『小説や映画などのフィクションに慣れ親しんでいない人達』に向けて『小説のあらすじを解説する』ようなものなのだ。
あらすじだけの物語には感動しないし、
実際子供の時から小説を読むのが趣味だった人などには、阿久悠の歌詞は余計に『単なる粗筋解説にしか思えない』も有るだろう。
それらにも勿論良いもの(津軽海峡・冬景色、五番街のマリー、たそがれマイ・ラブなどは良い)は有るが、阿久悠作詞の多くは『聴き手の人生の友だちとなる』様なものが無い。
つまり、阿久悠はヒットメーカーであったが
”昭和歌謡”詞全体で考えると、中途半端な才能の持ち主だったと思える。