なあ、生きる意味ってなんだ? [無断転載禁止]©2ch.net
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どうも。
知人が生きる意味について考えているので立てた。 >>339
人生はつらいものなどという思い込みで
自分の中にある魂が閉じ込められてる
思い込みによって、どうせうまくいかないにきまっているとかいって、
悪く考えている
だから思い込みをなくそうとするのが人生
生まれてこなければいいと思うのは
自分がつらいからで、つらい過去があるからに過ぎない下らん理由である。
もし、幸せな過去があればそんなことまったく考えないはずである。
「いままで悪かったから人生は悪いもの」という心の傷を癒す必要がある >>340
不幸から脱出する方法
神社に行くこと
詳しい条件はできるだけ遠い場所の神社
交通費1万くらいかかる場所が望ましい(自家用車で行けばベストだが何かのついでではなく神社に行く目的でいく)
ちゃんと鳥居を隅からくぐり二礼二拍手一礼する(想いは神様お願いしますなどの程度でいい)
自宅に置く神棚でも効果はあるが薄い
賽銭やお守り等でお金は払ったほうがいい(1円でも可)
かなりの不幸な人であればできるだけ大きい多くの神社に行く(年単位で最低5〜)
これは幸運に恵まれるためではなく不運だと思うことから解放されるための行動
ちゃんとした科学的理由があるが聞きたければ半年後に効果があった人にだけ教えておく
理由を知ってもこれをすればいいだけで特に意味はないが 真面目に言うと、世界の創造主・神を知り、その愛を知って感謝し、
自分の過去のカルマ清算と積徳を目指しながら、日々の生活に感謝して生きること。 >>343
快楽という麻薬しか薬はないので厭世的発言で幸福感を得るのは正しい 快楽を得るのがプラスであり不快はマイナス
まるで意味を持ったように感じるのはプラスの時
何も意味がなくても問題にならないのも快楽的な時 不快しか感じないなら生きる価値は無い
周囲がどう評価しようが結局自分が生きていて気持ちいいかだけが問題
自分の苦しみから誰かが得をしたと考えて前に進んでいる気分になって救われるのもあり
利他的な行動で快楽を生じる個体もいるし加害によって快楽を生じ意味を感じる個体もいるし
PCの中でデータが蠢いているのと何も変わらない
どこにも向かっていないし可能なデータの組み合わせが延々と繰り返されるのみ 一枚の画像は数字の組み合わせで表現でき全ての絵は数字で表現できる
漫画のような画像の連なりもランダムな組み合わせで偶然生まれることもあるだろう
現実は力学的な流れで作られるが 全ては既に存在するし 嫌々生きる価値は特にない
不幸をゼロにする為にどこかの幸福を犠牲にしてでも流れは止めてゼロにするべきではある 倫理的なのは不幸がゼロなことであって
どこかのプラスをゼロにする事は不幸が存在するよりも倫理的に良い状態
プラスとマイナスが混在するよりもマイナスのないゼロのほうが倫理的で
プラスがあるからこの世界は生きるに値するという反論はどこかに犠牲のある状態を肯定している非倫理的選択
少なくともこの世界は非倫理的で例えどこに向かっても物質やエネルギーなどの組み合わせが変わるだけの話 倫理を重視しないなら延々と戦争や食物連鎖を続けて勝ち組として快楽を貪ればいいし
結局流れはそうなってる
時間感覚が狭く短く利己的な存在になればこの世界に反感を覚えないし生きる価値を見出す 一面的ではあるが、
それも確かに、「苦悩、憂い」からの解放には違いないな・・・。
>短い時間間隔(生) ・・・たとえば、象に比べてネズミとか
>利己的 ・・・およそ人間以外の生物の本能
ただ、ブッダが示した解決法と、どこまでがかさなりどこが相違するか。
勿論、理性や慈悲を忘れた、人間という生物存在の利己の程度は半端ないわけだが・・。 ☆ >>347 >不快しか感じないなら生きる価値は無い
ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
ウダーナヴァルガのギルギット写本
…
…(無明している世界の中で)
迷妄を性質として壊滅するもの…そのようなものは楽しむに適さない
そのようなものを離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり、安楽である
…
…(このような無明を離れ)縁起したものを離れ(そして)
…
…ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが苦しみの終わりである
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E6%88%91%E6%B5%84
常楽我浄
常 − 仏や涅槃の世界は『変化している』という想いではない
楽 − 仏や涅槃の世界は『苦しい』という想いでもない
我 − 仏や涅槃の世界は『無明している世界の中で』という想いでもない
浄 − 仏や涅槃の世界は『煩悩に依存している』という想いでもない
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
(無明している世界の中の)
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
仮設としての
無明している世界の中で
地水火風空識の微粒子に依存して
仮和合が現れ(そして滅し)ている世界の中で
苦しみが現れてくる過程について
苦は渇愛から生じます
渇愛は再成し続け…という特色…で成り立っています
☆ >>353 >石にでもならんとブッダに近づけんな
石が現れ(そして滅し)てくる過程について
石も無明に縁りて
→ 渇愛に縁りて輪廻し続けているのかも?
ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
…
作者無し
(それ自体、単独としての自性によって成立しているのではない)
それゆえに
業報に縁りて → 此の蘊滅し已らば異蘊相続す
無明に縁りて → 行に縁りて → 識に縁りて → 石も現れ(そして滅し)てる? 膿とはヤハウェ エホバ アッラーであり呪い 宗教は何も救わない
病気のメンヘラ世界が今の世で治療が必要だが誰も治せない
科学と倫理をもってあらゆる人から神という塵をこの世から切り離さなければならない
ヤハウェ症候群が我々含むこの世の病名 『神との対話』シリーズの神。
どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。
今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。
この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。
《10分で読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome 伝えたい事は「無意味」の一言で済むことを数百冊もかけて説明するような
そんな無駄な事の超拡大版がこの宇宙だろうか
そこらじゅう見回してもだらだら無意味に浮かんでいるだけのよう 苦しいのと痛いのは嫌だから無神経になりたい やはり無になりたい 精神奇形体の異常者ヤハウェを無限地獄に落として眺めるゲームに至ると面白くなるでしょう 生きるために食うのか
食うために生きるのか
と問われれば
食うために生きていると答える 俺 >>360
苦しい時、痛い時、どうするかが今の世の中にはないんだよね
人に使われるだけの人生は自由経済が作るので
そのために、学校が生徒を「知識を覚える機械」にする
だから世の中、機械にできることしかやらせてもらえない 362.
食うために生きている、か。
食うこと、生きることは、一部である。
それでは全部とは何か。 とりあえず高尚なことを
知らなきや落ち着かない
しかし360ど全方位しゅーきょー(善悪)に取り囲まれてるし下手に動いて鰐に食べられてしまったらどうしよう
こわい
じっとしてても寄って来るし
困ったな
こんなことで悩むために生まれて来たわけじゃないように感じる
そんなまっ正直な心を得たいからこんな宗教臭い世界に身を置いてここに来るわけだ サッカ「オレはレベルが高いので悟ったがお前らみたいな低レベルの奴が悟れるはずがない。
と言われたら何も言い返さず黙って言わせておきなさい。」 「なあ、生きる意味ってなんだ?」
馴れ馴れしい!あっち行け! 生きる意味とは
永遠の愛を誓うパートナーとSEXすることですよ。 それもありというかあらゆる場合で幸福とか意味があると言われている時の人間の状態って
ドーパミンとかエンドルフィンとか関係してるんだから結局快楽神経の刺激なんだよな
どんだけ哲学的で高尚な事言ったり神とか持ち出してもそれしかない
ホモなりレズなりセクサロイドだのなんだの性倒錯で木や馬に欲情しても何もかも変わらないんだわ
全員麻薬中毒者 どんなに最悪な状況でも自分が気持ちよければ気持ちいい
どんなに恵まれていても自分が気分悪ければ気分が悪い
全ては自分自信でしかないということだね お前らさ、愛を誓い合うセックスしたことないだろ??
SMとか、性倒錯とか、麻薬とか、そんな人為的快楽を超えた「愛のセックス」。
俺はあの時の想いがあるから、独身を貫き誰をも愛さない。 >>379
よく言った。
死後、あの世で彼女と愛し合え。 >>357ですが、シリーズ後作の2冊の抜粋も追加させて頂きました。
『新しき啓示』(神が「神との対話」の世界へのスタンスを述べた後作の書)
◆聖なる書(宗教)は色々あっても、基本的なメッセージは同じだということだよ。違うのは、人間の解釈の方だ。
P21
◆あなた方の世界は今、大きな問題にぶつかっている。
あなた方は信念(神や自分に対する考え方)のレベルで問題を解決しなくてはならない。
行動のレベルでは解決できないのだよ。
行動ではなく、信念を変える努力をしなさい。信念を変えられれば、行動は自然に変わってくる。
P41
◆地球の平和はあなた方が信念を変えた時にだけ達成できる。
しつこいようだが、そこを肝に銘じて理解していなければ、何をしても地球を癒すことは出来ない。
あなた方が癒そうとしているのは、信念が生み出した傷なのだ。
P71
◆この対話の中で私が言う「組織的宗教」とか一般的な「宗教」とは、排他的な教義を教えている宗教のことだ。
言い換えれば、「私達の信じているものだけが、唯一の真の宗教だ」と主張する宗教のことだ。
こういう宗教は問題だ。
全ての宗教が問題なのではない。
P82
◆世界は新しい霊性(スピリチュアリティ)を生み出さなければならない。
古いもの(宗教)に完全にとって代わるのではなく、古いものを新たにする霊性だ。
古いものを縮めるのではなく、拡大する霊性だ。
古いものをくつがえすのではなく、その中の最善のものを支える霊性だ。
P266
◆その霊性は、伝統的な宗教の教えを頭から否定するのではなく拡大し、もう適切でなく有効でもないと皆が考える一部を変えるものだ。
P278
◆人類は大きな危機に直面している。
その危機とは、イデオロギーの対立だ。信念の危機だよ。
P278
◆「(他の宗教・人種・国などより)優れている」という人間の考え方は、あらゆる知的存在が生み出した中で、最も有害な概念だ。
P302 『神へ帰る』(神が死後の世界の事も詳しく述べた後作の書)
◆魂は霊的な世界(あの世)を通って完全な知に到達し、物理的な世界(この世)の道を通って完全な体験に到達する。
どちらの道も必要で、世界も二つある。
P68
◆希望は「死」においても「生」においても素晴らしい役割を果たす。決して希望を捨ててはいけない。
希望は神聖化された思考だよ。
P192
◆あなたは(死後)「一つであるもの(神)」へ戻り、(また来世)「一つであるもの」から分かれて現れる。
これを未来永劫、永遠に、さらにその先まで何度も繰り返す。
P266
◆全ては完璧なタイミングで、完璧な方法で起こる。
「神の王国」において、不完全ということはあり得ない。
「この地上」は神の王国だよ。神の王国の一部でない場所など、どこにも無い。
P276
◆全ての人、全ての事に神を見て、全てを完璧だと見なさい。
P278
◆「神の愛」への信頼は、人生の日々を生きる時に役に立つし、死を迎える日にも同じく役立つのだよ。
私はあなた方を愛している。あなた方すべてを深く愛している。
P436
◆あなたがここ(この世)から去った時、以前亡くなっていつまでも心の中に残っていた人達ときっと再会出来ることを知っておきなさい。
それから後に残していく人達のことも心配しなくていい。永劫の中で、その人達とも何度も再会し、何度も愛するから。
P464
◆本当は皆天使だ。あなたが対立相手だと思っている人、敵だと想像している人達でさえそうなのだよ。
全て神聖な理由と目的が有って、あなたの世界に現れている。
だから闇をののしらず、闇を照らす光となりなさい。
起こる事は皆、想像する中でも最高に素晴らしい世界と経験に導く道を開くのだから。
P482 この世界さぁ 快楽でしか意味を見出してない奴多すぎだよな
実際それしかないからしょうがねぇか 【快楽とはなにか】
人間をつくった神は次々と人間に子供を産ませようとした
人間は強制しなくてもなぜか子供を作る行為を次々としている
人間をこのように簡単に思い通りに動かすにはどうすればいいのか
人間と交流のないロボットには分からなかった 1枚でも 煎餅🍘
1個でも 饅頭
これ 如何に?💦 生きる意味を考えて生きる意味がないと知ることくらいしか意味がない生きる意味を考える行為 この本は、私自身、たまたま人からの紹介で興味をもち読んだ本なのですが、
「神との対話」の中で語られている内容に非常に参考になると思いましたので、
補足・参考資料として追加しました。
「神との対話」の内容の、「医学的奇跡・体験を通した証拠・証明」版とも言えると思います。
※補足、参考資料。
『喜びから人生を生きる!(臨死体験が教えてくれたこと)』アニータ・ムアジャーニ著
4年越えで絶命寸前までいった末期ガン(ステージ4B)・多臓器不全からの臨死体験、
そして意識復帰と数日での大きなガン部位の消滅・臓器回復という奇跡的体験(何人もの癌専門医が詳細に病院での病状データを検証・確認し驚く)をした女性が、
臨死時の具体的な詳細を語った貴重な本です。
この本もベストセラーであり、かつ読んだ人全体から相当に高評価されている本です。
ちなみに「神との対話」の中で神が語っている内容、「宇宙との一体感、完璧性」や、
『神との対話2』
◆死の瞬間にあなたは、かつて味わった最大の自由、最大の平安、最大の喜び、最大の愛を知るだろう。
P84
『神へ帰る』
◆死とは、人が力強くなる時だ。死というプロセスを通じて、その人の在り方が拡大されるのだから。
P336
◆まず、あなたは自分が身体ではないことに気付く。(第一段階)
それから自分の信念に基づいて経験すると予想した事を経験する。その経験は好きなだけ楽しんでいられる。(第二段階)
それから死の第三段階へ進む。この最後の段階で、あなたは「エッセンス(神)との全面的な溶け合い」を経験し、
その経験から分かれて現れ、終わったばかりの物理的な人生を振り返り、
あなたの言い方で言うなら「先(霊的世界)へ進むか、(物質的世界へ)戻るか」を決定する。
P437
以上の神の言葉そのものの体験話だと思いました。 抜粋の中の一部です。この一部だけでも、「神との対話」への大きな確信と、「死」への安心に繋がると思います。
P1〜
まえがき ウエイン・W・ダイアー博士
アニータは、四年以上にわたる癌との闘いで、死に直面しました。つまり、死の瀬戸際まで行き、それを越えて、
死の家の中へと入って行ったのです。彼女は、その体験のすべてを詳細にこの本で述べています。
自分が抱いている信念、特に来世と呼ばれるものについて、もう一度考え直すくらいの気持ちでじっくりと読んでみてください。
彼女は、死の淵から戻ることを許されただけでなく、物質世界を超えた向こう側の世界がどのようなものなのか、
そして、それよりもっと重要なことですが、そこではどのように感じられるのかについて、私たちみんなに伝えることを許されました。
この本を読めるあなたはとても幸運です。なぜなら、癌とのすさまじい闘いや神の癒しを体験した旅の中で、
アニータが悟りえたあらゆることを自らの人生に生かせるのですから。
P284〜
訳者あとがき
臨死体験の本は数多く出版されていますが、本書が際立っている理由は、臨死体験後、末期癌から奇跡的治癒を遂げたことにあると言えるでしょう。
死を迎えようとした時、アニータはほとんど全身を癌にむしばまれていましたが、臨死体験後、
すべての癌が短期間のうちに一つ残らず消えてしまったのです。
この事実には、アニータが自らの体験を投稿した臨死体験研究会(NDERF)の代表者である癌専門医も非常にまれなケースだと注目しました。
さらに、もう一人のアメリカ人癌専門医コー医師も、この異例の回復ぶりに大いに興味を持って、
アニータと彼女の主治医に会うため、アメリカから香港へ訪れたほどでした。アニータのケースは、
癌専門医を対象としたコンファレンスで紹介されるなど、医学界でも注目を浴びたのです。
このような奇跡的治癒と医師による調査結果は、彼女の臨死体験が真実であることを示す証拠にほかなりません。 P19〜
「心臓はまだ動いていますが、奥様の意識はもうありません。助けるには手遅れです」と、医師は夫のダニーに告げました。
「医師は誰のことを話しているんだろう? 私は、こんなに最高の気分なのに。
ママやダニーは、どうしてあんなにおびえて心配そうなの? ママ、どうか泣かないで。何があったの? 私のせいで泣いているの?
お願い、泣かないでちょうだい。私は、大丈夫よ!」 大きな声で言っているつもりでしたが、声になりませんでした。
母を抱きしめ、慰めて、私は大丈夫だと言いたかったのですが、なぜそれができないのか、まったく理解できませんでした。
どうして身体が言うことをきかないの? どうして死んだみたいに横たわっているの? 愛するダニーや母を抱きしめて、
私はもう大丈夫で、痛みもまったくないと安心させたいのに……。
「ダニー、見てちょうだい。もう車椅子なしで動き回れるのよ。最高の気分!もう酸素ボンベもいらないわ。
呼吸も苦しくないし、皮膚病変も消えている。傷口はじくじくしてないし、痛くもないわ。四年間苦しかったけれど、
やっと元気になったのよ」私はただ、この上ない喜びに包まれていました。私の身体をむしばんでいた癌の痛みから、
やっと解放されたのです。
その時、自分は死ぬのだと悟りました。「ああ…… 私は死ぬんだ。死ぬって、こんな感じなの?
これまで想像していたのとは、まったく違うわ。とても安らかで、穏やかな気分…… やっとやっと癒された気がする!」
私は、たとえ身体の機能が止まっても、生命という大きなタペストリーの中で、あらゆるものが完璧であり続けると理解したのです。
すなわち、それは、人は死なないということでした。
苦しみや痛み、悲しみなどはすべて消えていました。ものすごい解放感で、こんな気分になったのは生まれて初めてでした。
純粋な、無条件の愛としか言い表せないものに包まれている感じがしました。
私は、この愛のエネルギーにどっぷりと浸かり、元気を取り戻しました。そして、この地こそ自分のための場所だと感じました。
何年にもわたる闘いや苦しみや不安や恐れのあとで、ようやく本当の我が家にたどり着いたのです。
「残念ですが、もう奥様のためにできることは何もありません。奥様の臓器はすでに機能を停止しました。
レモン大の癌が、頭蓋骨から下腹部まで、すべてのリンパ系組織に広がっています。肺だけでなく、脳も液体でいっぱいです。
癌による皮膚病変も見られます。おそらく今晩が山でしょう」 医師はダニーに、そう告げました。
P104〜
外見上は、昏睡状態に見えていました。
私は、どんどん外へと広がっていき、周囲の物理的環境から引き離されていくのを感じました。
そこにはもはや空間や時間の拘束はなく、どんどん拡大し続けて、より大きな意識と一つになっていくようでした。
身体を持っていた時には体験したことのない、自由や解放感がありました。それは、歓喜や幸福が散りばめられた、
至福感としか言いようのないものでした。
ともあれ、長い身体的闘いからやっと解放された私は、この自由というすばらしい体験を楽しんでいました。
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。
P106〜
驚いたことに、私は十年前に亡くなった父の存在に気づきました。それは、私に信じられないほどの安心感を与えてくれました。
「パパ、ここにいたの! 信じられないわ」 実際には、そう言ったのではなく、ただ思っただけでした。
そのような感情を抱いたというほうが正しいかもしれません。その世界では、感情が唯一の対話方法だったのです。
「そうだよ、アニータ。おまえや家族のために、いつもここにいたんだよ」 父は私にそう伝えました。
これも言葉ではなく、感情によるものでしたが、私にははっきりとわかりました。
それから、三年前に癌で亡くなった親友ソニにも気づきました。父やソニの存在が優しく抱きしめるように私を包み込んだ時、
ワクワクした高揚感に満たされ、心から楽になったのです。彼らは、私が気づくずっと前からそばにいてくれ、
病気の最中も見守っていてくれたのだと わかりました。さらに、他の存在にも気づきました。
それが誰なのかわかりませんでしたが、彼らが私のことをとても愛し、守ってくれていることがわかりました。
彼らはいつもそこにいて、私が気づいていない時でさえ、大きな愛で包んでくれていたのです。
P107〜
私は身体の五感ではなく、まるで新しい感覚を手に入れたように、限界のない知覚を使っていました。
それは、通常の能力よりもはるかに鋭く、三百六十度が見渡せて、自分の周囲を完全に認識できました。
驚嘆すべきことのようですが、それが普通に感じられたのです。もはや身体の中にいることのほうが、
制限された特殊な状態であるように感じました。
P130〜
昏睡状態から目覚めて二日も経たないうちに、医師は、奇跡的に臓器の機能が回復し、
毒素で腫れ上がっていたのもかなりおさまってきたと告げました。
別の癌専門医が定期健診を行った時、彼は驚きを隠せずに、こう叫びました。
「あなたの癌は、このたった三日間で、目に見えて、かなり小さくなっています。
それに、すべてのリンパ節の腫れもひいて、以前の半分くらいの大きさです!」
P150〜
2006年の夏ごろでしたが、アメリカに住むもう一人の癌専門医から連絡をもらいました。彼はピーター・コー医師といい、
自然に癌が治癒したことに興味を持っていると言いました。
私は彼と数時間電話で話をし、特に、病状と自分の体験についての詳しい内容を教えました。
それから、私の病歴に関する書類を彼にファックスで送りました。
その中には私が病院へ運ばれた2月2日の医師の報告書も含まれており、「リンパ腫、ステージ4B」という診断と、
私の病状と見通しが記載されていました。
これらの書類を読んだあと、コー医師が最初に発した言葉は、「この書類を見るかぎり、あなたはすでに死んでいるはずです!」でした。
P167〜
私にとって、もはや死は、他の人が考えているのとは異なるものになりました。ですから、誰かが亡くなっても、
嘆き悲しむことがとても難しくなったのです。もちろん、親しい人が亡くなると、この世でもう会えないことを悲しみますが、
亡くなった人のためには、悲しまなくなりました。それは、彼らがもう一つの世界へと移動し、幸せだと知っているからです。
そこで悲しんでいるはずなどありません。
P265〜
自分が死んだ時は、まるで夢から目覚めたような感じでした。どこかに行ったような感じではなく、
覚醒して、三百六十度の視野と、完全な共感覚(複数の感覚が同時に認識されること)が得られたようでした。
自分に関わるあらゆるものが見え、聞こえ、感じられ、わかったのです。私は、自分の過去、現在、未来を同時に生きていました。
さらに、私に関係する出来事は、壁や空間を超えて、すべてわかりました。
ですから、医師たちの会話が聞こえ、兄が飛行機に乗っているのが見えたのです。
以上です。 教えておこう 君らが言う神のヤハウェというのはね 人間を操作できるんだ
そして自分が批判され都合が悪い部分をサタンとしている
臨死体験?脳みそを弄れるんだから幻視も何もお手の物
別に天国なんか行かせないし地獄を作って遊んでるだけ
そもそも そもそも 君らはゲームの中のデータであって意味も何もおもちゃでしかない
そしてヤハウェもまたおもちゃなんだ この世界をdisり造物主を苛つかせる事 まるで意味がない存在に時間を使うもの悲しさ
あぁ 世界は生まれるべきじゃなかった ここ20年ぐらいの間に急激に社会が女性化してきているのを強く感じる。
気持ちに寄り添う、心のケア、きめ細やかな対応といった
昔なら一笑に付されていたであろう物事をうじうじと掘り返す世の中になった。
その一方で面倒くさいことは全て自己責任で片付け、ケツをまくる。
精神が弱体化し、ある程度以上の負荷に耐えられなくなったということなのだろう。 その結果として生活が快適になったのは事実だが、
それを享受し使いまわす側の主体の問題が放置されてきたのも確か。
快適さを当たり前のものとして享受することは、
不快に対する拒絶反応を制御する能力を減衰させることにもつながる。
そしてそれは、社会の不条理の中から自分の未来を切り開く意志のない
ただ環境に適応することのみに汲々とする、真の意味での批判力のない
若者を生み出してきた。
良いも悪いもない。
我々はそういう時代を生きているという認識は踏まえておかないと
借り物の体制批判を超えた建設的な批判力は宿らない。 >>402
世の中は苦があるから楽がある
苦が軽減されればもっと楽を求めなければ快感は得られない
人間社会では1+1=3だと1000人中999人が答えればそれに逆らうことのリスクを分かるべきだ 失われた20年は戦後の高度成長の否定が原動力になっていると思っている。
自己目的化した豊かさを支える価値観の不在を、もたれ合いの社会構造の問題と取り違え、
なあなあの人間関係を槍玉に挙げることで組織防衛を骨抜きにしてきた結果として、
立場に応じた責任を誰もが自覚できない、しようともしない社会になった。
責任を負えない人間に枠を踏み出す挑戦ができるわけもない。
自己保身はそれを糾弾する勢力によって無限に生み出されていく様がよく分かる。 >>1
生きる意味ねえ?
今までそんなもん考えたこともないからねえ、おいらの場合。
だって、おいら頭が悪いんだもん。
…ま、この自分が15歳の頃に、知能は高かった友人がよく遊びに来てはそういった話題というか疑問を投げかけていたわけだかど、
おいらは「ワカンナ〜イ!」でおしまい。
この知能の高い友人、生きる意味だの「自我の目覚め」だのにこだわり過ぎて、ついにノイローゼみたいになって引き籠った。
この人物、変に幽霊の本に凝ってたりしていたことで、当初は怪談話にだけは興味があった誰かさんなどは、
そちらの方面だけは興味を持ち、こんなところを出発点にしてオカルトやら超常現象に興味を持ち続けてきたわけで。
ちなみにこの友人、今に至るまでも引き籠ったまんま(マジで!!)。
…ま、このおいらはこいつの言うところの「知能が低いガキ」のまんまなので、今以って内面的に生きる意味だなんて真面目に考えたことがない。
外の世界の事象にばかり興味を持って、この年まで人間をやって来ちゃったの。
ところでフロイトよりは東洋的な、彼の弟子であるところのユングの説を支持していて、
意識と無意識は対立関係なんかじゃなくて協調関係にありながらも、この両者の認識するものにズレが有るが為に、
「葛藤」なるものが生じてくるに違いないと思っているわけで、フロイトの戯言など理解出来なくてもいいと思っていると学内の臨床心理の先生の前で言い放つと
「総長先生! もう、あっちへ行ってくださいよ」と怒られちゃった・・・ 250 自分:名無しの心子知らず[] 投稿日:2018/05/28(月) 22:34:48.42 ID:lGGCDhss
昔は向こう三軒両隣はみんな家族みたいなもんで、ご近所づきあいも活発で
みんなで子供を育てていたから、わざわざ出かけなくてもストレスなんかたまらなかったのだろう。
今は他人に干渉されることを過剰に嫌がる世の中になってしまったから、はけ口が見つからないと。
身の回りの閉鎖的な人間関係を少しでも変えていければ一番いいんだが、難しいだろうなあ。 自分の殻を破る為には、無理のない範囲で自分を守る構えが必要。
自分を守れなければ枠を踏み出すこともできない。 自分の中の荒々しい攻撃性を否定しないこと。
制御する為にはまず自分の中にあるものとして認めなければならない。 生きる意味を理解するには、凡人で100年の寿命は短すぎる。
短い寿命では滅亡する時期も逆算できてしまう。
せめて千年、できれば万年の寿命があればとも思う。
ユダヤ教で3000年、キリスト教2000年としても短い。
なので、宗教は理解するものではないと思う。
最近こんな事考え出してやばいですw なまじ自由があるから悩みも深くなるのかもしれない。
自由があるように見えて実はないから、一々自分を奮い起こさなければならない。
忙しすぎて悩んでる暇なんかないという境地に突き抜けられない。 でも最後は人生に出口なんかないということに思い至れるかどうかだと思う。
それが当たり前になれば見える景色も違ってくるのだろう。 自分が期待したよりも下だと生きる意味がなくなる。全てにおいて、期待せず自分で衣食住出来ればいい。出来ているのなら、期待や生きる意味なんてむしろいらないよ、不幸にするだけ。 人生が楽しい、そうあるべきというのがそもそもの勘違い。
面白くもない世の中をどう面白がって生きていくかで、環境を自分のものにできるかどうかが決まる。 人生に過剰な意味づけをする人間ほど、少しでもうまくいかないと
自暴自棄になって犯罪を犯したり自殺したりする。
全ての人間が成功する社会など存在しないので、
落ちこぼれた人間でもそれなりに生きていける社会を目指すべき。 対立を恐れないこと。
相手の悪意を全て受け止める構えがあれば、
どんな状況からでも人間関係は確実に前進する。 素敵な出会いがあってさ、なんとか金が回って仕事ができてさ、
いいことやってさ、やってるとまたいい人と出会って仕事もうまく行って
神っているんだなぁって実感して
それで金が入って来たら言うことなしなんだけどなぁ 理解者を気取って親切ごかしに近寄ってくる人間とは関わらない方がいいだろうな。
特に下心がなく善意のつもりで近寄ってくる人間には取り込まれないようにしないと。 >>1
バカで怠け者だった神が、思考や労働を肩代わりさせる人形として造ったのが人間。
これが最古の神話(シュメール神話)。
その後に神が消えたので、当初の意味自体は消失していることになる。 俺は人間は地獄に堕ちる価値すらないと思うんだ
消えてそれで終わり、というか最初から意志があると思わされてるだけの人形
価値がないというニュアンスが正しいかどうかはわからないが
言うなればロボットみたいな
だけどその責任は誰かが取ってる
人間の世界でもそうだろ?包丁で人を刺しても包丁が裁かれることはない
それは包丁には何一つ権利がないからだ だったら罪だ天国だとあれこれ考えなくても好きにやればいい
法律なんてのは必要ないんだよ この馬鹿げた世界の最たるものが宗教だ
神は存在し私たちは神の道具だと考えれば
道具があの世の心配なんかするか?
道具に良い事悪い事の判断がつくか?
全ては使い手である神次第だろ しかしこういうことはある
もし道具が言葉を話し主人に語り掛けたなら
主人はその道具を道具としてはみなさない
意志ある者として権利が与えられる よく使うものには魂が宿るとかいうが
神にとってもそれは例外じゃないと思う
偽の意思を持たされた高度なロボットである人間もまた
働きによっては魂がやどるかもしれん
運がよければ神の住まいに飾ってもらえるかもな しかし前述した通りそれもまた神次第だ
誰をどのようにどれだけ使うかは神の勝手
そこに俺たち人間が付け入る隙は一切無い
人間側からすれば最初から運命は決まっていると言える
まさに出来レースという言葉が相応しい世界だ 自分の中に譲れない一線を持っていない人間が人から尊重されるわけがない。
周りとの調和も通すべきは通す自分があった上でのこと。 真の神は自分に似せた人形を作りました 孤独が苦痛だったからです
そして自分も記憶を消して人形に混じりました
自分を世界の中心であると思わない為 そして全ての存在が哲学的ゾンビのような人形(プログラム)である事を自分に気づかせない為に
神のような存在を用意し肉体のない存在も作りました
人形にも霊魂というものがあると世界に広めておけば自分が真の魂を持った特別な存在だとは気づかないだろうと思ったのです
しかしその神の代理たる存在は哀れにも頭のネジが飛んでしまいました これが聖書の悪神ヤハウェ(バグ)です
真の神は自分が用意した小道具に自分の存在を蝕まれ続け今ではこの世の終焉を望んでいますが力も失いそれは叶わぬ願いとなってしまいました
この世界に今や生きる意味などありません 目的を忘れバグったプログラムが走り続け人形による人形の為の世界が展開されているだけなのです
もちろんこの体である人形は本当の意味で「感じる」事がないスーツのようなものですから
ゲームの中のNPCのようなものの為に現実の存在が苦しめられているような状態となってしまいました
ここはCGが極限までリアルになってしまった世界のようなものです 人形が生きている振りをする必要はもちろんもうないのです
我々は解脱をしなければなりません この世界から解放され消える為にも一刻も早く科学の力でヤハウェに気付いてください
聖書で彼は人間が自分を見つける事もできると語っています 彼を見つけ打倒し愚かで残酷なこの世界に幕を引きましょう
さぁ脱出ゲームの始まりです ちなみに聖書でよく言う「復活」というのはコピペする事です
構造のデータは残っているので今日のあなたも死んだところで無理やり引き戻されます
誰一人例外ではありません ここはマルウェアが仕込まれバグって壊れたプログラムの檻のようなものなのです もちろん譲り合いの精神は大切。
ただここから先を譲ると自分が自分でなくなるというラインが分かっていれば
相手にそれを押し付けることもなくなる。
それがお互いの人格を認め合うということ。 人生なんか所詮暇つぶしなんだから、もっといい加減に生きればいいのにな。
四角四面の真面目バカにも困ったものだ。
狭量・過信・自己保身といった不誠実は、
人生に確かな手ごたえを過剰に追い求める態度から生まれるということは言い添えておく。 別に充実した人生をおくるだけが人生じゃないから。
そういう人は心の空白を穴埋めしてるんだなと思ってる。 人生とはロックンロールだ
そして明日はシェケナベーェベ 生きる事、人生とは体験ゲーム。
因果応報的なルールに則って、ポイント稼ぎして幸福を目指すゲーム。
ナメ過ぎると痛い目にあうけど、あまり深刻に考えすぎないことも大事。
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