博士は、質問者である幸福の科学職員に「あなたは霊だ」と説明されても、「No one can prove that(そんなこと、誰も証明できない)」と受け入れない様子だった。
しかし博士は、音声合成装置もなく話し、車椅子なしで移動している。その矛盾を説明できず、戸惑っていた。

科学的なアプローチで、世界の様々なことを説明できるようになればなるほど、宗教的な世界観を拒否するようになる人は多い。博士の困惑は、そんな現代社会の問題を象徴しているといえる。

「神に呪われた」人生だったのか?
博士は対話を進める中で次第に、なぜ自身が無神論となったのかを語る。そこには、「物理学的な結論」とはまた別の不条理感があった。

「If God made me, I cannot accept the reason why I'm so heavily destroyed my physical actions, or perception. I hate God. If you think, you believe, that you are like gods, or God. I cannot believe that kind of God」
(私が神に創られたとしたら、なんで自分がこんなに重い肉体的障害があって、知覚も障害があったのか、その理由が納得できない。神なんか嫌いだ。君らが、『自分は神に似せてつくられた』と思うとしても、私はそんな神は信じられない)

しかしその後の対話の中で徐々に、博士の中にあった「神に呪われた人生だった」という見方が揺らいでいく。

そして博士は自身の境遇を、『旧約聖書』に書いてある「義人ヨブ」に重ね合わせるかのような言葉を口にし始めた。

「ヨブ記」では、信仰心深く、心正しく生きていた義人ヨブが、神により、病気や身内の死などの、ありとあらゆる災難を与えられる。そんな中で神を疑うようになったヨブに対し、神は次のような主旨の言葉を与える。

「おまえに神の心が分かるのか。この宇宙を創ったものの、ほんとうの思いが分かるのか。なぜ私がおまえにこのような試練を与えているか分かっているのか」

ヨブは心改め、その後、大きな幸福を得ることになる。