2007年(主日C年) 8月19日 年間第20主日

エレ 38:4〜10  ヘブ 12:1〜4  ルカ 12:49〜53
「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」(ルカ v.46)

神が顕現されるとき、その顕現に触れた人々の人生に火が投じられました。
神の山ホレブでヤーウェがモーセに顕現されて以来、彼の生涯の歩みに火が投じられました。
聖書の中には、そのような人々の物語りが満ちています。
御子イエスが受肉して私たちの間に宿られた (ヨハ 1:14) ことによって、キリスト者の生涯の歩みにも火が投じられました。
このかたが十字架につけられて死に、復活して私たちの義と聖と贖いとなられた (Iコリ 1:30) からです。

「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。 そうではない。 言っておくが、むしろ分裂だ。」(ルカ v.51)

地上に平和な世界を実現することが、キリスト教の目標であるかのように、またそのようなことが可能であるかのように、考えている人々が一方に存在します。
それに対して、新約聖書の中にも、キリスト教の歴史の中にも、火が投じられた歴史の中を歩んだ多くのキリスト者の苦悩と戦いの記録があって、真の平和は将来の神の国にこそあるという希望を証言しています。

「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」(黙 7:14)
「神が人と共に住み、 ・・・・・ 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」(黙 21:3-4)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より