珍しい記録 Part52
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15秒ルールってスピード重視の今でも適用されんな 腐るほどいるだろうに サイン交換考えっと30秒ぐらい必要かな だから延長戦廃止したほうが楽だったり ワンポイントリリーフの投球練習数制限とか 昨日の「球辞苑」の再放送より MLBがワンポイントリリーフを廃止けど、それが必ずしも試合時間の 短縮にはつながっていないようだ(3時間5分→3時間7分) 野球を見ていて一番興が削がれるのは、ワンポイントで出てきた投手が安打や四球で即交代すること こんなものに投手交代で5分くらいかかるのだから、廃止は正しい ワンポイントで四球を出すようなどうしようもない状態でも3人投げないと降ろせないルールになったせいで余計に失点と時間がかさんだのが今回の結果だよ ワンポイント廃止で、左投げというだけでしょうもない投手が駆逐されるかと思ったら ワンポイント投手をそのままダラダラ三人投げさせるようになっただけか。 球辞苑でワンポイントやってたが通算打率よりも ワンポイント投手に対する打率のほうが高いのは森野だけだった ほとんどが打率1割台で、ちゃんと機能しているんだなぁと 今月になって新型コロナウィルスのワクチンを接種していたもよう > Aaron joined Young and other African American leaders > at Atlanta's Morehouse School of Medicine earlier this month > to receive the coronavirus vaccine. モロに悪い副作用か ―― ハンク・アーロン、コロナワクチン接種後に重い脳卒中を起こし死去。非ドーピング打者としてメジャー歴代最多本塁打 http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1611401457/ 【新コロ】死去の元ホームラン王アーロンさん、1月5日にワクチン接種「黒人社会に向けてワクチンが安全であることを示したかった」 http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1611392022/ 得失点差大幅マイナスでAクラス入りしたチームは、大概翌年落ちる 2000年中日(2位) -73(544−617)→5位 2004年ヤクルト(2位)-73(618−691)→4位 2015年阪神(3位) -85(465−550)→4位 2020年中日(3位) -60(429−489)→? 2020年西武(3位) -64(479→543)→? 1995年広島(2位) 635得点510失点 得失点差+125は、V逸チームとしては史上最大。 >>297 1955年西鉄(2位)663得点471失点+192 1956年南海(2位)612得点457失点+155 1957年南海(2位)551得点424失点+127 1958年南海(2位)543得点414失点+129 1961年東映(2位)614得点442失点+172 1963年南海(2位)626得点485失点+141 「強い2位チーム」でぱっと思い浮かんだのが西鉄南海2強時代のパだったのでざっと調べたがこれだけ見つかったぞ 1950巨人(3位)724得点522失点 +202 最大はこれかなあ 1954巨人(2位)613得点385失点 +228 +125以上は30例くらいある 得失点がプラスでの最低勝率・最低順位はどんなもんだろう 1998ロッテは581-563で最下位(勝率.462) 勝率は1985日本ハム636-627で.449あたりかなあ とりあえず 1973 広島 借金7で最下位 1992 中日 借金10で最下位 >>303 この年の横浜、確か首位チームに勝ち越しているんだよね >>307 94年は最後のヤクルト戦に勝ってれば4位 98年は18連敗以外はまとも 結果的に最下位だけどシーズンを通してみれば最下位のチームではない NPBレギュラーシーズンではまだ28連勝継続中だから、連勝がどこまで続くか見ものだな 則本次第で通算100勝以上4人の同時在籍が実現するな 過去の例は阪急(梶本、米田、石井、足立) 巨人(斎藤、槙原、桑田、川口) 巨人(江川、加藤初、西本、高橋直) ほかにもあるかも 恐らくこれだけの実績を挙げた選手の日本球界復帰は空前絶後だな 【訃報】 パ・リーグ元記録部長、千葉功さん死去 公式記録員で1810試合担当 2021/01/28 [朝一から閉店までφ★] https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1611828820/ >>314 まだダル大谷マエケンがいるからわからんぞ >>312 たしか1993年のオリが 星野伸之、山沖、佐藤義則、西本聖 近年の巨人も杉内・内海・上原・岩隈・大竹・菅野と100勝多いが転出引退が早すぎで揃わない ■日本ハム 1980年 高橋直樹、高橋一三、成田文男、村上雅則 81〜82 江夏、高橋直樹、高橋一三、成田文男、村上雅則 (修正)■日本ハム 1980年 高橋直樹、高橋一三、成田文男、村上雅則 81〜82 江夏、高橋一三、成田文男、村上雅則 ■1974年 ロッテ 木樽正明、成田文男、金田留広、城之内邦雄 1955年巨人は別所中尾藤本がいてシーズン中に大友が100勝に到達しているが そういうのはダメかね 1981年の日ハムは 高橋一三が奪三振、間柴が勝利、江夏がセーブ、柏原が得点でチーム首位だけど 他球団から移籍してきた選手4人がチームの部門首位って珍しい 2009年巨人 ラミレス(首位打者)、小笠原(打点チーム1位)、ゴンザレス(最高勝率、チーム最多勝)、クルーン(チーム最多セーブ) 4人くらいならまだまだありそう 77〜78年のクラウン 東尾、山下、石井 弱いけど3人いるな ジーター、イチロー、Aロッド、アンドリュー・ジョーンズらが在籍した時代のヤンキースで、 スタメン全員の通算安打数を合計したら歴代一位だったという試合があったはず その手の記録って、その時点での記録と終身成績での記録ではだいぶ違うよな 2005年前後、清原 中村紀洋 山崎武司 ローズ 塩谷 のスーパーDQN達オリックス勢揃いを見たかった 1981年終了時広島 安仁屋118勝 高橋直140勝 佐伯和100敗 渡辺秀118勝 金田留128勝 おー外木場や江夏しか思い付かんかった…池谷の100勝はもっと後だし >>335 さりげなく100敗を混ぜるなw 好投手だとは思うけどね >>339 広島初優勝の年、外木場20勝、池谷18勝、佐伯15勝。前年最多勝の金城がいないのを見事にカバーした。 >>340 前年の20勝投手が1勝ってだけでレアだが、それでリーグ優勝は唯一 翌年0勝は稲尾や木村保がいるが、いずれも優勝を逃す ごめんなさい 20勝→0勝で優勝が一人いました ですので上のレスは無かったことに 西鉄の大津だな。 稲尾の台頭であっさり出番を奪われた投手。 >>343 おっしゃる通り1956年の大津守(西鉄) この大津は実働13年だが、西鉄時代が64勝42敗だったのに対して、実働6年の近鉄時代は32勝70敗 いくらなんでもここまで極端な成績の対比は他に無し また、彼はその期間の年度別成績において1勝→18勝→6勝→18勝、21勝→0勝、0勝→11勝、10勝→0勝と都合6度の10勝以上の増減を記録 あ、1968年の足立(阪急)も20→0勝だ しかも後年だけ優勝の金城や大津とは違い前年から連覇 >>345 MVPの20勝投手が翌年0勝でも連覇、か 水谷0勝→15勝が大きかったかな >>346 改めてチーム勝敗を見てみたら75→80勝とむしろ増やしていますね 米田も18→29勝と大きく伸ばしていました 唐突に高校野球の話題ですまんが、福島県は21世紀に入ってから聖光学院以外での甲子園での勝利無し 足立は68年オープン戦での故障が無ければまず間違いなく200勝はしていただろうし、250勝近くまでいけたかもしれない。 30歳手前と全盛期になるはずの時期に3年も不振に終わったのは痛かった >>348 実は茨城も夏は常総以外勝利がない ここ10年の区切りだと栃木の作新、徳島の鳴門もそうなりそうだな >>350 激戦区じゃない所は偏りがちなんですかね? 1964年の東映が土橋、嵯峨、尾崎の3人20勝して3位って珍しくない? 1955年毎日が17勝以上の投手を4人擁して3位、というのもなかなか なお、同年西鉄も17勝以上の投手4人を擁してこちらは2位 1990ハムは二ケタ5人で4位だったね いささか小粒な五人衆ではあったが >>357 負け越しはしなかったけど、貯金3しかなかった(66勝63敗)。 二桁勝利多いのに系はBクラスは結構あるけど負け越しとか最下位はあまりない印象 1988年だったかのロッテが最下位で二桁4人だったかな 最近だと13勝3人の2017巨人が印象的だけど交流戦10位セリーグ4位でも勝ち越しているし 2桁投手ゼロで一番順位が高かったチームは? さすがに優勝は無いと思う 1964年の近鉄も2桁勝利4人で最下位 徳久13勝23敗 山本12勝13敗 佐々木10勝17敗 久保10勝18敗 牧野8勝14敗が惜しい >>361 吉田修司が契約更改で「僕は日本シリーズで1勝したから二桁」と主張したそうだ。 日本シリーズでダイエーが勝っていれば、 その主張も多少はかっこいいとは思うがなぁ 左打者の方が右打者よりも併殺打が少ないのは当たり前だが、 「シーズン20併殺打以上の左打者」も調べてみればいるもんだ。 1994駒田 29 両リーグ最多 1995駒田 20 1997駒田 20 1998駒田 21 1998イチロー 21 2003福浦 22 両リーグ最多タイ 2004バルデス 20 リーグ最多タイ 2010後藤 20 2014森野 20 2016銀次 20 遡ればリーとか藤井栄治とかロペスとか山本功児とか、まだ他にもね 併殺打の多さに打者の走力は大いに影響するが、打順や前を打つ打者に左右されやすい部分もあるよね 赤星憲広が2003年だけ15併殺打と激増しているが(他の年は規定到達しても一桁)、 一番今岡・二番赤星という打順の影響と赤星自身のバッティングで強い打球が飛びやすくなって併殺打増加に繋がったという >>370 ローズの後ろ打ってたんだから仕方なかろう。 そう考えると王が常に塁にいるのに長嶋の併殺は異常に少ない 歴代4位の通算257併殺打(通算2186試合出場は併殺数10傑の中で最少)だし異常に少ないは言いすぎ 本人の足が速いから機会の割に少ないってことはあるかもしれないが 長嶋は1965年以降引退までの11年間、毎年15以上の併殺打を記録し 1966-72の7年間に5度、リーグ最多の併殺打を記録している 豪砲枢軸喜には無縁の記録 強い打球に角度付ける才能の無いクズ共で溢れとるわ 無駄に力任せに振って打球は上がらず早いゴロ量産で併殺地獄とか 素人のムチャ振りレベルの打撃を披露するプロがそんなに多いんか 驚速ライナー喜からすれば雑魚同然 >>374 「王が四球で一塁に出ることがやたら多い」「本人の走力が落ちてきた」「打球の速さは健在」が重なった結果ですね。 2番王3番長嶋、と打順を一つ繰り上げるのをオープン戦で試したことが一度あったはず。 通常の打順だと1番が出塁、2番がバント、3番が敬遠気味の四球で4番併殺、というパターンがあるので、いっそのこと2番を省略してみた。 >>367 真っ先に駒田が思い浮かんだが、 正にその通りでワロタ しかし阿部がいないのは、意外な印象 左打者の通算併殺打 駒田 229 阿部 190 立浪 174 森(昌)171 福浦 168 門田 164 鳥谷 161 谷沢 160 榎本 159 王 159 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる