」に相当する語の前に英語の“a”という冠詞に相当する語はない
しかしほかの言語のほとんどすべての翻訳は訳し方を文脈に合ったものにするため英語の“a”という冠詞に相当する語を挿入している
同様にヨハネ 1章1節では,「言葉」が神[God]と共にいたことを示しているのでその「言葉」は神[God]ではあり得なかった
つまり,「神[a god]」,または「神性を備えた」方であられた アメリカ標準訳の仕事に参加した学者であった神学者ジョセフ・ヘンリー・セアは「ロゴスは神性を備えていたが,神ご自身ではなかった」と簡潔に述べた
また「聖書辞典」の編者であるイエズス会士ジョン・L・マッケンジーは同辞典の中で「ヨハネ 1章1節は厳密に訳せば……『言葉は神性を備えた存在であった』となるであろう」と結論している イエス・キリストが「神[a god]」であると言うことは,神はただひとりであるという聖書の教えと矛盾していない
聖書では「神[a god]」という語が力ある被造物を指して何回か使われている
詩編 8編5節には「あなたはまた,人を神のような者たち[ヘブライ語,エローヒーム]より少し劣る者と(された)」とある
この「神のような者たち」とは,天使のこと イエスはご自分が神であると主張したというユダヤ人の訴えに対して弁明した際
「律法に……神の言葉を受けた人たちが,『神々[gods]』と言われている」と指摘したがその神々とは人間の裁き人のこと
(ヨハネ 10:34,35,新共; エルサレム。詩編 82:1‐6)
サタンでさえコリント第二 4章4節で「この事物の体制の神[god]」と呼ばれている イエスはみ使いたちや不完全な人間あるいはサタンよりもはるかに高い地位に就いておられる
それら後者が「神々[gods]」つまり力ある者たちと呼ばれているのですから確かにイエスは神[a god]であり得るしまたそうであられる
イエスは父なる神との関係で特異な地位に就いておられるゆえに「力ある神[Mighty God]」と表現されている―ヨハネ 1:1。イザヤ 9:6。 カトリックの神学者カール・ラーナーによればテオスという語はキリストに言及しているヨハネ 1章1節のような句で使われているが
「それらの聖句の中には新約聖書の他の箇所で『ホ テオス』すなわち最高の神として出てくる方とイエスを
同一視するような仕方で『テオス』が使われている例は一つもない」と英国のジョン・ライランズ図書館会報は指摘し
こう付け加えている
「もし新約聖書の筆者が信徒はイエスが『神[God]』であると告白することが肝要であると考えていたのであれば
まさにそのような形式の告白が新約聖書中にほとんどないというのは説明のつくことであろうか」 ヨハネ 20章28節でトマスがイエスに向かって,「わたしの主,そしてわたしの神!」と言ったことについて
トマスにとってとりわけそう叫ばせるようにトマスを動かした奇跡的な状況ではイエスは「神[a god]」のようだった
中にはトマスが単に驚きのあまり感情的に叫んでイエスに話しかけたが神に向かってそう語ったのだと考える学者もいる
いずれにしてもトマスはイエスが全能の神だとは考えてはいなかった
トマスや他の使徒たちは皆イエスがご自分は神であると主張されたことは決してなく父なる神だけが「唯一まことの神」であると教えられたことを知っていた―ヨハネ 17:3。 トマスがそのように叫んだ箇所のほんの3節後のヨハネ 20章31節で聖書は
「これらのことは,イエスが[全能の神ではなく,]神の子キリストであることをあなた方が信じるため(に)……記されたのである」と述べてその点をさらに明らかにしている
それは三位一体の神のある神秘的な一部ではなく普通の父と子の場合のような文字通りの「子」を意味していた ヨハネ 10章30節の句は第三の位格に言及していないが三位一体を支持するためにしばしば引き合いに出される
しかしイエスご自身父と「一つ」であることによって何を言わんとしておられるのかを示された
イエスはヨハネ 17章21節と22節で神に向かってご自分の弟子たちが
「みな一つになり,父よ,あなたがわたしと結びついておられ,わたしがあなたと結びついているように
彼らもまたわたしたちと結びついていて……わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためです」と祈られた
イエスはご自分の弟子たちすべてが単一の実在者となるように祈っておられたのではない
イエスは明らかにご自分と神がそうであるように弟子たちが考えや目的の点で結束するように祈っておられた―コリント第一 1:10も参照。 イエスはヨハネ 10章30節のすぐ後の数節の文脈の中でご自分が神であると主張する言葉を述べなかったことを強力に論じ
そのような誤った結論を出してイエスを石打ちにしようとしたユダヤ人に「父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが
『わたしは神の子である』と言ったからとてどうして『神を冒涜している』と言うのか」とお尋ねになった(ヨハネ 10:31‐36,新共; 新英)
確かにイエスはご自分が子なる神ではなく神の子であると主張された 三位一体を支持する別の聖句として挙げられているのはヨハネ 5章18節
それによればユダヤ人は(ヨハネ 10:31‐36の場合のように)イエスが「神を自分の父と呼んで,自分を神に等しい者としている」としてこれを殺そうと考えた
しかしイエスがご自分を神と等しい者としたと言ったのはイエスではない
イエスは実際次の節(19節)でこの偽りの訴えに対して弁明された
「そこでイエスは彼らに言われた『……子は,父のなさることを見なければ,自分からは何事もできない』」― 新共; エルサレム
そのようにしてイエスはご自分が神と等しくないことしたがって率先して行動できないことをユダヤ人に示された
全能の神と等しい方が「自分からは何事もできない」と言われるところを想像できるのか(ダニエル 4:34,35と比較。)
ヨハネ 5章18節と10章30節の文脈は両方とも三位一体論者のように間違った結論を出したユダヤ人から受けた偽りの訴えに対してイエスが弁明されたことを示しているのだ なーーにが三位一体だよw
教会の子供騙しにまんまとハマりやがって、惨めな野郎だぜ、全く。
クリスマスツリーの意味は? 飾り物の意味は?
12月25日って何の日?
イースターのうさぎと卵ってどこの聖句に書いてあんの??
全部異教からパクっただけ。
キリスト教から異教由来を全て取り除くと、何が残るか。
そう、エゴと残虐性のみ。 プロテスタントのある出版物は「三位一体という言葉は聖書には出ていない。……この言葉は4世紀まで教会の神学に正式には登場しなかった」(「図解聖書辞典」)と述べている
また三位一体は「直接,またじかに示された神の言葉……ではない」とカトリックの一権威者は述べた―新カトリック百科事典
カトリック百科事典もまた「神の三つの位格を一緒に示す単一の用語は今までのところ聖書には一つもない。
τρ?ας[トリアス,「三位性」の意](そのラテン語訳がトリニタス[「三一性」の意])という言葉は,最初,西暦180年ごろのアンティオキアのテオフィロスの著書に出ている
……その後,ほどなくして,そのラテン語形であるトリニタスという語が,テルトゥリアヌスの著書に出て来る」と注解している >>327
はい、聖霊が抜けとりますねw
しかも一つってのはそういう意味ちゃうわ。 ヘブライ語聖書ではエローアハ(「神」の意)というヘブライ語の言葉には二つの複数形すなわちエローヒーム(「神々」の意)とエローヘー(「の神々」の意)という言葉がある
これらの複数形は大抵父なる神のことを指しており,そのような場合単数形の「神」と訳されている
これらの複数形は三位一体を示唆してなどいない
ウィリアム・スミスは「聖書辞典」の中で「[エローヒーム]が神における複数の位格もしくは人格的存在で成る三位一体を指しているという奇抜な考え方を支持する人は今や学者の中にはいない。
それは,文法学者の言う威厳の複数かあるいは神の力の豊かさつまり神の発揮した力全体を表わすかのいずれかである」と述べている 良く読んだら三位一体否定かwww
すみません
ありがとうございます >>333
お前もよく読んでレスしろよ
俺は今三位一体を論破してんだぞ? >>336
>>335
ごめんなさい!!
やつの文章なんてほぼ読まないから、スルーしてたよ 「セム系諸言語・セム語文献アメリカン・ジャーナル」はエローヒームについて
「この語は,ほとんどいつの場合も単数形の述語動詞と共に用いられており,これに伴う限定形容詞も単数形である」と述べている
この点を例証するものとしてエローヒームという称号は創造に関する記述の中で単独で35回出て来るがそのいずれの場合でも神が言われたり行なわれたりしたことを描写する動詞は単数形(創世記 1:1‐2:4)
それで前述の出版物は,「[エローヒーム]はむしろ,偉大さや威光を表わす強意の複数形として説明されなければならない」と結んでいる ギリシャ語には“威厳もしくは卓越の複数”がない
それで七十人訳の翻訳者たちは創世記 1章1節でエローヒームに対応する言葉としてホ テオス(神,単数)を用いた
申命記 6章4節を引用されたイエスの答えが述べられているマルコ 12章29節でも同様にギリシャ語の単数形ホ テオスが用いられている
申命記 6章4節のヘブライ語本文には四文字語<テトラグラマトン>が2回出て来るのでこの箇所をもっと正しく読むとすれば
「わたしたちの神エホバはただひとりのエホバである」(新世)となる
そのように話されたイスラエル国民は三位一体を信じていなかった
バビロニア人やエジプト人は三つ組の神々を崇拝していたが四文字語<テトラグラマトン>のエホバはそれとは異なっておられることがイスラエル人にははっきりと示されていた 「三位一体の教義はつまるところ4世紀末に作り出されたものであるという印象を受けるかもしれない。それはある意味で当たっている。
……『三つの位格を持つ一つの神』という定式は4世紀の終わり以前にはしっかり定着してはおらず,クリスチャンの生活や信仰告白に十分取り入れられてはいなかった」
―「新カトリック百科事典」(1967年版,英語),第14巻,299ページ。 「ステファノは聖霊に満たされ,天を見つめ,神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て,『天が開いて,人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った」。―使徒 7:55,56,「新共同訳」
神の活動力に満たされたステファノはイエスが「神の右に立っておられる」のを見た
イエスは天に復活した後神になったのではない
以前と同じく神とは別個の霊者になった
そして神の隣に第三の者がいたとは述べられてもいない
「一つの神の内に三つの位格……があるということを示す記述は,新約聖書のどこにも見当たらない」と
ドミニコ会の司祭マリー‐エミール・ボワマールは自著「キリスト教の夜明け ― 教義の誕生」(フランス語)に書いている マタイ 28章19節と20節で父と子と聖霊に関して「名」という語の単数形が使われているという点に三位一体が暗に示されていると考えるなら
創世記 48章16節でアブラハムとイサクに関して「名」という語の単数形が使われているという点を比較検討すればいい―ジェームズ王欽定訳,新世界訳聖書。 マルコ 13:32,口語: 「その日,その時は,だれも知らない。天にいる御使たちも,また子も知らない,ただ父だけが知っておられる」
マタイ 12:31,32,口語: 「人には,その犯すすべての罪も神を汚す言葉も,ゆるされる。しかし,聖霊を汚す言葉は,ゆるされることはない。
また人の子に対して言い逆らう者は,ゆるされるであろう。しかし,聖霊に対して言い逆らう者は,この世でも,きたるべき世でも,ゆるされることはない」
コリント第一 11:3,口語: 「あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり,女のかしらは男であり,キリストのかしらは神である」
ヘブライ語のシャッダイとギリシャ語のパントクラトールはいずれも「全能者」と訳されている
原語のこれらの言葉は両方とも父なる神を指して繰り返し用いられているが(出エジプト 6:3。啓示 19:6)どちらの表現もみ子や聖霊には一度も用いられていない イザヤ 40章3節では明らかに神の前に道を備えることが述べられているのになぜヨハネ 1章23節ではイザヤ 40章3節が引用され
バプテストのヨハネがイエス・キリストのために道を備える際に行なった事柄に当てはめられているのか?
なぜならイエスは父を代表しておられたから
イエスは父の名によって来て父が常に共にいてくださるという保証をお持ちだったた
なぜなら,イエスは父を喜ばせることを行なわれたから―ヨハネ 5:43; 詩編 102編25‐27節はこの言葉が神に向かって語りかけられていることを示しているのに
どうしてこの句がヘブライ 1章10‐12節に引用されてみ子に当てはめられているのか?
なぜなら詩編作者がこの句の中で描写している創造の業は神がみ子を通して行なわれたものだから(コロサイ 1:15,16; 箴言 8:22,27‐30参照。)
ヘブライ 1章5節後半にサムエル第二 7章14節の一部が引用され,神のみ子に当てはめられていることにも注目
この句は最初ソロモンに当てはめられ後にイエス・キリストに当てはめられたからといってソロモンとイエスが同一人物であることを意味してはいない
イエスは『ソロモンより偉大な』方でソロモンによって予表された業を遂行しておられる―ルカ 11:31。 ヨハネ 8章58節:
改訂標準訳では「イエスは彼らに言われた,『ほんとうにほんとうにあなたがたに言っておく。アブラハムのいる前から,わたしはある[ギリシャ語,エゴー エイミ; 英語,I am]』」
(新英,欽定,今英,エルサレム,新アはすべて「わたしはある[英語,I am]」となっており中にはこれが称号であるという考えを表わそうとして,大文字を用いている英訳さえある
こうしてこれらの英訳では,その表現を出エジプト記 3章14節と結び付けようとする努力が払われている
それら英訳の訳し方によれば,神はご自身のことをその句の中で「わたしはある[英語,I Am]」という称号で呼んでおられるとされている)
しかし正確にはヨハネ 8章58節の後半の箇所は次のとおり
「アブラハムが存在する前からわたしはいるのです」。(聖ア,モファット,民衆,簡英などの英訳もこの同じ考えを同様の表現で表わしている) イエスがお答えになったユダヤ人の質問(57節)はイエスの実体ではなくて年齢を取り上げたものだった
それで当然イエスはその答えの中でご自分の年齢つまりご自分が存在してこられた期間を取り扱われた
さらにエゴー エイミという言葉を一つの称号として聖霊に当てはめようとする試みは一度もなされていない A・T・ロバートソンの著わした「歴史上の研究から考察したギリシャ語新約聖書の文法」と題する本は
「動詞[エイミ]……時には[エゴー エイミ]の場合のように他のすべての動詞と同様述語として確かに存在を表わすことがある(ヨハネ 8:58)」
― テネシー州ナッシュビル,1934年,394ページ,英文と説明している テトス 2:13 ― ギ語,το? μεγ?λου θεο? κα? σωτ?ρος ?μ?ν Χριστο? ?ησο?
(トゥー メガルー テウー カイ ソーテーロス ヘーモーン クリストゥー イエースー)
神もキリストもしばしば『わたしたちの救い主』と呼ばれており,? δ?ξα το? μεγ?λου θεο? κα? σωτ?ρος ?μ?ν
[ヘー ドクサ トゥー メガルー テウー カイ ソーテーロス ヘーモーン]
だけであれば,ごく当然のこととして,単一の主体,すなわちみ父である神に適用されると理解されよう
しかしながら,σωτ?ρος ?μ?ν[ソーテーロス ヘーモーン]に?ησο? Χριστο?[イエースー クリストゥー]が加えられていることにより事情は全く異なってくる
それによって,σωτ?ρος ?μ?νは,パウロの通常の言葉遣いに従って,彼が? θε?ς[ホ テオス]と呼ぶ方とは区別される人物もしくは存在者に限定されることになる そのためあいまいさを避けるための定冠詞を繰り返して付ける必要はなかったのである
同様に,テサロニケ第二 1:12の場合も,κατ? τ?ν χ?ριν το? θεο? ?μ?ν κα? κυρ?ου
[カタ テーン カリン トゥー テウー ヘーモーン カイ キュリウー]という表現は単一の主体に適用されると考えるのが自然であり
二人の別個の主体が意図されているのであれば,κυρ?ουの前に冠詞が必要とされるであろう
しかし,κυρ?ου[キュリウー]に?ησο? Χριστο?[イエースー クリストゥー]が付け加えられるだけで,冠詞を挿入することなしに,二人の別個の主体に適用されることになる それでテトス 2:13ではエホバ神とイエス・キリストという二人の方のことが言及されていることになる
聖書全巻を通じて父なる神とイエスを同一の存在とみなすことはできない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています