★人は生涯どれだけ神に罪を犯すのでしょうか。
人は 思い、言葉、行い、怠りによって 罪を日々積み重ねて行くので
本人がよほど気をつけない限り 人の罪は人生のその長さに比例し かな
りの量となります。
ですから 人はこの世では罪を犯せば謝罪するだけではなく 当然社会的
責任を負って償わなければならないように たとえ警察に捕まらなくても
そして悪口や いじめ 罵倒 怠惰 嘘などの小さなそれらの罪でも 神
への償いは残されているのです。
しかもこの世に於いて 強盗や自動車運転による傷害、殺人等一回でも犯
せば 実刑一年以上かせられ償わなければならないのですから 神の目か
ら逃れることができない各々の人の生涯に於いて 日々積み重ねてきたそ
れらの罪に対する償いは 死後一年程度では到底償いきれないのは明らか
です。 
要するに 誰もが死後長い時間を要して生前犯した小さな罪まですべて神
に償わなければならないので すぐに天国に行ける人など誰もいないとい
うことです。まして大罪を犯して償っていても 心から悔んでいなければ
そう簡単には天国にはいけないのではないでしょうか。

そもそも神はまことの聖なる方ですから その神のみ顔を仰げる者は罪の
汚れのない人々であり 当然天の門をくぐる霊魂は 神のみ前に立つに
ふさわしい霊魂でなければなりません。その霊魂を清める、生前犯した罪
を償う為に 神が用意された場所を「煉獄」とキリスト教用語で言いま
すが 旧約、新約聖書にはその存在が記載されると共に 12使徒からの
使徒継承によってカトリック教会に教え伝えられて来ました。
私達は弱い人間ですから罪を犯さない人はいませんし その罪のままの霊
魂の状態では誰も神の国に入れず 聖書に記されている様に 必ず煉獄を
通って天国に至るわけですから 神の存在を知っているカトリック教徒は
悪を退ける決心をし その実現のためにも神からの助けを願いミサ聖祭に
与ります。