南海ホークス29
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当たり前の話だけどバッティングコーチって4番に付きっきりじゃないぞ
小技のバッターが不振の時にホームランバッターの頑固者はどう教えるんだ
結局松原と呂とかみたいになりがち >>54
門田のインタビュー見てると
惚れ込んだら1人を徹底的に指導したい!
ってのばかりなんよな
そこがコーチになれない理由なんやと思う 門田は荒川が王に教えたようなマンツーマンの指導がしたかったんだろうな 早大卒でホークスは近年では和田毅がいますが、慶大卒は
渡辺泰輔以降出てませんか。藤原真には入団拒否されたし。
渡辺は力が落ちかけたら呆気なく引退して帰郷し実家の会
社を継いだけど、そこが直方というのも感慨深い。 樋口さんも会社継いだな
大阪の福島 いい選手だった 大阪ドームが早く出来てホークスが本拠地で使用したら身売りは無かった? >>64
大阪ドームの大近鉄グループですら苦労した数十億の高額使用料を
あのケチ南海が出せるわけがない わが明治も縁が薄いわ
あの名取和彦が最後だったかな 西川・若井が最後かな
ダイエーになってからは福山龍太郎か 昔に比べたら法政からプロ入りする選手そのものが少なくなったし 法政は偏差値が上がって一流大学になったからな
プロ野球に進むより有名企業を目指す人が増えた 今BSフジの脳ベルSHOWで88年の呉キャンプで当時の長池打撃コーチが藁束に水をかけて
日本刀でスイングして斬るトレーニングの映像が出た 長池コーチの指導は厳しかったんだろうなあ
佐々木が、血豆が潰れてバットが手に貼り付いたって言ってたし 現役時代はライバルだった長池、土井はどちらも名コーチになったな
西武では長池は秋山、土井は清原を育てた むかしは地方のなんたら大学とかからプロに行く選手とかおらんかったからな
六大学、東都、旧関六
ほとんどこの辺からのプロ入りだったんじゃない >>76
九州の大学から時々指名される程度って感じだったよね
今はOBのプロがたくさんいる東北福祉大なんかも
当時は殆ど選手を輩出してなかった 南海ホークス末期は九州の大学からかなりの人数指名していた。
無駄射ちだったような気もする。 >>78
九産大の坂田や坂口って選手を獲ってたね
他チームとの競合になると苦しくなる当時の南海が
地方大学に注目したこと自体は理に適ってるけど
まだ地方リーグと関東関西の間のレベルが大きい時期だった ホークスは意外と大阪地元のPL学園や大阪桐蔭出身者が少ない? 片平が東京農大出身で、自分の中では印象心象が格落ちしてた。
いい歳になってから東都だと知った。 PL学園は新井かな
大阪桐蔭は南海時代は産大付属でまだ強くなかった
興国の富田 浪商の香川 南海にいたPL出身者と言うと新井、西川、若井、森か
高校から直接入団した選手はいないんだな。
後は移籍してきた加藤英か >>86
大阪産業大学高校の生徒急増期の臨時分校(大東校舎)だったのが、
南海最後の年の1988年から大阪桐蔭として分離・存続した。 大阪の私学も様変わりしたな
履正社(福島商業)や大阪偕成(此花商業)とか昭和にはない
私立八校(浪商大鉄PL北陽興国明星近大付あと一つ忘れた)が
地区大会の常連だった 大阪の強豪高あたりだと以下
浪華商、天王寺、大鉄、八尾、泉陽、寝屋川
明星、PL学園、近大附属、北陽、興国
上宮、桜宮、大阪学院、履正社、阪南大
この中から南海ホークスに入団し活躍した選手が稀少。。。 浪商はドカベンくらい 大鉄は山村兄 明星は和田かな
興国は富田
天王寺はオリオンズ井石 >>85
立浪が引き当てられてればきれいなカラダでいられたかもなのにな
俺は明治で親が名古屋だが
仙ちゃんも名古屋もだーいきらい ニセの山本こうじにも南海は避けられたよね
中百舌鳥のパン屋の息子のくせに >>96
選手がよく出入りしてた家の子だから
よろしくない情報も入ったきてたのでは?
1軍が普通車だとかその手の 週刊ベースボールの連載にあったけど、佐藤ミチのお父さんって東大卒でイースト菌の研究で紫綬褒章貰ってるんだな。親戚も東大卒多いらしい。
すげー失礼だけどめちゃ意外だった。 ほんまかいな
よく 打たれたら 嫁さん浮気してるぞ って
一塁側にミチはヤジられていたけどな
一族の異端児か、でも野球の才能があったんだからいいじゃん 高田繁だって元木だって南海ファン
あ、山本といいみんな巨人だなw 昭和40年代まではパ・リーグ最多の優勝回数を誇る名門
少なくともノム時代まではそれなりの強豪という位置付けだから
ホークスに憧れる球児も少なくなかったわけだな 伊原春樹も南海ファンの野村ファンだったんだよな
のちに犬猿の仲となるが >>101
元木は南海のままだったら…と言っていたという話も聞くな。
根本と王がいた時の指名だったらまた違ったのかもしれないが。 選手としてはアマナンバーワン捕手のふれこみの割にサッパリだった現コーチも
地元なんで という話は聞いたな
あと 長池の徳さん 違和感感じたから
11年選手は自ら奮起して優勝を勝ち取った。
この年だけで落合は報われたのでは?
あとは今の状態が証明済。
原因も明らかに。
落合は選手たちにオレの事は言うなと退任時に挨拶したし
それが落合の当時の選手たちへの花向けであり最大の財産だったろう。 清原は清原の両親が南海に対してお願いだから指名しないでほしいと釘を差したとか 当時スカウトだった堀井Jr.が清原宅に訪問したら
清原の母ちゃんから頼むから息子の夢を邪魔せんとったってと手を合わせて頼まれたらしい
こんなん言われたらスカウトほんと辛いわなあスカウトにしたら 清原入団の時は既に南海はもう瀕死の末期症状を呈していたからな
清原の親も地元が岸和田だけに偽ピーコと同じパターンで南海の良くない噂を相当耳にしていただろうよ
清原の親は責められんわな
基本的に俺はルーキーのドラフトの入団拒否は何も思わんな
ただ許せんのはトレードのケースだが南海に行きたくないとゴネまくった江夏
コイツは阪神から南海に行かされて恥をかかされたとほざいた
戦後12回の優勝を誇りパ・リーグの盟主的存在だった南海に対し
戦前の混乱期にちょっと勝っただけで戦後わずか2回しか優勝してない
しかも日本一になったことがない巨人の犬の弱小阪神が
どっちが恥なのか今でも俺は声を大にして言いたい 「子供の夢を奪う球団」とまで言われたら、もう球団経営を辞めるしかないよね
清原は西武に指名されたときかなりショックだったが、お母さんが「西武ならお金を
沢山もらえる。お金をもらえるほうに気持ちを切り替えよう」となだめて、入団する
ことにしたらしい 「照明塔の電球切れたら おたくに発注しまっさかいに」
とかできなかったのか西武みたいに 南海ファンのお前とこで買うた電球直ぐ玉切れたぞという類いの自分の実家をネタにした野次が清原は相当嫌だったらしいな
そういうことだけじゃないが清原は億超えの契約金で親父に電器屋辞めて楽してくれと親孝行するつもりだったが
親父は何で息子に俺の人生変えられなあかんねんときっぱり断り稼業を続けた
母親は数年前亡くなられたようだが
晩年は認知症で清原がヤクでパクられたことも認識できなかったらしいというのがせめてもの幸いか >>113
清原の家族って皆普通の人で、清原だけが異端児なんだな PLという特殊な環境で青春時代を過ごし当時世界有数の大富豪コクド西武グループの総帥堤に溺愛され無制限のクレジットカードを与えられたら
そりゃどんなまともな人間だろうが人生は狂うわな
トンビ工藤ナベQらに夜遊びの教えられたのも不味かったな
コイツらオンオフがしっかりしてたんだがそういうとこは見習わず自分の楽な楽な方に走ってしまった
ノムが清原が真面目に野球に取り組んでたら王の記録をも超えてたと心の底からその才能を惜しんだのも無理はない 慶彦チャンネルの角との対談で皆川の巨人コーチ時代の話が出てるがなかなか面白い
皆川も相当変わり者だったらしいね
そりゃノムとウマが合うわけだ そもそも、皆川はどういう伝手で巨人のコーチになったんだっけ?
現役時代はホークス一筋で巨人とは別に縁も無い、出身校は山形の無名校で
学閥云々も関係ない。阪神や近鉄はまだ在阪球団だからって理屈も付けられるが。 王に直接誘われたんじゃなかったかな
王は自分の本来やりたい野球と伝統の巨人野球に隔たりがあってお供えOBコーチに甘んじず外部の人間の取り込みに積極的だった
ダイエー時代に集めたコーチも巨人閥無縁だったし そりゃハムエッグの卵2個目からは給料から
天引きされるような球団には行きたくないわな 名球会繋がりだった筈>皆川
お陰で皆川が200勝に到達していたのを初めて認識したっけ(w)。 >>120
何かの本で読んだが、1000年以上前の中国の呉越とか言う国で
卵にも税金がかかっていた、って話を思い出してしまった >>104 >>116
王が監督の時に指名されたら
子供の頃の恩義もあって、断り切れなかったのでは?という見方もあったな。 テレビ朝日系が1979年10月8日黒部の太陽を放送した時、
広島ホームテレビは広島対阪神戦を放送したために、時間をずらして放送したが、
その時の解説が皆川だった。 ジュニアホークスだった元木が巨人ファンに転向するきっかけは野球教室での王との出会いだから
その王に来てくれと言われたら二つ返事で元木はホークスに入っただろう
王なら甘えを許さず元木を徹底的にしごくだろうから元木の野球人生はまた変わっただろう
元木はいわば努力をしなかった野村だからな ジュニアホークスというとどんでんもそうだったな
どんでんは在阪ならどこでもよかったようだけど いや岡田はABCのネット特番で阪神には行きたくなかったと言っていたよ。南海や近鉄に行きたかったとか。理由は南海や近鉄はサードを岡田の為に空けてくれると言ってくれたが、阪神にはサードには不動の掛布がいたからだとか。好きな球団はもちろん阪神だったが仕事をやるには阪神は嫌だったと言っていた。岡田に限らず、好きな球団と働く球団とは別に考える選手いるってこと。(球団の待遇格差がなくなった近年では、むしろそう言う風に考える選手の方が多数) >>128
別スレで読んだ話だが高田繁は巨人の一位指名は光栄だし嬉しかったけど
「巨人は外野の層が厚いからキツいなあ」という気持ちもあったそうだ
だけど高田は守備が良かったのですぐにレギュラーになれた
阪神は良くも悪くも深く考えずに指名する
ヒゲ辻とダンプ辻がいても田淵を指名したし
一塁にバースがいるのに清原を指名したし 田淵も清原も稀代のスラッガーだから、指名に行っても不思議じゃないけどな
バース外人だし、両辻田淵みたいな打撃できないし >>128
スカウトはそう言ったのかもしれないが、当時の南海には藤原、近鉄には羽田と
ガチガチのレギュラーがいた。特に近鉄は西本監督が新人の為にポジションを
空けるなんて考えられないよな。
岡田が嘘をつく理由は無いから、ポジション云々はスカウトのセールストークか。 清原がファーストのレギュラー務まるのに3年かかるとすれば、
それが丁度バースと入れ替わるタイミングと考えても不思議じゃないな あの清原がついぞ無冠に終わるとはな
ドームの看板を逆方向にぶち当てた男は日本人では清原しか見たことない
パワーも技術も歴代打者ではおそらく最高峰クラスだったろうに >>128
はじき出された藤原さんが、年齢的にも定岡、河埜さしおいて二遊間はないし
ファーストには片平、レフト・メイ、センター・新井がいる DHはいわずもがな
こうしてみると野手陣はかなり充実してたんだなあと 掛布に比べたら藤原羽田なんて岡田でも競争すれば競り落とせる相手だしなぁ・・・
阪神って佐藤でも同じ事して外野やらせるという愚行をしてるしほんと懲りないわ 岡田が南海に入っていれば、最初はやはり二塁あたりを守って、藤原が引退したら三塁を
守ったのかも知れない
引退後はホークスの監督もしたと思うが、王の長期政権の後になりそう 玉造生まれ育ちの生粋の浪速っ子で某伝説の喜劇王とそっくりな顔立ち
阪神北摂のモダニズム色濃いタイガースより南海向きの顔だった気がする岡田は 岡田を指名した六球団の中で、本当にポジションを空けて待ってたのは西武。
レギュラー三塁手の山村はパ・リーグのエラー王で外野コンバートが決まっていた。
くじが外れた後、三塁は新外人ダンカンになり、更にダンカンは不振で前期で解雇
後期からスティーブがやってきた。 >>139
西武は清原の時もポジションを空けていたね ライオンズは三塁が不安定だったからな
強打の三塁手は中西までさかのぼる
岡田が欲しかったのもわかる どんでんが南海に入団してたら、ブレイザーと阪神フロントが揉めることもなく
ベンチがアホ事件も起こらなかった? 広瀬さんが4年目も はさすがにないと思うので
ブキやんの投入か 岡本さんあたり? >>142
どんでんは早稲田やマスゴミ辺りに工作費が要るだろうね
本社だけで負担出来ないからタニマチにも一肌脱いで貰う覚悟も >>139
ダンカンって立川談かんことダンカンの芸名の由来だろ。
埼玉出身のくせに阪神ファンに成り済ました奴w
当時から阪神ファンだったら立川ラインバックか立川スタントンにするわ 南海に岡田が入ってたら、外野コンバートだったかもね。メイ、新井は外せないが
RFの王天上は2年目はまるで打てなくて前期で解雇されてたし。
あと門田の復活は80年の開幕時点では未知数だったから
メイをDHにして岡田外野と言う事もありえたかも。
そうなれば門田の球歴もプロ野球の歴史にも影響を与えたかもしれない。 岡田は関西の球団ならどこでも入団する気だったし
東京周辺でも巨人か西武なら入団する気だったそうなので
そんなにNG球団は無かった 当時巨人も岡田に行ってもおかしくない状況だったよな。
中畑が台頭してきてたと言ってもまだ心許ないし
レギュラー陣の高齢化は目を覆う状況だった。
結局木田を外してよく分からん高校生の投手とって
長嶋の首はこのシーズンで飛んだ >>145
ダンカンは85年の阪神Vフィーバーに便乗したんだよな
それ以前からファンだったとは到底思えん 皆川さんは最期まで西田辺に居た
奥様もいい人やったな
杉浦さんはずっと上野芝
岡本さんは今も帝塚山 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています