1990年代の巨人
・第二次長嶋政権
・長嶋親子鷹誕生
・松井が入団しチームの顔となる
・高橋由や上原も入団
・原や篠塚が引退
・FAで落合や清原が入団
・10.8決戦&メークドラマ
・桑田・斎藤・槙原の3本柱
・槙原完全試合 1位で吉田修司とったが
覚醒する前にトレードに出してしまった >>265
流石セゲヲ、何の考えも無い、その場しのぎ。 >>245
やな。大体試合出場数みたり、ネットで調べればすぐに解りそうなものなのに。 >>262
そんなに視聴率あったんた、今なんか5%台の超ゴミコンテンツなのに。 80年代なんて 江川 原 中畑とかコマーシャルに出まくってたし
国民的スター扱いだったでしょ
今じゃプロ野球自体大谷とその他大勢って扱いだけど 俺はやっぱり原よりミスターのが好きだ
選手としては勿論監督してもね 鹿取が西武行った後の抑えて誰だっけ?
96年辺りは石毛だったけど、その前くらい 藤田時代は水野廣田
藤田最終年に石毛
長嶋初年度に橋本-石毛の「勝利の方程式」確立するも
橋本の故障、石毛の劇場化でわずか2年で瓦解
95以後はそこそこ調子のいいものを暫定的にストッパーに起用する
超場当たり器用。そこそこセーブをあげたのは96マリオ、98,99槙原くらいか
96年はシーズン当初は上記の通りマリオが務めていたが、後半戦は通用しなくなり
また場当たり器用。
この年リリーフ転向した川口が胴上げ投手になったのは、この年の投手起用を
いかにも象徴していた。 この頃の抑えの切り札は印象に残ってないな。80年代後半は角、サンチェ、鹿取とかすぐ出てくるけど。 90年代巨人最多セーブ
1990 水野11セーブ 抑え不在、先発70完投
1901 水野3セーブ 抑え不在、ただし先発陣は不振
1992 石毛16セーブ
1993 石毛30セーブ
1994 石毛19セーブ
1995 石毛11セーブ 安定感を欠き西山が台頭
1996 マリオ19セーブ 前年0.55の西山も不振に
1997 趙成珉11セーブ 前半は木田7セーブ
1998 槙原18セーブ 先発不振で抑えに転向
1999 槙原 23セーブ 石毛を抑えにしたの藤田さんだったのか、ミスターのイメージだった。槙原が嫌々ながら抑えやったのは覚えてるが、他は記憶にないな。 >>287
長嶋さんは勝利の方程式という名前を付けたから長嶋さんのイメージが強いのかも 貧打だった反動で各球団の4番を買い漁ってたけど松井の育成が完了した96年以降はいらないよな
清原は言われるほど悪くないけど石井やマルティネスは絶対いらない この頃に野球を見始めて、FAでの乱獲っぷりとそれを良しとするマスコミが嫌いになった記憶 高校野球の地区大会のニュースで「元巨人の佐藤氏が指揮を取る東北高校・・」って
記事あったんだけど全然記憶にないなー 91、92年に30試合位出てたらしいんだが そんなもんか
92年の佐藤洋はもっと出てた印象だわ デーブにバッテリー部門も見させて巨人の捕手に無い奇想天外リード
を大城に伝授させてほしい それなりに重宝されてたよね 佐藤洋
背番号40で河野ゲンちゃんみたいな感じで
いまでも使えそうな貴重な左腕投手だった
・・・って思って調べたら野手だった俺の記憶力超適当(´・ω・`) >>292
阪神の湯舟がノーヒットのまま失点した試合で、そのあとヒット打った選手だと記憶してる
あとは、珍プレー好プレーで、宇野が落合に足踏まれた時の打球打ち上げた選手 90年代は巨人かヤクルトがリーグ優勝してたイメージ ヤクルトのリーグ優勝4度 日本一3度
巨人のリーグ優勝3度 日本一1度
優勝、日本一回数ともにヤクルトの後塵を拝した 90年代の勝率なら巨人.544 ヤクルト.528
ヤクルトは優勝はするけどそれ以外の年はほぼBクラスとムラがあった ジャイアンツ栄光のエースたちて本買った?斉藤と村田のやつ 1年日本一
2年リーグVで90年代の巨人は始まった
これで黄金時代到来と思われたが、日本シリーズでやらかしてオワコン
監督としての藤田も事実上オワコン ミスターの提唱した打順別役割なんか関係なく4番並べたほうが
点取れんじゃねってのは正しかったことは証明されたからな
やっぱりミスターは天才 なんか今年の日本シリーズは94年のグレードアップ版みたいな感じがした…
あの年のジャイアンツとライオンズの勢いは今年はバファローズが前者、スワローズが後者だな… 99年の清原、石井、広澤、マルティネスの一塁四人編成は酷いな
今の中田、中島、坂本と比べても大分酷い 今のメジャー野球って長嶋がやりたかった野球だよね?
長嶋は集めた方法は間違っていたが理想の野球像は最先端行ってた >>306
そうはいうけど石井と広沢はもうスタメンとして数えられていなかったし
だからマルティネスを引っ張ってきたとも言える >>306
広澤ってヤクルト時代から連続試合出場記録が継続してたけど、
97年頃からはかなり怪我が多くなってなかったっけ? 坂本、中田、オコエの悪童トライアングルが完成
黄金ルーキー浅野を子分に加えてこれからのジャイアンツから目が離せない じみに、1998年に高橋由伸がゴールデングラブ賞を受賞したのは
巨人の外野手としては14年ぶりの事だった。
その間の巨人の外野守備力って、難があったのかな? >>312
80年代後半はクロマティ吉村だし
吉村の怪我以降はAHRAをレフトに回したり外人だったり元々内野手の松井とかだし・・・ >>308
廣岡が「どうしてポジションの被る選手ばかり獲るんだ」と苦言を呈していた 東京ドームと多摩川である限り、巨人だめでしょ。
育成もできねーし、ただ選手取る時代は終わったよ >>310
96年のオープン戦の死球で骨折。
開幕一軍登録されず記録はストップ。 >>316
あのデッドボール、西武球場での事だった
倒れて暫く起き上がれなかったからな ひそかに、1998年に高橋由伸がゴールデングラブ賞を受賞したのは
巨人外野手としては14年ぶりだったのだが、その間の巨人外野陣の守備力って弱かったの? 松本引退後
吉村、クロマティ、呂、駒田、原
緒方、モスビー
グラッデン、コト―
マック、松井、清水
確かにあんまり名手という印象の選手はいないな
あえて挙げるならベイスターズのリストラ策で移籍してきた屋敷とか?
でもスタメン野手じゃなかったな >>295
それは堀内時代に使われてた佐藤宏志だな 駒田は野球センスの塊とも言うべき存在だったのに、何故一塁手だったんだ? バーフィールドは名手として語り継がれる方が多いねw アキレス腱が悪いからとかじゃなかったっけ
レフトなら大丈夫なのかという感じもするけど >>328
吉村がリタイヤして左翼が空いてしまったから その原も92年にはファーストになり、長嶋復帰で3塁に戻るも、
アキレス腱痛から試合出場が減って、再度ファーストか代打起用になった。 原は引退の年ヤクルトからオファーあったらしいけど ノムと野球1年でもやってれば野球観変わったかもしれんな 変わったかもしれんけど
代わりに巨人の監督になれないからなあ
引退試合の「聖域」発言の通りすべて巨人で完結した人 お坊ちゃんの原には野村のスパイ野球は無理
衝突して1年でサヨナラ 90年日シリのスイープ負けは凹んだわ
西武が強いのなんて分かっていたとはいえ
それでもスイープされるとは >>336
江川は4勝1敗で西武と予想。
巨人は斎藤で1勝はすると踏んでいたそうだが、
2戦目を斎藤で落とした時点で無勝で負けると思ったら、案の定そうなった。 吉村が健在だったら四番AHRAの時代は長くなかっただろう、という話はよく聞くけど
フリースインガーなところがある吉村は四番タイプじゃなかったと思うんだよな
AHRAの前後にクロマティと吉村がいてこそ恐い打線だったのではないか 93年以降出番は激減したよね
怪我や衰えが激しかったとはいえ94年には40になって移籍してきたオッチに四番を奪われるとは 90年は槙原 斎藤 桑田が揃って撃たれたのはショックだったな 94年はやり返したけど 99年のシーズンになべつねさんが長嶋さんに今年ダメだったら辞めてもらうと最後通告
をした。それでも2000年も続投になったのはやはり長嶋さんを解雇した時の経済損失を
考えて踏み切れなかったのだろう。 >>341
伊東勤曰く、西武は斎藤を難敵とみなしていたようで、第2戦で斎藤を撃破した時点で
「今年は4勝0敗で勝てるかもしれない」という空気が漂ったという 91から93年ごろって割と暗黒だったような気がする 西武に勝てないイメージが着きまくったからな。94年に解放された 楽観的な長嶋がよかったのかな
藤田政権の時は常に悲壮感漂っていた気がする 巨人が変わった・強くなったのではなく、単純に西武が巨人と同じレベルまで弱くなっただけ 西武は佐々木・村田がダイエーから暗黒オーラを貰ってきてしまったのが不味かったのかな トラウマのデストラーデもいないし
デストラーデいなくなってからヤクルトにも負けた パワプロ94の巨人は当時の子供心でもグロ打線だと思ったし
落合加入後なのがまだ救いだけど選手データは93年終了時のものだから酷いのなんのって >>79
駒田ってこれで恐怖してあんなちっちゃくなったのかね? 落合は97からだったらどうなってたんだろう?残す成績は同じとして
94~96は一年目三年目には投手力が大とはいえチームが優勝したし成績は年齢なりの数字維持どころか年を経て上がったからさすがって感じだったけど、残した成績の絶対値は外から取った高年俸四番固定としては低いわけだし叩かれてたんだろうかね 落合も歳だしいい見切り時だったと思うが
マックはもったいなかったな そのあと来た外国人がくそみたいなのばかりだったし 4年に一度優勝するのがやっとになった80年代と90年代の巨人
それはそれで自然の流れだとは思ってはいたが
2000年代になって巨人を毎年優勝出来るチームに戻した原巨人恐るべし >>351
93〜94年ごろの落合ってパワプロやベスプレ的には全く魅力がないわなw 1990年代の巨人はリーグ優勝が3回、日本一が1回だけなのが
ファンとしては悲しい・・・・・・。90年代唯一の日本一は
悲願だった打倒西武を果たした1994年の日シリだな。
それだけが救い・・・・・・か? >>356
その「恐るべし」原巨人は見る影無し(泣)・・・・・・。 90年代前半で原の時代が終わり、松井秀喜が成長していくのを見るのが楽しみだったもんよな 原は現役時代はonとの比較で?余計な悩みやあまり評価されずみたいのはあっただろうけど、ずっと巨人にいて最終的には今のようになってんだから十分取り返したというかかなり報われてるよな 他人事ながら50勝とか100本塁打とか一定以上実績のある野球を辞めた人らにもそういうのあってほしいわ、もちろん本人がそういうのを壊したって場合は自業自得で終わりだけども 吉村がケガすることで一番出番が増えた人って誰?
緒方あたり? 本来なら原の後は吉村と駒田でクリーンアップの予定だったからな 原が衰えてクロマティ引退で吉村復活ならずのころは厳しかったな 伝説のトラウマドラフト
1位 谷口功一 投手 天理高
2位 小原沢重頼 投手 城西大
3位 松岡正樹 捕手 平安高
4位 伊藤博康 外野手 東北福祉大
5位 三好正晴 投手 川口工業高
6位 羽根川竜 投手 東北高
ドラフト制度黎明期ならともかくとして
90年代になってこれより酷いドラフトは12球団見渡してもそうそうないレベル 第二次藤田体制の4年間のドラフト指名選手で、戦力になった野手は元木くらいしかいないもんな
吉岡も開花したのは近鉄行ってからだし >>367
谷口駄目だったのは結構大罪じゃないか?羽根川も切れのある左腕って感じで育てられれば‥