先生が人類の罪を背負った、その先生を信じないと今の時代救いは得られない…とか言っていましたが
「キリストは自分自身を捧げ、ただ一度でこのことを成し遂げられた」とあるので2000年前のたった一度の犠牲で救いは完結してるんですよね

そして摂理では人間である先生を大祭司に立てていますがそれは古い時代の話とあります
御子の分体が先生だから、と言うと思いますが御子の分体などというものは聖書のどこに出てくるのか、摂理の方、聖句を用いて教えて下さい
イエス以外に救いはないことを一言だけで説明する聖句は色々あるので
先生が救い人である聖句も一言でわかるようなものがないとおかしいですよね
その様な聖句は存在しないものなので答えられないと思いますが念のため