仏教の悟りについて語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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まことのやり口はすでに知っている
キチガイにはキチガイのやり方がある
毒を以て毒を制す、である
この初老ニートは、まずルールを破る、とは前に触れた
なら、こちらもルールを破っやればいい
この行動に、まことは戸惑った
なにしろ、この初老ニートのルール破りとは、あまりに姑息なため、誰も同じやり方で
仕返ししないからである 勝平さん東大印哲卒か、残念だわ
いかに柴山全慶がすばらしくとも、印可し指名したのは情からか
6則は二人の間になかったんだよ >6則は二人の間になかったんだよ
それは何故?
心身脱落は脱落心身なんだから間になかったじゃ矛盾するね。 南泉一株花でつか
でも 楽しみですよ そんな人と出会えるのかな
やっぱりな←ワロタするのか (753さん微笑したことある^^かね ホンマけ〜)
もっと別の驚きがあるのか←全然ちゃうのか >>754
君も俺も、またその他の人も、世尊拈華したるを漏れなく見ている、いつも何度でも。
「やっぱりな」は未来にこころ奪われた人の言葉。
「驚き」は過去からの先入観が破られた人の言葉。
大抵の人はこの両者ではなく、無関心故にわからないだけ。
右を向いたら右側の景色が見えるでしょう?
左を向いたら左側の景色が見えるでしょう?
もし、世尊がお花を見せてくれたら、お花が見えるでしょう?
何を疑う必要などあるでしょうか。
それだけの事なれども、縁無き衆生は度し難し。 そんなもん、だれでもいっしょやないけww
なにが縁なき衆生よ
花みて、花みえるんが、さとりかいな、わら >>751
認めないまでもそんなヤバイことやってるとバレそうなレスかいてしまいましたな(爆) 日銀総裁やオリンピック委員長には、わからんわな。なんせ彼らは東大法学部在学中司法試験に合格し大蔵事務次官まで登り詰めた優秀な頭脳持ちだからね >>757
先ず、その自分と言う見解を捨てちゃえば良いよ。
悟りは見解以前にちゃんとある、だけど君は自分の考えに惑わされてそれが分からない。
目で見る時、君は理解して納得出来たものしか見えて無いかな?
目を開いて目を向けた時、好きなものや見たいものだけが見えてるだろうか?
自分の考えとは無関係に、可視光の風景は全てその目が捉えていないだろうか?
耳もそうじゃないかな?
思考以前の事をもっと良く観察できたら良いと思うよ。
それが所謂「父母未生以前の自己の本来の面目」ってことなんだからね。
一無為の真人とか尽十方界真実とか言われるのも是の事なんだよ。 >>761
本来清浄、不受一塵
観有相之栄枯、処無為之凝寂
不同幻化豈仮修治
水緑山青坐観オッパイ 過去は消え去り・・
記憶だけ残る・・
今を生きるか・・
過去の記憶に執着するかは・・
あなたが決めること・・^^ 寒山詩など読もうとしたが、証道歌のいう「浜の真砂を数えるようなもの」なんだよな
日本の学問は皆んなそう・・・なんだが 仏典も聖書も
坐る=安心(あんじん)に至らないから あれこれ探すんだよなぁ〜
新スレが 建ちましたぁ〜♪
坐禅と見性第109章そもさん!熱波!天変地異か。 [無断転載禁止]©2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1463212499/ 南泉一株花 はムズいわ
>>761さん
聞見覚知非一一
山河不在鏡中観
霜天月落夜将半
誰共澄潭照影寒
古来より碧巌百中の絶唱(大森曹玄)だという感覚がピンとこないんだわ
鈴木大拙も柴山全慶も紀野一義も、このあたりに心震わせたようだ
西田幾多郎が歎異抄を涙なしでは読めないと言った境涯みたいなもんかな???
なんか手も足も出ない達磨さんになってしもうた
廓然無聖が分かっていない証拠のようだわ >>769
「天地と我と同根、万物と我と一体」
南泉曰く
「時の人、此の人株の花を見ること、夢の如くに相似たり」
名無しに曰く
「夢は思いが作る、夢から覚めれば跡形もなし」
769さん、花を見て「花だな」と名付けているのは思考・認識でしょう。
その思考・認識を「夢の如し」と言ってるんですよ。
生活するには大事な「夢」も、悟りには不要です。
そして、悟れたら、今度はその悟りが不要になりますから捨てる訳です。 >>770
ありがとうございます
いやいや、先人が絶唱と言う境涯の一片にでも触れればいいんですけどね
心震わず 婆子焼庵の石みたいですわ >>771
難しく考えなくても良いのでは?
例えば、合掌してみてください
右掌が左掌に触れて合掌なのでしょうか?
それとも左掌が右掌に触れて合掌なのでしょうか?
自他も同じだ、と如来は説きます おすすめの接心ってありますかね、福井?広島?静岡?
師家如何より全体の雰囲気が真面目なのがいいですわ
6則集団がいれば嬉しくなってソコに身も骨も埋めたい
前日の安単から最後の暁天座までフル参加してたのは遠い昔
爺になりました パパジの4分で目覚めの最初の
なにかをしようとする
努力をしたり非努力をしたりしようとする…
その「私」はどこにあるの?
はじめから内側も外側もないわけだから
なにもしなくて
なにも行為できんで
いいわけなんです(嬉)
パパジの本で
行為も非行為(の努力、これらは内側・外側が必要)も「意識」からはじまる
その意識に気づいてればなにが起こっているように見えてもなんのもんだいもない
みたいなことを書いてました。
気づき(サティ)の本性は
自然の無努力の意識(サティ:内外なし)なのでありました
爆 東京、阿佐ヶ谷のシロバコカフェの竹下O奈は熟女ならいいが通り越して失敗した納豆のように腐ってしまってるからダメだ。
実家が不動教(オーム教の残党)らしいからそうなる。あまり関わらない方がいい。 豚(仏陀)の悟りは「おいしい糞(空想)が食べたい」だお。 オレは知らんぷりする
この時期、まことに眼中はない
眼中にない相手がバイセクシャルと告知しなくてもいい
本来、オレにはそういうやさしさがある >>770
花を見て花と思うのは、認識だね。
別に、何の問題もない。
それにあーだこーだ、ゆー、こころって方が問題なんだね。
気持ちね、気持ち。
この気持ちってやつは、ホントは、好きか嫌いしかないくせに、認識ってゆーより、記憶を引っ張りだして、延々、個人的世界に生かせるわけじゃん?
好きか嫌いで、止まれば、ちゅーか、この気持ちってやつに我儘ゆわさんだらいい。
弾けたらいいんさ。
そ!
それが、なんちゅうか、むずかしいな。
説明がね。
めんどーだな だんだんと、まことは逃げ回ることに麻痺してくる
堂々と自爆発言もするし、逃げたことも否定するようになった
「まことって誰?」
は、これが所以である
いつ頃か、まことの周囲には人影がなくなっているから、この初老ニートは
どうでと良かった >>780
眼横鼻直を知ってるなら説明なんか不要でしょ?
知らないって人に工夫して頭を使ってさしあげる事が道の人の慈悲・老婆心でしょ
先達親心を今こそ知るべきでしょう 単に事実を事実と割り切って考えれば足りる
そして自分の事実確認の限界を知っていれば
世迷言も無くなる >>783
じゃあ何で君は
>釈尊は引き籠り、慧能は夜逃げした。
なんて世迷言に捉われてるのかな?
ハンドルネームにしたいほど拘りの一言なんだよね
割り切れてないじゃん全然
釈尊は釈尊、慧能は慧能、君は君だろ?
全然関係ないよね、君の成果には >>784
うっさいな
末法末世の表現だろうがよ!
説明させるんじゃねえ! >>785
>末法末世の表現だろうがよ!
末法の出自は? >>787
どうでも良いですよ
社会的な傾向の事ですから
宗教家の妄想には付き合ってられん
社会の複雑化によって妄言だらけになると
真理が遠のくと単純に考えれば良いんですよ ああ、あっちこっちからの都合良いとこだけつまみ食いか
ダメだこりゃ 宗教家の与太話は要らねえよ
つまむ訳ねえだろブァ〜カ! 釈尊も慧能も歴史上の人物ですよ
一々その名を出すだけで
宗教の話にするんじゃねえ! 三毒五蓋も弁えられないで何を学んでるのか甚だ疑問を禁じえませんな 宗教家の戯言などどうでも良い
宗教の始まりは
せいぜい民主的な考え方が
大衆に受けただけだから
今更市民革命の後に
もう一度出てこようとすんじゃね〜よカス
その程度も弁えてないような奴が
まだウンコみたいにこびりついて
世迷言を並べているぜ
民主主義社会で
宗教団体は何をやっていたんだ? >>792
創価うぜ〜
本当に上っ面でムカツク
良く使うね
お前らの様な屑がね
お前らのせいで言葉の意味が
どんどん変わる
一体何の事を言っているんだろうね?
何時も悪評をまき散らし続けている
糞豚カルトがね
どうでも良すぎるけど
良くお前らの組織は残っているよね
信者は電磁波兵器で集めているんですか? 昔は強引に勧誘していた様だが
今は電磁波兵器で信者になるストーリーを
進行させているのかな?
例えば
模範的な信者のちんちん先生なんかの
話に心を打たれちゃうストーリとかねwww
くだらねー
ギャハハハハハッ!
ぜってーやってるよ
ちんちんはな
wwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwww 本来仏教って生老病死よりの開放を悟りの第一原理としているよね? いや、煩悩からの解脱が目的だけど、第一原理ではないね
仏教には本質がないからね、って事は原理も説きようがないって事 生きてるのが苦しいから脳内確変で苦しみを感じないようにしたいだけ >>796
何でこんな事になっちゃったんだろうと
釈尊が見たら思うでしょうね 瞑想って考えを整理する為のものだと思うんだけどね
そういう集中が必要なのに
結局何も考えずに居るだけみたいになっちゃって
ただのリラクゼーションみたいな事で
日向ぼっこをしている様なものでしょうに
何の意味が有るんでしょうな? いや、深い意味はないんだけど
煩悩からの解脱って、絶望して全てをあきらめちゃった状態でも起こりえるよね
要するに壊れる寸前、生きる気も死ぬ気も何にもやる気が起きませんって重度欝な状態
あれじゃあかんの? >>803
それは奴隷を虐待していた連中の勘違いだよ
偶々見つけて喜んでいたんだろうけどね
本当は「苦境に立った時の現実追及」が
重要で馬鹿には絶望しているかの様に見える
人間の中にたまにそういう奴が混ざっていたんだろう
大抵はただのアホになる お!やっと返信があった
いっぺん鬱になってから回復すると気づくと思うけど、その場を生きるのに精いっぱいだよ
改善やら悪化なんてそう考えられなかったりする
絶望はあきらめへのプロセスの入り口であり、全てを受容するための通過儀礼
いい例が不治の病系を患った時の精神プロセス、否認・怒り・取引・抑うつ・受容だね
絶望の先にも苦を受け入れる土台ってのがあるんだよ
でもなぜかそれを悟りに数える人はいないのが不思議なんだ
日々を受け入れてただあるように生きるのはそんなにダメな事かね
畜生とはほぼ蔑称となっているが、獣の生こそ有るがままを受け入れて苦が無いと思うがね
それとも原生生物に近くなるほど煩悩にまみれているとでも言うのかね? >>805
原生生物に近づきたければ
まずは科学技術を捨てる事だな
御都合主義的に戻るなよ
知識を継承する者は
過去の原生生物の後を継いでいるんだよ
知識の継承の歴史を忠実に振り返ってから
原生生物の話をしてくれ
それなら矛盾しないだろうさ
それが出来て無い限りは
必ず矛盾するけどね 分からんかね?
完全に欲より脱するって事は知性すら意味をなさないって事なんだが
例えば”衆生を救いたい”ってのも欲の一つだよ
信者が多くを求めて狂ってしまった神を見ればわかるとおり、全てを整合させることはできない
他の生物が自らの体を差し出してくれるので私は生きているなんて欺瞞でしかない
衆生を救いたければその時点で自ら消えるしかない
知性があり、それを拠り所とするから整合性が取れず、それにより苦が生まれるわけだ
自分のために屠畜されたものは良しとせず、屠畜されていた肉を施された場合は良しとするような欺瞞でしか整合性が取れないんだ
米も豆も草も牛も同じ生命なんだけどね
托鉢で得た物は尊く、自ら狩った物は穢れているってのはなぜ?
僧が托鉢しなければその分の食料は後日に回され、亡くなる命も先延ばしになるのにね
まあ、生きているのが常態だからそれを維持するために食事をするのは当然、でも命を頂いている事を自覚しましょう
で、また苦が始まるんだ 自分のやり方で何かをわかったりすればいいでしょう、自分の心の問題でしかないなら他人との会話の内容なんてどうでもいいんですから >>807
能動性が無いと動けないよ
それが全て欲と呼べる
止まって居る中で喋っていてくれ
それが出来無い事は前から分かっているがね
衆生なんて大層な口を利く事は無いよ
欲で生きて居るからね
言い分の不整合ごときで
知性を問題にするのは愚か過ぎるね
米も豆も草も牛も同じ生命では無いよ
個体差があるから分類の中でも違う
食料を後日に回すと
他の人が余分に食べてしまったりする事が多いと思うけどね
結局どうでも良い事のオンパレードだな 般若心経に「色即是空 空即是色」とある通り、
この色(しき、物質的)の世界は、固定した実体や我がない空であり、
それ自体がすべて真如のあらわれである。
さらに、この空の世界が、そのままこの世に存在するすべてのものの姿である。
したがって、煩悩の概念そのものがなければ、相対的な悟りの概念もない。
また、悟りも悟りを妨げる煩悩もその本体は真実不変の真如のあらわれである。
それゆえ、煩悩を離れて菩提は得られない。
また逆に、菩提なくして煩悩から離れることはない。
これを「煩悩即菩提」と言う。
光と闇か・・・ 煩悩の概念そのものがなければ、相対的な悟りの概念もない・・
ということは・・ 煩悩が先か・・菩提が先か・・
う〜〜ん
卵が先か・・にわとりが先か・・
う〜〜ん
むにゃむにゃ・・ぐーぐー 菩提とは・・
煩悩(ぼんのう)を断って悟りえた無上の境地。 「煩悩(ぼんのう)を断って悟りえた無上の境地」
煩悩即菩提・・
煩悩なくして菩提は存在しないのでは・・
ということは・・ 煩悩を絶つような考え方が無我だけど
無我は止まる事を意味するのでそれは実現しない
実現しないので
恣意性に依存しない考え方を
する事が出来ないのだが
幸い世界は波動の様に振れているので
大体中間的な考え方が成立する
完全な中心を探す不完全な状態になる
中道になって終了
理想条件下の因果律を想定しながら
話を進める科学と同じですよ
実証は形而下でしかないから
何時も不完全だけどね 中道を目指していると
空即是色が起こる時が有る
真理の体現では無く
過去の自分の何かと
今の自分の何かが重なるんですよ
過去の何かと今の何かは
直接分から無いし不定ですよ
気付くタイミングは偶然だし
何が重なるかも偶然ですよ
しかしそれでもこれが起こるからには
因果律は継承しているんだろうと
考えられる
真理が体現させるのだと考えられる 仏の心で眺めれば、自らの思想に囚われた我執の人となる。
仏教では執着が煩悩を生じると説く。その根源を無明と呼ぶ。
無明とは人間の根源的な無知のことである
ふむふむ 「中道」を生きるとは、「仏の心を持って俗世を生きること」である
ふむふむ 無明とは苦に直結する人間の根源的無知。
煩悩を生む三毒といわれる貧、瞋、癡のうちの癡はこの無知に収まる。
貧と瞋は欲望に収まる。
仏陀とは無明の眠りから目覚めた人のことである。
逆に凡夫とは無明の眠りの中にあり、実体のない夢を現実だと思っているような
状態をいう。
「縁起に依存し」、「縁起の支配下にある」ということを例えれば、
眠っている限り夢の中の(現実)は夢に依存し、夢の支配下にあるのに似ている
。夢を見ている人は夢を見ていることを自覚できないように、
無明の凡夫は無明の中にいる自分を自覚できない。
これが無明の特徴である。
目覚めた仏陀から見れば、夢を人見ているが、夢の中でどんなに執着しても、
それは幻をつかもうとしていることだとわかる
ふむふむ 「無明とは苦に直結する人間の根源的無知」
苦を感じるということは・・・
無明の中にいるということになるのかー 今更ですが心のメカニズムの話です
心というのは元来科学的に一切不明で
誰が言い出したか分から無い話を
人から人へ伝播していく様はただの風評の変遷であり
まことしやかに語られる全てがその様なもので
客観的には何の意味も無いのだ
この疑問を晴らそうとすると
社会に蔓延する風評の変遷をプロセス化して理解するしかない
だから先に社会の動きが分かって来る
心のメカニズムの特定は社会心理を解き明かした後になる
実際に個人がそれを認知するなり語るなりする瞬間は
社会の風評の変遷の一過程の様に映る
「それが心のメカニズム」
ところが現代には馬鹿が居て
適当に観測事実とこの昔からある風評的理解を
適当にこじ付け得意になって解説をしたがる
自己流の解釈を勝手に信じていて
それが風評の変遷の中に出来て来ていた流動的なものだと
自覚するだけの知能が無いのだ
特定のパターンの観測事実があったとしても
それに関連付けられる心の話なんてどこにもなかったんだよ
世間で言う心とは時々刻々と変化する風評の事であり
認知のレベルで考えても社会の動きの一過程に過ぎない因果だからね 828.
無明とは根源的無知、か。
それは当然のことである。
その当然から、どうやって脱却するか、の問題である。
飛べ、されば救われる。
そして、どこに着地するのか。そこが問題である。 諸法無我
事実に沿って考察する時は
私情を挟まないようにしましょうね
という事に過ぎない
それが出来ないから何時も愚かしいのだけどね
>>832
解脱は何の事か知らんが
悟りとは関係ない
三界(さんがい)の狂人は狂せることを知らず
四生(ししょう)の盲者は盲なることを識(さと)らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し
空海『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』より
>ゴータマ・ブッタ自身は、硬く、正座して緊張しながらのものではなく、
>普通の人達に、普通の言葉でわかりやすく、
>輪廻から自分を解く方法をとかれているものである。
>ブッタは、誰か・何かをたよってではなく、あくまでも自分が、
>正しい事をする事で、涅槃に入るということをといている。
本当にさまよいから離れたい、思っている人は、読んでみて。 [無断転載禁止]©2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1466921022/1-8
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1466921022/13-14 私情を挟んでものを考える奴に
正しい考え方などある訳が無い
単に事実関係に沿って考えれば
何時も自然界の理に沿って考えられる
それが本当に出来ればそれだけだが
そんな事が出来る奴はめったにいない
せいぜい数百人に一人だ
最近はもっと絶望的で
数千万人に一人くらいだと思う うはっwww
悟ったったったwww
これでっwww
人生www
イージーモードwwwwwwwwwwww >>841
瞑想・自己洞察・観察
コレだけだよね、下手に言葉に頼ると
ブレるからなw >>843
内観とはただの実験心理学だったってのはそうなんだけど
自己を洞察と言って、他者は観察と言う
仏教は無我を説くのに何言ってんだろって感じ
無我なら全て他者になるから観察行(ヴィパッサナー)なんだろうに まことは、どうも、徒労が嫌いらしい
努力が無駄になることを嫌がるようである
つまり、いくら誹謗中傷しても、儂が読んでなければ意味はなく、これを忌み嫌う
また、文面を読まずに反論する臆病者だから、儂が目に入るように文面を書き込む
のがつらかった
文面を読んでもらえない
つらいのうww
つらいのうww
に、効力があるのは、それが由来で、また、二度「つらいのうww」と書かれるのが
まことは、堪らないのである 幸福の科学/HSガンちゃんとレオのブログ
http://gunleo.seesaa.net/
一会員が幸福の科学の名を教団に許可なく勝手に掲げています。
内容も他の会員を攻撃したり、他の会員の裸URLを貼り付けたり異常行動が見られます。
また、この二人は御本尊を否定し、日々の祈りも拒絶した、ただのぶら下がり会員です。
このような不埒者が仏法真理を悪用し、人気取りの道具に使用しています。
即刻、やめさせて下さい。
https://contactus.happyscience.me/jpn/ まことと呼ばれて
まことと呼び返すのは
まことくらいなもんだろww 法蓮のいちかは他より高い金とって依頼した結果はほとんどださない。しかもだいぶ前から病気で結果を出してもいないのに出したと言うきちがい妄想にやられ
勝手に言ってるだけ。こんな所へ行ってはいけない。お金を病気の患者に恵んでるというよりはドブにすてるようなもん。苦情、弁償取る以外行くべきではない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています