【ブギの】笠置シヅ子【女王】
服部良一との名コンビで、東京ブギウギ・買物ブギーなど
数々の名曲を世に残し、戦後間もない日本に希望と活力を
与え続けたブギの女王・笠置シヅ子について語りませんか。 >>565
そういうこと言う人には教えたげません。 ひょっとして自作自演してるのは認知症の老人で過去を思い出してここにきてる?
もしそうだとしたら大事にしてあげなきゃ。俺、老人にはやさしいんだ。 JASRACが知ってるよ。
管理してるくらいだから。 笠置さんはやっぱり庶民的でよろしい人やなぁ〜
今さっき帰った俺のばあちゃんも笠置さんは庶民的な人やよってに好きやったて〜
NHK-FM「今日は一日○○三昧」
4月29日(水・祝) 9:20-25:00 今日も一日「戦後歌謡」三昧
5月2日(土) 9:00-18:50 今日も一日「みんなのうた」三昧
5月4日(月・祝) 12:45-22:00 今日も一日「ラ・フォル・ジュルネ」三昧
5月5日(火・祝) 13:00-23:00 今日も一日「吉田拓郎」三昧
5月6日(水・祝) 13:00-25:00 今日も一日「「ハードロック・ヘビーメタル」三昧2 東京ブギウギ久しぶりにラジカセで流れてたのを聞いたけど東京って言う所微妙だな
どうみても5文字のとうきょうって言うのが苦しく感じる 買物ブギーを聞きたくて青春歌年鑑を借りてきたんだが、
やはり「つんぼ」は削除されてるのね。
でもブックレットには、「好ましくない表現がありますが改変してません」と書いてあるんだよなぁ…
カットは百歩譲って許すとしても、嘘をつくのは絶対駄目だろう…
よっぽど強い圧力が掛かってるのかね。自分の都合で歴史を変えるなんて自分は神様とでも思ってるんだろうか。
圧力団体の人たちって。
ちあきなおみの「恋のめくら」もCD化してないしなぁ…
コロムビアの音源で「楽曲のオリジナリティを尊重」してる曲ってあるの? 放送禁止歌謡が注目されるようになったけど、こういうのは絶対スルーされるんだよな。
まるで無かったかのように。本当に怖い世の中になった。
最近こういう静かな形で文化が弾圧されまくってて怖いわ。
>>584
自分は改変してないってんだろ。
前の人が改変したかどうかは知らんってそういうこと。 >>584
それ、素直に文句言ってみれば?
>>587
> 自分は改変してないってんだろ。
> 前の人が改変したかどうかは知らんってそういうこと。
昔大瀧詠一がリミックスの話してて、「昔のオリジナル
には入ってなかったパートが入っちゃってる」っていう
のを紹介してた。誰のなんて曲かは忘れたけど確か
洋楽。
オリジナル当時、録音したはいいけど重ねるとどうもお
かしいから現場でカットしたのだけど、リミックスする
人がそれ知らなくて要らない音まで入れちゃったという話。
折角ちゃんとした音で出る機会があってもこれは悲しいな。 次に新たにCDがでたら「ホットチャイナ」は確実にアウトらしいからな。
歴史的にいっても、つ○ぼは断り書きで済みそうだけど、ホットチャイナはややこしい問題が絡んできそうだもんなあ。
>>588
多分無理、今もジャニーズの連中に歌わせたりすることも多いし
差別的な用語が使われてたって事実ごと葬り去りたいんだろうから >>589
ホットチャイナはなぜアウトとなんですか
買い物ブギはカットなしでCD出るんですか >>591
> 差別的な用語
スレチだけど。
言葉自体に「差別」の意味なんかないのにねぇ…。
指さして「つんぼやつんぼ!」とか囃し立てるなら未だしも。
「めくらねじ」とかも無くなってしまうのかなぁ。 >>囃し立てるなら未だしも
体の障害をギャグにしてるのはいいんですかそうですか。 障害者自身がギャグをするのなら分かるが
これは笠置シズ子の健常者の客が店主がめくらとつんぼであることを笑い飛ばしているんだがな。 めくらとつんぼということばは単に目が見えないと耳が聞えない
という事実を表す言葉でしかないのは確かだが
この歌は明らかにそのことをギャグとして表現している。
この曲の場合単純にその単語の問題じゃなくて明らかに表現の問題だと思うが。 >>596
笑い飛ばしてるのとは少し違う。
買い物のてんやわんや振りを歌っている中で、踏んだり蹴ったりの状況を作った要素として使われている。
車の同乗者がデブで暑苦しくて参ったとか、電車に乗ったら加齢臭満載のオヤジだらけで参ったとか
構図はそういうのと同じ。
しかしまあ、今はデブとかチビとか禿げとかもダメだからな。今やるのは絶対無理。 >>598
デブと加齢臭とつんぼとめくらが構図が同じ?
お前つんぼとめくらの前で同じこと言ってみろ。 >>599
デブと加齢臭とつんぼとめくらが同じだなどと言っているわけじゃないぞ?
「これこれこういうことがあって参った」という、この作品中での扱われ方の構図としていっているのだが?
この理屈もわからんのか?
構図が同じならいいってえのか。
お前、デブや加齢臭が生活していくうえでどれだけの障害があるってんだ。
目が見えない耳が聞えないという障害とは比べもんにならんだろ。
それがデブや加齢臭と同じ踏んだりけったりの構図だからって
店の主人がめくらとつんぼで踏んだりけったりでわてほんまによいわんわ♪
って唄い飛ばす類のもんかそうでないかぐらい分からんか? たとえばこれがちあきなおみの「恋のめくら」だとまた違う。
この場合めくらは比ゆとして使っているわけだから
目の見えない人のことをうたっているわけではない。
めくらという言葉はしばしばこのように比ゆとして使われる。
日本語として普通の表現だ。(であったとすべきか)
しかしこの場合はめくらを笑い飛ばしているわけでもないし、ギャグで使っているわけでもないし
参った参ったって唄い飛ばしているわけでもない。
内容的にはなんの問題もない。
つまりめくらという単語を使用しているというだけの理由で
なんの差別的内容でもないのに放送できない。
こんなことは言葉狩り以外の何物でもない。
こんなことにはおれも反対だ。
しかし買い物ブギーの内容は障害者をおちょくってるとしか見えない表現。
たとえ作者や歌い手にその意図がなかったとしてもだ。
めくらやつんぼにはそう素直に聞ける唄ではないと思う。
つんぼは聞けないとかいうつっこみはなしだ。
歌詞ぐらいは読める。
めくらは読めないというつっこみもなしだ。
歌は聞える。 >>601
いい悪いなどを論じていないが?
俺がどこでいいと言ったか提示した上で噛み付いてくれ。
俺は作品中に於ける扱われ方の構図は、>>596の言う「店主がめくらとつんぼであることを笑い飛ばしている」という形とは
少し違うという指摘をしたのみ。
それから「わてほんまによいわんわ」と笑い飛ばしているのは自分の状況。
この詞をちゃんと最初から読めば、自嘲的に自分の状況を唄っている歌であることがわかる。
もう少し冷静になれ。 wikipediaによると
>カバー版の多くでは「私は耳が不自由で聞こえまへん。」等という歌詞に書き換えられている。
ということだけど。
しかしこれでも内容的には変わらん。
内容が問題なら言葉を変えても問題だろ。
結局「つんぼ」という言葉が問題なんか? 内容的には障害者を笑うものじゃないから言葉を替えればおkって判断されたんだろ。
障害者を笑う歌なんだったら言葉だけ替えてもダメなはず。 >>私は耳が不自由で聞こえまへん
そんなの聞いたことないけどな。
誰の歌だ、そんな日本語として不自由な歌詞は。 あ、それから大阪弁というだけで小ばかにしている印象を関東の人間には与える効果がある。 今は栄養や医療の向上でずっと減ったけど、昔は今よりずっと視覚や聴覚障害者が多かったんだよ。
例えば白内障から失明なんてそう珍しくなかった。
だから誰にとってもずっと身近に障害者がいたわけで、つんぼやめくらなんて普通に日常で言っていたんだ。
馬鹿にしてるわけじゃないから、逆に平気で大っぴらに言い合えてた側面もあってね。
話が通じんので「なんだ!?つんぼか!?」と大声で訪ねたら、相手はこっちの口の動きを読んで
「ああ、わしゃつんぼじゃ!」などと大声で返してきた。
勿論怒っているわけじゃなく、くったくのない普通の会話だ。
笠置さんの時代はそれでよかったんだよ。
俺が若い頃でもTVドラマのタイトルに平気で「めくらのお市」なんてつけたりしてたくらいだしな。
それが世の中が変わって、そういうわけにはいかなくなった。
差別用語という印象を植え付けられた世代には、どうしても抵抗があるだろう。
馬鹿にしたり笑っているという意図がなくても、そう受け取ってしまうこともあるだろうしね。
障害者側がそう受け取るというのなら、規制もやむなしだが、
規制が更に進むと、今特になんでもないニュアンスとして使われている言葉が
将来差別されていると感じるようになって、更に規制が進むということになりそうな気もするな。 つんぼという単語は本来単に耳が聞えないことあるいはその人という意味しかない。
めくらも同様。
つまり現代語で言う耳の不自由な人とか目の不自由の人と同じ意味。
しかるになんでつんぼやめくらが差別的な言葉と思われるか。
これは日本人の言霊信仰によるものなのである。
つまりつんぼやめくらというのは日本においては穢れと認識されるのだ。
だから使いたくない。
しかしそういうことをあらわす言葉がなければそれこそ言葉の不自由な人になっちまう。
だからそういう古来からの穢れを引きずらない「〜の不自由な人」という
本来名詞であらわすべき概念を、単語でないむりやりな造語で言葉をでっち上げることになる。
そのうちその不自由な人ってのも長い年月使われて手垢にまみれてきたら
日本人はまたその言葉に穢れを感ずるようになる。
そうするとまた新しい言葉で代用する。きっとそうなる。
つまり言葉を言い換えることで禊をするのである。
本質は何も変わらない。
しかし禊をすれば穢れがぬけるから日本人はそれで充分満足する。
これは外国人にはわからない感覚だろう。 >>608
> そんなの聞いたことないけどな。
俺が昔買ったCDは「わしゃ聞こえまへん」だったと思う。
どうも言葉が差し換えられているらしいという話と、
そのタイミングから「わしゃつんぼです」かと思ってたんだけど
↑のyoutube聞いてびっくりした。
リズムから変わってる(w 編集版は「わしゃつんぼで聴こえまへん」の「つんぼで」を切り取って
前後をつなげてるから、そこの拍子に違和感が出ちゃってる
村雨まさを(服部良一)はカットに対して何て言ったんだろうねぇ。 >>592
歌詞みりゃわかるけど、某国の呼び方。
○○チクとか○○そばとか。このふたつは固有名詞として大丈夫みたいだけど。
買物ブギーのカットなし版が出るとかいってないよ。
もし次でたらの話ね。自分が聞いた話ではコロンビアは乗り気じゃないらしい。
「聞いた話では」とか「〜らしいよ」とか何なの?
業界ゴロか何かかw 聞いたってんだからおれはつんぼじゃないっていいたいんジャマイカ >>614さん有難うございます。
ずいぶん前ですが三浦環全集で「毬唄」という曲にかたわという
語句が出てきますがそのまま復刻されてました。
解説には「当節に会わない不穏当な語句があるが、
三浦環の完全集大成ということで敢えて収録された」と書いてありました。
参考までに >>611
その見解には同意しかねる。
差別的とされる用語の言い換えは
あくまでもラウド・マイノリティによる執拗な抗議によるものであって
日本人の気質とはなんら関係ない。
むしろそれは、日本人でないものが非営利を騙って営利を追求し、運動している場合が非常に多い。
障害者を健常者の世界から蹴落としたのは、まぎれもなく彼らである。
日本人は、人間は生まれながらにして平等などではなく、
背の高い者低い者、スポーツの得意な者不得意な者、勉強のできる者できない者、
目の見える者見えない者、脚や腕がある者ない者など、個人差は現実に存在するものであり
足りない者はそれを別の形で補う努力をしなければならないことを知っていた。
しかしある日、ある時、ある者たちが現れ、
「めくら」や「つんぼ」を、「ちび」や「ぐず」や「ばか」から切り離し
「障害者」という枠の中へ蹴り落とした。
彼らは自分たちを「人権派」と名乗り、こう言った。
「能力が“低い”のと“ない”のでは、 全 く 違 う ! 」と。
差別って一体なんなのでしょうか?w >>ラウド・マイノリティによる執拗な抗議によるもの
その認識は間違っているな。
じゃ彼らが声高に言わなくなったらまたつんぼやめくらという言葉が復活するとでも?
甘いね。
日本人の言語に対する信仰を甘く見すぎている。
言葉狩りをする悪いやつらがいるからこうなった。
悪いやつらさえいなくなれば自由で平和な世界がおとずれるに違いない
な〜んて、考えるのはあまりにもナイーブすぎる。
日本人の心の中なんてそんなもんじゃねえよ。
もっとどろどろしてるんだよ。
言葉の中に自分自身が持つどろどろとしたものを無意識に感じ取ってるから
その言葉を自らが封じたくなるんだよ。
だれかに強制されたからしかたなくなんてもんじゃないんだ。
自分だけが清い心の持ち主だと思うなんて、とんだお笑い種だぜ。 しかし日本の歴史の中で今みたいな言葉狩りが起こったのってつい最近に限った話だぜ。
>>619の説どおりなら昔からそういう事例が続いていなけりゃおかしくね? >>619
>じゃ彼らが声高に言わなくなったらまたつんぼやめくらという言葉が復活するとでも?
言ってないw
>言葉狩りをする悪いやつらがいるからこうなった。
>悪いやつらさえいなくなれば自由で平和な世界がおとずれるに違いない
>な〜んて、考えるのはあまりにもナイーブすぎる。
言ってないw
>自分だけが清い心の持ち主だと思うなんて、とんだお笑い種だぜ。
言ってないw
持論を展開するのは勝手だが、
反論という形をとるのならちゃんと読んでからにしてくれよ。
とりあえず君は、俺が書いた
「言葉狩りはラウド・マイノリティによる執拗な抗議によるもの」
この認識が間違っているという根拠を示す必要があるので答えてくれ給え。
あ、このレスからはsageるのであしからず。 もっと「たのんまっせ」とか「さくらブギウギ」とかの話をしようよ。 そうですね。スレ違いな議論はもうよしましょう。
何を隠そう笠置シズ子を聴くようになったのはごく最近。
ちょっとババ臭いのにたまらなくキュートなビジュアルと声にすっかりやられちゃいました。
遅ればせながら3枚組も注文しましたよ。 素朴な疑問ですが、このスレにしても発売されているCDにしても
表記が「笠置シヅ子」となっていますが
Wikipediaによればこれは歌手引退後に改名したものであり
歌手時代のものを扱う場合は「笠置シズ子」と表記するのが正しいのでは? このスレやCDよりWikipediaの方が正しいという根拠は? >>627
あちらが正しいこちらが正しいと言い合うのが目的ではありません。
実際のところどうなのですか?ということです。
>>627さんは当然その辺をご存じだからレスされたのですか?
よろしかったら教えていただけませんでしょうか。 実際の所どうですかと聞くのは
どっちが正しいですかと聞くのと同じだと思うが。 素朴な疑問ですが、Wikipediaによれば表記が歌手時代は「笠置シズ子」となっていますが
このスレにしても発売されているCDにしても「笠置シヅ子」と表記しているので
そう表記するのが正しいのでは?
と聞くなら答えないでもない。 「当然その辺をご存じだからレスされたのですか」が激しく気になる件
俺はどっちか知らんが非常にどっちでもいい。 >>629
もちろん、どちらが正しいのですかと聞いているのです。
ただ、自分はこちらを信用している、自分はあちらを、といった
主張のしあいを求めているのではないということです。
諸説あるが真相はこうである。とお答えできる方に教えを請うているのです。 「ある特定の時期を記述する時はその該当する時期に現に名乗っていた名称で記述しなければならない」
という決まりはない。
もしそんな決まりがあるのなら歴史書に「昭和天皇は〜した」とか
「後醍醐天皇は〜した」はたまた「聖徳太子は〜した」などという記述は間違いということになる。
そんなこといううやつはいないだろ。
過去の人のことを記述するのに最後に名乗った(あるいは死後贈られた)名前で記述するのになんの不都合があろうか。
かりにWikipediaが正しいとして、現在の視点でシヅ子と表記してなんの不都合がある。
もちろん当時の人は当時名乗っている名前でしか呼べないがな。
将来違う名前に改名するだろうなんて分かるわけないんだから。
しかし当時のレコードにそう表記されてるからそれが正しいんだなどというのはなんら意味も無い議論だと思う。 八代目林家正蔵→林家彦六
李香蘭→山口淑子
曽根史郎→曽根史朗
この人たちと同じ様に考えればいいのでしょうか。 本人存命中から笠置シヅ子の名前のカセットとか出てたはずだよ。
とすると本人了承済みなんじゃないかな?
少なくとも今CDがその名前で出てるってことは、それでいいような気がする。
確かに昔のリアルタイムのレコードは「シズ子」って印刷されてるけど、
それを敢えて今シヅ子で出してるんだから、本人なり遺族なり関係者の意思か了解があるんだと思うよ。 >>636
考えるのは自分の頭だろ
どう考えようと自分の勝手。
それによる結果は全て自分の責任。
なんでその責任を他人に押し付けようとする。 な〜んか底意地の悪い奴ばっかだな。
ちょっと道を訊ねただけで、なんで自分で捜さんのだ云々と30分くらい説教されそう。
道に迷ってたまたまそこに人がいたから訊ねるだけ。誰もいなけりゃ自分で捜すさ。
何も分からないんだったら黙っとけば? そんなやつはなぜ自分で捜さんのだと小一時間問い詰めたい >>641
もうすぐお迎えが来て生け贄になる人間が何を言うw ラッパと娘、良い曲ですねぇ
松浦亜弥バージョンはひどすぎますね。 さあね。
あんたがそう思うんなら勝手にそう思ってりゃいいこと。
なにも「ねえ」と同意を求めずともよい。
「いい曲です」「ひどすぎます」でいいではないか。
それとも自分の感性に自信がないのか?
だったら最初からそんなこと言わなきゃいい。 ちなみにおれはラッパと娘はたいした曲だとは思わない。
松浦亜弥は松浦亜弥の唄い方でやればいいだけの話。
別に比較するようなもんでもないと思う。 俺は今でも笠置さんがCMをやっていた
クレンザーを使っている。 >>644
激しく同意。何で最近のカスどもは名曲を劣化させるのだろうね。 >>647「ねえ」と言おうが言わなかろうがどうでもいい。
>>648誰に? 「ねえ」をつけてもいけない事はない。
独り言ではないのだから。 /)
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/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
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