果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?298 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>948
> バグワンの所には欧米から何千人もの知識人が集まって、もともと機根のすぐれて
> いた人達の中にはバグワンの説法をしばらく聴き続けただけで悟りの体験を得た人
> がかなりいます。
> オウムの場合は、機根のすぐれた人たちは最初から興味も持たなかったね。
> 麻原の本を少し読んでみれば、超能力を求めているオカルト集団に過ぎないことが
> 明白だったのだから。
結局、上級者向けと初心者向けの違いかも知れません。 登山に例えると、頂きに近づいて、大きな展望が見え始めた人と、
麓を歩きまわって、今だ登山道さえ見つけられない人
麓の人は、何の展望も持たないので、高次元とかアストラル体験とか、
空想の世界に浸りきっているだけ >>958-859
アストラル界の経験すら無いまま煩悩を肯定し妄想の世界に入り浸っているのは、バグワン信者の妄想くん自身ですよ。
妄想くんは富士山で言うと二合目から三合目あたりの低次元の意識状態だから、未だにバグワンを信奉し禅宗の破戒僧の真似事をしては「ウリは山頂に達した覚醒者ニダ!悟ったニダ!」という妄想に固執して現実逃避をし続けているわけです。
しかしカルマの法則を微塵も理解出来ていない事からも、妄想くんが無智無明に覆われている動物状態の魔境である事は明らかです。
グルが仕掛けた現世捨断の環境を理解出来ず、修行から逃げ出して私怨を抱き恨み言を言い続ける事しかできない魂は、哀れだと思います。 >>960
妄想くんにとっては、「高み」なのでしょう。
所詮、妄想くんにとっては如何なる教えであっても現実逃避の手段に過ぎませんから。 http://park18.wakwak.com/~tsukubahigashihp/
患者を殺すな オウムは頭の悪い人にでもわかる
なぜなら頭の悪い人が作ったカルトだから
バグワンとかは頭の悪い人には理解できないんだろう キャンディちゃんよ。
すでに知ってるかも知れないけど
小部経典の仏弟子の告白が、日本語訳でネットで見られるよ。
suttacentral.net/jp/thag1.1
↑これでググってみて。
thagのあとの数字を変えると色んなのが読めるよ。
仏陀ご自身の言葉は少ないけど、仏陀の直弟子の言葉だから短いながら説得力がある。 原始仏典は原点に帰らしてくれる。
四諦が分からないのが凡夫、四諦を正知、正念しているのが仏弟子だと改めて確認できる。 ●般若心経(一部)
それゆえ、空という世界には、
(五蘊という)色もなく、受も想も行も色もなく
(感覚器官である六根という)眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、
(感覚対象である六境という)色も声も香も味も触も法もない。
眼界から、意識界(認識作用である六職と合わせた十八界)もなく、
(煩悩の根本原因である十二因縁という)無明もなく、無明が尽きることもなく、
老も死もなく、老と死が尽きることもありません。
(苦からの解決に至る教えの四締という)苦も集も滅も道もないし、
悟りはなく、悟りを得るということもないのです。
http://hannyashingyo.web.fc2.com/arekore/hasshodo_ganai.html はいはい、じゃあぶち殺してやるから出てきなさい恩田君
空で君は存在しないんだよな? 金玉踏み潰されようが
肛門に半田ごて突っ込まれようが
平然と恩田君の空の悟りを体現するがいい
まさかちょっと蓮華座組まされただけで
自殺未遂したりしないよな?w 空をempty(空っぽ)と誤解するのが、日本の似非大乗の人によく見られますね。
空は、無ではない。
確かにわたしたちにとって五蘊は存在する。しかし、五蘊そのものの側から独立して存在しているのではなく
他に依存して現れているものに過ぎない。
それが空の意味であると、ダライ・ラマ法王は度々おっしゃっている。 空とは「特別な境地」などでは無く、
般若心経では諸法は空相だから空の中では無色云々と説く。
「悟りが無い」だなんてバカ丸出しの曲解が出てくるのは、バカカルト信者みたいな仏教を全く知らない人だけ。(笑)
まぁ、バカカルト信者さんみたいななんちゃって仏教の宗教ゴッコ遊びしてる人には理解出来ないだろうが、(笑)
というか、「ジャンプは飛ぶ事ニダ!」とか真顔で言えるバカカルト信者はそもそも日本語の文章が理解出来ないから言うだけ無駄なんだよな。(笑)
(^。^)年のせいか忘れっぽくてねぇ。(笑) ,いやー、人前でケツの穴を開いて見せておいて
偉そうに空を語っちゃう
掘られぐせ宮里だいすけ新垣剛の言うことは
理解できません 誤字、脱字のような枝葉末節、細かいところに拘るところが
やっぱり、そっち系でしょうかね? これ凄い
創世記の十字金剛と降り注ぐ雨だ!
https://www.youtube.com/watch?v=vJ6BYGQecRQ
まず最初に真我の分化があった所から描かれてる
そこで心が生まれその情報により形状が生まれ
とらわれが生じ固定化して現象となる
それらを現象的に見るとフラクタルや複雑系となると言うわけだ
これはじっくり掘り下げてみたい動画
サマディーで垣間見るビジョンと同じだ 修行者たちよ、そこで、わたしは
みずからは生まれるものであるけれども、
生まれるものに患いを知り、
生まれることのない無上の平安であるニルヴァーナを求め、
生まれることのない無上の平安であるニルヴァーナを得た。
みずからは老いるものであるけれども、
老いるものに患いを知り、
老いることのない無上の平安であるニルヴァーナを求め、
老いることのない無上の平安であるニルヴァーナを得た。
みずからは病めるものであるけれども、
病めるものに患いを知り、
病めることのない無上の平安であるニルヴァーナを求め、
病めることのない無上の平安であるニルヴァーナを得た。
みずからは死ぬものであるけれども、
死ぬものに患いを知り、
死ぬことのない無上の平安であるニルヴァーナを求め、
死ぬことのない無上の平安であるニルヴァーナを得た。 みずからは憂えるものであるけれども、
憂えるものに患いを知り、
憂えることのない無上の平安であるニルヴァーナを求め、
憂えることのない無上の平安であるニルヴァーナを得た。
みずからは汚れるものであるけれども、
汚れることに患いを知り、
汚れることのない無上の平安であるニルヴァーナを求め、
汚れることのない無上の平安であるニルヴァーナを得た。
そしてまた、わたしに知見が生まれた。
『わたしの解脱は不動である。
これが最後の生である。
もはや再生することはない』と。
〜 仏陀の言葉 原始仏典より 〜 まあまあ
まことの話は、いつも、ネット検索だけですから(笑) あまねく偏在する一元なる真我、
そこから分化と錯覚、個別の心が生じ
識別と観念が生じ概念が生まれ
パターン化された形状が発生する
https://www.youtube.com/watch?v=swxf6IeRgZw すべてはホログラム(部分が全体であり全体が部分である)的虚像
であるということを直感的に把握できる動画
https://www.youtube.com/watch?v=OnncbSd7pG8 刹那刹那では顕現は法則性に支配されるが、
すべてにわたって支配的な法則は一つもない(諸法無我)
一切が溶け合いすべての可能性を内包するという真我は
確認することは不能であり透明であり光のみだという
さてもはや神秘というほか無い! これらいくつかぶち上げてみた思考実験は全て方便の試みである
信じるか信じないかはあなた次第www >>964
↑
この様に、具体的根拠も示せずレッテル張りしかできないのは、「頭が悪い」レスの特徴です。
>>968-969
それは空性に達した者から見た見解ですね。
でも「一切皆空」を「一切皆無」とするような「無」と「空」の混同をしていると思われる曖昧な表現が見られ、修行をしていない人達に対して誤解を生じさせやすい経文だと言えます。
大切なのは、修行をして空性を経験する事です。
さもなくば、般若心経の何が正しくて何が間違っているのかを如実に理解し認識する事は永久に出来ません。
>>972
「相互に依存し合って存在する」という大乗の縁起説は、「一切皆空」を説明する際の一要素に過ぎません。
修行をして微細な意識状態に到れば、全ての諸現象が光のデータを元に分子・原子・素粒子を遙かに超える微細なエネルギーが関連し合って変化し偶々条件によってその様な形を形成している無常の存在である事に気付きます。
そして自分自身を形成している五蘊でさえ無常の存在であり条件によって如何様にでも変化し得る幻影である事に気付きます。
この際、真摯に三宝に帰依をし四諦八正道や四諦十二縁起の法を行じ二精勤二正断を実践して功徳を積み悪業を清算して来た修行者は、自分自身の心が「透明な水」のような物だと気付きます。
これを「空っぽ」でると表現したのが、大乗論で言う所の「空性」「空」です。
そういう「心の空性」(=五蘊皆空)に気付かず「湖面に映る虚像のような様々な幻影に引きずられ、輪廻の大海を浮沈」しているのが、我々の住む世界の大半を占める無明なる魂達なのです。
逆にこのスレの誰かさんのように真面目に三宝に帰依をせず四諦八正道や四諦十二縁起の法を行じる事なくエゴや煩悩に親しみ功徳をすり減らし悪業を積んで来た偽修行者は、上記のような空性の経験が出来ず、何も見えず何も聞こえず何も感じられず自分自身の存在さえマトモに認識出来ないという真っ暗闇の世界(低位コーザル界)を経験する事になります。
これが禅宗の一部で最高の到達地点だと誤解されている「無」の境地(=低位コーザル界)です。
したがって「無」と「空」とは光の強弱・エネルギー状態・意識状態において全く異なります。
「空」は「無」に比べると、遙かに次元が異なる高い境地だと言わざるをえません。 人間はビリヤードの玉のようなもの
玉は誰かに突かれて動き出したので、
自分で運動を始めたわけではない
玉は自分の運動法則を変えられない
しかし、それでも稀に解脱は起こるが、
玉の修行(笑)に依るわけではない このように解脱が起きる原因を、一部の人は恩寵と呼ぶ http://park18.wakwak.com/~tsukubahigashihp/
尊師=天国
筑波東病院=初石病院=土浦厚生病院=地獄 >>990
やはりその根拠となる理論は一切説明出来ず、ですか。
それは要するに、自らのエゴや煩悩・怠惰による悪業を肯定したいだけの「盲目的な修行否定論」ですね。
でもそれは、サキャ神賢を初めとする諸々の真理勝者方・覚者方の説かれた教えとは全く真逆の邪悪見解であり、邪法と呼ばれる間違った教えです。
その典型的な例が、アストラル経験も無きままカルマの法則を理解出来なくなって三宝を放棄しエゴの追及や煩悩肯定論に走っている、今の妄想くんの妄想主張です。
>>991
そのように自分自身のエゴや煩悩を肯定するには都合が良いけれども現実には存在し無い物を妄想し盲信し続けた結果が、功徳をすり減らし悪業を増大させ事故や怪我や体調不良やトラブルを多発させている今の妄想くんの状態です。
真理の修行者にとっての「恩寵」とは、自然と現世捨断へと導いてくれる「グルが与えた現在の環境」の事を言います。
グルが仕掛けた現世捨断の環境を理解出来ず、修行から逃げ出して私怨を抱き恨み言を言い続ける事しかできない魂は、哀れだと思います。 >>990
>玉は自分の運動法則を変えられない
自らの意志で自分自身の身・口・意を統御する教えである仏教やヨーガの全否定ですね。
妄想くん自身がエゴや煩悩に振り回されている事の言い訳にしか聞こえません。
エゴや煩悩に親しみ流されながら「ウリは固定観念に囚われていない覚醒者ニダ!」などと喜んでいる状態では、二精勤二正断の実践により意識を浄化していく事など到底不可能だと思います。 ビリヤードの玉が飛んでくるわけでしょ。煩悩という玉が。
そのときに「これは苦しみである」と。
「これは苦しみの原因である」と如実に知り、その玉を消すことができる。
煩悩というのは法の修習によって消すことができる。 >>995
>>990氏の主張は、「自分がビリヤードの玉のように煩悩に振り回されるのは、飛んで来たビリヤードの玉(=煩悩)などの外的環境のせいであって、自分自身は悪くない!」と言いたいのでしょうね。
そして「煩悩を制御する事は不可能である」と、「煩悩を制御しようとする事自体がナンセンスである」と、「ビリヤードの玉が転げ回るようにただ煩悩に流されているだけで、自分は何もしなくても煩悩から解放されるニダ!」というのが、>>990の主張している内容です。
これはこのスレの妄想くんの妄想説や恩寵blogの主の主張と全く同じ、真理の教えに反する煩悩肯定論による邪悪見解に過ぎません。 修行者たちよ、論争してはならない。
「あなたはこの法則と修行を認識していないが、わたしはこの法則と修行を認識している。
どういうわけで、あなたはこの法則と修行を認識するつもりだろうか。
あなたは間違っていて、わたしは正しい。
わたしの言行は一致しており、あなたの言行は一致していない。
あなたは論破された。あなたはたしなめられた。
もし反論があるなら、反論しなさい。」と。
これはどうしてか。
修行者たちよ、論争は利益を伴わず、聖なる修行の最初ではなく、
遠離、離貪、寂静、証智、正覚、苦しみの滅尽に至らしめることはないからである。
修行者たちよ、君たちは
「これは苦しみである」と主張しなさい。
「これは苦しみの生起である」と主張しなさい。
「これは苦しみの滅尽である」と主張しなさい。
「これは苦しみの滅尽に至る道である」と主張しなさい。 これはどうしてか。
修行者たちよ、この主張は利益を伴い、聖なる修行の最初であり、
遠離、離貪、寂静、証智、正覚、苦しみの滅尽に至らしめるからである。
修行者たちよ、だから
「これは苦しみである」と心を集中し続けなさい。
「これは苦しみの生起である」と心を集中し続けなさい。
「これは苦しみの滅尽である」と心を集中し続けなさい。
「これは苦しみの滅尽に至る道である」と心を集中し続けなさい。
〜 仏陀の言葉 「真理相応」より 〜 そうですね。
>>984の原始仏典でもありますが、屋根がしっかりしていれば
つまり、自己が確立されていれば、雨(欲望や欲望の対象)に当たっても平静にいられるわけですね。
わたしはまだまだですが、煩悩による苦しみは自己が確立されていれば100%防げるんだと
原始仏典を読んで思います。 呼吸を整える思念をよく修行して、完成し、苦しみを克服してきた人は
雲が晴れた月のように、この世を照らす。
身を真っ直ぐに立て、心もそのようにして
立っていても、坐していても、臥していても、常に心を落ち着けて整えている修行者は、過去についても未来についても、すぐれた境地を得るであろう。
過去についても未来についてもすぐれた境地を得たならば、死王もまみえないことになるだろう。
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