「聖書と信仰」というテーマは、キリスト教について、しかもそれを自らクリスチャンであるという立場と責任において語ろうとするとき、十分に正当なテーマだと思います。

しかし、私がそこで救いを受けて歩んでいる「キリスト教」は、決して「書物の宗教」ではありません。
そうではなくて、神がキリストによって語ってくださった「出来事としての福音」による宗教なのです。

従来、ユダヤ教の律法主義と対比させて、キリストへの、あるいはキリストの福音への信仰を強調することは、特にプロテスタントの特徴であり、常識でありました。
ところが実際には、教会の現場での通俗的な理解では、聖書という書物が律法主義的に読まれ解釈されて、あたかも道徳の教科書、あるいは人間の行為の正邪を判定する(過去の裁判の)判例集ででもあるかのように扱われて来ました。

いったい私たちの信仰にとって、「聖書」とはどういうものなのか ? 少し考えてみたいと思います。