宗教は金の無駄 [無断転載禁止]©2ch.net
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利益もないのに布施を要求すること自体が異常wwww
ところで、おまえら。
おまえらだって、海外旅行やアウトドア・サバイバルにあこがれたことあるだろ。
餓えや渇きをリアル小説で疑似体験しとけ。
いつか役に立つ!
★「デスバレー紀行(仕組まれた彷徨)」★
http://slib.net/73709
↑
最初は車選びとか景観の紀行文で楽しいが、途中から実践的サバイバルwww
水の得方とか夜間行動とかが、いざというとき利用できそう。
最後はちょっとカワイソウなオハナシ。
上松煌(うえまつあきら) 作
プロフィール
http://slib.net/a/21610/ 宗教から学べることもあるけど別に宗教に金使わなくても図書館やネット等で無料で宗教について学べるからね
宗教にハマってる奴は洗脳マインドコントロールされて宗教に金使えば幸せになれると思い込んでるだけにすぎない 奉仕活動でつかってもらい役に立ってもらってる感は否定しないよ カッコいいと思ってんの?お前wwwwドヤ顔www周りを威嚇www GHQが簡単に作った現日本憲法は、神様なのかねぇ?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1491429703/
GHQ占領下の日本
http://www12.plala.or.jp/rekisi/ghq.html
1945年8月15日正午、昭和天皇はラジオで全国民に向け敗戦を告げ、真珠湾攻撃から4年にわたる長き戦争が終わりを告げました。
そして、1945年10月。東京にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が設置されると、最高司令官のマッカーサー元帥は日本の弱体化、民主化を図り、数々の政策を実施していきます。
陸海軍をいち早く解体すると共に戦争犯罪人を逮捕。経済面からも日本の戦争体制を支えていた財閥を解体します。(三井、三菱、住友、安田などの財閥解体・ただし後に財閥は復活する)
農村においても、大規模な土地を持つ地主から国が強制的に土地を買い上げ、その土地を小作人に安く売り渡すという農地改革も行われました。
また、治安維持法を廃止し思想や宗教、政治活動の自由を国民に与えます。
選挙法も改正され、女子が選挙権を得ることになりました。これにより、20歳以上の男女には選挙権が与えられ、女性が議員に立候補することもできるようなります。
労働組合法も制定され、労働組合をつくることも認められるようになり、教育に関しても1947年に教育基本法が制定され小中学校は男女共学となりました。
そして、日本の民主化の象徴となるのが日本国憲法。
当初は日本側に大日本帝国憲法の改正をある程度はまかされていたのですが、日本側の改正案は旧憲法と殆ど変わらない内容・・・。
結局はGHQにより「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」を掲げたGHQ案を突きつけられ、これをもとに新たな憲法案を作成することになりました。
この日本国憲法は1946年11月3日(文化の日)に公布され、1947年5月3日(憲法記念日)に施行されます。 プラシーボ効果があるから金の無駄ではない
個人だけでやる分にはどうぞ
ただ、宗教の矛盾も気づかない低脳供が勧誘して来るのは勘弁な 🌟 あなたに贈る言葉@
真実の世界に目覚めよ
この世は、真実の世界から見たならば、
ちょうど正反対の世界である。
あなたがたが、その目でもって見ている、
この世の世界というものは、
ちょうど、「池のなかを覗いて、
その水面に、鏡のごとく映っているわが姿を見て、
自分だと思っている」のと、同じなのである。
あなたがたの見ている世界は、本当の世界ではない。
目の前にある、池の上に映った世界にしかすぎないのだ。
言葉を換えるとするならば、
あなたがたが、
現実であり、真実であると思っている、その世界は、
「真実の世界を映している、模倣している、
その影絵にしかすぎないのだ」と、知らなくてはならない。
あなたがたは、
映画のシーンを観て、現実だとは思わないであろう。
同じように、真実の世界から、
この世界にて生きている、あなたがたを見ている、
霊的世界の者たちの目には、
あなたがたの実社会や学生の生活が、
映画のように見えているのだ。
それは、現実を模倣したフィクションの世界であるけれども、
そのフィクションの世界が、まさしく、
あなたがたが生きている、その世界そのものであるのだ。
あなたがたが真実の世界だと思っている世界が、
真実の世界ではなく、
あなたがたが夢幻だと思っているところの、
昔話や、伝説や、宗教においてのみ、聞いたことのある世界が、
実は、本当の世界なのである。
−「目覚めたる者となるためには」より
🌟🌟 大川隆法著 「伝道の法」より 🔥 大川隆法著 伝道の法
🔥 第一章 心の時代を生きる
ーーー人生を黄金に変える「心の力」
1 「心とは何か」が分からなくなっている現代社会
「心とは脳の一部である」とする現代の「常識」
本章では、「心の時代を生きる」という一般向けの題をつけてみました。仏法真理に初めて接する方には、「心の話」をしたほうが分かりやすいだろうと考えるからです。
やはり、宗教の使命として、第一段階はこのあたりであって、「心の話」を通じさせるところから始めないといけないでしょう。「難しい話はいろいろあろうけれども、そこまでは行けない」という人が多いのではないかと思います。
ただ、テレビドラマなどを観ていると、「心とは脳の一部なのだ」ということを平気で言っているので、それが常識になりつつあるのかもしれません。
こうなると、医学も、よいのか悪いのか分からない感じがします。人間を診ているうちに、パソコンをいじっているように見えてくるのでしょうか。まるで、そうしながら、「この部分が心だ」などと言っているようなのです。
確かに、脳が壊れたら機能が失われるので、そのようにも見えるのかもしれませんが、これは、「人間機械説」でしょう。ところが、こうしたことがけっこうまかり通っています。
また、分解的、分析的な見方をすると、電極をつけたり、電気ショックを与えたりして、「ここを押すと何が出てくるか」を調べ、「この場合は、こうなる」というようなことを言うわけです。 しかし、私たちには、どうしてもそのようには見えません。もし、そう見え始めたとしたら、いろいろなものが引っ繰り返ってきているのだと思うのです。
要するに、学問にしても、実際の仕事にしても、「引っ繰り返った世界」を見ているのではないでしょうか。
高度な学問を勉強しているうちに、「心は、頭のこのあたりにある」と感じるのであれば、ここには何かの間違いがあると思います。非常に残念でなりません。
勉強をしすぎた人が、「心というのは、頭の一部分にあって、コントロールをし、判断をしている」と思っているのであれば、やはり、何かがおかしいでしょう。
あるいは、「『心は胸のあたりにある』『もう少し下の、お腹のほうにある』などと感じる人が、゛古代人”に見える」というのであれば、何かが倒錯していると思います。
つまり、心に響くものが分からない時代に入っている可能性があるわけです。 学問の世界に流れる”汚染水”の正体
その意味では、非常に基本的であり、初歩的ではありますが、ここは、宗教としての、”最初の戦い”の部分だと思います。
もし、「心なんて、ない」と斬ってこられたら、宗教としては、「開く扉がない」に近いでしょう。
「人間には、心なんかない。何を言っているのだ。脳の作用じゃないか。あれは、神経の作用だ。そんなものは、脳のあたりに電気作用か何かが働いて、そういう風に感じているだけなのだ」
と、自分で言っているような人たちを説得し、その後の世界について説明するのは、とても難しいと思います。
ともかく、”頭がいい”という人が、だんだん、そのようになっていくわけで、仏教の言い方では、これは、「邪見」、もしくは「悪研」という言葉になるでしょう。
要は、正当な見方、正しい見方(正見)とは違う、逆の見方に染まっているわけです。
「そういう見方が、正統派の学問である」ということで固まっているのであれば、大変な間違いだと思います。
特に、日本の教育としては、「文部省」と「科学技術庁」が一体になって「文部科学省」となったため、すべての学問に対して、科学的な見方がされるようになりかねません。
その場合、いわゆる正見、正しい心理に基づく見方ができなくなる可能性があるわけです。 例えば、歴史や宗教について、「考古学的な裏付けがないものは真実ではない」というようなことになれば、「神武天皇などは、ただの伝説だ」ということになるかもしれません。あるいは、「聖徳太子はいなかった」と言い出す人もいます。
考古学的な証拠というものは、それほど簡単には見つからないからです。
しかし、聖徳太子については、本人が訳したとされる書物まであるわけで、そのほかにも、戦った相手も分かっていれば、系図も遺っています。
奥さんの名前から子供の名前まで全部出ているのですが、そういう人に対してさえ、「これは、つくられた人格であって、歴史上の存在ではない」などと言う学者が出てくるわけです。
その意味では、学問において、そうとう”汚染”が起きているでしょう。そして、流れている”汚染水”は、基本的に、心というものや魂というもの、あるいは、あの世の世界につながる考え方を否定していくものだろうと思います。
これを突破しなければいけません。
やはり、信者のみなさまがたも、伝道などにおいて、心の存在を相手にお伝えする際に、極めて難しい思いをなされていることでしょう。
例えば、「心は存在していない」とか、「コンピュータのようにキーボードを叩きさえすれば、いろいろ替わるものが心なのだ」とか思っているような人にとっては、感情的な善悪の問題などは存在しないに等しいわけです。
要するに、「操作すれば、そうなるだけのことだ」と思っているのです。
確かに、「塩をなめれば塩辛く感じ、砂糖をなめれば甘く感じる」ということはあるかもしれません。しかし、人間の精神作用は、それほど単純なものではないでしょう。
同じものを見ても、人によって違うように感じることはあります。 2 「心の力」で変えられる過去・現在・未来
自分の心を変えることで未来は変えることができる
また、人間は、「考える力」によって、いろいろなものを変えていける存在でもあるわけです。これは、「考え方次第」ということでもあるでしょう。
例えば、人間の目には、水晶体というレンズに当たるものがあって、これを調節してピントを合わせます。ところが、それを「不随意筋」という自由意志では動かせない筋肉で行っているため、いったん目が悪くなった場合、もう治らないとされるわけです。
要するに、コンタクトレンズを入れるか、眼鏡をかけるかして、人工的に光の屈折率を変えないかぎり、ピントが合わずに字が読めないなどと言われています。だいたい、こういう考えが蔓延しているのではないでしょうか。
ところが、私のように、自分の「思いの力」で水晶体や不随意筋を、Wいじる”人が出てくると話が変わってきます。
「ああ、そうですか。じゃあ、ちょっと元に戻さなきゃいけない。戻れ、戻れ、戻れ、戻れ」と言っていると、一週間ぐらいしたら元通りに戻ってくるようなタイプです。
まるで、トカゲのしっぽの再生のようですが、そういう”再生力”がある人間が出てくると、話は変わってくるでしょう。
実際に、「自分の体で、自由にならないところがあるはずがない。早い遅いの違いはあるにしても、本人が支配者なのだから、『自分の体の一部を、このように変えたい』と思えば、そのとおりになるに決まっている」と思うことで、目が治ってしまうような人もいるわけです。
常識にとらわれている人は、かなり驚くでしょうが、現実にそういうことはあります。
したがって、よく気をつけないといけません。実は、「真実がそうなっている」というのではなくて、「そのように教え込まれて、信じ込んだために、そうなっている」ということが、さまざまな現象として起きているのです。
しかし、人間には、自分自身を変えていく力があります。もちろん、肉体も変わりますが、自分の心を変えることによって、いろいろなものが変わっていきます。
つまり、「人生が変わっていき、人間関係が変わっていき、未来が変わっていく」ということが起きるわけです。 そういう意味では、他人から断定的に、「もう、おまえは終わったのだ。駄目なのだ」などと言われて、「そうだ」と思ってしまってはいけません。「レッテル貼り」というか、スタンプでも押したように、「自分は、こんな人間なのだ」と思い込んでは駄目なのです。
例えば、「自分は貧乏人だ」というスタンプを押してしまい、「貧乏に生きるのが普通だ」と思っている人は、それ以上、変わりません。
しかし、「いや、どんな人にだってチャンスはあるのだ」と思っている人は違います。
やはり、「仕事で成功するには方法があるはずだ。例えば、野球で成功している人をよく観察して研究したら、今まで打てなかった球が打てるようになるかもしれない。
それと同じく、お金儲けが得意な人をよく観察すれば、何か秘訣があるはずだ。自分の身近なお金持ちを見て、その人と自分との違いを観察しよう。そして、違いが分かったら、そのなかで、いいところはまねをしてみよう」と思うことが大切です。
また、「まねをしていったら、五年、十年するうちに、いつの間にか自分も同じようになっていた」ということは現実にあります。そのように、人生は変えていくことができるのです。 過去に遡って人生を黄金色に変えた松下幸之助氏
なお、私もこれまでは、「基本的に、過去は変えられない。終わった歴史的事実は変えられないけれども、未来は変えられる」と説いてきました。
確かに、一般的な考えとしては、「過去は変えられないけれども、未来は変えられる」というのは、そのとおりでしょう。
しかし、宗教的には、もう一段、ジャンプする余地があって、実は、過去であっても変えられます。過去は変えることができるのです。
例えば、私の次男の大川真輝が『大川隆法名言集「創造的」になりたい”あなた”へ123の金言』の講義を横浜正心館で行った際、次のような話をしていました。
「成功者は、みな、若いころに、いろいろ苦労したり、失敗したりしています。
ところが、共通項としてあるのが、大成功したときに、自分の惨めだったはずの過去について、『そのおかげで、自分は成功できた』というような言い方をすることです。
不思議なのですが、大成功者は、みな、そうなのです。
しかし、それには理由があります。
実は、人より少しだけ成功したとか、少しだけ出世したぐらいでは、過去までが変わって見えることはないのですが、人生が根本的に違ったように大きく成功への道に入った場合、過去もすべて美化されてくるのです。
松下幸之助氏にしても、幼少時に苦労をしています。父親が投機で失敗して、小学校も卒業できなくなり、丁稚奉公で大阪に出されました。
学校も行けずに苦労して、いろいろこき使われ、雑用をしながら、だんだん、自分で会社をつくっていったわけです。
そして、三人ぐらいで始めた会社が大きくなって、やがて、何十万人も雇うような規模になり、世界に工場を出すまでになりました。
すると、今度は、「私が偉くなったのは、学歴がなかったからです。」というようなことを、彼は平気で言うわけです。 こうしたことは、普通の人であれば言えないでしょう。少しだけ成功したぐらいの人には言えません。例えば、「小学校中退だけど、やっと大学卒の人と同じぐらいの収入になった」というぐらいの人では、こうしたことは言えないのです。
そのくらいの成功で、「私は、小学校を中退したから成功しました」というのは難しいと思います。
ところが、彼は小学校中退にもかかわらず、大学卒や大学院卒の人を採用して雇い、部下にして、製品をつくらせて、ほめたりボーナスを出したりする立場になったらどうでしょう。
やはり、世界的に有名になり、「TIME」の表紙を飾ったりすれば、違うわけです。
「私は、小学校を中退して学歴がなかったから、成功できたのです。
「勉強していなくて分からないから、分からないことは人に訊いて、自分より賢い人を使おうと思いました。そして、賢い人をどんどん登用して、能力を引き出してやったら、こういう風に成功したのです」
「自分は病気がちで休んでばかりいるから、自分が休んでもできるように人に任せて事業部制でやったら発展しました。経営者がたくさん育って大きくなりました」
このような松下幸之助氏の言葉がありますが、現在がよくなるだけでなく、過去にも遡って、全部がザーッと変わってくるのです。 ネズミのキャラクターで大成功したウオルト・ディズニー
ただし、こうしたことは、成功のレベルによるのかもしれません。
例えば、ウオルト・ディズニーのような方でも、あれほど大成功してしまえば、「世界のディズニー」であり、ディズニーのことを知らない人は、まずいないと思います。
電化製品が入っていない国や地域で入るかもしれませんが、普通に電化製品が入っているようなところであれば、たいがいディズニーのことは知っているでしょう。
さて、そのディズニーに関しては、「若いころに貧しくてボロアパートに住んでいたため、穴からネズミが出入りしていた。
彼は、そのネズミをジーっと見ながら、『これをキャラクターにしたら、どうなるか』と考え始め、ミッキー・マウスを思いつき、大金持ちになった」という伝説的な話があります。
しかし、普通であれば、思いついたとしても、今で言うWゆるキャラ”ぐらいではないでしょうか。「ネズミのゆるキャラを売って、お金を儲けました」という程度なら、個人で商売をしても、ありえるかもしれません。
ただ、「自分の店で、世界で初めてネズミのキャラクターの商品を売って、黒字になって儲かりました。そして、生活が楽になりました」というレベルでは、すべてが黄金色に輝くことはないでしょう。 やはり、事業が大きくなって、デイズニーランドのようなものがたくさんでき、毎年、何千万もの人を動員するようになって、関連事業も次つぎと増え、世界中に広がっていくようになると、違います。
今度は、その「貧しくて、ボロアパートに住んでいて、ネズミと友達だった」ということが、すべての成功のもとに見えてくるわけです。
もちろん、一般的には、ネズミが出入りするような部屋に住んでいれば、そうはならないでしょう。
例えば、司法試験に受からずに、司法留年をして、さらには、大学を卒業しても受からずに、三十歳まで、「また落ちた。また落ちた」とやっている人の場合、ネズミがチョロチョロしていれば、
おそらく、「このネズミに邪魔されて、勉強に集中できなかったから、また今年も落ちてしまった。このネズミのせいで、いつまでたっても受からない」というようなことを言うと思います。そのように、同じ条件でも変わるわけです。
ともかく、普通の状況をはるかに超えて大きな成功をした場合は、過去に遡ってまで、すべての経験が「光」になってくるということがあります。
例えば、広島の原爆で身内を失くした方であっても、大きな成功をしたら、「おかげさまで、私はとても頑張るようになった」というように、全部が変わるでしょう。
あるいは、東日本大震災で身内を失った方であっても、その経験を、自分が成功した原因として考えるようになるわけです。
そういう意味で、過去も現在も未来も、実は変えることができます。要するに、人間は、考えの力で、思いの力で、すべてを変えていくことができるのです。 3 「心の操縦法」を知らない現代人に伝えたいこと
心を認めないのは、ハンドルのない車に乗っているようなもの
実際に、心というものが実体としてあり、この心のあり様が、自分の人生を変え、未来を開いていきます。そして、その事実を知った人には、ちょうど、車のハンドル操作を覚えた人が道を自由に走れるようになるのと同じことが起きるわけです。
逆に言えば、「心がない」と思っている人は、ハンドルがあるのを知らずに車に乗っているようなものでしょう。
しかし、アクセルとブレーキだけで、ハンドルがない車に乗せられたら、たまらないと思います。アクセルを踏めば前には進みますが、そのままではどこかに激突するでしょうし、ブレーキを踏んでも止まるだけです。
これしかないのであれば、基本的に運転などできません。真っ直ぐな道路を走り続ける以外に、方法はないわけです。
しかし、自分の前にも後ろにも車がいるなかで、アクセルとブレーキだけしかない車で真っ直ぐに走り続けるのは「恐怖」でしょう。私も、できれば避けたいと思います。
やはり、アクセルとブレーキは要るにしても、ハンドルがあるために運転ができるようになるのです。
ところが、このハンドル部分を、「ない」と思っている人がいます。あるいは、「ハンドルを動かせるのは自分だ」ということを知らない人がいるわけです。 そのため、「あなたの思いで、今、そうなっているのですよ」と言われても、それに気がつきません。「あなたがハンドルを右に回せば車は右に曲がり、左に回せば左に曲がって、まっすぐにしたら、まっすぐ進むのですよ。
『中道』というのは、まっすぐに走ることを言うのです。仮に、ハンドルを右に回しても左に回しても、簡単に何かに激突するでしょう。どちらでもいいですが、死のうと思えば、すぐに死んでしまいますよ」と言っても分からないのです。
ただ、実際はそうであって、人間は、死のうと思えば簡単に死ねます。例えば、ハンバーガーだけを一年中食べ続けたら、体を壊して死んでしまうでしょう。あるいは、ステーキでも同じだと思います。
関係者がいたら許していただきたいのですが、たとえ、そのお店の方であっても、毎日は食べられないのではないでしょうか。それは、さすがにたまらないはずです。牛丼屋で働いているからと言って、三食とも牛丼を食べ続けていたら、やはりどこかで病気にもなるでしょう。
ともかく、たとえて言えば、「ハンドルとアクセルとブレーキがあって、自分という車を運転できているのだ。もちろん、ガソリン等の燃料を入れる部分もあれば、空調等の機能も付いているけれども、基本的には、そういう感じなのだ。
そして、運転している人間が『魂』と言われる部分であり、車体の部分、乗っているマイカー自体は『肉体』である。この肉体の部分に魂が宿っているのであって、これが、車を運転している人間に当たるのだ」ということになります。
さらに、人間の魂のなかで、特に、考えたり、判断したりしているのが、いわゆる「心」という部分です。このような人生観が大切なのです。 私が数多くの霊言や教えを説き続けている理由
ところが、そうしたことを知らない人は、「オートマチックの車が、人工知能を載せて、勝手に動いている」と考えているのかもしれません。
あるいは、遠隔操作ができて、自分がその遠隔操作をしているように思っていることもあるでしょう。もしくは、「インプットされた情報に基づいて目的地まで動くような車の、その機械の部分が自分だ」と思っている人が大勢いるわけです。
しかし、これは、現代教育によって生じた間違いにほかなりません。こうした考え方を変えた方が幸福になれるのです。
どちらの選択もできますが、自分自身が、「幸福になるか、不幸になるか」の決定権を持っているのであれば、「自分にとってよいほうを選んだほうがよい」と述べているのです。
「あの世などと言っても、そこへ行って帰ってきた人などいないじゃないですか。それを信じるなど、バカげている」と言う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
私も、毎年毎年、あの世の霊人からの言葉や思想を数多く紹介しています。さらに、その収録映像を上映していますが、私は漫才師ではないので、演技であのように延々とできるものではありません。
また、過去のこととはいえ、私は東大法学部を出ており、あえて詐欺師の仲間になるようなことをしなければいけない理由はないのです。
今でいう大学入試センター試験ぐらいのものであれば、片目をつぶってでも解けるほどにはできましたし、どんな道ででもしっかりと生きていける資格や才能もあると思っています。
そのような人間が、「これは大事だ」と思い、それまでの仕事も辞め、今、教えを説いているのです。
したがって、人をだまさなければいけない理由など何もありません。それでも、そういうルートを辞めてまでも、「これを説かなければいけない」と思ったのは、「多くの人が間違った道を歩んでいて迷っているから、これを救い出さなければいけない」と思ったからです。
そのために、今、教えているわけです。そして、本を出しているわけです。 知り合いから教えてもらった副業情報ドットコム
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグルで検索するといいかも『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
F305E 説かれた教えがすべて記録として遺っている幸福の科学
なかには、すぐに人を疑う人もいるでしょうが、私の場合、自らがしようと思って行うというよりも、本当に天命としてこの道に入っています。
新しい宗教のなかには、いわゆる詐欺、ペテンの類も数多くあるでしょう。たが、そういうところはあまり大きくならず、小さいものが多いようです。
一部には組織的な知能グループのようなところもあるでしょうが、長い間には、やはり、評判や人の信用等を通して、いろいろと明らかになる面もあるのではないかと思っています。
私の説法は、本として出しているだけでなく、CDやDVD等でも出されており、すべて記録が遺っているので、何も隠していません。本にする際には、言葉がきれいになるように、「てにをは」等の直しを入れる程度であり、基本的にはすべて遺っています。
幸福の科学の第一回座談会から今までのものが遺っているので、インチキは一切ありません。証拠があるのです。
よそのところのように、ほかの人にいろいろと書いてもらったりするようなこともなく、実体験したこと、自分で考えたことを書いています。
この実体験ということについても、昔の江戸時代のころであれば、農家のおばさんなどに、突如、霊の声が聞こえてきて、「神様がかかってきた」などと言うのがよくあるパターンでしょうが、
私の場合は、一応、この世の学問をキチッとした上で、「これは、確実にある」と、理性・知性を持って判断して出しているものなのです。
「幸福の科学から出ているものは、非常に知性的で、論理的で、合理的だ」とも言われています。その意味では、当会には理系の方も大勢来ていますし、社会的に知性のある方も数多く集ってきています。
それどころか、経営者がテキストとして使っているケースも数多くあります。経営そのものについて教えるとともに、人間の心のあり方について説いています。この「人間学」の根本のところを教えていることが役に立っているわけです。 「生き通しの人生」という真実を知る
したがって、「心などない」という人に対しては、「いや、そんなことはないですよ、そう考えるのはあなたの自由ですが、それは、自分を機械の一部のように考えることであって、ものすごく卑下した自己像なのですよ。
『人間の体は機械のようなもので、心は、そのなかのどこかで動かしている部分だろう』と思うような、そんな人生観で本当にいいのですか」と、どうか、粘り強く伝えてほしいのです。
現代には、「死んだら、もう何もかも終わりだ。あとは、亡骸を焼いて灰にして、投げ捨ててもいいし、海に撒いてくれてもいい。まあ、好きにしてくれ」というような感じで、この世だけの幸福論になっている人がたくさんいるわけです。
私が「心」というものを説く理由は、「人間の本質というのは生き通しなのだ。生き通しの人生なのだ」ということにあります。
「自分には、『生まれる前の過去』もあったけれども、『死んでから後の未来』もあるのだ、そのような、『生き通しの人生』である」ということを考えないと、これが本当だったときに、知らなかった人は大変なことになります。
一方、この事を知って人生を生きるならば、やはり、非常に価値のある人生を生きることができます。これは大事なところです。
心の存在から魂の存在のところへ考えが至らなかった人は、「人生はこの世限りで、死んだら終わりだ」というように思っているため、「あとは、相続税対策と、遺された家族の処理だけをすれば終わり」などと考えているのかもしれませんが、それでW終わり”ではありません。
そこからが、また、W新しい始まり”になるわけです。
つまり、「生き通しの人生」なのです。 人生約三万日、この大事な一日一日で何をなすか
今世、生きている時間は二万日から三万日ぐらいです。わずか、その程度のものなのです。たくさんあるかと思えば、それほどにはありません。三万日も生きたならば、八十歳を超えます。
私も、すでに二万日ほど費やしてしまいました。「残りはあと幾日かな」と思っていますが、二万数千日ぐらいが普通の人生なのです。
「残っているのはあと何日か」と考えると、一日一日、毎日毎日、消えていくわけです。三万日はなかなか超えられません。そのように、一日一日が消えていきます。
したがって、「この一日一日で何をするか」ということは、大変重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、非常に大事なことなのです。
私と近い年齢の人は、過去、すでに二万日は使っているはずです。まだ若い人もいるでしょうし、もっと行っている人もいるでしょうが、「三万日はなかなかそう簡単に超えられない」ということは考えなければいけないと思います。
そうすると、一日一日がとても大事なものになるわけです。毎日毎日を大切にしていかなければいけないわけであり、「この毎日毎日をどう生き切るか」ということが、極めて重要なことになるのです。
そういう意味では、哲学や、仏教における禅などとも、結論的には似た考え方もあるでしょう。そういう所もあると思うのです。 4 日々、自己変革をして生きよ
「空を飛べなくなった。野、ガモ」の話
百年以上前の人になりますが、デンマークのキルケゴールという哲学者は、こんな話を紹介しています。
その国のある地方には、毎年、渡り鳥の野ガモが飛んでくる所があり、親切な老人が餌付けをしていたそうです。
ところが、栄養のある餌をもらえるものだから、野ガモたちの一部は、寒くなったら南の方へ飛んでいくという習性を忘れ、だんだん太っていき、飛べなくなってしまったといいます。
ところが、ある日、その親切な老人がコロッと亡くなってしまったのです。それで大変なことになりました。
実は、太った野ガモたちは空を飛べなくなっていたため、「さあ、困った。どうしよう」ということになったのです。彼らはすでに渡り鳥の習性を失ってしまっていたわけです。
そして、雪解け水が洪水のように流れてきたときに、溺れて死んでしまったということです。 「野ガモの話」を紹介した実存主義哲学者・キルケゴール
ちなみに、この話を紹介したキルケゴールは、生きていたときにはあまり有名ではなく、無名に近かったのですが、後に、ドイツのハイデガーという哲学者が有名にしました。哲学においては、いわゆる実存主義哲学の始まりのところになります。
キルケゴールという方は、もとは家のお手伝いさんだった女性との間に生まれた子供であり、病気も持っていたということで、ある意味では不幸な生い立ちという見方もあるかもしれません。
また、晩年には「瞬間」という題の教会批判の冊子をつくっていました。
「君たちは、もう手遅れだ。月曜日から土曜日まで、毎日、ぐうたらぐうたらと堕落した生き方をしていながら、『日曜日だけ教会でお祈りをしたり心を清めたりしたら、いいところへ行ける』などと思っているなら間違っている。
人間は、毎日毎日が大事なのだ。月曜日から土曜日まで怠けていて、日曜日だけで救われると思っているのか」などと言った調子で教会を批判していたのです。
そんなことをしていたある日、路上で生き倒れになって、悲惨な最期を遂げました。
これが実存主義哲学の始まりにいた人ですけれども、今述べた、野ガモの話などが有名です。 「飼いならされた野ガモになるな」というIBM精神
さらに、この話を、IBMという大会社をつくったトーマス・ワトソン親子のジュニア(息子)のほうが引用しています。
「飼いならされた野ガモのようになるな。人から餌をもらって食べているうちに、飛んでいけなくなるようになっては駄目だ」というように、野性味を失わないことの大切さを、IBMの精神として説いています。
要するに、「『現状で食べていけるから、これでいい』と思うような生き方をしていたら駄目だ。いつ危機が来るか分からないし、いつ潰れるか分からない。だから、危機感を持っていきなさい。
毎日毎日が真剣でなければいけないし、毎日毎日がイノベーションでなければいけない。そういう野性味、危機感を持って、毎日を生き抜かなければだめなのだ。
一生懸命生きなければ、未来はない」というようなことを言っていたわけですが、それもあって、IBMは世界的な企業になりました。 >>1
宗教やったら、ついつい楽をしようとしてしまうからね
助かるってどうなることを言うのだろうね 日々に精進し、自己変革し、課題に挑戦し、環境の変化に耐える
このような考え方は、みなさんにとっても大事なことであると思います。
「今、これで生活が成り立っているから大丈夫だ」と思っていたとしても、いつ、その生活が何らかの外部的事情、例えば、ライバル店の出現等、様々な状況によって変わるかは分かりません。
また、大手の企業にしても、今、どんどん潰れています。トップメーカーであっても潰れかかっているところはたくさんありますし、現に潰れたところもあります。ほかにも、外国のライバルが出てきたり、国内のライバルにやられたりすることもあるでしょう。
今、世界を席巻しつつあるユニクロのようなところにしても、もし、一ドル百五十円になれば潰れるでしょう。以前は円高だったために、外国に数多くの出店をしても安くできていたのですが、これが一ドル百五十円になったら潰れるはずです。
トヨタのように輸出で儲けられるところであれば、為替レートが一円安くなると、百億円ぐらい儲かったりすることもありますが、安売り店などは潰れ始めます。
円高対策に、海外で現地生産をするようにしたところなどは潰れるようになるので、どうなるかは分からない面があります。
したがって、「野ガモ精神」を忘れてはいけません。ここが非常に怖いところであり、そういう危機感を持って人生を生きなければいけないという所では同じだと思うのです。
やはり、みなさんも、いつもそういう気持ちを忘れてはなりません。
「日々精進する気持ち、日々自己変革をし、新しい課題に挑戦し、環境の変化に耐えていこうとするW遺伝子”を持たなければ、もはや、人間個人としても、あるいは組織としても、生き残ることはできないのです。 永遠と思われてきた宗教の世界が直面する「消滅の危機」
「宗教は永遠だ」と思われていても、いくつかの宗教を見るかぎり、消えつつあるところも多々あるようです。
今、甲府湖の科学では私の説法を全国各地で衛星中継していますが、中継地の近くにある宗教のなかには、「いつ、幸福の科学に滅ぼされるか分からない」と思って震え上がっているところもあるでしょうし、すでにW消えた宗教”もあるでしょう。
幸福の科学が立宗した1980年代は新宗教が数多く出てきた時代でした。70年代、80年代当時には次々と宗教が現れ、ライバルもたくさんいましたが、この三十年間のなかでそうとう淘汰されて消えていきました。
すなわち、世間でははっきりと評価していないものの、やはり、「残って大きくなるところ」と「消えていくところ」とが出てきているわけです。それは、厳しいことではありますが、宗教の世界でも同じなのです。
ただ、古い宗教にしても、「今、頑張らないと、なかなか生きていけない」ということを、いちおう意識はしているようです。
例えば、戦後七十年に先立ち、浅草の東本願寺(浄土真宗)のようなところでも、渡部昇一氏を呼び、入場料無料で講演を開催したりしていました。
実際、親鸞系統の教えで戦後七十年をどう評価するかといっても、全然分からないでしょう。「阿弥陀様、どうにかしてください」という以外に方法がなく、自分たちではできないからか、評論家等を呼んでタダで講演会を開いたりしているのです。
その点、当会は自前でいろいろと意見を言うことができるわけです。 「今までは大丈夫だった」というW安全神話”の見直しを
先ほど述べた、老人に餌をもらっていて跳べなくなった野ガモの話なども、国の体制に関するWたとえ話”として持っていくこともできるでしょう。
アメリカというW親切な老人”が、栄養のある餌を日本というW野ガモ”に一生懸命くれるので、日本はそれを食べるうちに、「もう、南のほうへ渡らなくてもいいな。このまま安泰で、冬も越せるだろう」と思っていた。
ところが、ある日、突然、雪解けの水が流れてきたときには、空を飛べなくなっていて、溺れ死ぬようなことはある。だから、「W安全神話”を守ってさえいれば大丈夫だ」と思っていると、ある日、突然に最後が来ることもある。
要するに、そのW親切な老人”がえさをくれなくなることがあるかもしれないので、そのときのことを考えておく必要があるわけです。
このような例をわざわざ引いたのは、今、日本の国会等でもいろいろ揉めているということもあります。
普通の鳥たちであれば、冬になると南のほうへ飛んで行って餌を取るところを、
「いやあ、私たちは普通の鳥とは違うのだ。餌をくれる人がいるから、もう、南へ渡らなくても大丈夫なのだ」と思っているのかもしれませんが、「大丈夫ではないこともあると知っておいたほうがよい」ということを述べているわけです。
ここでは難しい憲法論議には入りませんが、「今までのW安全神話”で、うまくいっているから大丈夫だ」とはいっても、基本的には、やはり、原点に戻るべきでしょう。
「国家とはどのようでなければいけないのか。ほかのところはどのようにしているのか」ということをよく見もせずに、「自分のところは、これでうまくいっているから大丈夫だ」などというのは甘いのです。
それは、国家にも言えることですし、みなさん個人にも言えることですし、会社にも言えることですし、自営業等にも言えることでしょう。
「絶対に大丈夫」と思っていたのに、ライバルが出てきたりすると、突然、駄目になるようなことはあるわけです。ライバルの店が向かいにできたりとなりにできたりしただけで、潰れることはあります。
したがって、いつも凛として張り詰めた生き方をしなければいけません。 5 心をどのように生かし、人生を生き切るか
人生で得た魂の経験は死後も続いていく
そして、人生二万日から三万日を上手に生き切った人、智慧を持って生き切った人には、その後の未来もあるのだといえます。
「その後」のことについて、さらに分かりやすく付け加えるとするならば、人間は、死んでも魂はなくならずに存続します。
某宗教のように、「人間は、死後、大海のようなところに吸収され、その粒の一つとして沈んでいるような状態になる」と言った「あの世観」を持っているところもありますが、そのようなものではありません。
人間の魂は個性を持っており、あの世でもそのまま生きています。
今世、生きたときに、男性または女性としての性を持っていますが、
この世を去ったあとの来世での姿としても、「今世の意識、名前、男性化助成課の性別、ある程度得た知識や経験等から得られた個性」を持っており、次回生まれ変わるまでは、それを自分だと認識しているのです。
すなわち、個性としての人生経験が、基本的にはあの世でも続いていくことになるわけです。だからこそ、非常に大事なことであると言えます。 人生の時間を上手に使い、十分に生き切るために
人生は二、三万日しかありませんが、その時間を上手に使い、十分に生き切って、誰のせいにするのでもなく、自分で考えていけるものについは、「自分のWハンドルとアクセルとブレーキ”」を使って上手に乗り越えていくことです。
また、未来のみならず、自分の過去さえ変えていけるのです。
「過去が不幸だったから、今も不幸だ」と、いつまだも言い続けているような国もありますが、そのように言っていること自体で、すでに「不幸」なのです。そういうことを言い続けるかぎり、絶対に幸福にはなれません。
その国の今が本当に輝いているのであれば、過去のことは許せるはずなのです。過去のことなどは言わないものです。
それを、例えば、「七十年、八十年前にこんなことがあったから、今、私たちは不幸なのだ」などと言い続けるということは、「今の政治が悪い」ということなのです。
それは間違いなくそうでしょう。今の政治が悪いために、為政者は、国民の目をそらすために、過去のせい、外国のせいにするわけです。
そのあたりのことが分からないようでは、残念ながら、現代に生きるトップの知性層とは言えません。
心の話を中心に述べてきましたが、「我々は自由にできるものを持っている」のです。百パーセント、自分の自由になるものを持っているので、これを使って、上手に生き切ることが大事です。
幸福の科学は、この「心をどのように生かし、人生を生き切るか」ということについての智慧をたくさん説いています。
2015年のベストセラーになった『智慧の法』という書籍でも、「どのようにして智慧をダイヤモンドのように磨き上げ、値打ちを出すか」ということを教えています。
このような宗教はほかにはありませんので、どうか、この違いをよく学んでくだされば幸いです。
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