元阪急のマイナーな選手を懐かしむスレ その4
>>16
姫路の出身で入団後もずっと関西弁で通していた
新聞・テレビの取材でも関西弁でしゃべってたら
マネージャーから「球団のイメージと違うので標準語でお願いします」と言われたが意地になってやめなかった
みかねた先輩から「そんなことしてると大阪(のチーム)に飛ばされるぞ」と忠告されたが、
結果その通りになった
鉄板ネタ >>18
ヤボな事かも知れないが試合以外でのケガは労災にならないのかな 当銀
名前だけ覚えてる
南牟礼
かろうじて覚えてる 佐藤滋には期待してたのにコップを投げた古川組組員は許しがたいわ。 古溝克之、永本裕章、宮本四郎、小嶋正宣、関口朋幸、山内嘉弘、白井孝幸、小林敦美
この中の2、3人でもローテや抑えに定着してくれたらだいぶ違っていたよな >>25
その面子の中では永本が一番印象的かな
前年0勝がいきなり15勝 83年頃、週ベのファームで観戦した人のレポートで
ポールの外から巻いてフェアゾーンのスタンドに落ちるなど
1試合に7本もヒットを損したと書かれた有賀 80年ドラフト1位指名したのに拒否ってプリンスホテル経由で数年後しれっと西武入りした川村
阪急戦初登板となった時ブーマーに大飛球かまされてあと一歩でスタンドインは成らなかったが
はよ打たれてしまえと念じたものだw >>27
82年ってリーグのスタッツを見るとどう考えても飛ばない球を使っていたシーズンだったと思うけど
永本やハムの工藤はその恩恵を受けた感が強いんだよなぁ ドラ1にフラれるのは伝統か?
リメンバー1973年江川卓 あのとき、江川を本気で獲得するつもりなんか無かっただろ
知らんけどw >>25
小林敦美と言えば何時ぞやの西武戦に先発してるのをNHKの中継で見た記憶があるけど
右オーバーなのに直球のスピードがMAX133くらいしか出てなくて序盤からアップアップだったな
結局3回1失点か2失点だったのに降板させられてたわ
これでは上田監督が見限ったのもしゃーないと思った ランナーが出たら神経質に牽制球を何度も投げて明らかに打者への集中を欠きコントロールミスで痛打を浴びる、と。
解説者にも指摘されてたが結局大成しなかったところをみると克服できなかったんだな >>33>>34
リッカーが経営が傾き始めて野球部廃部を前提に部員の引取先を模索していた中で中西と小林だけはプロに進めた
他の人は野球を諦めて会社に残ったかあるいは他社に移籍したが、まもなくリッカーは倒産、また他社に移ったもののそこで活躍できた人も居なかった
社会人野球はプロと違い身分の保障がないこともないが、会社の経営がダメになって倒産したり廃部になって放出があり得る点でプロと大差ないことがリッカーをきっかけに知ることができた 1年どころかクルーズだけの極貧打線で最下位独走してたハム戦の完封勝利だけ リッカーは中西獲る時に、かなりの条件出したらしい。
崇徳のセンバツ優勝投手・黒田がドラ1拒否して進んだ地元社会人をすぐに退社してしまうと受け入れた。
結構攻めてたんだね。 >>33
俺は西宮でのロッテ戦が初見
初勝利後何度か先発のチャンスをもらいながら全部フイにして中継ぎに配置転換されたが
なかなか抑えられずランナーを許すがその都度バックの好守に救われて無失点という内容
リーの頭近くにすっぽ抜けが行って睨み付けられたのもこの時と思う 1984年は阪急として最後のリーグ優勝
今井21勝、佐藤義17勝、山田14勝、山沖11勝、宮本8勝
この5人でチームのシーズン勝利数75勝の9割を占めてたので
ポッと出の新人の割り込む余地は無かった罠 >>41
>>バックの好守
弓岡とか小林晋とか内外野に守備の名手がいたがいかんせん阪急なのでマイナー扱い >>43
80年代のファンクラブ会報でも打者としてのクローズアップはあっても
守備の方は隅っこに追いやられてた >>46
でも山森のアレは箱庭だからこそできたと思う ならば
新人王取ったのにほとんど記憶に残ってない熊野輝光はどうだ 熊野にしろ藤田にしろ巨人時代はまるで打てそうな感じがしなかったよな
二人共阪急時代はそこそこ打ってたのに 83 二村(日ハム)
84 藤田(阪急)
85 熊野(阪急)
うーん、実に地味な顔ぶれだ >>47
グリーンスタジアム神戸でもそれに近いプレーしてなかったっけ? >>52
1982大石大二郎が抜けとるで
石毛は1981 水谷実雄が開幕戦デッドボールで抜けた穴(特にHR)を何とか埋める事ができたのは藤田の功績
ブーマーの三冠王もあったとはいえ藤田がいなければリーグ優勝は厳しかったかもしれない 打撃に偏ってリードが疎かになってはいけないと思った大エース山田からみっちり仕込まれたおかげで
打撃と守備(リード)が両立できる正捕手になれた
巨人藤田監督が早くからその資質に目を付けて1991年オフのトレード獲得にまでこぎ着けたのに
翌シーズン以降、打撃は良いがリードに難のあったデーブ大久保を重用したのが不可解だった
たしか豊田泰光氏も何かのコラムで「藤田を使わないのは勿体ない、何のために獲得したのか」と疑問を呈していた 捕手の場合、
打てる選手はリードがイマイチ
リードが優れてる選手は打てない
両方兼ね備えてるといえば野村と古田ぐらい? >>59
デーブのトレードは当時の巨人打線が酷くて打線のテコ入れとしての獲得だったからリードや守備は二の次だった
藤田が阪急時代の打棒を発揮できていれば使われてんだろうが全然打てなかったからね >>62
打たないにしても第二捕手の待遇はあってもよかったのに
ずっと二軍に放置だったからな 豊田さん以外にもあの頃のデーブの使い方に異議を唱えてる評論家はいたよ
エモやんなんか、デーブに内野を守らせて藤田は捕手ならデーブの打撃と藤田のリードを両方有効活用できると主張 ウケ狙いなのかトンデモな主張する解説者が昔は多かった
デーブに内野守らせろてw
フジテレビの解説者に目立った
江本、加藤(博)、関根とか >>29
このドラフトは1位石毛で西武に攫われ、外れ1位川村も最終的には西武へ。
不人気チームの悲哀を味わわされた 正直80年代阪急が西武の後塵を拝したのは投手陣の層の薄さが原因だからなぁ
80年代に入っても70年代の主力におんぶに抱っこだったのはドラフトの失敗が響いたよな
星野だってドラ5だし上位指名の投手は山沖を除いてほぼ失敗しているよな 正直川村が外れ1位というとどうかと言われてた。
アマチュアの評価は難しいが、イメージに流されてる感はあった。
もっとも、ミーハー指名は近鉄も南海も負けじとやってたものだが。 プリンスホテルを隠れ蓑にした囲い込み戦法は川村以外でも日公が高山でやられた
巨人は江川盗りで叩かれたが、これもかなりグレーやん? グレーでも策略としては◎としか言いようがない
阪急が新戦力補強で失敗続きなのは
スカウト陣の故障情報の把握スキルが
他球団より低いからという話もあった
榎田や野中といった甲子園スターはどうだったろ プロ入り後に傷めるのがほとんどじゃないの
当然だけど運動量が全然違うし、昔は投げ込め投げ込めで投球数が多いほど良しとされてた時代でしょ 野中は阪急に馴染めなかったな
本心は中日に入りたかったか ドラフトでスカを食らい続けてもずっとAクラスをキープできていたのは育成力が優れていたからか
いまは見る影もなくなったが 藤王と野中なら、藤王取るでしょ
ただこの年の、中日の営業サイドは1位を二人指名できたらいいのに!とこぼしていたそうだ 昭和50年代の阪神中継ぎエース池内の終焉の地は阪急であった 巨人で全くダメだった永本が覚醒、阪神野田が阪急で覚醒した
他に覚醒した選手居ますか 大洋で芽が出なかった宮本四郎
84年だけプチブレイク >>78
パリーグにはいないタイプの投手、また連投が利く馬力の強さが上田監督の琴線に触れ、
大洋クビの情報を聞いて獲得に乗り出したと言われていた。
なのに一軍で使わずたった一年でお払い箱にするとはね。
どこか故障でもしてたのか。 >>81
晩年は打ちごろのボールをポンポン放ってたイメージ
細かいところはわからないけど、フォームは柳田豊みたいな感じだったよね >>81
もともとは南海出身
>>79
フォーム改造で成功したという点で自分としては永本と木下がカブる 82年は飛ばない球使用でサイドの永本やハム工藤がブレイクしたね
2人とも実質82年だけで終わったが >>71
でもプリンス経由で藤井がとれた
これは掘り出し物 >>86
清原が西武に入ってなきゃ取れなかったかもな 中島輝士とか西武が囲い込まないプリンスホテルの選手はアレやな
石井浩郎は活躍したが 藤井選手は西宮でサインしてもらった
素人の頓珍漢な質問にも気さくに答えてくれた
実績も人柄も申し分なく、もし阪神にいたらもっと人気があっただろう そらそうよ
社業に専念
チームは違うが阪神赤星はプロ入り前はJR東の車掌課で働いてたのは有名
資格も持ってる 国鉄の鉄道管理局からプロ入りした選手はまあまあいる
福良は大分から、サブマリン太田は仙台から、外野手田島は門司から。 一口に言ってアンダースローにも様々あって皆が皆山田のようには投げられないのに
チームの大先輩と同じように投げれば勝てると無理矢理フォームを変えさせられた悲劇の人 江本が言ってた
投球にせよ打撃にせよ、他人から強制的にフォーム改造されて
成功した試しはない
壁にぶつかってにっちもさっちもいかなくなって
選手自らが変えたいという意思にならない限り
モノにならない >>98
だって山田さん自身が言ってたもん
「真似されるようなフォームなんか意味が無い(使ってもらえない)」
改造を指導したコーチは相当の○ホじゃないの 太田って入団時からアンダースローだったハズだけど、山田みたいな、
投げる直前で一旦浮き上がるようなフォームに改造したの?
ただ単に、アンダースロー=山田って素人同然の考えなだけじゃないの?
アンダースロー、一口に言っても足立みたいなのから他球団で言えば高橋直樹、仁科、金城と居るわけだし アンダーにも2種類あるからね
真性アンダーとサイドぽいアンダーがね
サイドぽいアンダーは身体を沈み込ませるけど腕の出どころがほぼサイド
高橋直樹、仁科、小林繁、三沢はサイドぽいアンダー 中日にトレード後、星野の下で選手、コーチの傍ら乱闘要員として大活躍し
その後地元の町長にまで上り詰めた岩本
阪急時代もそこそこメジャーな選手って感じでいいのかな?このスレには合致しない? 昭和55年頃西宮北口の寿司屋で見掛けた白石
四角い輪郭とメガネが今井雄太郎とよく似ていた 過去ログにもカキコあったが
西宮北口周辺の居酒屋鉄板焼屋寿司屋等々で
土日の夕方にブレーブス選手に会うことは良くあったようだね
デーゲームの後だから? 白石さんといえば「肩にボルトが何本も入ってる」が十八番ネタ
ちゃんとオチまで付いている 近所の阪急ファンの子がしきりに「さいぐさのマネ」をしていたが
実物を見たことはない 西武の松沼兄は真正アンダーかな
高橋直樹はサイドだと思っていた 白石は南海戦によく使われていた
スポーツ新聞の先発投手予想欄「老練な白石、鷹狩りの腕前を見せよ」のコメントは今でも覚えている
たぶんサンスポと思う >>114
なにしろ主力が左ばっかりで他チームにも左をぶつけられていた
メイはメジャーの実績もある好打者だったが
それはそれとしてなんで右をとらなかったのだろうかと 松本幸が先発してスイスイと100球足らずで抑えたこともあった
右の代打も全く問題にしなかった
ゲームセットでもニコリともせずに捕手と軽く握手、
バックには目礼しただけでさっさとベンチに引っ込むのがお決まり
本当にクールな選手 サンスポは阪急選手を良く書いてくれた
フジサンケイグループの関西テレビが阪急東宝グループにも入ってるから カンテレ社員
フジテレビが視聴率トップの時代「わが社はフジサンケイグループです」
フジテレビが凋落した現在「わが社は阪急東宝グループです」 幸行をゆきつらとは読めない
インパクトの強さゆえに最初に覚えた投手