★エースと呼ばれなかった名投手といえば★
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成績は抜群なのに目立ったエースに隠れてエース呼ばわりされなかった投手ってたくさんいるよね 斉藤がいたときのエースは桑田 昌がいたときは今中がエースと呼ばれていた 巨人でいうと高橋13、西本、斉藤かな 中日だと松本幸、郭、都、野口、昌、 阪神では上田、古沢、 ヤクルト 浅野、安田 巨人でいうと高橋13、西本、斉藤かな 中日だと松本幸、郭、都、野口、昌、 阪神では上田、古沢、 ヤクルト 浅野、安田 巨人ならメリーちゃん、加藤、槙原、宮本、木田、尻、木佐貫辺り 定岡とか持病の肺気腫?で皆勤シーズン限られた加藤初とか。 足立光宏は米田と山田久志のハザ間に埋もれた感じ 斎藤は正真正銘のエースだろ むしろ桑田が筆頭エースだったことなどない 西武西口は成績の割にエース感ないと言われていた 槙原は93年にチーム内で一番いい成績を残したけどエース感がなかった ちょっと意味合いが違うけど槙原桑田は他球団ならエース、と言われてたからあんまエース感なかった、とは微妙に違う その時期の巨人のエースはと言われてたから間違いなく斎藤だが >>12 93年は打たれて降板が多かった。”今日はダメでした”のコメントが多かった。 当時、解説の別所毅彦に”今日はダメでしたじゃない。今日もダメでしただ。”と皮肉られていたよ。 >>14 93年の槙原は前半悪くて、優勝が厳しくなった後半に無双するようになったから印象が薄いんだよな 松沼兄弟 二人とも4〜5年連続二桁勝利 個人タイトルも獲ってるのにチームメイトの東尾、郭、工藤、渡辺が投手3冠獲れるレベルに凄すぎて空気 100勝以上だと 松沼兄 中田賢一 鈴木孝政 下柳 加藤初 柳田 川口(大野も?) 吉井(日米通算) 今井(佐藤義も?) 若生忠 若生(大毎阪神など) 清 このあたりか >>5 斎藤が20勝した後は普通にエースは斎藤だったが? 佐々木宏・坂井・稲葉・水谷・仁科・西口・石井一・ばんてふ・カツオも >>21 スワローズの投手で長持ちしている時点でエースじゃ無い >>17 郭がエース扱いだったのって91年ぐらいか。 あの年は工藤もよかったから工藤エースという意見もあるが。 積み上げた数字だけは立派なクサや野茂もこのスレの対象かな? 鈴木啓示と野茂は明確にエースだろ… 上の例もそうだけどお前少しズレてるよ 外国人先発はエースと言われたのは割と多くないよな ガルベスやブロスがエースというとなんか違う感じはある >>24 当時の西武は毎年若くて力ある投手が入れ替り柱になっていたな、 誰か1人が絶対的エースという感じではなかった。 佐々岡真司(広島)もそんな存在。 最近の佐々岡は「維新の会」っぽい雰囲気の顔になっとる。 >>28 東尾が引退するまで、その絶対的なエースが常に4〜5人居たからなw 逆にこんな奴がエースかよって思った投手 池田親興 新谷博 有働克也 前川勝彦 紀藤真琴 >>33 最多勝2回(うち一度は21勝)、防御率1位1回、2桁勝利6回に加えて完全試合達成をしてるのに名投手でないと? 今井の通算成績(特に防御率)が物足りないのは年によっての好不調が激しかったのと衰えてからも40代まで戦力にされたから 00年前後のパリーグは他にロクなのがいないから本来ならエースと言えない奴が消去法エース扱いされてた 岩本、金村、清水直、川越、前川など >>38 当時の阪急・オリックスは山田〜佐藤〜星野とエースには困らなかったから今井がエースだった事は無いね >>37 有働って何故か開幕投手だったことはあるけどエースと言えるほどの立場ではなかったような 短い全盛期である1993〜1994年頃はエースに野村がいたし斎藤隆も頭角を表していた >>45 日本シリーズの第1戦が小野だったから小野だろ スレタイに該当しそうなのは槙原寛己、川口和久、大野豊、郭泰源、石井丈裕、佐藤義則、斎藤隆、川崎憲次郎、小林宏之、渡辺俊介あたりか? 大投手だが和田毅も斉藤、杉内、千賀とかぶっているのでエースと評価すべきか微妙。 山本昌は今中が壊れて野口川上が台頭する前の1997年は最多勝も取ってるし、エースだったと言えそう。 G 斎藤(1989-1996)-桑田(1997-1998)-上原(1999-2006)-内海(2007-2013)-菅野(2014-) T キーオ(-1990)-仲田?湯舟?-藪(1994-2000)-井川(2001-2006)-安藤?能見?-メッセンジャー(2011-2018)-??? D 西本(1989-1990)-今中(1991-1996)-山本昌(1997-1998)-野口(1999-2001)-川上(2002-2008)-吉見(2009-2013)-大野(2014-) W/YB/DB 野村(1990-1998)-三浦(1999-2013)-井納(2014-2017)-石田?今永? C 北別府(-1990)-佐々岡(1991-1993)-紀藤(1994-1996)-大野?山内?-佐々岡(1998-2000)-黒田(2001-2007)-ルイス(2008-2009)-前田(2010-2015)-ジョンソン(2016-2017)-大瀬良(2018-) S 西村(1990-1991)-岡林(1992-1994)-ブロス(1995-1996)-石井一(1997-2001)-藤井(2002)-石川(2003-2012)-小川(2013-) B/Bw/Bs 星野(1989-1999)-金田(2000-2003)-川越(2004-2007)-金子(2008-2014)-西(2015-2018)-山岡(2019-) H 村田(1990-1993)-工藤(1995-1999)-若田部(2000-2002)-斉藤(2003-2006)-杉内(2007-2011)-攝津(2012-2015)-千賀(2016-) F 西崎(-1996)-グロス(1997)-岩本(1998-2001)-金村(2002-2005)-ダルビッシュ(2006-2011)-吉川(2012-2013)大谷(2014-2016)-有原(2017-) O/M 村田(-1990)-小宮山(1991-1993)-伊良部(1994-1996)-黒木(1997-2001)-清水(2001-2008)-成瀬(2009-2014)-涌井(2015-2017)-石川(2018-) L 渡辺(-1994)-西口(1996-1999)-松坂(2000-2006)-涌井(2007-2011)-岸(2012-2014)-菊池(2016-2018) Bu 野茂(1990-1994)-高村(1995-1999)-前川(2000-2001)-パウエル(2002)-岩隈(2003-2004) E 岩隈(2005-2010)-田中(2011-2013)-則本(2014-) 開幕投手 3回以上ならエース 5回以上なら真のエース 7回以上ならた大エース 10回以上ならレジェンドエース WBCイヤーとか出場したエース級投手の疲労考えて格がないのが開幕投手したりする 小宮山6回も開幕投手になってるのか でも全然エースと思ったことないわ 2年連続同じ顔ぶれはセリーグの2005-06年だけ 川上井川石川上原黒田三浦 文句のないメンツだろう >>54 ハンカチが開幕投手だったんだよな>2012年 確かにあの年は「何か持っている」と幻想を抱かせた。 2013年に田中マーの大活躍もあって、一気に評価を落とした感じ。 2012年の前半は田中が怪我もありよくなかった。 対して斎藤の方は「最強の24才」宣言まではそこそこ頑張ってた。 そのこともあってか斎藤信者が調子に乗って田中をディスりまくってた 今年限りになりそうなハンカチは確かに2011~2012は戦力になってたんだよな、違反球補正とはいえ。擁護するなら2013年の怪我で終わった。 そして意外と田中もハンカチと同年の2012年しか開幕投手がないんだな。 >>54 これを見ると万年2番手とか万年10勝10敗と言われるカツオは普通にエースじゃん。むしろ、スレタイには館山が該当しそう。 涌井の似顔絵だけ陰が入ってるのが笑える。 >>32 1990年代の広島はトータルで見ればいちおう佐々岡がエースかな、99年までの10シーズンで集計するとチーム勝ち頭(91勝)のはず。 >>37 紀藤がエースと呼ばれたのは3年連続規定投球回+2ケタ勝利(16、10、12)挙げた頃だな。(佐々岡が抑えに回されてた94〜96年) 80〜83江川 84西本 85斎藤 86江川 87桑田 88ガリクソン 89、90斎藤 91桑田 92斎藤 93槙原 94桑田 95、96斎藤 97ガルベス 98桑田 99上原 80年代90年代、Gの年度別エース >>63 その年に一番成績が良かった投手ではなく、エースとはある程度固定された存在だと思うけどな。 1989~1996年はずっと斎藤だと思う。 1997年に開幕から不調でエースが桑田に交代し、その桑田も1999年に今一つで上原の交代したようなイメージ。 >>65 森監督は渡辺久信と工藤と郭泰源だと誰を一番信用してたかな 休まないし、不調の年がない渡辺久信かな?やはり 東尾や松沼兄ヤンじゃないのはわかるが 工藤はダイエー時代は間違いなくエースだったからいいじゃん 泰源はスペだしナベQは91年以降は禿げたし工藤は隔年投手だしどれも決定力に欠けるな ダイエー時代は武田とのダブルエースじゃないか? 99年は間違いなくエースだけど 工藤・武田の外様組にローテ1番手の座を追われた豊彦はまさにこのスレ向きの投手 いたいた このスレのおかげで10年ぶりに思い出したぞ 軟投派、貯金なしまたは負け越し、左腕、横手下手投げ、打たせて取るピッチング、完投が少ない、大人しい性格 残した数字がよくてもこれらの要素が重なるとエース感が薄れていく ロッテの仁科だな 村田が故障したら水谷が代理エースになり 水谷が不振に陥ったら深沢・石川が代理エース、 この3人ともダメになったら村田が復活と一度もエースとして扱われなかった 80福士?山根? 81北別府 82北別府 83川口 84山根 85北別府 86北別府 87北別府 88大野 89川口 90佐々岡? 91佐々岡 92北別府 93川口 94紀藤 95チェコ 96紀藤 97沢崎 98ミンチー 99佐々岡 80年代90年代、鯉のエース 2年連続の優勝&日本一を狙うチームは前年退団したエイドリアン・ギャレットに代わる新外国人としてマイク・デュプリーを獲得し、山本浩二やジム・ライトルとともに強力な外野陣を形成。投手陣ではエース池谷公二郎を筆頭に、北別府学や山根和夫、福士敬章などが先発陣の軸となり、さらに中継ぎ・抑えには大野豊と江夏豊が控えるなど充実。 90年代 エース今中 2番手山本昌 00年代 エース川上 2番手山本昌 大洋の斉藤明夫 成績抜群‥って感じではなかったけど、先発にリリーフに、印象に残る投手だった 大洋の斉藤明夫 成績抜群‥って感じではなかったけど、先発にリリーフに、印象に残る投手だった 川口和久や斉藤明夫は勝ち頭であったことはあるけれどエースではなかった しかし斉藤明夫はリリーフエースだった ブレーブスのマダックス、グラビン、スモルツは誰がエースか? 左からマダックス、グラビン、スモルツ(ATLの成績み) 89年 __勝、14勝、12勝 90年 __勝、10勝、14勝 91年 __勝、20勝、14勝 92年 __勝、20勝、15勝 93年 20勝、22勝、15勝 94年 16勝、13勝、6勝 95年 19勝、16勝、12勝 96年 15勝、15勝、24勝 97年 19勝、14勝、15勝 98年 18勝、20勝、17勝 99年 19勝、14勝、11勝 00年 19勝、21勝、全休 01年 17勝、16勝、3勝10セーブ 02年 16勝、18勝、3勝55セーブ 03年 16勝、__勝、0勝45セーブ 斎藤も桑田も同時期に同時に「エース」と呼ばれてたよ。 しかし槙原はエースとは呼ばれなかった。 晩年はリリーフエースとは呼ばれてたけど。 桑田が持ち上げられるのは甲子園のスターとキャラの濃さもあるだろうな 安定感では斎藤の方が圧倒的にエースなのに優等生すぎてマスコミ的には面白みに欠けたか 江川という球史に残るアンチヒーローエースの後だっただけに尚更 1998年は斎藤に代わって開幕投手を務めて16勝の桑田がエースだった 斎藤が衰えたのに先発の柱ではなく抑えに回ったのだから槙原はエース扱いではなかったと言える 日ハムの津野とか松浦とか? 柴田→西崎と同時期だから二番手だが 津野なんかは新人で開幕とかやってたな 88年の松浦なんかは西崎と並ぶエースの投球だった 松本幸 安田 坂井 テンポが異常に速い この三者いずれかが絡んだ試合は 二時間半で試合終了 当時8時から始まるテレビ中継は間もなく終了というところしか放映出来ないということが本当に起こってました 日ハム津野も近鉄小野もエース 村田辰美はエースでは無い 中山裕章、トラボルタ中田、マイク仲田は微妙 宮本和知は左のエースだったな。 巨人には同時にエースが3人いたわけか。 しかしながらパーフェクトやったり3連弾喰らったり、日本シリーズで無双したりと話題性では槙原がさらっていくわけですよ。 斎藤 実績ナンバーワン 桑田 知名度ナンバーワン 槙原 ネタの豊富さナンバーワン でもセイバー指標的に見ると槙原は他球団のエースより上の歴代上位の好投手だけどね もちろん斎藤はさらにその上いってるけど セイバーだと三浦大輔が強い 暗黒球団だから勝ち星が少ないが >>89 村田は草〜阿波野までのつなぎのエース感あり もっとも阿波野も短かったが 武田勝 常に絶対的エースのダルビッシュがいたため 2012も確変吉川がエースだったし >>98 村田より小野のイメージだわ 草魂→村田→小野→阿波野→野茂 岩隈が出るまで岡本や前川とか暫定エースでしかなかった >>102 だね 金田とかもエースではないよな 安定感はあったけど 小松が一回確変したが 西武のローテの凄さで隠れがちだか 阪急の山田、佐藤義則、今井も凄かった あとオリックスの星野、野田、長谷川もよかったね もしもっと早くに今井に登板前に一杯ひっかけることを勧める人がいたらどうなってたんだろ? 上田阪急はタフで頑丈な少数精鋭の主力で投手陣を回していたから 山田以外もエースと呼ぶに相応しい実績を残してるな 前後期制時代はそれで優勝できたけど長丁場の1シーズン制になったらその戦略だと投手の駒不足が露呈してしまったな 山田、佐藤義則、今井雄太郎、星野伸之、これに山沖までいたからな 80年代後半は西武の先発陣と遜色ない 逆に近鉄は阿波野と小野の次が山崎慎太郎だから 西武の先発陣と比べると三番手が落ちる 加藤哲郎がローテだったのも貧弱な感じするし >>101 巨人時代は4年間はエースだったよ、 でもまだ堀内もいてローテに入ってたし、 チーム内では微妙な位置だったな。 何故かコーチに認められてなかった。 (投手コーチではない) >>101 新浦は1期長嶋時代の安定エースかな 年によって小林繁や堀内や加藤初が突出してるが ファミスタの大洋 にら にはノーノーやられたわ。友達と対戦して。 近鉄なら石本もかな 短い間ではあったけど 高橋一三も堀内の陰で割を食った 杉浦の陰に隠れる皆川と森中 三浦 >>113 新浦がエース? 呼ばれてるとしたら小林が抜けた年だけだな。 翌年は文句なし江川だし。 江川入団してから輝きがなくなったな新浦 藤田になってからはほとんど出番なし >>115 石本はリリーフで勝ち星稼いだだけで 先発では勝ってないぞ ダイエーのエースは、もれなく大エース なんちゃって 笑え 松浦は88年は西崎と同じくらい信用していた 近鉄の小野の89年90年も阿波野に次ぐ信頼感あった >>116 馬鹿丸田し。 小林繁自身が「自分がいた頃のエースは堀内さん、新浦さん」と生前何回も語ってるよ。 エースとは「勝ち頭」じゃないの。 当時の巨人のエースは阪神に強くないといけない、 小林は左の掛布や藤田平、ラインバックがいた阪神には弱かった。 阪神に出されたのもそれが一因。 >>122 じゃあ北別府や斎藤雅やナベQはエースじゃ無いのか >>123 は?斎藤は阪神にメチャクチャ強かったし、 「当時の巨人」の話をしてるのに何で北別所府が出てくるんだか? 今と違って73年76年は最後まで優勝争いしたし、 阪神は強敵だったんだよ そもそもそのエースとやらの定義はどこに書いてあるの? 北別府のエースは85年から 85年開幕当初、大野先発時の中継 実況「エースの山根不在の今、この大野が広島のエースと言っていいんじゃないでしょうか?」 解説「そうですね、大野か若しくは北別府になるでしょうね」 松田オーナードラフト指名の杉本をマスコミに対し「山根の次のエースにと期待している」 それまでの北別府といえば1987年以降と同じく、なんか知らない間にそんな勝ってたのかと言う様な投手だった 85年までは高橋里志、福士と同じく勝ち頭ではあったがエースではなかった 広島にトレードされた高橋直樹はエース候補 斎藤雅樹は推しも押されぬエースだった 渡辺久信もエースと呼べるのだがこの時代、工藤の方がエースだった 84年までは東尾がエース ご指摘感謝する 北別府はいつもランナー背負ってモッさぁ、モッさぁとしたピッチングだった 防御率も結構失点多いイメージがシーズン終われば何故か3点代でもっと取らてたんじゃないのか? と言う感じだった 対して山根はいくら失点少なく抑えても孤立無援、好投報われず 確かに古葉監督は山根登場以前にはここ一番では池谷、北別府を起用していたが、山根の登場を持ってここ一番は山根に任せるようになった 北別府と小林誠ニはよく似ていた 頬っぺたの赤い方が北別府だ この2人は不仲を噂されていた そういえば高橋里志とか川端という投手もいたな 他チームにいたらエース扱いされてたのに 川口 大野 長冨 川端 北別府 長冨は16年間で10シーズンが勝率5割か勝ち、負けどちらかが1つ多いというおもしろい投手だったな。 生涯勝率もぴったり5割。 まあ、移籍後は先発ではなくなったけど。 ロッテの水谷則博は村田離脱時に代理エースと呼ばれた時期はあったが最後まで真のエースいう扱いではなかった 西崎入団後に復活した柴田保光 安定感なら西崎以上だったが勝ち星には 恵まれなかった 山根は1984年までエース級なのに その後の2年間怪我に苦しんだだけで西武に出されたな 今の時代なら故障しても毎年二桁勝ってた投手は 4年くらいは囲い込みして放出しないわなぁ 当時の広島は投手陣揃ってだとはいえ よくエース級を出したなぁ 放出された西武でリリーフとして山根は復活してるしな 山根はもう致命傷だったから 他のチームにそれが知られて無かったからいい条件で放出した 西武で中継ぎで復活出来たのが、良くやったと 西武では自分の投げた球の速度表示見るのが嫌になったとか >>138 それにしても広島は山根には冷たいイメージだった あと中日も杉本を一年勝てなくなっただけで放出した印象 星野さんや中日フロントは小野和幸と西本を補強して近藤も取れたから出したのかな? 杉本と鈴木孝政は余力あったのに88年あたりから影薄くなった 鈴木孝政は年齢的にお役御免になるのはわかるが、杉本の使われ方は違和感あった >>139 致命傷というかずっと腰痛で、 腰に鍼入れたまま投げてたんでしょ。 あだ名が「銀バリ」?だったかな。 俺のようにファミスタから入った人間にとってはカープのエースといえばきたへふというのが刷り込まれてる。 しかしながらそれ以前の時代ではそういう印象でもなかったんだな。 >>136 西崎入っても柴田は落ち目にならなかったのは凄かった 西崎柴田は二人ともノーノーやってるね 二人とも、全盛期を過ぎた頃にやっているのが面白い 久信とか佐藤義さんもそうだけど、意外とそういう頃にやるんだよなぁ ディクソン、スタンリッジといった先発の3番手ぐらいの立ち位置で9勝9敗ぐらいの成績を安定して残してくれる助っ人投手 郭泰源 槙原 川口一久クラスが3番手ならそりゃ強いわけだ 大リーグにも行ったがオリの長谷川は 四番手先発だったよね >>147 >>148 ただ西崎の入団した1987年と翌年の1988年は柴田はイマイチだったようだ じゃ誰がナンバー2をやったかと調べると 佐藤誠一、松浦、津野にあたりになる 本格的なバブル期だと西崎と柴田は両方活躍だな 酒井とかも単年で活躍してありする 此処ですら触れられない野田やゲンちゃんって一体…。 マツウラの出た船橋法典って野球が強くはないよね。 体も大きくないし、よく日ハムは見出したな。 松浦を紹介した漫画だと、実家は個人タクシーだったんだような。 その漫画だと西崎と仲が良い感じだけど、実際は津野と親しかったらしい。 松浦とか白井はドラフト外だったから それ考えるとかなり活躍したよね 日ハムで 松浦とオリックス野田はエースと呼ばれなかったが エースと遜色ない投手だった 松浦は無いワ(笑) 山ア慎太郎、吉田豊彦、湯舟・・ ここいらも絶対に無い。 >>163 最多勝取った年の松浦はリアルにナンバー2 あの年だけだが >>165 最多勝を獲った88年も、ドームのおかげって言われていた>松浦 あの頃は東京ドームが広い球場だった。 (玉が跳ぶ、とは言われていたけど) 東京ドームが出来た当初は巨人からHR王が誕生する事はもう無いのでは?と言われていたよな >>163 吉田豊彦は消去法で一年だけエースの年あった 稲尾以外の投手 河村とか西村とか川崎とか 取り上げられないのは気の毒だな >>169 ヤクルトだと西村と岡林と川崎とかか、あと山部とか? 石井一久はエースのイメージだが >>87 自分は87年は北別府だと思う エースを任された投手が大不振だったという感じ エースの定義自体があいまいだが岸あたり 新人の頃から波が少なく通算成績は通算WARはすでに杉内や西口も超えてるんだが 誰でもこの年とわかるキャリアハイもない >>175 勝喜はダイエー暗黒期のエースだろ 福岡ドーム公式戦杮落としでは野茂と投げ合い >>180 なぜか文字化けした 杮落としは「こけら落とし」 >>174 17勝とか18勝とかが二回くらいあればな 岸はそういうのないからな 渡辺久信みたいな最多勝インパクトがある人は強い この手の話だと >>39 清水と金村は十分エースだよ 前川や岩本とは違う 俺の勝手な基準だが 20勝を100点満点とすると、 7割の14勝がエースと呼びたい最低ライン そうすると槙原や大野は頑張っても やはりエースにまではなれなかった 岸や岩本も然り 高橋直樹はエースだったと思うよ 四天王と山内新一と直樹というパリーグエースの位置づけ >>187 カネヤン・ヨネカジコンビ・クサ・トンビを代表する様に弱小チームからこそエースが輩出されるイメージだわ >>186 15勝が一回でもあるとその年限定でエースの仕事した印象になるね 1986年の近鉄の小野、1988年の中日の小野、日ハム松浦とか 最近だと西武の多和田は2018年は勝ち星はエースだった、防御率はダメダメだが 中日の大野は名実ともにエースと呼んでいいと思う 暫定エースの域は超えた 88年の大野は沢村賞とったけどあまりエース感はなかった。 個人的に当時のエースなら200イニングは投げてほしいというのと、当時の野球ゲームの先頭の投手が北別府だったからエース北別府というのが刷り込まれてる。 その年の北別府は平凡な成績だけど、大野より20イニング以上多く投げてる イニング数では前年の大不振年≒大野のキャリア最高年 北別府 大野 川口 斎藤雅 桑田 槙原 渡辺久 工藤 郭 川口は15勝しても勝ち頭でエースではなかった 60年前半古葉監督は高木を先発に川口を中継ぎに回してた 後半、高木が不調、川口が先発に 大野もこの時はまだノーコンで立ち上がりが悪く投げてみないとわからない、3回以降リズムに乗っていくタイプで 川口、高木と広島の先発左はみんな同じような投手ばかりだった 大野は本格型でモノになった30過ぎからは故障が増えて200イニング放れなかった。 郭泰源は一度だけ15勝ったが 大野は沢村賞取った年は確かにエースだった 対して川口は山本昌同様に永世2番手のイメージだ 西武の渡辺智も入団から3年連続2桁勝利、3年目は最優秀防御率だったのにエースとは呼ばれなかった。 そら さらに上に3人もいたし 弱いチームならエースと呼ばれてたかも >>202 ヤクルトの尾花くらいのポテンシャルあったよね 尾花のが実労が長いから通算成績は差があるが 西武は渡辺智や石井や新谷がローテの4番手とかだから強いはずだわ ファミスタやパワプロで一番上に表示される投手がエース、という刷り込みはたしかにある だからヤクルトのエースは岡林 >>206 初代ファミスタならかわぐちじゃなくてかわはただな 北別府 成績不振でもエース扱い 大野 どんな高成績でもエースと呼ばれない(悲劇性が88年の沢村賞にピッタリ) 川口 要領良い(だからFA入団では珍しく巨人で引退) 北別府は貧打1991年でもかなり勝ち越しているので勝ち運がある 野球人生トータル勝ち運まみれの投手 長身で右の正統派投手はエースと呼ばれやすい 左やサイドは呼ばれにくい 左で明らかにエースと呼ばれたのは、 大昔は言うまでもなく金やん江夏 割と働かない年もあるけど工藤はエースかな 星野はどうだろう 昌さんはやや微妙かも知れんが、 今中は間違いなくエースだったんだろうね サイドは斎藤一択かな >>214 荒巻と梶本と小野正もエースって呼んでもいいかと オリックス金田や戎はエースだったのか 何とも言えない暗黒時代 2000年前後のパは松坂のいた西武以外はエース不在と言っていいんじゃないの 田ノ上とか岩本とか前川とか金田とか、ギリギリ黒木はアリかな だから当時は今とは逆にパリーグ弱すぎと言われてた 平成元年 西武 渡辺久 15勝11敗 近鉄 阿波野 19勝8敗 最多勝 最多三振 オリックス 星野 15勝6敗 ハム 西崎 16勝9敗 ロッテ 村田 7勝9敗 最優秀防御率 ダイエー 加藤伸一12勝8敗 巨人 斎藤雅 20勝7敗 最多勝 最優秀防御率 沢村賞 中日 西本 20勝6敗 最多勝 広島 大野 8勝6敗 防御率1点台 阪神 キーオ 15勝9敗 大洋 新浦 8勝13敗 ヤクルト 内藤 12勝5敗8セーブ 伊藤昭光 このスレタイっぽいというか、 多分エースと呼ばれないタイプなんだろうけど、 背番号18で黙々と投げてるのが好きだったな 謎の最多勝は評価が分かれるだろうけど、 前年の先発14勝は純粋に最多勝争いレベル >>220 黒木は当時のロッテって考えたら個としては十分にエースでいいじゃないか? 50試合全て抑え登板で120イニングとか酷使過ぎる >>220 田之上 永井 星野 若田部らの見栄えのしない地味ローテ 特に星野は特徴無しの平均値投手って印象 >>227 石本貴明は70試合(最高勝率・最優秀救援)⇒64試合(最優秀救援)で投手寿命短かったな >>227 石本貴明は70試合(最高勝率・最優秀救援)⇒64試合(最優秀救援)で投手寿命短かったな >>223 伊東昭光は93年は消去法でエース扱い? この年はチーム最多勝、最多イニング。 他が前半のエース伊藤、日本シリーズ開幕投手の荒木、4連連続10勝以上の西村、日本シリーズMVPの川崎 どれも決め手に欠ける >>235 この年の野球ゲームではファミスタもパワプロもヤクルトの先頭投手は伊藤智だった 西村は野村ヤクルトで安定してたのにエース扱いされないな 西村はキャッチボールみたいな華の無い投げ方 かつ仏頂面で損していた 川崎 西村 岡林 90年 12勝 10勝 91年 14勝 15勝 12勝 92年 0勝 14勝 15勝 93年 10勝 11勝 5勝 94年 6勝 6勝 11勝 岡林は短期間なのにエース感あったな 日本シリーズの熱投のおかげかな 92年は滅茶苦茶投げているイメージがあったけど200イニングも行っていないんだよな 川崎なんかはあまり対戦回数無かったらすげぇ打ちづらそうだな >>223 >>235 リリーフで最多勝て凄いよな ヤクルトの伊東昭光 伊藤に比べると語られないが 80年代中盤のヤクルトだと尾花がエース これは異論ない 2番手は高野かな? 梶間は86年くらいはもう影薄だし 荒木は故障しまくりだし 宮本は先発と中継ぎの何でも屋だし >>212 北別府 「そんなに勝ち運勝ち運言うんなら、僕の勝利数を三分の一減らしてくれてもいいんですよ それでも142勝ですから少しは褒めてくれますかね? 同年代で142勝以上した投手がどれだけいるんですかね? それとも三分の一減らしても勝ち運云々言われるんですかね?」 何だかんだ言ったって投手の評価勝ち星よな 通算○○勝投手という表現はあっても、 通算(防御率)○点代投手とかは殆どない (まぁ3点を切れば2点台しかないけどさw) 存在意義云々はさておき、名球会だって200勝が区切りな訳だし こういう時よく黄金期西武エースは誰だった?という話になるが 在任中そういう話は一切しなかった森がハワイ移住後にエースは久信と位置づけてたと述懐してた 久信 工藤 郭 86年 16勝 11勝 5勝16セーブ 87年 5勝8S 15勝 13勝 88年 15勝 10勝 13勝 89年 15勝 4勝 10勝 90年 18勝 9勝 8勝 91年 7勝 16勝 15勝 92年 12勝 11勝 14勝 93年 9勝 15勝 8勝 94年 9勝 11勝 13勝 巨人は投壊と言われた時期はあっても常に明確にエースと呼ばれる投手がいるね 男前エース 遠藤 渡辺久 西崎 ダルビッシュ 涌井 岩隈 >>261 阿波野 星野(スローカーブの方) も追加で >< あと現代なら大谷でしょうね ハンケチは、ハムイケメンエースの系譜に乗れなかったなぁ イケメン四天王って、西崎、阿波野、ナベ、星野で良かったっけ? イケメンという言葉は当時はないけどね。 トレンディエースだな。 四天王ならその4人。 そこにナベQが入ってるのがいろいろ考えてしまうな。時の流れは残酷だが、ナベQは潔い男だわ。 >>264 潔いけど、あそこまでいったらスキンヘッドにすればいいのに、とは思う 犬みたいになっちゃって、さすがにちょっとやばい ヘラヘラしてお洒落に気を配る投手はエースじゃないね サウスポーはどうしても球威で右の本格派に劣るからエース感が乏しくなるよな ナベはおしゃれに気を使ってなかったと思われる。 だから今も気にしてない。 エースの証だ。 西崎は確実に意識してた。星野あたりも。 阿波野はその前に実力が衰えたからおしゃれどころではなかったかも。 スキンヘッドにした落合は悩みに悩んで出した結論だろうか。 金持ってるんだから誤魔化せただろうに。 >>255 80年代のヤクルトの先発陣の年度別の勝ち星しりたい 松岡、尾花、梶間、高野、荒木、伊東、内藤 とかかな まあ松岡が活躍してた頃は、伊東や内藤は入団すらしてないがな Wikipediaの成績欄を見たらすぐに分かるので、 コツコツと調べ上げて、あなた自身が貼り付けてください こういう単なる雑談で言葉通りに捉えて自分でやれとか頭悪い発言する奴いるよな 調べてもらえないからムカついたのかwww 頭の弱そうな奴... そうやってすぐ煽ってくるお前の方が頭悪いだろ 殺すぞボケ >>269 尾花、高野、伊東、内藤は 活躍時期が被った年もあるはず >>88 1974 松本行幸は20勝の最多勝利したのに沢村賞は救援投手の星野仙一 成績なら文句なし松本だ 1977年1978年安田はエースとは呼ばれなかった 左投手は心臓が左に有るからスピードで右よりも損だよね 稲葉はエースと呼ばれてた 松本 三沢 良い投手いたね 松本渋谷のミラクル投法 鈴木孝政も小松以上に速くてすごく活躍していた 左の竹田も速かったわ イタカジ、ルーズフィットのスーツにメルセデスベンツSL乗ってた 後の小久保なんかより久信はずっとおしゃれでカッコ良かった >>262 そんな贅沢いうたらあかんで。ラッキーゾーン撤去前の阪神やTBS保有の頃の横浜、合併前のオリックスなんて話しにならないくらい投壊が酷いし、投手陣の潜在能力も著しく低いぞ。 >>262 内海は普通にエースに値したわ 1985年の阪神の池田やゲイルとかが酷い 投手が酷すぎる 内海は面白い投手でセリーグのCSで活躍せずに初戦任されてKOされて巨人 がCSで苦戦または敗退する しかしシリーズ出るとパ相手にはそれなりの好投する そこが頼りなく感じる セがシリーズ出てパに通用する投手って意外とペナントでは球速いが制球 もいまいちという投手が多い気がする 山根・川崎・川口・槙原。エースと呼ばれてない >>283 「まさ」という名前に因縁があるんかねぇ・・・ >>288 なるほど面白い考察かも 癖とかデータとかが当てにならずに、的が絞りにくいのかもね 広島の歴代エースは(俺が知っているころから)古い順に 外木場 池谷 山根 北別府 因みに山根は全て低めに集まりコントロールも良かった 好投報われぬ山根 好投しなくても打線の援護がある北別府 山本昌とか北別府あたりの制球派はシリーズに弱い。 阪神の井川は由伸曰く 球は速いけど球が揃って打ちやすいとか言ってた。 江川も制球揃ってた エースと呼べるかわからんがヤクルトのブロスと石井はシリーズ強かった どっちか言うと荒れ球 西武がシリーズで苦戦した投手 槙原 川口 川崎 石井一久 >>290 しつこい 山根がエースだったことなんてS59しかないわ S55あたりはよく頑張ってたが 西本のシュートや高津のシンカーのような必殺球あるとシリーズで通用する 岡林は日本シリーズで大車輪だったけど、通算50勝ちょいだし、エースだったのかな? あと、山部は? エースではないが3番手でずっとやってるのが 美馬学だな 楽天でもロッテでも計算できる3番手として活躍してるし >>299 山部は確変投手だよ 何年も活躍した訳じゃない >>288 山根くんは日本シリーズのエースですよ 鈴木:直接登板対決して散々痛い目にあったら 彼は広島の日本シリーズのエースですよ 広島は山根が主戦としてたときしか日本一になってない ちょい古いけど大洋にいたアンダーハンドの坂井 小気味良いピッチングしてたわ エース今中(2番手扱い山本昌) エース野口(2番手扱い山本昌) エース川上(2番手扱い山本昌) エース吉見時代は別枠扱い山本昌 エース大野時代も別枠扱い山本昌(最年長〇〇記録) >>288 いや、山根はコントロール良かったよ 無四球試合も多いし 槇原もスライダー覚えてからはそこそこコントロール良くなった >>310 ひたすら長くやれた、典型的な最強2番手って感じよね 大リーグでいうと、トムグラビンみたいなタイプ 93-97くらいまでは山本昌もエース扱いだった 今中とダブルエース 99くらいから好成績でもタイトルに絡まなくなってから二番手扱い 年度別勝利数 _ 山 今 野 川 吉 大 _ 本 中 口 上 見 野 88 *5 _ _ _ _ _ 89 *9 *1 _ _ _ _ 90 10 10 _ _ _ _ 91 *6 12 _ _ _ _ 92 13 *8 _ _ _ _ 93 17 17 _ _ _ _ 94 19 13 *0 _ _ _ 95 *2 12 *3 _ _ _ 96 *7 14 *5 _ _ _ 97 18 *2 *0 _ _ _ 98 *9 *2 14 14 _ _ 99 *8 *0 19 *8 _ _ 00 11 *0 *9 *2 _ _ 01 10 _ 12 *6 _ _ 02 *7 _ *2 12 _ _ 03 *9 _ *9 *4 _ _ 04 13 _ *4 17 _ _ 05 *7 _ *3 11 _ _ 06 11 _ *0 17 *1 _ 07 *2 _ *1 12 *0 _ 08 11 _ _ *9 10 _ 09 *1 _ _ _ 16 _ 10 *5 _ _ _ 12 _ 11 _ _ _ _ 18 *0 12 *3 _ _ *3 13 *4 13 *5 _ _ *1 *1 10 14 *1 _ _ *1 *0 10 15 *0 _ _ _ *3 11 エース呼ばわりされると 引き際を気にしなくはならなくなるが そうでない投手は いや その なんでもないです >>316 山本昌広は11年か12年で引退すべきだな 物販などの人気で寿命伸びたんか? 山本昌ってあらためて見てみるとすごいわ。 17,19,18勝ってね。 工藤は16が最高だし。 >>316 90年代に全盛期を迎えて世紀末あたりで連続一桁勝利。 並の投手ならこれでもう終わりかな?と思っちゃう。 そこからまた二桁勝利5回とは! 1988年の松浦 西武ファンとしては西崎と同じくらい手強い印象 西崎と松浦が当たらないとホッとしてた 野村収とかどうかな 常に三番手くらいの気がする 間柴とかも >>325 間柴は一発屋に近いからな 山内和宏はナンバー2扱いだったな 長くプロやってた加藤伸一は一度もエースと呼ばれた事はないな あとNHKの解説してる武田もエースと呼ばれた事はないね、80勝してるが ヤクルト時代の吉井理人 90年代ヤクルトは投手王国だったので 表ローテが川崎憲次郎、伊藤智仁、石井一久 裏ローテがブロス、田畑、吉井という感じだった >>327 ただ吉井が来た頃は伊藤智は先発で活躍してないだろう >>329 今調べたら確かにそうだった 吉井がヤクルトにいたのは1995年、1996年、1997年 https://npb.jp/bis/players/51653860.html 伊藤智仁は1996年復帰、1997年抑え https://npb.jp/bis/players/21123887.html 吉井とは先発ローテが被ってなかった 第3回カープ学講座@〜高橋里志さん・鏡割り事件の真相が明らかに〜 https://www.youtube.com/watch?v=p43C3-wR6dI 面白かった ヤクルトの1995年と1997年の優勝は記憶が混同しやすいな。 >>330 1995年は山部とかブロスのイメージが強い 逆に伊藤智仁と岡林のイメージはない 95年 山部16勝 ブロス14勝 石井一13勝 吉井10勝 伊東10勝 97年 田畑15勝 吉井13勝 石井一10勝 藤田太陽は巨人を制して獲得したし。 広岡さんも野村の指導法に苦言呈してた 石井は95年オフに故障するが故障前の95年のフォームのほうがまだ制球良くて 好き。 97年は実質2か月休んで10勝だね。 後半は完全にエースで無双してたね 巨人見てると捕手の力って重要だと思うわ。 巨人は捕手が良ければ投手力は もっと上がるよ。 古田の力ってすごいわ 95年石井と山部ブロスはマックに高めの速球で攻めてた。 外国人ってこういう風に 攻略するんだと学んだ。 巨人は同時期にローズやペタジーニに低めとか外角中心 で打たれ続ける。 あとゴメスも 川崎・ブロス・石井と日本シリーズに強かった。 93年の日本シリーズの第4戦の 神宮の川崎は生涯最高の投球だと思う。 あれはデストラーデいても打ててたか わからん パリーグ相手だと多少制球あれでも速球派か縦変化もちが良いのかな 石井は95年2戦でやらかしたけど >>334 数字の上では山部や田畑の方が勝ってるけど エースという印象が強いのは個人的には石井一久だわ 特に1997年にマシンガン打線相手にノーヒットノーランやらかしたのは凄かった チームが一番勝って欲しい時に勝ってくれる 山部田畑はせいぜい1年2年だけど、 石井は複数年にわたって、10勝+αしてたからね あと日本シリーズに強かったね 残した成績やタイトルやらは 申し分ない筈なのに、 何となく摂津と書きたくなる 何かエース感がまるでないんだよなぁ あの時代ならチーム随一リーグ有数だったと思うんだが。 >>339 >>340 95年の山部は前半勝って後半失速。 石井は95年も97年も後半調子あげた 95年はシリーズの時に肩痛くなって6戦までもつれてたら山部行かせてた と角コーチがやめたときに話してた 97年はそのままシリーズ突入 逆に西口はシリーズ弱かったな。 勝ったの見たことない 個人的には岡林のシリーズでの活躍が記憶に残っているが、彼もノムさんに酷使された被害者になるのかな? 古田は自分が受けた投手の中では山部が最高だと言っていた 石井一久 97年日本シリーズ初戦 9回完封 12奪三振 しかも1−0の完封 01年日本シリーズ初戦 8回無失点 12三振 7回1アウトまでノーヒットノーラン 55本のローズ 46本の中村ノリを全く寄せ付けず 渡辺久って最多勝の回数・耐久性に比べてなぜかラスボス感を感じない。 日本シリーズの初戦と敵地に強いというメンタル面もすごいと思うけど 左腕の工藤だったり・速球と高速スライダーの郭・一時期の輝きだけど制球の石井丈 とか剛球の渡辺智の方が打ちにくいイメージ。 >>345 01年なんか最後まで優勝争いした巨人戦で防御率9.88(27回1/3) 開幕戦とか晴れの舞台で気分が乗るとそうやって結果出すこともあったけど、 アメリカ行く前に勝ち頭になったことがないことから分かるように基本的には頼りにならない男だった カツオもそうだけどエースじゃ無かったからこそあのスワローズで長持ちしたんだろうな 川崎って故障少ない投げ方だと思うがなぜか故障するんだよね >>347 石井は96年に左肩の手術して球速くなったけどスリークォーター気味のフォームに なって制球力が落ちた。 95年のフォームの方が力感なくて腕の位置が高くて 制球が良いとは言えないけどストライクは取れてた。 金石とか白武とか川端とか小林とか長冨とか あの辺の混同するレベルの中途半端な好投手が やたらといたな(称賛) あんなんが三本柱の次にいるんだから、 そりゃ投手王国やわ 阪神も野田や藪恵壹といい投手は取ったが 80年代は酷かった 川崎ってフォームのわりに故障多かった。 実は伊藤智よりフォームはコンパクト で好き あくまで「えげつない成績の割には」という前置きの上で工藤 なんか常に2番手感あるんだけど 西武 エース渡辺久 2番手工藤 ダイエー ほかにいなかったのでエース 巨人 エース上原 2番手工藤 年度別勝利数 西武ライオンズ 所沢移転から最後の黄金期戦士伊東が最後に優勝した02年まで _ 東 松 松 工 渡 郭 石 渡 新 石 西 松 _ 尾 兄 弟 藤 久 泰 丈 智 谷 貴 口 坂 79 *6 16 *4 _ _ _ _ _ _ _ _ _ 80 17 *9 12 _ _ _ _ _ _ _ _ _ 81 *8 *5 12 _ _ _ _ _ _ _ _ _ 82 10 10 11 *1 _ _ _ _ _ _ _ _ 83 18 12 15 *2 _ _ _ _ _ _ _ _ 84 14 12 11 *0 *1 _ _ _ _ _ _ _ 85 17 14 *0 *8 *8 *9 _ _ _ _ _ _ 86 12 *5 *3 11 16 *5 _ _ _ _ _ _ 87 15 *8 *1 15 *5 13 _ _ _ _ _ _ 88 *6 *6 *0 10 15 13 _ _ _ _ _ _ 89 _ 11 _ *4 15 10 *4 10 _ _ _ _ 90 _ *4 _ *9 18 *9 *8 13 _ _ _ _ 91 _ _ _ 16 *7 15 *7 11 _ _ _ _ 92 _ _ _ 11 12 14 15 *7 *4 _ _ _ 93 _ _ _ 15 *9 *8 12 _ *8 _ _ _ 94 _ _ _ 11 *9 13 *6 _ 10 *0 _ _ 95 _ _ _ _ *3 *8 10 _ 11 *2 *2 _ 96 _ _ _ _ *6 *0 *0 _ 11 *3 16 _ 97 _ _ _ _ *0 *0 *4 _ *2 10 15 _ 98 _ _ _ _ _ _ _ _ *5 *9 13 _ 99 _ _ _ _ _ _ _ _ *0 13 14 16 00 _ _ _ _ _ _ _ _ _ 10 11 14 01 _ _ _ _ _ _ _ _ _ *5 14 15 02 _ _ _ _ _ _ _ _ _ *8 15 *6 スレタイがふわっとしてるね でも「100勝以上してるのにエースと呼ばれなかった選手」だとすぐに話が終わっちゃうか 87年と91年はMVPでもおかしくなかったのに東尾と郭にとられた工藤 >>362 開幕投手してるしエースじゃね? 内藤は 山部と田畑は二桁勝ってもエースのイメージはないが あとヤクルトだと藤井もエースのイメージはないが 開幕投手をやってるかはエースのイメージとして重要だと思うが エースっていうのは概念だから多少ズレが出るのは仕方ない 「勝ち頭」ならチームの最多勝投手でいいけど ギャオスはエースではないが2年連続開幕投手 一応その2年間はノムから信用はされていた >>372 松本星野→鈴木孝政→小松 エースじゃなく3番手だからな、都は実労働の期間が短い 山根も該当するな、北別府大野川口がいたからエースちゃう アンダースローでエースってもうなかなか出ないだろうな 何となく素人でもできそうなのがネック 上投げだとスピードが出ないけど、下投げは練習すると結構球速出るからな スンスケ以降牧田とか高橋礼とかポチポチ台頭してきているんだけどね、足利以降下手投げが皆無だった時期があった。 >>375 1985年以降は佐藤義則のが山田より安心感あったわ >>372 紀藤は1994〜96年あたりはエースだったよ >>379 そりゃあ二番手以降が山内・山ア健・高橋建・片瀬じゃねぇ。 >>376 下半身を鍛えないとアンダーで通用するのは難しいから 素人では大変かと 鍛えればやれるってのはやや弱いんじゃないか 上投げだとまず速球を投げられないから。直球が遅いとスライダーとかの動く球も弱いから通用しなくなる しかし下投げは球速自体は上投げよりも遅くてもいいから 広島歴代エース 外木場→池谷→山根→北別府→佐々岡→紀藤→佐々岡 その後は永田→棚橋→オカダかな てか猪木の次は藤波だろ 永田のムリヤリねじ込んだ感 防衛記録更新も橋本への当て付けブックだろ >>383 佐々岡の後は黒田→マエケンときて次は誰だろ?ノムスケか?大瀬良か? >>383 タイトル経験者の大野や川口がエースじゃないんだから、そりゃ投手王国だよね。 欠端が開幕の年の大洋は悲惨だった 80年中期の大洋は遠藤いないとスカスカだった 投手に関しては尾花、梶間、高野がいるヤクルトのがマシだった 中日の86年も小松、鈴木孝政、杉本で表のローテは組めたからなぁ 大洋は酷いイメージ そして1985年の阪神はあの投手力でよく優勝できたと感心するばかり 桑田はエースナンバーというだけでエースではなかった感あるよな 江川 怪物・スター 西本 江川のライバル・星飛雄馬投法 定岡 アイドル・スター 加藤 見た目が地味 地味キャラは不利だ・・ 斎藤雅樹が背番号18で桑田が背番号11なら、斎藤がただ一人の絶対的エース扱いされていただろう どうだろうな 桑田は甲子園のスター補正が強かったからな それもあるし十代からエースだった 18は桑田の方が似合うと思うわ 斎藤は2年目に12勝したけど、 その後の数年、冷遇されたのが惜しかったわなぁ 改めて年度別成績見てみると、内容悪くないし、 普通に先発で使ってれば桑田より先にエースになっていたかも知れんが >>320 工藤は優勝決まった後は休養してしまったりするからな。 5年連続二桁勝利しても、通算100勝以上したのに、同じ時代、同じチームに日本球界を代表するエースが4人 (通算200勝が2人、投手3冠達成が1人、オリエント急行が1人)も居たせいで5番手扱いだった松沼兄 他の球団を見渡せば、100勝未満でエース扱いだった選手が居るのに エース呼ばわりされた人は監督コーチに成れなかったり失敗するケースが多い 呼ばれなかった人は案外逆 パリーグ四天王だと草とマサカリが論外でトンビと山Qがボチボチってとこか 東尾は指導者としての実績はNo1だが、 現役時代のダーティーな所業と娘の旦那がパヨク石田という点を考慮するに やはり山田久志が総合的に見て1位だろうな 石田純一を入れるなら、娘の夫が福山雅治の吹石はどうなるよ >>399 ずっと藤田監督中村コーチなら200勝してたな 途中で王監督堀内コーチになったのが悲劇 石井一久はエースと呼ばれなかったけど名投手でもないから該当しないかな。 でも故障を避けてお金をたくさん稼いだから本人は満足しているだろう。 >>410 石井くらいの成績が最もスレタイに相応しい気もするけどなぁ それ以上だったら、普通にエースやん まぁエースの定義も一概に言えん部分もあるけど >>411 前半戦は故障しないように手を抜いて、打者がバテる後半戦に活躍して印象をよくするのが得意という感じかな。 悪いことじゃ無いけどチームを背負うエースとはまったく言えない。 じゃあ名投手かというとノーコン速球投手だしイメージが違う。 要領よく大金を稼いだ投手、以上でも以下でもないかなぁ。 スレタイに相応しいとなると、やっぱり加藤初とかかなぁ。 ジャイアンツでなければエースだったと思う。 実はかなりの速球投手でもあった。 しかもコントロールも良かった。 松沼兄弟かな この2人がエースと呼ばれた記憶が無い 内容的に東尾を上回ったシーズンもあるんだけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる