【イエス】無教会の人が集うスレ★4【キリスト】 [無断転載禁止]©2ch.net
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創世記1 創世記48 ユダヤ教百科事典
この3つ調べなさい小学生 創世記1 創世記48 ユダヤ教百科事典
この3つ調べなさい小学生 >>851-852
両蛇は、どの部分に該当するのか。 ギブスさんは龍を聖天使と勘違いしてるアホ
世界にこんなアホはそうはいない >>851-852
創世記1に蛇は出てくる。
それは、どちらの蛇だ。
創世記48に蛇は出てこない。 ねぇ、ギプスさんたちは龍や蛇についてあーでもないこーでもないって話してるけど、それ、そんなに重要な話なのか? >>857
その通りだ。
だが、聖書に出てくる蛇やドラゴンと日本の神道で尊ばれる
蛇や龍があまりにかけ離れている印象がある。
仏教でも守護する存在として、壁画や天井に飛翔する龍が描かれている。 >>857
重要ですよ。あの人が地獄に行くかどうかの瀬戸際だもん >>859
あのね、龍は祟り神信仰の一つに過ぎませんよ。
これは神からのお告げで言われたことですから間違いありません。
神社が龍を封印して荒御魂を和御魂にしているそうです。 >>860
ねぇねぇ どうして「ギプス」さんて名前付けたの? 大リーブ養成ギブスを付けさせられていたんですって。
巨人の星読み過ぎじゃないかと思います。
これも作り話だったりしてw エデンの科学的な自室に関しては、またの機会に。
しかしながら悪魔がこの世では神である。 >>863
ああ そのギブスのことだったの。
てっきり、骨折かなんかしてギプスしてるからかなぁと思っていた。 様は、大蛇や恐竜に対する人間の恐怖心の記憶と、
悪魔を霊的視力で見た時も同様の化け物を観える人達がいる。
霊的存在としての蛇や龍は、日本では恐竜などと結びつくものでなく、
地を守る霊と天を飛翔する霊、
蛇や龍の美の側面が霊眼に映るのであって、
別物ではないかと推測される。
聖書や西洋のドラゴンと東洋の龍は別物だ。
それでよいと考える。そこが重要事ではない。 ギプスさんはマインドコントロールを全て外した世界を見ましたか? 私の目的とするところは、ユダヤ人達と論争したり、彼らが聖書をどのように解釈したりするかを
彼らから学ぶ事にあるわけではない。
私は、既にそれらの事をすべて知っているからである。
まして私がMirnaを改宗させようなどと考える事はない。
そ ん な こ と は 不 可 能 な の だ 。 堕 ついでに言っておくと、妊娠すると白透明な蛇のようなものが
頭上から回転しながら入ってくる
経験をしたというのを聞く。
蛇のようなもの、ひも状の回転する何かだ。 >>867
48以降ですよ。何度も読んだんでしょ聖書。嘘だったの? そう言えば、朝青龍という横綱いたよね。
「このキムチ野郎!」発言以来、朝青龍の大ファンになりました。 >>870
だからなあに?
私の霊魂なんて蛇や龍を超えた存在ですよ。
まるで黄金色の彗星だもん  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ rニ二二ゝ―‐、
私も教会に行った事も > /""""""ミヽ ヽハ
.無いんですよ、明日とか| / ミ| | |
行ってみようかなとか? |〈ー‐、 r―- ミ| ,ハ )
久々にこの板に来て| 赱>//ィ赱ア | ハ (
_____/ l // ,リ ノ) )しまったのも、
. |(___つ (0) ( (生き方が難しいと思ったからです
∧ヾニニア ノ) ) )ただ俗世、悪しき人と同じように
( ヽ ノ ( ( ( (この世の労働を続けてもシャー無いです
))))>― ´ /― 、) ) )でも今の世の中、精神性自体からも遠いし、
(/|\ // \((全く何を私は行えばいいのかと‥私にはこれまでの真理の記録は、有ります  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ rニ二二ゝ―‐、
そりゃま、聖書には > /""""""ミヽ ヽハ
.書いてある事は| / ミ| | |
書いてあります、 |〈ー‐、 r―- ミ| ,ハ )
福音を述べ伝えよ、| 赱>//ィ赱ア | ハ (
_____/ l // ,リ ノ) )また使徒の手紙では
. |(___つ (0) ( (何事もイエスの名によって
∧ヾニニア ノ) ) )行え、
( ヽ ノ ( ( ( (肉欲を貪る様な事(この世的な
))))>― ´ /― 、) ) )価値基準の事)をすな、みたいな
(/|\ // \((私だって出来ればもっとマシな海外にでも行きたいっす >>860
>重要ですよ。あの人が地獄に行くかどうかの瀬戸際だもん
だとw 己を案じよw >>877
/三ミミ、y;)ヽ
/三 ミミ、ソノノ、ヾ、}
,':,' __ `´ __ `Y:}
}::! { : :`、 ,´: : j !:!
{:|‐=・=‐ i !‐=・=‐|:} 地獄に落ちるわよ
r( / しヘ、 )j
g ! ` !-=‐!´ ,ノg
\._ヽ _´_ノ ソ
__,/ ヽー ,/\___
|.:::::.《 ヽー/ 》.::.〈
//.:::.`\ /'.:::.ヽ\ >>859
その通りなら、やめればいいんでない?
なんだかんだ言って、人格が未熟だったら、それが全てを物語るで
>>860
地獄云々は置いといて、指摘したらその上でどうするか、は個人の自由だよ >まるで黄金色の彗星だもん
なるみん、さすがは美女。 一つの単語に対して、その単語にどんな「意味」を込めてるのかって人それぞれだよね
だから、その単語の受け取り方が違う二人がその単語だけを使って話しても平行線というか、分かり合えることはないわけだな
だから、その単語に込めた「意味」のレベルで話し合えば分かり合えるんだけど、形而上的な事柄って、大半の人が「信じてるだけ」で根拠もへったくれもないケースが多い
まともな人間がカルト信者を揶揄するのはそのせいなんだよね
ようするに、龍について意味レベルで客観的に語り合えない時点で、それについて何もわかってないし、そう信じたいだけなわけで、それに対する正当な批判に意味レベルで反論できない限り、平行線さ
妄想を信じこみたい人は勝手にやればいいんだよ
その人の人生なんだから >>879
自分はギプス君ではない。
君が、重要でないといったから、その通りだが
なぜこのような話になっているのか、
この話に終止符を打つためにも、自分なりに述べたのだよ。 間違えました。すみません
でも、終止符を打つなら、仏教でモチーフとして使われる龍は●●を指し、一方でキリスト教でモチーフとしてつかわれる龍は▲▲を指す
同じモチーフだが、●●と▲▲は違うよね、という「意味」で語らないと結局は空中戦の水掛け論に終始するだけだと思うよ 聖書や西洋のドラゴンと東洋の龍は別物だ。
それでよいと考える。そこが重要事ではない。 (>>866) >>883
こちらこそ、書き方がまずく、すまなかった。
西洋のドラゴンと東洋の龍は違うと、一般に言われている事を出し
地平を変える事で、治めたかった。
構造主義に多大な影響を与えたソシュールっているな。
言語規則の「ラング」と実際の会話「パロール」があって、
「パロール」はルールをはみ出し、「ラング」を作り替え、それを繰返す。
言語は関東と関西でちがう。現代と江戸時代はちがう。
「やばい」は本来よくない意味だが、素晴らしいに拡大された。
日本人は蝶と蛾を区別しているが、フランス人はパピヨンとして
区別がない。言葉によってモノを秩序付けている。 その時間と空間における体系性に言語はあるという事。
あらかじめ決まった世界があるのではなく、言語によって
どう秩序づけるかで、異なった世界が現れると言ったんだな。
蛇や龍の話もそういう角度でみるとまだ興味深いが、
人間関係のいざこざの感情による喧嘩などは、つまらんな。
まあ、なんですな
聖書に蛇やドラゴンが悪く描かれているとして、
神道、仏教は善いものとされているとする。
各々の時空の言語体系態に縛られて、
他宗教の悪口に用いているようでは
君が指摘するように、空中戦の水掛け論は終わらず、
宗教心からいえば、重要事ではないな。 もし朝鮮人達が神の戒律を持たず、またそれを知らなかったとしたら、
どんなに彼らにとってましな事であっただろう。
>>886
おっしゃる通り。
名前は概念を固定化します。
その上、似たものでも発祥の文化的背景が違えば、似たものであり同一とは言えません。
言霊とロゴスのように >>889
言語が違うと実体も違うんですか。キチガイの戯言だわWW
>>888
神のお告げです。信じなさい。 http://syarecowa.moo.jp/229/76.html
僕「ねぇ、うちでお祀りしてる神様ってどこの神様?」
父「ん、○○神社(地元の神社)と、笠山の荒神さんに、巳さん。」
僕「ミーさん…?」
母「黄色い蛇の神様よ。うちの土地にいらっしゃった神様。」
母「和室に神棚あるでしょ?○○さんと並んで黄龍大神として祀ってるの。」
他の神様は由緒正しい神社の神様なのに。当時の僕はそんなことを思っていた。
今思ってみれば失礼にも程がある話だね。
土地神っていうと、敷地にお社みたいなのを建ててるイメージがあったので
あまり大したことないんだな。なんてことを考えていた。
僕「何か大層な名前の割にって感じだけど…。」
父「何言ってんだ」
父「お前は巳さんに祟り殺されかけたんだぞ?」 それではなぜ、龍神や稲荷系神社の多くが、蛇や狐(元、人間)に成り変わってしまっているのか、理由を述べますと、
1
龍➞蛇、稲荷➞狐、という流れに親近性が強い
2
畜生道に堕ちた存在であるとはいえ、拝まれるのが気持ちがいい
3
食べ物(油揚げなど)を供養してくれるので(気分的に)食べられて嬉しい
4
欲望の念で参拝する人が多く、そうした念そのものが彼らのエネルギー源になる
5
憑依の対象を見つけられる
と、おおむねこうした理由です。
ちなみに、おもに執念・執着が強いタイプが蛇に変化し、騙し・情欲系統が狐に変化することが多いです。元、人間ですから、感情が人間並みに豊かであったり、人語も操ったりします。
もちろん、龍神のすべてが蛇であり、稲荷のすべてが狐であるとは限りません。龍神や稲荷であって天部(十界論の「天」に相当)に属している存在もあるからです。 ただし、天部に属している龍神や稲荷大明神であれば信仰や崇敬の対象にしていいかというと、それにも一定の疑問があります。というのも、
1
十界論をご覧いただくとお分かりのように、天部を拝むくらいなら、声聞(しょうもん)➞縁覚(えんがく)のラインを選んだほうが境涯としては上である(声聞の境涯に行くのはそれほど難易度は高くないです)。
2
龍神や稲荷系は天部であっても特殊任務系(やはり裏側にかかっています)であり、関わりになると魂として真っ直ぐに伸びていくのが難しくなる
http://www.philosophic-spiritual-master.com/avoid-dragon-fox 私の親せきで起きたこの事件では、眷属に丁重に礼を尽くして、眷属たちが所属する稲荷の総本社にお帰り願って祭りごとを一切やめてしまったのである。
さわらぬ神に祟りなしという言葉が示すように、ご利益求めの神々への参拝や、祈願は相当に危険であることを証明した事件である。
神様の眷属である神獣とはいっても、その実態は非常に上下ありです。
人間が信仰の祈りをやめると怒りだす程度の眷属が多いのは致し方のないところで、そのていどの眷属でも、祈ればその祈りの念波動をエネルギーにして力を付けていってご利益をもたらすのである。
その点では、蛇神信仰も、龍神信仰も同じです。
蛇も龍も人間が拝む対象ではないということを知っていただきたい。
そして、こういった信仰はよくよく注意されたい。
http://kansindo.mods.jp/blog/?p=13136 キリスト教も似たようなもんだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 死刑具にひっついたままの死体拜んでるんだから悪質な動物霊に憑依されるのも無理はないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ミジャグジ様
諏訪地方の土着神であり、祟り神の一種である。
だいたい男性器の風貌で祭られ、8歳の少年を依り代にするとも謂われている。
諏訪大社のお祭りが有名で、諏訪湖の氷が裂けるという『御神渡り』もタケミナカタではなくこの神が渡っているとする見方もある。
古代日本列島人の人々、天孫降臨時代や倭国大和大君時代(大和王権)が存在する前からの列島人の崇拝対象だったとされるが、具体的な発祥は未だに不明。
諏訪の外からやってきたタケミナカタに敗北して祭神を下ろされた土着神とも、タケミナカタそのものがミジャグジ様の一種だともいわれている。
東日本全体で信仰されていたと思われ、地方によって信仰形態も異なっている。
日本文化が日本列島に定着しても、口伝などで変遷しながら脈々と伝え得られる。
男性器を思わせる大蛇や龍神の姿で描かれるが化神を多く持つ神であり、一つ目小僧やかまいたちもミジャグジ様の仮の姿であると言われている。
人身御供
古代の諏訪社では神のために人の命を捧げる人身御供が行われていた可能性があるといわれている。一年神主としての『大祝(おおはふり)の殺害』が主に有名なようだが、他にもいくつかの伝承がある。
旅行家・菅江真澄が1784年に諏訪を訪れ御頭祭などを見て書き残した『すわのうみ』の中に、『御贄柱』と縛り付けられる大祝の少年のことが書かれている。
しかし、それさえもすでにかなり近代化した祭事だったようで元がどのような形式だったのかはわからない。
http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%9F%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%82%B8%E6%A7%98 本来は、祟り神として蛇の姿をとる蛇神もしくは龍神で、古代信仰においては雷神・水神として水耕や豊穣の神として信仰されていたようです。
http://www.komainu.org/nagano/suwasi/miwa/miwa.html 井戸に龍神が関わる場合もあった。水が干上がって困った時、龍神井戸に、水を授けてくれたら娘を嫁に差し出すと祈ったところ、
田畑に水が満ち、約束通り、娘は龍神に嫁いだ。その娘は、夜に井戸に来て頼めば、欲しいものは何でも出そうと告げて、姿を消す。
井戸に皿を望み、その皿の一枚を割れたままで返すと、井戸から娘の泣く声が響いた。それ以来、願いは聞き入れられなくなったという。
http://kowabana.jp/specters/146 龍神の祟り
とある新興住宅地で、働き盛りの男性が立て続けに亡くなるという
不思議な事が起こった。
それも一人や二人ではない・・これは何かあるなと感じた老婦人が
ツテを頼って拝み屋さんにお願いして視てもらったところ
この土地に龍神が埋められている・・その障りが出ているのだと。
そう、そこは池を埋め立てて宅地にした場所だった。
私の母がよく遊んだ場所であり、地元の高齢者であれば知っていることである。
実は我が道場を開く時に龍が突然空に舞い上がった。それは見えるものにだけ
姿を現したのだった。龍神が地から抜け出した瞬間でもあった。
だから安心していたのだが、まだあの土地に龍神が閉じ込められているとは
思いもしなかった。龍神は夫婦だったのだ・・残された龍神は女神、いや何と
呼ぶのか知らないが、とにかくそういう事。だから男性だけが次々と亡くなる
という怪事件が起きたのだろう。
http://nisou.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-51ea.html まだまだキリスト教の祟りよりはマシだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 中国・四国地方にはトウビョウと呼ばれる、蛇神の信仰があった。各地に異称があり、香川ではトンボカミという。
代表的なのが、「道通(どうつう)樣」だろう。道通信仰は、中国・四国の瀬戸内海地方にみられる蛇神で、各所に道通様が祠られた。
その神体は、首の回りに黄白色の輪のあるトウビョウと呼ばれる小さなヘビだとされ、人に災厄をもたらすという。
このトウビョウを鎮めるために、神社が建てられたのだ
http://kowabana.jp/specters/101 蛇が進化して、神格化ものが「龍」です。
日本でも年に一度八百万の神々が集まると言われている、
あの出雲大社にも龍蛇神と呼ばれる神様が祀られております。
蛇と龍の関係は非常に深いです。
龍は水に住み、火難や水難から人々を救うものとし、
蛇は地に住み、人々に豊穣をもたらしたと信じられています。
日本にははるか昔から、蛇に対する信仰があったのです。
また、中国では、蛇の事を小龍と言い、
お金を運んできてくれる生き物として、とても大切に扱われております。
蛇は古来からめでたい生き物や、縁起の良い生き物ものであるとし
長寿・生殖・財産・権利 などのシンボルでもあります。
中国ではお金持ちになりたいと願う人は、必ずと言っていいほど
蛇の社に行き、祈祷を受けているそうです。
https://www.wakantanka.net/%E7%99%BD%E8%9B%87%E3%81%AE%E8%A8%80%E3%81%84%E4%BC%9D%E3%81%88/%E9%BE%8D%E3%81%A8%E3%83%98%E3%83%93%E3%81%AE%E6%B7%B1%E3%81%84%E9%96%A2%E4%BF%82/ >>896
> 死刑具にひっついたままの死体拜んでるんだから悪質な動物霊に憑依されるのも無理はないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww キリスト教よりご利益ありそうだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww インド・アーリア人の古代宗教がバラモン教で、その聖典が『ヴェーダ』です。
実はこの『ヴェーダ』には蛇神であるナーガという名称はほとんど登場しないそうで、
インドの蛇神信仰は、インド・アーリア人がやって来る以前から住んでいた土着の人々のものだと考えられています。
またナーガというのは、実はひとつの蛇神の名前ではなく、それぞれに個別の名前を持つナーガだけでも500以上おり、
全部で1000のナーガがいるのだとか。ナーガはその総称で、ナーガ族とも言える存在でした。
インド・アーリア人の『ヴェーダ』の最古の文献「リグ・ヴェーダ』には、
最強の神である「インドラ」が最強の蛇神であるアヒの「ヴリトラ」
(ヴェーダでは蛇神はナーガではなくアヒと呼ばれる)と戦い、
退治する伝説があります。
それによるとヴリトラはコブラの姿をしていて、
神々をも萎縮させる咆哮(ほうこう)をあげると言います。
ヴリトラは水を支配し、独占してしまい世界に水が流れるのを止めてしまいます。
そこで雷の神であるインドラは雷の矛ヴァジラでヴリトラと戦い、退治してしまいます。
そこからインドラは雨を降らす神となり、雨乞いの対象となりました。
ちなみにインドラの中国名は「帝釈天」。あの柴又帝釈天の神様ですね。
http://fushigi-chikara.jp/sonota/6490/ ギブスさんは帝釈天でも拝んでれば?
蛇神拝むよりマシですよ。
今すぐ柴又にゴー インドの神さんだがなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>908
「日本の神さん」ているの?
アイヌの神???
ほとんどが渡来神ですよね。
八幡様はヤハタ=ヤーベだっていうし 日本の神々は渡来神
アマテラス=太陽神ラー
八幡=ヤハウェ
稲荷=アヌビス
龍神=サタン
スサノオ=朝鮮人 ルルド、ファティマ、ガラバンダルの他にサンセバスチャンにあるガラバンダル。
これらは主の与えてくださった印。 >>906 インドラとヴリトラの闘い
インドラのような強大な破壊力を持った生物などいないし、
同様にヴリトラの様なあまりにも巨大すぎる蛇などいません。
これは地球規模の気候変動を、いにしえの人が叡智で擬人化して神話にしたものです。
神話を文字通りに読むと脳に無理がかかりますよ。
神話は古代の叡智の暗号です。
つまり、あなた方の言っていることは、すべて見かけだけの関連です。
正しそうか間違いでありそうかの感じで判断しているだけです。
真の関連はひとつもないようです。 これらは全て聖書の中だけの前提によって出される結論です。
他の民族宗教など関係ありません。
悪魔 = 蛇 = エデンの逸話 = 青銅の蛇 ・ アロンの杖 (ヨハネ 3 : 14) = 呪詛 = 十字架上の御子
= 三位一体 = 父なる神 = 子なる神 = 聖霊なる神 = 創造神
故に 悪魔 = 創造の神 ・・・・・・完全な論理の破たん
自らが狂っているという事を自覚できますか ? (もしくはわざとやっているのですか ?) 「悪魔 = 蛇 」という聖書にみられる改竄は、
聖書の中にある数多くの同様に深刻な本質的な改竄の中のたった一つです。
堕 そこで「たった」というのはおかしいなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>913
呪詛 = ガラテア 3 : 13
キリストは私たちのためにのろいとなって、(のろい = curse ) 他の民族宗教だって悪さをしてるんだから、自分たちキリスト教は悪くない。
の言い分です。
一万人が同じ間違いをしたところで、同じ選択をした1人の間違いが
間違いでなくなることはありません。
ちなみにこういう矛盾をしているのは、世界中で砂漠の三大宗教だけです。
バイバイ 清水寺の音羽の瀧には龍神が水を飲みに来るらしい。見た人がてんこ盛りだぞwwwwwwwwwwwwwwwww 神を愛し、忠実なら、いつでも神とともにいる方法を見出すと神は言われます。
それは話すことであってもそうです。
それらの知恵は、知者の目には見えなくされています。それは神の御心であり、神は知者には与えず、貧しい単なる子どもたちに与えるのです。
それは、霊から霊にたいする教えであり、哲学を教えるようには教えられません。
神は、知者がどう考えるかを知っておられます。しかし神は、私にたいしては真に説得力がないといわれるのでした。
だから、主は来るのです。その御旨が私達に行われるまで、待ちましょう。
結論を出すのは、主を見いだしてからにしましょう。 見出したら写真撮っといてくれwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 昼亭さんとギブスさん、悔改めなさい。
そして聖霊を崇めなさい! ヘブライ語ナカシュ → 英語スネーク 蛇
ヘブライ語ナカシュ → ヒンディー語ナーガ 蛇
ヘブライ語ナカシュ → 日本語ナガ 蛇 >>925
全然違うと思うぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 悪魔はどこにもいません。悪魔を見たことありませんよね。
この世の悪は、戦争にしても犯罪にしても人間が起こすのです。
悪魔はいないが、悪魔のような人間がいるだけです。
人間は恐いですね。悪いことだと知りながら悪いことをします。
悪いことを善いことだと思っているバカも大勢います。 善悪の実を食べたのはアダムとエバです。
この実に悪の起源があります。
善悪の実を食べなかったエデンの蛇は悪とは無関係ですね。
この蛇は霊界生き通しなので、堕落しようがまったくありません。
悪魔とは、善悪の悪を選んだ人間のことです。
黙示録のハルマゲドンなどありません。
キリスト教の狂った妄想です。 >>929
>この実に悪の起源があります。
違いますよ。
食べることによって「われわれ(エロヒム)の一人のようになった」のです
エロヒムの一人はすでに食べていたのです。
食べたそのエロヒムこそ、ルシファー、サタン、年を経た蛇、竜です。 神の実在を証明できのならそれを見て考えてやろうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww わけわからない妄想に囚われ、
ああじゃないこうじゃないと言い争っている時が、
一番おもしろいのかもしれないね。
妄想を信じるには正しいと思い込むしかないから、
怪しげな妄想を固く信じ続けるために、周囲と言い争って一喜一憂する。
でも妄想だったとわかってしまうと、酔いが醒めてしまう。
もっと酔っていたかったのに・・・ TT 老人になっても妄想に囚われてたら悲惨だよw
昔本で読んだが、ある神父の言葉「ブッダは高齢まで生きたが、イエスは若くして人生をおえた、
老人の生き方を示されない」 >>929
>善悪の実を食べなかったエデンの蛇は悪とは無関係ですね
食べることによって「われわれ(エロヒム)の一人のようになった」のです
(創世記3:22)
エロヒムの一人はすでに食べていたってこと。
食べたそのエロヒムこそ、ルシファー、サタン、年を経た蛇、竜です。
いい加減、竜の方を持つのやめなさい。目を覚ましなって。 >>934
/三ミミ、y;)ヽ
/三 ミミ、ソノノ、ヾ、}
,':,' __ `´ __ `Y:}
}::! { : :`、 ,´: : j !:!
{:|‐=・=‐ i !‐=・=‐|:} あんた地獄に落ちるわよ
r( / しヘ、 )j
g ! ` !-=‐!´ ,ノg
\._ヽ _´_ノ ソ
__,/ ヽー ,/\___
|.:::::.《 ヽー/ 》.::.〈
//.:::.`\ /'.:::.ヽ\ >>930
悪魔はいないけど悪霊はいますよ。
悪霊になるのは、地縛霊などの低級霊であり、死んだ人間の霊です。
>>931
核戦争で人類が滅びるにしても、それを起こすのは人間です。
>>932
善悪の知識にも二種類あるのです。
ひとつは自分中心の善悪。これが人間の善悪ですね。
もうひとつは命中心の善悪。命の実を食べることで本物になれます。 >>937
細木数子は、イエスの芸のパクリだとわかった。 >>935
> 老人になっても妄想に囚われてたら悲惨だよw
老人やさかい、妄想に囚われまんねんがなwwwwwwwww >>938
>悪魔はいないけど
いますよ。あなたについて離れない竜です。 >>940
痴呆と同じで、そのまま死ねたらベストなんだけどね。
何故か死ぬ間際は正気に戻る。それが悲惨なんだ ギブスさんは龍=悪魔と契約を結んでしまったのです。
どこかでやったのよ。魂を与える見返りに現世での経済的安定。
取るのは不可能でしょう。 悪霊はいる。キリスト教徒だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww なるみは性的欲求不満なのは分かるが、蛇に拘るなよw
ホントやらしいんだからw >>935
イエスも釈尊も同じだと思います。
究極の真理がわかれば、年に関係なく、それに従って生きるだけです。
永遠の命を知っていれば、年を取ることはつらくないでしょう。
>>936
エデンの園は霊界にあるのです。
善悪の実とは善悪という二元的な判断基準のことですが、
それが実際に役立つのは物質世界に誕生してから。
人間は物質世界を生きるために、物質に執着するのです。
それが本人にとっては善ですが、他人にとっては悪そのものになるのです。 >>944
ミルナさんは、わたしの龍神体験をわざと歪めてませんか。
龍神様は三途の川の上空で固まってしまったのです。三途の川の上空ですよ。
そこから向こう岸のあの世を眺めたのです。見たのはあの世ですよ。
この世の栄華を見せてもらったのではないです。
その時のわたしの望みは、あの世に行くことだったのです。「行け行け」と
龍神様に言ったけどまったく微動もしない。何で行かないんだとじれったく
思い始めたら、集中が緩んで坐禅が終了してしまった。 ちょっとご無沙汰しました。書き込みの内容も少し寄り道したようなので、本来のカール・ヒルテイの話に
戻りたいと思います。
ヒルテイ4−H ヒルテイの感銘深いエピソード〔ヒルテイの良き友人であったケラー氏の証言〕
「私が最後に−彼の死ぬほぼ半年前ー彼を訪れた時、彼はひどいロイマチスに悩んでいました。
辞去する時、私は彼の手を固く握って『主があなたのご病気を和らげて下さるようお祈りいた
します。』と申し上げると、彼はほっそりとした指で私の手を取り、真剣な面持ちで言われま
した。
『それはいけません。あなたは私どもの主があなたのお祈りを聞いて特別のお恵みを取り上げ
て下さると思ってらっしゃるようですが、それはお断りしなければなりません。
10日間のロイマチスの苦痛は、私の内なる私が聞く10の説教よりも、ずっと薬になるのです。
どうぞ、私の苦痛を気になさらないでください。』と。私達神学者はこの法律家から教えられるこ
とが沢山あります。」(「ヒルテイ伝」より)
ヒルテイはここにおいて「苦悩の意味」、「救いの意味」に対して彼自らが身をもって明確な答
えを与えてくれている。このエピソードは彼自身の次の言葉を裏ずけたものと言えよう。
「苦悩の本来の目的はただ苦悩によってのみ我々は神の傍近くにいることに慣れ、常に神の傍近
くにいることに慣れ、常に神のそば近くにいることを感じることができるというところにある。」
(「幸福論第三部」)
「神なしに生き、まして神なしに苦しむよりも、神とともにあって苦しむ方が遥かに優った運命である。」
(「幸福論第三部」)
「つらい試練や意気消沈はいつも新しい、より大きな浄福と神の力が加えられるための入り口である。」
(「眠られぬ夜のために第一部」)
死刑囚島秋人、同じく石井藤吉の尊さというものは死刑宣告を受けることによって苦悩さらには死の真の
意味までをも見極めたというところにあるように思います。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。