【監督解任】幻に終わったトレードpart2【サポ抗議】
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もう優勝はよほどのことがない限り決まりの状況で
「今年の優勝と来年のマウンド、どちらを取るか?どうしても今年優勝したいんで今年の優勝を取り、梁を打った、だから来年は放れません」
もっとうまい方便、考えてくれる人いなかったのかね? >>211
クロマティが一番マンガ読んでそうだけどな そういえばクロマティって日本の劇画(クロマティ高校)に絡んでいた。
バースやデストラーデを巻き込もうとしたけど不発。
ついでにいっておけば、本人が著書の中で触れていたが1986年の最初の頃は
不調で、ビル・コーエンという選手と代えられるところだった。ビル・コーエンに
関してはデータが不明(恐らく3A以下の選手)。 最初の新聞報道の表記はクロマティ←クロマーテ、バース←バス、デストラーデ←デストレードだったね
ダットサン←ドットソンよりはマシか クロウは背中のスペルを見るとクロマーティーが正しいのかな?
バスはもう有名な話 大洋のマイヤーは原音通りマイヤーで良かった
映画監督のNicholas Meyerは誤表記のニコラス・メイヤーが定着して未だに直せてない ランセロッティは長すぎてランスになったけどディステファーノやアストゥディーヨはもっと長い デビッド:姓がホステトラーだけど「ホステス」みたいだからデビッドで登録
モッカ:本当の発音はマッカだが「真赤はちょっと・・・」とモッカで登録 >>220
デビッドも今なら大丈夫だな
当時ですらそれ聞いてアホかと思ったけど
今で言うならキャバジェロとかが引っかかるか >>222
ちょっとアレな正力ジュニアが
「スペイン語は末尾のzを発音しないんだろ」と言ったからという説もある
それがもし本当の話なら
「それはフランス語の話です」とツッコミ入れられるのがいなかった球団もヤバい >>216
バースは新聞で「阪神バス故障」「阪神バスポンコツ」とか書かれるのを避けたんだよね。
でも他の選手は知らなかったのでビックリ。
「デストレード」だとなんかシャーロック・ホームズに出てくるダメ刑事みたいw
ダットサンがほんとうはドットソンだったのも知らなかった。
王天上といい>>220のホステトラー→デビットといい
80年代南海って助っ人の名前変えるの好きだねww
>>219
ランセロッティかっこいいけどねぇ。
広島に入るとディステファーノもトレンティーノ(元西武)も
ヘタすりゃデストラーデでさえ名前変えられてたのかも。
ただランスにしたおかげで「ランスにゴン」のフレーズとか
生「♪麦わらでダンス ダンス〜(生稲晃子)」→「♪振り回せランス ランス〜」の応援歌とか
出いろんなダジャレが生まれたから結果良かったよねw ホステトラーはそのままだと阪急の今坂団長が例の声でヤジってたかな
他にもジョージ・ヒンショーがジョージ、アレックス・オチョアがアレックス、ホセ・ヌニェスがホセとかっていうのは、まぁそうだろねと思いました ファミリーネームでは長かったり響きが良くないからファーストネームや
ミドルネームを登録名にした例は、Wのマーク・ブダスカ、Lのスティーブ・
オンティベロス、Lのテリー・ウィットフィールド、Dのスコット・デビッド・
サービス。Dの陳義信が義信は、その逆パターンですね。
ファミリーネームを縮めたり一部変えて登録名にしたのは、Dのモンテレオーネ
がモンテ、Tのウェリグマンがウィッグス。
Buのバディ・ブラッドフォードは、ユニフォームの名前を登録名のBUDDY
ではなくBRADFORDにしてくれと、球団と揉めたそうで。 >>225
王天上は別に変えてないとも言える
カタカナ表記か漢字かってだけでどちらも日本文字だからな
これで大活躍したら後追いがあったかもしれんね
どいつもダメだったイチローの後追い組みたいにさ サブローは22年現役を続けたからそこそこだろう
あれでわかったのは巨人は「原則としてファーストネームやニックネームなどでの選手名登録を認めない」ってこと >>210
まあでも後年に槙原の肺に気胸開けたり澤村の神経傷つけたりしてるのを見ると
実際に施術したのは別の人でもそこらへん雑なのは受け継がれてたんだろうなと思ってしまうな >>226
「おぉ〜い、ホステトラぁ〜!
オマエ名前が長いからホステスかホストにして店出せぇ〜!
新地でええ土地探したるでぇ〜!」
みたいな感じかなw
>>228
高橋よりも山本よりも先に「ヨシノブ」と呼ばれた男・陳義信!なつかしいww
あの頃は第三の郭・郭建成(ヤクルト)とか、
登録名だけ見ると大豊の弟だとは分からない大順(ロッテ)とかいろいろいたねぇ〜。
>>229
王天上が活躍したら
クロマティも「みなさんのおかげです」のコントの時みたく「黒魔庭」になってたかもw 認めたくないものだな
自分自身の若さ故の過ちというものを バンプ・ウィルスとグレゴリー・ウェルズは同時に来日
登録名が普通にウィルスとウェルズじゃ紛らわしかっただろうなぁ >>237
見た目もタイプも違いすぎるのでノープロブレム ハンキューベリマッチ ジェフ・ホステトラーっていうアメフト選手いたが
別にホステスなんて連想しなかったな もう1人のグッドウインは縁起のいい名前で前評判も良かったのに結果はサッパリ
全米ドラ1指名を2度受けたという経歴をずっと後で聞いて驚愕したが
日米で期待はずれだったのねと妙に腑に落ちもした ワシは当時ホステトラーという名前からは
ホステスじゃなくホテトルを連想した ウェス・パーカーが1年で解雇されたのはホモ疑惑が理由って聞いたけどホント? 相方ロリッチにロリ疑惑が…とは聞かないな
パーカーとドヤ街の安呑み屋の看板娘(のちの景浦夫人)を争うというしょーもない役をやらされていた 江本が書いていたがパーカーの守備は超一流で
打たれて「抜かれた!」と思ったらパーカーのグラブにあっさりとおさまっていた事が何度もあったそうだ 長打力不足ながらも三割打ってますよね
南海の翌年は阪神移籍の話があったようですが、阪神もアルトマンよりパーカー獲るべきでしたね
それにしてもパーカー、ドジャース時代の1970年、10本塁打で110打点って凄いですね
二塁打が47本ですか >>215
何者なんでしょうね?ビル・コーエン
ビルだか公園だかハッキリして欲しいわ 江本が「自分の知る限りプロ野球選手でゲイは見た事がない」と書いていたが
それはTDNで粉々に崩れた
貴闘力は最近出した本で「ゲイの力士は存在する」と書いていた >>248
そりゃすごいな 当時の球場なら一発狙いに走ってもおかしくないのに
あくまで自分のスタイルを貫き通したということか 江川事件の頃、これが前年だったら(法大卒時の1977年に読売が空白の一日を使っていたら)
1976 小林18勝8敗 新浦11勝11敗
1977 小林18勝8敗 新浦11勝3敗
1978 小林13勝12敗 新浦15勝7敗
ひょっとして新浦だったんじゃないの?と思ったものでした
どの球団が「いの一番」を引き当てたかは分からんけど 江川がメジャーに行きますとか言えば日本球界慌てただろうな 小林は江川事件の時点で既に金銭トラブル抱えてたっていうし
結局史実通りになったんじゃないかなとも思うけど >>254
そもそも小林がトレード対象になったのはそれが理由と言われているね。
後に自己破産している。 小林って読売時代から契約更改で揉めてたけど、その頃から金銭トラブルが多かったのか
いろいろと手を出した挙げ句のバブル崩壊や魔が差した選挙が原因のトラブルかと思ってた
まぁ6位指名ながら当時のドラフトで契約金1000万を要求したっていうし、金銭への執着が大きい人だったのかも知れんね 契約更改でゴネる選手はフロントから嫌われる
田尾も契約更改でなかなかハンコを押さないのでフロントから嫌われていいた
西武が大島獲得に動いたら中日から「田尾を出せる」と言ってきたのはそういう理由 1981年オフに阪神のダグ・オルト南海入りって話があったが、鈍足&目を覆う外野守備がブレイザーに嫌われた
言わずもがなDHは門田だし
しかしその後に獲ったのがジーン・ダットサンじゃねぇ
オルトは後年、自ら命を絶たれました オルトも今みたいに外人枠が拡大されていれば日本で長くできたかも知れんな 実績あるタイロン外野、門田さんDHで一塁手獲るのはわかるが…
長谷川、名取といい南海と日産はよほど相性が悪いと見える >>257
小林繁って江川事件の頃女性スキャンダルも抱えてたと聞いたな
金と女で泥沼のスキャンダル抱えてるんじゃ江川事件が無くてもそのうち放出されてたんじゃなかろうか >>261
なぜ名取はわずか一年で移籍になったんだろう?
ドラ1でそれなりに戦力になっていたのに、しかも相手は外国人選手
ケガ?トラブル?契約問題? しかも開幕直前にね
甲府商〜明大〜日産でしょ
いずれは関東の球団にトレードするという密約が入団時にあったんじゃないかな 武田を出したかった日本ハム
武田(日)⇔与田(中)の筈が蓋を開けてみると武田・松田(日)⇔下柳・安田(ダ)で吃驚
でも正解でしたね >>264
できれば南海には行きたくないよね
タイロンは優良な選手ではあったけど二軍で飼い殺しが決定の選手だったからね >>270
日ハムともやはりノム騒動が発端の柏原ぐらいかな
西武とは片平…近鉄とは新井…といつもの話につながって行くわけだ 同一リーグだからね、セ・リーグでは?
末期の南海では交換するタマがないか >>275
ヤクルトなら山下慶徳とか
とある漫画では「こいつはあなどれん モロあぶのライバルや!」
なんて大虎のおやじがブチあげてたわりにサッパリだったな
ついでに とある漫画がらみだと小林満が金銭で
かつては架空の選手のトレードには律儀に架空の交換相手を描いていたが
この頃はもうめんどくさくなったらしい 南海←→ヤクルト 松井優典と杉山重雄
南海←→中日 水谷茂雄と青山久人 1961年オフ
寺田陽介、半田春夫、長谷川繁雄(南海)⇔井上登(中日)
幻ではなく実際に行われたトレード。
寺田選手に関しては日本シリーズの時のエラーが原因と
いわれているけど、実は早い段階で決まっていた話。 >>278
一時金城の代役で抑えやってた水谷ね
しかし水谷って苗字の人実生活では1人しか知らないけど
この頃の球界にはあちこちにいたよな
なぜかどいつも地味w(実雄除く) >>249
www
>>263
名取以外にドラフト1位ルーキーを1年でトレードに出した例ってあるのかな?
しかも一軍で5勝したのに(12敗してるけど)
ライトルとか未遂とはいえオルトとか、南海ってセコハン外国人取るの好きだよね。
バレンティンとかイデホとか、その伝統はある意味ソフトバンクにも引き継がれてはいるのかもw(意味合いとか年俸はぜんぜん違うけど)
>>270
野村以外だと85年オフに田村勲の金銭トレードもあった。それ以外は無いかな?
>>272
セリーグだと巨人と広島が多かったイメージ。
巨人だと中条・橋本、広島だと森脇・中尾とけっこう名脇役をもらっていた。
山本雅夫とか西山とか、出た側もけっこう活躍してたり。
(金城、岡本、山田勉あたりは埋もれたけど)
>>280
コーチも含めると、パリーグ全球団に「小川」がいた時代もあったよねw ドラフト1位を1年で放出した例は江本⇔江夏を軸にしたトレード時の長谷川
他球団から移籍の外国人だとビュフォードもそう
逆にジョーンズは大失敗 ドラフト3位で1年で放出なら中日→阪急の内田強がいる >>284
その阪急時代もバークにフライングクロスアタック食らってからわずか2年でダイエーに放出
吉田博故障のおかげで正捕手におさまるが元同僚ブーマーのタックルにふっ飛ばされる >>285
大石とかもそうだが控えなら良いけどレギュラーにするには物足らない捕手っているよね
1年位正捕手になってもまた控えに戻ってしまう 入団1年目のオフに人的補償で移籍したのが奥村と尾仲だったな
ただでさえ1年目はプロの水に慣れたり人間関係を築くのに精一杯だっただろうに
それをもう1回初めからやらないといけないからな
野球以外の苦労が多かったと思う >>288
2年でクビなら、ロッテの加藤高康がいるんだけどね >>289
しかも逆指名、怪我で一年棒に振ってるとはいえドライだな 加藤は故障が致命的だったからしょうがないかと…
今だったら育成枠になって残ってたかもしれんね 76年オフ
柴田勲(巨人)⇔新美敏(日ハム)
柴田は他に浅野(ヤクルト)とのトレード話もあったし、長嶋から嫌われてたの? >>281
やくみつるの89年のネタで、糸井重里が「巨人VS小川」のキャッチコピーで日本シリーズのチケットを売るってネタがあったなw
あと中山ラマダのネタで、オールスター戦で目立たなかったオリックスの小川博文が
「俺らの分まで目立たないでいてくれてありがとう」ってダイエーの小川史と日ハムの小川浩一に感謝されるっていうww
>>282
情報ありがとう!
南海って6年でドラ1ふたり出してる(75年長谷川、80年名取)のか…。シビアだなぁ。
内田が阪急来たのって1年目のオフだったのか。もうちょっと長くプロで飯食ってるイメージだった。
やくみつるに「ニューハーフのおばさんにありがちな顔」って書かれてたのが印象深いw
>>293
板東英二の本だと川上派でミスターとは仲悪いって書かれてたね。
何度か出されかけたから仲が悪くなったのか、仲が悪くなったから出されたのか。
柴田は東尾とトレードの話もあった。
(東尾自身が回顧録みたいので、「巨人の名球界入りの選手とトレードの話があった」って書いていて
柴田か堀内とトレードの話があったのは確か。
当時他のネタでもよく名前が上がってたっていう意味では柴田の方が可能性高そう) 内田は正確には2年目の開幕前に岩本とトレード。
藤田の2番手で定着したけど、翌年は中嶋が成長したのでダイエーへ。 >>295
星野がなぜか岩本を気に入っていて岩本獲得の為のトレード
阪急は藤田以外の捕手が手薄だったからね
しかし藤田が正捕手なのに年俸1250万円って当時としても安い 当時は捕手の地位が低かったのかなあ
黒田、大宮、とかもそうだけどちょっと衰えたと判断されたらあっさりトレードだ >>296
岩本、小松崎、ディステファーノはある意味
落合、立浪、中村以上に「第1次星野政権」の象徴ってイメージがあるw
小松崎がバートサスに向かっていったのは印象深い。
内田と山中潔は移籍先のどの球団でも2番手キャッチャー、ってイメージがある。
89年のダイエーはそのふたりが両方いたんだよね。あと吉田博とドカベン香川。
でも翌年のオフには内田以外はみんないなくなって、代わりに吉永が2番手に昇格してた。
>>297
たしかに昔の方がキャッチャーのトレードは多かった気がするね。
大矢、達川、山倉ぐらいになってやっと生え抜きで終われる、って感じだった。(山倉は晩年ちょいちょいトレードの噂あったけど。本人が志願したんだっけ?) 捕手は慢性的に不足しているから控えができる位の力量があれば行先は見つかる
だから捕手は現役を長く続けられる人が多い
藤田も巨人に移っている
引退してブルペン捕手って道もあるからね(ブルペン捕手もマシン化できないから) >>298
吉田が正捕手の座やっとつかんで
もとより香川にもう微塵も期待していなかった時ではあったが
山中・内田と二番手級2人も獲ってあらあらどうすんだろと思ってたら
うまい具合にというか吉田が故障しちまって
打力の差で山中かと思いきや内田でしたな
その年は打線が活発なのでまあディフェンス重視の結果かと内田の打席はハナからあきらめてたけど >>52
有藤と落合は落合の方が煙たがって嫌ってた感
10年以上前スポニチの有藤連載コラムで
『落合は常に先輩を立てる古風な男だったがあれ以来全く口を聞いてくれなくなってしまった』
あれと云うのは稲尾退団と電撃トレード
有藤監督就任も自身は何も知らずコーチも球団主導で急遽祭り上げられて青天の霹靂だったと
一度在野で勉強するかコーチを経ずに監督なんてなるものじゃないと悔いていた
ロッテが有藤を監督にしたのは同学年の星野が監督就任したのをみて話題つくりも兼ねてたのもありそう >>302
現役そのままのガタイでよほどBIGBOSSではあったんだが >>81
野村と大沢も南海のチームメート時代は不仲だったけど、1992年の角⇔小川のトレードを直接話し合ってまとめた。 東尾も何度かトレード要員に挙がったが結局はライオンズで生涯を
全うしたな 東尾はDH制導入で恩恵を受けた
打席で報復される心配がないからやりたい放題でビーンボールを投げられる 確かにDH制導入の1975年に突然23勝w
(前年6勝) >>277
山下慶徳は1年でヤクルトに戻ったな。
移籍前の10は伊勢孝夫が37から変更して着けていたから、35に変わった。
前述の伊勢など、ヤクルトは近鉄とのトレードが目立ったな。 箕島(吉井と同学年)〜東洋大〜ロッテの山下徳人が甥っ子だな >>309
なんと
俺南海ファンだがルーキーイヤーに川崎でサヨナラヒット食らったわ
35年の時を超えての新情報w
やっぱり佐々木・佐野クラスじゃないと話題にもならんのな >>302
星野への意識もあったかもしれないけど、
球団側はそれ以上にONを意識(なんせ「ミスターロッテ」だし)して、「引退→青年監督で優勝」をイメージして、動いてたような気がする。
稲尾監督にも86年のシーズン前に「今年優勝できなかったら最後」って球団社長が言ってたらしいし。
ちなみに有藤は引退してからしばらくは充電したかったらしい。
それが叶わず即就任→数年後に実質解任→自分が現役のころに首脳陣だった人に引き継ぐ、って流れまで含めてものすごくONっぽい。
ただONは優勝はしたし、その後も監督になれてまた優勝を重ねられたけど、
有藤監督は優勝できず、その後も現場復帰のお声がかからず…。
>>304
角⇔小川のトレードってあの2人の話し合いで決まったんだ。知らなかった。
この話し合いのおかげで盈男・富士夫が揃ったわけだね。
あの年のヤクルトはシーズン中に新浦も取って、第1次長嶋巨人のプチ同窓会みたいになった。
>>305
しょっちゅうトレード要員に上がったけど、けっきょく生え抜きのまま終わった選手っているよね。
巨人だと堀内、緒方とかそうだし
西武だと晩年の森繁和とか松沼兄弟とかこれでもかってぐらい名前あがったw 松沼兄弟はセット売りの予想も多かった。 太平洋のオーナーは東尾だけは絶対に出さないと言っていたらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています