【イエス】夢教会の人が集うスレ☆48【キリスト】 [無断転載禁止]©2ch.net
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キリスト者、ノンクリスチャン、アンチキリスト者、仏教徒、なんちゃって仏教徒、その他宗教信徒、スピ、カルト、唯物主義者、フラットアーサー、モブ、誰でもかかって来いや!щ(゚Д゚щ) の夢教会でつ
※前スレ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1500111328/ >>849
フェルナンデス舞て何もん?
一緒に事務所当番してんの? 洗礼者ヨハネは、変わり者だとばかり思っていたら何のことは無い、
非常に偉大な人だったわけ。 >>843
>キリスト者のいう天国。
霊魂にとっての天国を、イエス様が人間に説明しても人間が理解できないというのが
ありますからね。説明する言葉が人間の世界にありません。
だから、イエス様は人間が使っている言葉で「このようなところである」と
説明されました。
なので、さあばんとさんが、キリスト者のいう天国を
以下のように「こんなものである」と思い込んでしまうのは間違いなのですよね。
キリスト者の天国の理解も、実際の天国も以下のようではない、ということです。
>つまり、永遠の若さで死ぬことのない世界。
>ようするに、永遠に不完全なままで拘束され続ける世界のことだ。
霊魂にとっての、「永遠」や「死」や「不完全」や「拘束され続ける」を
人間の感覚で捉えて「*おら、こんな天国イヤだ〜」と言っているようなものなんですよね。
僕たち人間は、天国は霊魂にとっては居心地がいいところなのだろう。
地獄はとにかく居心地が悪いのだろう。という曖昧な理解くらいしかできないのですよ。
*https://www.youtube.com/watch?v=LnHMoln_v8s 霊魂にとっての地獄というところは、自分の片目をくり抜いたり、片腕を
切り取れば、地獄行きを避けることができるのであれば
そうした方がいいらしい。そのくらいに地獄行きを避けたほうがいいらしい。 本気で地獄行きを避けて生きようと考えたときに、下らない宗教知識を
あくせく自分に詰め込んでいる人間をどのように思いますか?
くだらないでしょう?
イエス様の「主祷文」と「山上の垂訓」を日々の自分の生活の中、
人生の中で実際に考えて生きることなんですよね。それによって、考えないと
いけないことがでてきたらそれを考えるのです。
「考えて生きる」には、それによって行動
が変わることがある、という意味を含んでいることを断っておきます。
考えるだけではダメだとツッコミを入れる人がいるかもしれないからです。 >>855 僕たち人間は、天国は霊魂にとっては居心地がいいところなのだろう。
どちらの宗教ですか ?
少なくともキリスト教ではありませんね。 >>855
カトリックの教義に関してもズレが生じているから、
神父様とお話しした方がよろしいのではないですか ?
思い込みによるズレは よくある事です。 >>859
さあばんとさんには私の言いたいことが伝わっていません。
使徒信条も人間の言葉で書かれていますから、それを信じたとしても、
事実、実態の天国、地獄を人間が捉えることはできないのです。
さあばんとさんは、直接的には書いておられませんが、>>843
はキリスト者のいう天国を、あまりよくないところという
含みで書かれたように思いました。僕はそれを否定したかったのです。 >>860
僕の理解はまったくカトリックとのズレはありません。苦笑。 キリスト教では、世界の終末にキリストが再臨し、全ての死者をよみがえらせて、
天国と地獄に割り振るというのが、正しい教義です。
カトリックでは、肉体が復活して魂と結び合わされた後に、公審判を受けるとされています。
ですから、あなたがいう霊魂だけの世界としての神の国という前提は、正しくありません。
したがって、あなたが私を非難する気持ちは解りますが、論理はまちがっています。
キリスト教の言う天国とは、今ある肉体と同じ次元のものを再び持って 永遠に生きることを言います。 一般的なキリスト教の教えでは、死者は主の再臨まで眠りにつくとされ、
主の「めざめよ」の一声で、肉体をもって復活し裁かれることとなっています。
ですから、その教義においては、死者の霊魂の供養というのはもともとはありません。(今やっているのは便宜上)
また、死者の魂がうろつくということ、つまり悪霊やおばけといった霊魂だけの存在やその場所というのも、
全面的に否定するのが、本来のクリスチャンではないでしょうか。(ニケヤ)
キリスト教においては、神は生ける神ですから、人間も神に対するときは全て生きている、あるいは眠っている
ことになります。
【霊】にかんしては【聖霊】以外の概念はありません。
それ以外でオカルト的な霊や占いなどの話をすれば、異端か廃教の兆候と見られるのではないでしょうか。 >>863
>キリスト教の言う天国とは、今ある肉体と同じ次元のものを再び持って
>永遠に生きることを言います。
同じ次元のもでありませんね。僕が霊魂だけのように言ったのは間違いであるにしても、
僕は人間の肉体と同じ次元ではないから、霊魂だけ、として捉えた方がいいと思って
そう書いたのです。
マタイによる福音書22ー30
復活の時の人間は、めとりもせず、嫁ぎもせず、天にいる天使と同じようなものになる。
僕がいいたいことは、あくまでも天国と地獄を捉えるときに
人間の言葉でとらえて、こんなものであるとなめてかかるような捉え方をして
欲しくないというものでした。
あの世での復活が、霊魂+肉体の、この肉体が抜けていたから、僕をそれは
カトリックではない!というのは、揚げ足取りでしかありません。 有名な悪魔祓い エクソシストに関しても、対象としているのは神の霊に対抗する元々の霊的な存在としての悪魔であり、
死者の霊魂ではありません。
ニケヤ教義に反するからではないでしょうか。
しかし我々仏教徒から見れば 答えは明白であり それを解決するのが本来の目的です。 >>865 僕が霊魂だけのように言ったのは間違いである
あの世での復活が、霊魂+肉体
・結局、肉体は持っていくんだね。私はそのことを問題にしているのよ。
・霊界は広大で様々な非常に多くの世界があるというから、あなたがたの行くところは、
つまり復活体としての肉体を所有したところだということ。
人によってさまざまなのだから、少々ケチ付けられたからと言ってムキにならない。 >>867
>・結局、肉体は持っていくんだね。私はそのことを問題にしているのよ。
「天にいる天使と同じようなもの」となる肉体を、さあばんとさんは
「この世の肉体をもっていく」と捉えますか?
わからないでしょう?
それなのに「この世の肉体を持っていく」と決めつけて、キリスト教は
そういうことだ、ということにして
これを基礎にキリスト教の理解の枝葉を伸ばすのは間違いとなりますね。
わからないものはわからないのですよ。 僕はカトリックであるという自分の立場を明確にして語っています。
さあばんとさんの立場の方でしょうか。
洗礼は受けておられるのですか。 ×さあばんとさんの立場の方でしょうか。
○さあばんとさんはどのような立場の方でしょうか。 私は、仏教であり、根本的な態度としては【般若心経】です。
修業としては、一般的なタントラでです。
価値観としては、ごく一般的な昔からの日本の仏教のそれです。
基本的態度が【般若心経】なので、とくに自分の属する教団の教えにのめり込むような事はありません。
今読んでいるカバラはこれに合致します。
あなたは、いろいろとあたらしいタイプの身体とか、よくわからないとか言っていますが、
ニケヤの基本的教義は さっき述べたとおり肉体の復活を述べただけです。
「この世の肉体ではない肉体」「わからないもの」とどこに書いてありますか ? >>868 「天にいる天使と同じようなもの」となる肉体
天使があなたの論拠ですか ?
少なくとも人間は天使ではありません。 >>872
さあばんとさんは仏教徒の方でしたか。
天使は少なくとも、生身の人間と同じ肉体ではありませんからね。
この世と全く同じ肉体として天国観を構築すると、その天国観が幼稚なものと
なるのはわかると思います。 〈使徒信条〉
天地の創造主、全能の父である神を信じます。
父のひとり子、わたしたちのイエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラト
のもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、
三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、
永遠のいのちを信じます。アーメン。 でおーや?
犬の鳴き声が人語に解せて聞こえるとか、それ
幻聴
だから。
パキシル飲んでるか? 〈ニケア・コンスタンチノープル信条〉
わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、
すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の父イエス・キリストを。主は神のひとり子、すべてに
先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまとこの神、
造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。主は、
わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、聖霊によって、
おとめマリアよりからだを受け、人となられました。ポンティオ・ピラトのもとで、
わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり
三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。主は生者(せいしゃ)
と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子
から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす
唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世(らいせい)のいのちを待ち望みます。アーメン。 さあばんとさんは、知ったかぶりをして、以下の二つを出されました。
〈使徒信条〉〈ニケア・コンスタンチノープル信条〉
そのとおりに、僕は信じていますが、僕の発言は変わりません。 つまり、「陰府(よみ)」「天に昇って」「神の右の座」「からだの復活」
これらの言葉を聞いても、
正直、人間には理解できません。そんなものなのだろうな、という理解が
せいぜいなのです。 >>878
あなたに理解できないだけです。
聖人は幻と御霊の解き明かしの2つをもって
一瞬の内にみことばの意味を悟ります。 >>879
僕はおそらくあなたと同じ理解を、完全に理解したものと、表現して
いないのだと思ってください。 私は俗人ですけれど、そんな私にさえ、主は幻と御霊の解き明かしをもって
わからないことをわかるようにさせてくださいます。
それはちいさな奇跡なのです。 人間であるカトリック信徒の限界の理解で理解しても「来世」は
完全には捉えきれないという立場です。
もし、聖人や預言者が、神に同じ天国や陰府や神の右の座を、見せられたり
体験したとしても、それを表現して他者に同じもの、同じ感覚を伝える
ことはできません。言葉の限界があります。
僕は「畏れ多い」という心をもって、天国や地獄を
謙虚に受け止めなさいという立場です。 >>881
僕は幻を見たことはありません。しかし、イエス様の教えられるように
地獄というところが空恐ろしいところである、とは信じているのです。 >>882
あなたとさあばんとを混同してました。ごめんなさいね。
さあばんとはバハムートです。
このひと、どうしようもないアンチなので、気をつけて。
できればハンドルネーム入れてね。 >>886
いえいえ、>>878を単独のレスとして僕が読んだとしても
同じレスをすると思いますから。 僕がいいたいことは、
「霊魂と天使と同じような肉体で捉える天国や地獄が、
今この世の、肉体と心で想像できる天国や地獄ではありません。
それを越えるものです」と言いたいのです。
さあばんとさんが、
「この世の若い肉体、その不完全な肉体をもって
永遠に固定されてしまう、という天国観をキリスト者はもっているのでしょう?」
という投稿をされたので、それに対する抗弁なのです。 さあぱんとは良い線いってるんだけどなー
栄光体は空即是色だよ。
そしてね、聖書は鍵の記述がある。
弟子二人が旅をしてて、イエスが共にされた時、イエスが去るまで弟子はイエスだと気づかなかった。
何故だ? >>888
今の正統的なキリスト教の限界でしょう。
それは越える事は出来ないし、すべきでは無いですね。
法華経では天国を化城として、その先を示しますが、キリスト教ではそこがゴールです。 >>882
人間であるカトリック信徒の限界の理解で理解しても「来世」は
完全には捉えきれないという立場です。
要するにムリ。 宇宙人様の精神のレベルは、地球人ごときには想像もつかないと思っていましたが、ヤハウェ様をはじめ神話の神々が宇宙人様だとすると。
随分迫ってますね、精神のレベルが。
そう変わらない。
となると、やばいですね。
そして、何かと納得です。 つきみは空と色までしか知らないのか
ちゃんと般若心経を読んで
ちゃんと考えを整理するんだな。 w イエス様が救えるのは、せいぜい一部の地球人。
宇宙人様たちは未だにわりと野蛮人なようですから、宇宙を救うレベルのメシアが必要ですね。 それか、受け入れるかですね。
宇宙のルールを。
このまま何も変わらないという事ですが。 不可能を可能にしようとすると、イエス様のように早死にするのも宇宙のルールですし。 神の側の真実=イエスが信じる信仰による神の義。救済=啓示の客観性現実性こそが不信、非キリスト者、一般市民をそのあるがままに包み込み、人に対してその信を開く事の根拠です😹 イエスの信仰=啓示の客観性現実性=完了したイエスの永遠的救済⭐ 御子が批判したのは、パリサイ派ではなくてサドカイ派だろ。 洗礼者ヨハネの真実を読んで はじめて知って感動しました。
彼はキリスト教布教において非常に重要な役割をはたした偉大な方でした。
現行の聖書ではいままで解りませんでした。 薦めるのでなく、希美の個人的評価だけど。
エホ証から世界訳聖書のマタイ福音だけもらったのね。
とても読みやすくていいわ。
世界訳の旧新訳を欲しくなった。
エホ証は聖書無料で配るらしいね。 >>913
なるみ婆さんは、聖書読まないでしょ。
ネット検索で、聖書のあちこち寄せ集めるだけで。
うちは、いろいろな訳の紙の聖書あるよ。 悪露観 あくろかん : 不正な思惟の意。無常を常住と考える観法。
宇宙の創世の神を説きながら 同時に常住を説く。こんな矛盾した話もない。 わたしは、アルバでありオメガである。 黙示21:6 >>916
> わたしは、アルバでありオメガである。
↑なんか時計みたいw ローマキリスト教といえども長い年月の中でエネルギーが存在しているようになった。
キリスト教の常住観のもんだいについて言及する場合は、これらの諸エネルギーに
即座に跳ね返される。
一回の人間にこれらのエネルギーに対抗できるわけがない。
しかも陽性のエネルギーか何かだ。ひとたまりもない。 宇宙の無常観に関しては、始まりがあれば必ず終わりがあるという事。
しかし、これらの問題は多次元に渡るものであり、
通常の人間には理解できないため、甚だしい誤解を生じる恐れがある。
とりあえず敬虔にして正しい信仰をもつ正当なクリスチャンは、私のつまずきだ。
これ以上、真理を語るのは控えよう。 つまり私はクリスチャンのつまづきになっているということだ。
ウリストは毒麦。
パリサイ人とサドカイ人のパン種に警戒せよ。 マタイ16:5〜
おち 私は炎刀「銃」を所有しています♪👰
一族の父の悲願である歴史の改変を暗躍しておりましたが私は心からそれを望んではいませんでしたあ。⭐ >>929
ラジコン壊れたから、社長と水鉄砲で遊んでるんでしょw 啓示は常に行為でなければなりません。そしてもし啓示が神と人間との間の相互作用でなければそれは決して行為ではありません。この相互作用の中に人間が参加するには人間は人間以上の者にならなければなりません。⭐ >>932
人間が啓示を受け入れる行為は聖霊を通じて神が自分自身の言葉を受け入れる行為になりましゅ⭐なぜなら神は神によってしか知られることがないからでしゅ⭐👰 バルトは自分の神学を「啓示の神学」と呼ぶけど彼の神学とは正統主義が唱える「聖書66巻で完結した啓示」ではないのでしゅ。⭐
バルト神学は異端でしゅ⭐👰 自分の所へ真理と智識を求めて来る者に対して、偽りのことを教え、
つまづかせる教師は、自分自身の魂を悪に縛り付けるだけでなく、
他人の魂に対してまで偽りという鎖をつけることになるのだから、
死よりもなおひどい悪果を受けるだろうところの業因をつくっているのである。 マタイ 18:8−9
M・ドーリル博士 訳の評価は置いといて。
回復訳新約聖書革装は、とても丁寧な装丁。
聖書で装丁については、回復訳がトップと思う。
フランシスコ会訳聖書なども、回復訳の装丁の丁寧さは見習ってほしいな。 >>935
霞ヶ関書房、読むんだ。
ヒマラヤ聖者は買ったことある。 ヤーウェは仏教や東洋の術のことを「それらの術は我々の?何千年と進んだ科学を下ろしてるに
すぎない」といっておきながら東洋の術に弱く何回も東洋の悪霊の術にひっかかりだまされ正しく
正常に物事とりかえそうとしてる人の邪魔をしてくる。2万年前から進歩してない。
キリスト及びキリスト教も同じだ。「取り返したげるからね」とまでいっておきながら
東洋の悪霊の術にだまされ?正常に物事取り返そうとしている人の邪魔をしてくる。
だから、今はKSAの神仏しか信用できない。 ヤハウェは呪い神
呪いの神体3ツールを使わせて
財産を得させて契約取ってるだけだ カトリックを離れると「やたらとごちゃごちゃ紛糾する」という視点で僕は
観ているのですよ。どういうことかというと
(1)カタカナの盲人の案内人の名前をやたらと出して議論する。
(2)いろいろな本をやたらと読まないといけない。
(3)口角泡を飛ばしてやたらと机上の空論をする。
だから、さあばんとさんの放射状のどこへ行くともわからないまとまりの
ない思考。希美ちゃんの「ヒマラヤ聖者」ですか。
僕は、そういう混沌の世界には迷い込みたくはありません。
イエス様の教えの自分の生活での実践にだけ集中していれば、さあばんと
さんの目指す「修行」。霊魂にとってダイレクトに作用する「修行」を
いろいろなことにネーミングをしまくることなしにできますよ。 ばらばらになった肉体を、やたらと本を読んで、それがヒモとなって
かろうじて形をとどめておかないといけない自転車操業。
そんな無駄な努力を一生懸命しているように見えるのです。
とくに希美ちゃんのここ10年のどったんばったんですね。 ×ばらばらになった肉体を、やたらと本を読んで、それがヒモとなって
かろうじて形をとどめておかないといけない自転車操業。
○ばらばらになっていこうとする肉体と心を、やたらと本を読んで、
それがヒモとなってかろうじて形をとどめておこうとする自転車操業。
無宗教を自称する日本人には多いと思います。
どったんばったんしていますよ。 メインプロテスタント以外の方ですかね。
聖句(カトリックでは御言葉と言う)をがーーっとやたら書いて出す人が
おられる。
それを、自分の生活や人生の中でどう使ったのか。
そして、どのように思ったのか、感じたのか。それを書きなさいよ。
宣教のつもりでも、未信者にとってはキチガイにしか見えません。
カトリック信徒は、聖句の次。それをどのように自分の生活や人生に
使うのかに集中しているのです。
だから聖句をがーーっとただ書いて投稿する人は皆無でしょ。
自分の言葉で語るわけだ。
言葉が与えられるというのは、聖句をオウムのように語ることではないですよね。 「押すなよ!押すなよ!絶対押すなよ!✴」
の「押すなよ!」💨は準備中♪
「絶対押すなよ!」💦は押してくれの合図です🙈 >>946
おめーお笑いしかみてねーじゃん
ネカマすんなら仮面ライダー、エムステ、ドラマくれー抑えとけ禿 近年、コンピューターの言語に関する技術が発達し、一千五百年間、解読不能であったゾロアスター教の祭儀での
マントラの意味などが、解明されたりして来ている。
また、マントラなどの 言語学的なルーツを探り、その元々の由来や意味、人々の移動などが判明するようになった。
その中で聖書も例外ではなく、本来の元型により近い元々の文章や意味合いなどが判明して、一般に普通に
出版されるようになった。
それらは、まったくの敬虔な信仰や畏怖を土台として究明されたものであり、また科学的な中立公平な分析によるものであるから、
それらを読んで、現行の聖書とどのように違うのかを1人1人が探求できる時代となった。
個人の、キリスト教信仰における様々な偏りや頑迷・固執などは、多くの場合これら教会側の都合により改変された部分の影響に
よるものではないでしょうか。
教団の出版物だけを頼りとするのではなくて、他の反体意見も聞いたうえで、自分で判断して行くのが一番良い道であろうと思うが、
大抵の場合は一時的にせよ、反対意見に染まってしまうから、とても危険な道でもある。
パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けてください。マタイ16:5〜 たとえ論破しても彼らの考えがそれで改善されることはありません。 >>948
さあばんとさん、いつしかイエス様より多弁になっていませんか。 さあばんとさんも、いち早く○○○○○に来られてください。
身軽になりますよ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。