🗽 揺らぐ西洋文明に対する確信
また、アリソン教授のような中国に譲歩する議論の背景に、西洋文明に対する自信の揺らぎがあることにも注目したい。
西洋的価値観が支配的であると考えるよりは、むしろそれを相対化し、アメリカの宣教師的役割から一歩退くことを勧めているようなところがある。

例えばアリソン教授は、フォーリン・アフェアーズ誌に掲載した「China vs. America」という論文で、
西洋で「法の支配」という価値観ができたとき、中国はまだ世界史に登場していなかったという中国共産党政府の高官の議論を紹介し、
西洋文明で自由を担保してきた法の支配という概念についても確信を持てない様子が伺える。

だが17世紀、アメリカに入植した人々は、マタイ福音書5章14節で描かれる世界から仰ぎ見られるような「丘の上の町」を創るのだという強い意志と情熱によってアメリカの建国の礎を築いた。
世界の模範であることをやめたら、アメリカはアメリカでなくなるという国是がその「はじまり」において刻まれている。

これがアメリカの例外主義(エクセプショナリズム)と呼ばれるものであり、「人間の自由を実現する正義のための戦いは善である」という感覚がアメリカ国民に定着している。
アメリカがこの例外主義に基づいて、帝国主義的支配を行ったのは確かだが、相対主義に陥って、アメリカニズムの根底にある正義の探究まで放棄するのは行き過ぎだろう。

政治コンサルタントのパトリック・カデル氏も、トゥキディデスの罠という考えは、
「アメリカの例外主義の素晴らしさを理解しない考えだ」、「アメリカが衰退していくことは神の前で恥ずべきことで、世界が苦しむことになる」と批判をしている。
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